第346話 剣術指南 第五番 山津波 ①
フレッチャー兄弟とラウル=ジーゲルの腕試しは一日おいて実施の運びとなった。ラウルは只今すぐでも一向に構わなかったのだが、祖霊が眠る地での真剣勝負なればよほどの精進潔斎をせねば無礼であり、それ相応の準備が必要である、と戦士兄弟が強硬に主張したからだ。なるほど、焚火を囲んで一杯やってしまった酒気を抜くとか、先祖への捧げものを用意するとか、聞けば至極まっとうな理由である。
結果、ラウルは戦士兄弟の口車に乗った。
翌日の昼前に火竜の巣跡へやってきたラウルはけっこうな人だかりに絶句する。やられた、と気付いたが、時すでに遅し。土手を囲むように丸太を並べた即席の観客席は大盛況で、菓子や軽食を売る屋台のようなものまで出ていた。
「準備ってこれかよ……」
準備期間の正味は半日であったから、造作や企画における粗製急造の謗りは免れない。しかしながら、祭りの如き雰囲気は手作りの村おこし事業ならではあった。
リンの姿は観客席に在って、セーヴェルの内儀連中と話し込んでいる。ウチの主人たちが暑苦しくて相済みません、いえいえお気になさらず、どうぞお手柔らかに、などと井戸端会議の会話を楽しんでいたが、ラウルの視線に気付くと話を中断して席を立った。
「お祭りになっちゃったね」
試合前の主人を激励に来た、と言うよりは事態の展開を面白がっているような響きがリンの言葉にはある。
「正直、あの人たちの商魂を舐めていた」
ラウルは口をへの字にして周囲を見回した。フレッチャー兄弟は無から有を生み出す才能の持ち主とでも言うべきか、昨日までは打ち捨てられた寂しい景勝地が立派な観光資産に生まれ変わっていたのだから仰天するなというほうが無理だ。
「念のため、回復湿布やお薬も用意してあるけど、あんまり大きな怪我がないようにね」
「お祭りだしな」
リンは黙っているが、治療が必要になるのはフレッチャー兄弟に限らないと思っている。なぜなら、試合が興行になった結果、超常の力を制限する必要が出てきたからだ。セーヴェルの民心を徒に騒がせるわけにはいかないので、ラウルは竜戦士変化と竜語を使用しないことに決めた。そのかわりにフレッチャー兄弟も大熊変化はしない。また、使用に際して外見的変化や超常現象を伴わない竜眼や竜闘気の使用に制限を設けない一方で、戦士兄弟は二人がかりとする。このように公平を期して試合規則を定めたので、流れによっては熟練の剣技をもつ傭兵がラウルをしのぐ可能性は十分にある。
「それにしても、郷土の英雄さんは大人気ね」
「なんか贔屓されすぎてない?」
ラウルはフレッチャー兄弟を応援する旨の簡素な横断幕に目をやった。
「えッ?」
「オレが悪役の興行になってる気がして仕方がない」
負けるな、倒せ、と可愛い声援を送って来るセーヴェルの子供たちに悪意はなさそうだが、どうしてラウルを応援する声がひとつもないのか。故郷に雇用と新しい産業をもたらし続ける戦士兄弟が抜群の人気を誇るのは至当として、どうにも自分の扱いがひどすぎるのではないか、とラウルは言いたいのだ。
「わ、私はラウルを応援してるわよ!」
「ありがとうよ」
有難くて涙が出るね、と心中で皮肉を言いつつ、ラウルは得物の木剣を勢いよく振って握りを確かめた。不意に太鼓の響きが聞こえる。フレッチャー兄弟の入場だ。白く塗った盾をかざしつつ、遅い拍子に合わせて巨体を揺らしながら運んでくる。見た目は戦士よりも泥棒が相応しい足運びなのだが、特徴的な太鼓の音は忍び足を表現しているのだと分かった。
(もしかして、火竜退治の場面を再現しているのか?)
ラウルは手近な観客席にいたセーヴェルの古老に詳細を尋ねる。やはりと言うか、白色の塗装は氷の盾を現しており、これを以って火炎攻撃を防いだとされる伝説の一部なのだ。
(ははあ、良くできてる……けど、盾一枚で防げたのかなあ)
(そうは思えませぬ)
久々にオトヒメが解説を入れた。仮に火炎の直撃を防御できたとしても、肺呼吸生物は気管熱傷や窒息の危険がある。伝説が魔法防御開発以前の時代であるなら、火竜退治はほぼ成功の見通しがつかなかったはずだ。
(それじゃあ、このお芝居は?)
(全くの虚構ではありませぬ)
それどころか、当時の状況を過たず再現しているかもしれない、とオトヒメは言う。
(解釈が違うってだけか)
(御意。白塗りは火竜に覚られることなく近づくための冬季迷彩でしょう。忍び足も真実そのまま、つまるところは毒か眠り薬による暗殺が臭いまする)
(真実は闇の中だね)
(主様は絶対に肯定なさいませんが、人間の浅ましさはどこでも似たものでは)
何かにつけてラウルを煽ることは控えめになったが、人類許すまじの方針を堅持している彼女はいつまでたっても評価が辛い。人間は少しでも気を許すと悪事を働く存在であると信じて疑わないのだ。その信念を覆すに足る材料が豊富にあれば、彼女も少しは考え方を改めようものなのだが、別してタイモール各地に伝わる竜殺しの件については人類の業を誇れるような証拠が見当たらなかった。
当然、火竜の巣を商売の種にするフレッチャー兄弟もオトヒメには醜く映っている。
(ま、まあ、あの人たちが直接の加害者ではないし、家族や従業員を食わせていくために必死なんだよ)
(確かに、神妙に竜族の慰霊碑を立ててみたところで物の役に立たぬのはわかります。さりとて、面白おかしい見世物に仕立てるのは如何なものかと)
(慰霊碑か。この催し物で収益があがるようなら、そいつで何かできないか頼んでみよう)
慰霊でなくとも顕彰のなにがしかはありそうなものなだが、火竜の巣跡には過去の事績を記憶に留めようとする努力の痕跡は皆無だ。つまるところ、グリノス竜伝説はセーヴェル民以外の帝国臣民には郷愁を誘う話でもなければ今さら目をかけるほどの美味しい案件でもないため、放置されるがままなのである。
それにつけても、気になるのは試合の前座として行なわれている芝居だ。フレッチャー兄弟が竜退治の勇者を真似るのは当然として、ラウルの立ち位置はどうなるのか。どう考えても伝説の火竜に寄せている。竜の子なら丁度都合が良いと言わんばかりだ。本戦でラウルとフレッチャー兄弟のどちらが勝っても丸く収まる筋を用意しているとは思うが、興行として盛り上がるのは圧倒的に後者の戦士兄弟が苦戦の末に逆転勝利を収める僅差の勝負に軍配が上がる。
(ほほ、宜しいではありませんか。興行の成り行きなど知ったことではありませぬ。むしろ、そのようなことを気にかけておられたらきっと不覚をなさいますよ)
剣術勝負のみならず学生の考査や日々の仕事においても油断は自己のもとだ。もちろん、オトヒメは剣術巧者ではないから、ごく一般的な注意を呼びかけたにすぎない。ところが、何時もなら彼女の忠言を素直に聞き容れるラウルがこの時ばかりは少々逆上していた。理由は噛ませ犬的な己の配置である。
(なんか腹が立つなあ。戦士兄弟の応援一色じゃないか)
(主様はもそっと集中なさいませ)
(分かってるよッ!)
ラウルとオトヒメの口喧嘩をよそに、フレッチャー兄弟は白い盾を木剣で小気味よく叩き、興奮気味の観衆は手拍子で応えていた。なにしろ、本式の祭りや大漁の祝いを除いてこれだけセーヴェルが熱気を帯びることも珍しい。
「我らの祖霊に対し、感謝の腕試しを捧げたてまつる!」
「これこそフレッチャー家の誉れ!セーヴェル万歳!」
よく言うよ、とラウルは口の中でアランとトーマス兄弟の商魂を揶揄したが、彼らの先祖を敬う気持ちは見上げたものである。先祖代々に向かって感謝の気持ちや祈りを捧げた経験のないラウルにとっては新鮮ですらあった。
「栄えある奉納試合の記念すべき第一回は名誉ある戦士をお迎えして行なわれる」
「アルメキアの騎士にして、我らが皇帝陛下の御客人、ラウル=ジーゲル殿ーッ!」
観客からの大歓声だ。仕方なく、ラウルは手を振って挨拶をする。
「えッ、あ、はい、どうぞよろしく」
その控えめな挨拶は台本と違う、とフレッチャー兄弟は言いたげだったが、ラウルはそこまで付き合っていられない。それに、フレッチャー兄弟の口上には聞き捨てならない言葉が含まれていることに気付いた。“第一回”と言ったからには二回三回と続く予定を連想するのが普通だ。何のことはない、戦士兄弟は奉納試合を恒常化するつもりなのだ。集落の人間同士では盛り上がりに欠けるので、他国者のラウルを最大限利用したのである。
(この勢いだと賭け試合が行なわれるのも時間の問題じゃないか)
実のところ、賭け比率を大書した立札や締め切りを呼び掛ける賭け屋こそいないだけで、そこかしこで小規模な賭博が行なわれていた。
余談だが、はるか後世になってセーヴェルを中心とするグリノス北部の遺跡からはイカサマ賽がしばしば発掘される。やたらと大きい数字が目立つ四五六賽などは、本当に使用されたのか疑わしい雑なイカサマの代物なのだが、賭けの大半が酒場で行なわれることに鑑みれば、酩酊状態乃至重度の酒気帯びを利用しての細工であったことは想像に難くない。
話がそれたが、陽気な博打好きの民族性あるいは地域性がセーヴェル民にはすくなからずあったとみて間違いなかった。第一回セーヴェル奉納試合の熱狂はその証左である。
いつもご愛読ありがとうございます。
最後に出てくるイカサマサイコロですが、バイキングの遺跡を発掘調査すると出土する場合があります。(本当)通るかバッカモーンって言いたくなりそうな細工とも呼べない代物の元祖は根深い。
徃馬翻次郎でした。




