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五話

 目覚めたとき最初に見えたのはくすんだ景色だった。

 どうしてこんなに空気が悪いのか、テレビで見た外国を彷彿とさせる汚れた世界だと思った。


「って、そうだ! 私刺されたんだった! ぎゃああああ死ぬううううううう!!」


 いきなりのたうち苦しみだした人形に戸惑いの表情を浮かべているのはグサーノだけではなかった。

 さっきまで無言で攻防していた人形とは打って変わって、実に人間らしい言動をする『彼女』に皆ついていくことができなかった。


「ぐはぁ! この十七年間イイ事がなかったけど、いざこうして死ぬとなると悲しくて辛いよおおおお! 誰か、誰か助けてぇ! せめて、私のパソコンの中身を何も見ずに消去してええええ!」


 今際いまわのきわの言葉にしては随分余裕があるように思えるが、そもそも『彼女』に致命傷となる傷は見られない。

 それならば、何故こうして人形である『彼女』は苦しんでいるのか。


「お、おい……お前、何をしているんだ? 何を言っているのか皆目検討もつかんが、そんなに人間味あふれる言動をして、本当に人形か?」


 思わず声をかけてしまったグサーノ。

 一番近くにいるのだから仕方のないことなのだが、出来ることならば関わりたくないほどの変わりようだった。


「あああああああああ、何か知らないけどオジサン救急車呼んでえええ! 見ての通り私今にも死にそうなのおおお!」


「いや、何を言っているのだ。そのキュウキュウシャというものが何かは分からぬが、見たところ全然死にそうにないんだが。そもそも、貴様らに死の概念など分かるものか」


 気味が悪い。

 グサーノは『彼女』の様子に言いようのない恐怖を感じた。

 人形なのに、まるで傷を負った人間みたいな言動。先程までのあの人形はどこに行ってしまったのか。


「シャーリーさん、アレは一体何が起こっているんでしょうか?」


「分からない……なんて言ってしまったら探偵失格なのだろうな。とにかく、今の状況から判断するに、あの人形の中身がそっくりそのまま他の何かに変わってしまったということくらいのことしか言えないな」


「そんなこと、ありえるんですか?」


「現に今目の前で起こっているのだからあり得るのだろう。にわかには信じがたいことだが」


 複雑な表情を浮かべて、シャーリーは目の前で展開されている二人のやり取りを眺める。

 戦闘とは程遠い『彼女』の謎の救命要望に頭を混乱させているグサーノの姿はいささかおかしく見えた。


「あっ、感覚がなくなってきた。もはや痛みすら感じなくなるとは私はもうダメかもしれない……お母さん、お父さん。娘の先立つ不幸をお許し下さい」


「なんなんだこの人形は……」


 停滞した時間が流れ、ファルガ広場にある歯車機構が複雑に絡み合った時計が昼の汽笛を鳴らす。

 背の高い柱に備え付けられた公園のシンボルは、その噴出口から白い蒸気を出しながら絡繰からくりを起動させ、踊り子の小さな人形を皆に見せる。

 内蔵された自鳴琴オルゴールを鳴らしながら踊り始める小人。普段なら公園の人々を楽しませる仕組みだが、今は虚しさだけが募るだけだった。


「ええい、人形ごときに何を飲まれているのだ! どうせ、不具合のあったものが本格的に壊れただけに違いない。目障りだ、たたきつぶしてやる!」


「……マズイな。警部、少しの間だけ注意を逸らしてくれないか」


「えっ、ちょっと、シャーリーさん!?」


 ジョーンズが呼び止めるまもなく、探偵は『彼女』の元へ駆け出していた。

 小柄な体を思いっきり動かして、真っ直ぐに、『彼女』の近くにある脅威など目に入らないかのように。


「まったく、無茶ばっかり。総員、シャーリーさんに当てるなよ!」


「「了解!」」


 狙うはグサーノの足元。下手に奴の人形に当たり、跳弾でもしようものなら近くに向かう彼女に当たってしまう恐れがあるから注意が必要だ。


「ええい、邪魔をするな。羽虫風情が!」


 狙いを絞っているため、散発的な音が広場に響く。効果があるようには思えない。しかし、何もしないよりかは犯人グサーノの注意を引けている分意味はあった。

 そして、その間にも探偵は珍妙な言動を繰り返している人形に駆け寄っている。

 石畳を叩く固い感触がブーツから体にも伝わり、シャーリーは歯を食い縛った。


「君、早くこちらにきたまえ。そこにいては危ないよ」


「――っ! 探偵め、貴様が現れなければワシは!」


「しまった、シャーリーさん。危ない!」


 シャーリーの接近に気づいたグサーノは、己の人形の合金製の爪を彼女に振るわんと指示を出す。

 それは数刻前の再現だった。まるで幻灯機マジックランタンの映像を見せつけられているかのような光景に、時間が逆行したかのような錯覚に陥る。


 違うのは、今度は探偵が人形を救わんと二人の間に割って入ったことか。


 あの世への旅路に覚悟を決めたはいいが、瞳に乙女の特権の雫が溜まらないことに疑問符を浮かべていた『彼女』はその光景をスローモーションのように眺めている。


 ――私の前に現れたこの女の子は誰?


 そんな考えは彼女に迫る凶悪な金属の尖端に引き裂かれてしまった。


 ――危ない! 彼女を助けなきゃ……でも、どうやって? 


 こんなシチュエーション、漫画やアニメでしか見たことのない彼女にとって咄嗟の判断は難しかった。日頃から脳内シミュレーションは完璧なはずだったのだが、理想と現実は大分違うらしい。

 固まる思考。けれど、目の前の少女に迫る脅威は止まらない。


 だから、『彼女』は跳んだ。


 ――見てくれなどどうでもいい。だって、私は死ぬのだから。


 驚く少女を守るように、背中の方から、その身をグサーノの元へ投げ出す。

 直後に訪れる全身を揺るがす衝撃。二つの自動人形がぶつかったことで、金属片が宙を舞う。

 しかし、『彼女』は痛みに顔を歪めることなく、少女に向かってぎこちない笑顔を向ける。


 くどいようだが、『彼女』は自動人形オートマタなので痛覚はない。だが、肝心の『彼女』はそのことに気づいてはいない。

 あくまで人として、見ず知らずの少女を助けるための行動をとったのだ。

 その尊さに気づいた者は、果たしてこの場にいただろうか。いや、『彼女』は誰かに褒めてもらいたくて命を質に預けたのではないのだから、この追及は無粋というものだ。


「またしても邪魔を。だが、今度は先ほどのように上手く守ることはできなかったようだなぁ?」


「うう、見知らぬ少女よ……私のことは放っておいて早く逃げなさい。あと、墓標には名も知らぬ旅人ここに眠ると」


「――!」


 シャーリーとしては様子のおかしい『彼女』を助けるために飛び出したというのに、これではあべこべではないか。

 どうしたのだろう、いつもの自分とは違って冷静な判断が出来ないでいる。普段なら無策に危険に飛び込むことなどしないのに。これは恐らく『彼女』の存在のせいに違いない。


「さて、ここまで余計な邪魔が入ったが、今度こそ貴様を切り刻むことができそうだ」


「……らしくない」


「うん? 何を言っているのだ。とうとう貴様までおかしくなったか」


 シャーリーは今一度、努めて冷静に状況の分析を開始する。外部の声が次第に遠くなり、思考の海に意識を埋没させる。


 目の前で無傷の『彼女』の中身がどういう人格かは知らないが、どうしようもない程の善人だとは分かる。

 今の『彼女』がきちんと自分の存在を理解していないのは困ったものだが、幸いにも、ボクは『彼女』の性質、及び使い方を識っているのだ。


「それならば、この状況を容易にひっくり返すことは可能だ」


「ハッ、強がりを。それならば、さっさと見せてもらおうか。貴様の考えた逆転のシナリオを!」


 そう言ってグサーノは三度みたび探偵に向かって殺意を向けるも、彼女はそれから逃げずに立ち向かう選択をするのだった。

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