第四話
突然の凶報を、シエナは後宮で聞かされた。
皇太子であるラルフも、その傍にあった。
最近、体調の思わしくなかった国王が、急に死を迎えたのだ。
国王崩御の知らせは、近隣諸国にまで知れ渡り、それと同時に新しい王ラルフへの使者が内外から詰め掛けた。
慣例に乗っ取り、盛大な葬儀の列が長く続き、壮麗な墓標が大地にそびえた。
喪に服す長い期間が過ぎると、皇太子は祝福されて王位に就いた。
そして、弟セフとの長い間の確執が、表面に現われるようになった。
「セフはまた王宮を抜け出したのか・・・?」
「はい、今日で一週間になります。三日目までは供の者が見張っておりましたが、その後はさっぱり・・・。」
ニナイの報告を受け、若き王は溜息を吐いた。
「探し出して連れ戻すのだ。
・・・あれがまた、騒ぎを起こす前に。」
ニナイは平伏し、それでも下がる事はせずに言葉を掛ける時を窺がった。
その様子に気付いた王が、先を促す。
「・・・どうした? 何かあるなら、言ってほしい。
私は、そちをもっとも頼りとしているのだ、遠慮は要らぬ。」
「怖れながら・・・。
ザルディン公とガルバ公の動きが気に掛かります。
何か悪い予兆でなければ良いのですが・・・。」
このところ、何かと貴族達は集まって秘密の会議を開いているようだった。新王の腹違いの兄弟たちも、何人かはこれに出掛けると聞く。
けれど、王や側近のニナイには、一度も招待の声が掛からない。
王の憂いに気付いたか、問題のザルディンが王に謁見した。
「王よ、このところの財政逼迫の現状を御存知か?
この危機を脱するには、少々の荒療治では足りませぬぞ。」
専売の品を持たないアルザス王国、国は栄えていたが、王宮の財政は苦しい。
ザルディンは常から、商人の特許剥奪を訴えていた。
「商人たちを通しての流通に任せておいては、物価の高騰を招き、ひいては国の財政をさらに圧迫するのですぞ。・・・このままでは王家が倒れてしまいましょう。
いにしえの昔から、多くの支配者たちが同じ過ちで倒されてきたのです。
私はこの王国を誇りに思い、亡き先王を尊敬している。王家を滅亡から救う事こそが我が使命と心得ているのです。・・・その為の覚悟はすでに出来ておりますぞ。」
「うむ。・・・しかし私は若輩ゆえ、財政の事はよく解からぬ。
そちを頼りとしているのだ、任せるゆえ、存分に力を揮って欲しい。」
財務を一手に握る古参の臣下は、深々と頭をたれ、王に服従の意を示した。
「・・・ときにザルディン。このところ、ガルバとよく会うそうだな?
私には聞かせられぬ相談か? ・・・お前達、一体何を企むのだ?」
「これは心外で御座います。
・・・確かにガルバ公とは懇意に接しておりますが、王に疑いを受けよう事など、何一つありませぬぞ。まあ、王の疑われる通り、ガルバは腹黒いところもあり、雲を掴むが如きに未だ詮索の尽きぬ男ではありますがな・・・。」
好きで付合っているワケではない、とザルディンは強調した。
「あれでなくば解からぬような、裏の事情もあるので御座います。
御心配は無用。全ては私の一存・・・王には及びませぬ。」
有無を言わさぬ口調で、ザルディンは王の詮索を押し止めた。
王は孤立している気配に苦しめられた。
臣下は王を遠巻きにしているような気がし、血を分けた弟は日に日に、母に似てくる。
眉を顰め、横目で睨むような眼差し・・・母に追い払われたあの時を思い出す。
『頭痛がするの、あっちへ行ってちょうだい。』
同じ目で、弟は言った。
「用がないなら、お引取り下さい。」
その横っ面を殴りつけた。
「王!」
叱責の声、侍女たちの悲鳴が上がった。
傍に控えていたシエナがその手に縋り付いた。
「お止め下さい、国王様! お気を静めて!
あなたの、たった一人の弟君です! ラルフ様!?」
頂点に達した憤りを冷ましたのは、この妃の声だった。
「どうか・・・冷静に・・・、」
跪くように膝を地に着け、兄弟の間に両手を広げて、身体で国王を止めた。
荒い息の下、王は戻るとだけ告げて、弟の部屋を辞した。
地面が揺れているような感覚を覚え、ふらつく身体を側近たちが支えてくれた。
「なぜ・・・、こうなのだ・・・。
私の、何が間違っていると・・・、」
絞るように紡ぎ出された言葉の意味を、知る者は妃のシエナ一人だった。
「・・・セフめ・・・、よくもこの私にあのような口を・・・。」
未だぶり返す怒りに拳を震わせ、王は呟いた。
母と同じ冷たい美貌が、まるで見下すようにこちらを見つめる。
言い知れぬ怒りに身体が震えるような気がした。
最愛の妃、シエナが冷たい飲み物を差し出したが、手に取る気にもならない。
「ラルフ様、一口だけでもお飲み下さい。
・・・気分が変わりますわ。昂ぶった心を静める為の一口です、儀式のようなものです、一口啜るだけで・・・ほら、潮が引くのをお感じになられるでしょう?」
シエナの言う通りだった。
ほんの一口のワインが、喉を通り、胃に落ちてゆくだけで、頭に昇っていた熱も、一緒に引いてゆくのを感じた。シエナの、水系魔族の力も働いているのだろうが、いつも妃に癒されているのだと、こういう時に痛感した。
「ついカッとなってしまった・・・。セフには非など無いのに。
あの目・・・私を嫌うあの目付きが許せないのだ。
母と同じ目で・・・お前までが、この私を疎んじるのか・・・?」
王が弟への不満を洩らすと、決まってシエナは哀しげな眼差しを王に返す。
王と弟君、二人の愛憎が表裏一体である事を、シエナは見抜いていた。
「ああ、貴方様とセフ様・・・お二人が、共にお二人の事を考えられれば良いのです。
決して、難しい事などではありませんわ・・・。互いを、理解しようという心をお持ちになれば良いのです、弟君を愛して差し上げれば・・・。」
王妃の頬に、涙が流れた。
「私にも妹がおります。・・・いいえ、黙っていた事はお詫び致します。
これ以上、王に御心痛の種を増やしたくなかったのです、妹は早くに逃げ出して今は自由の身。
私も心配などしてはおりません・・・。きっと、幸せに過ごしていると、信じておりますもの。」
妃の告白に、王は赤面の思いだ。自分の問題ばかりに気を割いて、愛する女の気持ちにも気付かなかったとは。
「・・・済まぬ。私は愚か者だな。
この世の不幸を一身に背負っているわけではないと言うのに・・・。」
王は落ち着きを取り戻し、穏やかな目に戻ってシエナにそう告げた。
弟への苛立ちは、亡き母への深い想いの裏返しだ。王はそれを素直に認めた。
王妃はまだ、言い足りない言葉を喉の奥に残していた。
弟君を憐れんでおあげなさい・・・、しかし、その言葉は今はまだ、王の心には受け入れられないだろう。続く言葉を妃は呑み込んだ。
「兄弟姉妹は良いものです、ご兄弟を多くお持ちの王にならば、解かるはず・・・。
・・・血を分けた者ともなれば、その絆は格別ですわ。」
「もう良い、シエナ。
あれの話は聞きたくない。」
王はかぶりを振り、妃の言葉を遮った。
弟のセフが、密かに後宮へ通う事実がついに兄王に知れた。
我が弟の、妃へのただならぬ想いに気付いた時の、兄王の戸惑いと憤りは計り知れない。
また、その事実をひた隠しに黙っていた妃にも疑いを持った。
「シエナ・・・。弟がお前に会いに行っていると、どうして私に話さなかった?」
沈黙を最初に王が破った。
「申し訳御座いません・・・言い訳をするつもりは御座いませんが、セフ様は、やましい事など何一つ、なさいませんでしたわ。それだけは信じて差し上げて下さいませ。
弟君は、私を兄君の妻とした上で、私に接しておられたのです。
私は断罪されても仕方のないところです、・・・けれど、誓って、ラルフ様を裏切ってはおりません。信じては頂けないでしょうけれど・・・。」
妃の言葉に嘘は感じられなかった。
けれど、一度芽生えた疑惑の種は、どうしても消し去る事が出来なかった。
王は唇を噛み締め、怒りを静めた。
弟のセフが、まるで自分を苦しめる為だけに産まれてきたように思えた。




