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第三話

歳月は流れ去り、王は急激に年老いた。

病に伏せる事も日増しに多くなり、何より、政事を億劫に感じるようになった。

ラルフが二十歳になった日を境に、王は一線を退き、その全ての権限を第一皇子に譲り渡した。

第一皇子は、正式な皇太子として認められた。

大幅に人事が塗り替えられ、宰相ガルバが失墜したのもこの日だった。彼もまた、王と同じく歳を取りすぎていた・・・。

側近のニナイが新たな宰相となり、皇太子を補佐した。

魔術に長けた人物で、同じ混血という事も、皇太子が彼を高く評価する理由の一つだった。

しかし、それは、思わぬ弊害を宮殿の裏側に生み出していた。


街を取り仕切る有力商人が、ある日、皇太子に謁見を申し入れた。

「皇太子さま、お初にお目に掛かります。

武器商を営んでおります、ウセルと申します。私が今あるのも、全ては慈悲深き王のお蔭・・・この国を、自由な貿易の国として下さればこそのもので御座います。何かの折にはなんなりとお申しつけ下さいまし。きっと、お役に立ちましょう。」

若き皇太子はのんびりと玉座の傍に控えている。

中央にて威厳を醸しているはずの王は、今朝も起きては来なかった。

このところ、いつも昼過ぎにならないと起きる事がないのだった。

皇太子は笑顔を向けて、商人の挨拶に頷いた。

「王の御前でなくば、失礼に当たるやも知れません・・・よろしいですか?」

商人は空の玉座に、少しびくつきながら、皇太子に問い掛けた。

何かの貢物を持参したのだ。王の居ない時に、その次の位に位置する皇太子に貢物をするという事は、あらぬ疑いを招きかねなかった。

「良い。・・・父上には私から話しておこう。

用件を述べるが良い。」

全権はすでに皇太子が握っている。けれども皇子は父を蔑ろにするつもりなどなかった。

今の王を飛び越えて、その次の王に貢物などと、そんな道理はないと思っている。

商人は安心して、話を続けた。

「港より入荷しました、珍しい種類の女奴隷で御座います。

お近付きのしるしに、ぜひ、王様あるいは、皇太子さまのお側女にと・・・。」

皇子の前に、煌びやかな衣装に身を包んだ美しい女が引き出された。女の首には鉄の輪が掛けられ、使用人らしい男の手に握られた鎖に、繋がれている。

培養が難しいとされる夢魔の一種を、人魚と掛け合わせたのだと商人は言った。

傍に置くだけで、心地良い空気を作り、疲れた心を癒すことの出来る、水系妖魔で、この種類は作り出すのがもっとも難しく、高価な奴隷なのだ、と。

培養された奴隷魔族・・・それがどんな方法で作り出されているのかは知られていない。

闇のルートで作り出され、公然と取引がなされている商品は随分と数が多いのだ。

魅惑の薬や毒薬にもなる気付け薬、人間の生きた心臓、・・・何でも正規のルートで手に入る。


奴隷魔族の名は、シエナと言った。

皇太子は、この女に一目惚れだったが、それでもまず王に会わせた。

王が気に入れば、今夜すぐにも女は王の後宮に入れられるだろう。

「ほう、美しいのぅ・・・。」

王も一目で気に入ったようだった。

けれど、傍の皇太子のうかない顔を見て、その女を我が息子へと譲り渡した。

「全ての権利はそちに譲った筈、その女をどうするかは次の王であるお前が決めるが良い。

・・・わしはもう歳じゃ。この上、若い妃と遊んでいたのでは、寿命を縮めてしまうわい。」

商人から贈られた女奴隷は、晴れて皇子の所有となった。

皇太子は、すぐにこの奴隷・・・シエナを正妃とした。

他の国にも例のない、珍しいことだった。

「・・・私は奴隷で御座います、妃の座に就くなど、恐れ多いことです、お許し下さい・・・」

シエナは突然変わった我が身の処遇に戸惑い、皇太子に訴えた。

「お前はもう奴隷ではない。この国は、民を身分で分け隔てたりはせぬ。

・・・それに、お前が奴隷だと言うなら、この私も奴隷の血を受けた混血なのだよ。」

そう言って、皇子は妃の訴えを取り合わなかった。

見目麗しい皇子と妃、二人の結婚は国民全てに祝福された。

夫となった皇太子は、妃に兄弟たちを引き合わせた。

「もう一人、血を分けた弟がいるが・・・あれには会わなくても良い。」

妃の目が、不思議そうに皇太子を見つめた。


シエナの美しさよりむしろ、その優しさを皇子は愛した。母に望むことの出来なかった愛情を、この妃が満たしてくれた。

けれど、不穏な翳が、すぐ足元にまで伸びている事に、皇子は気付かなかった。

「皇太子殿下、僭越ながらお耳に入れさせて頂きます。近頃、弟君の悪い噂を耳に致します。それと、ザルディン公など一部の臣下たちの良からぬ噂をお聞きになりましたか?」

父代わりであり、忠実な臣下でもあるニナイの忠告に、ラルフは黙って頷いてみせた。

弟、セフの行動は、日に日に過激になり、先日も危険を承知で東の神殿を荒らした。冥界神の聖域を荒らす者など、この国始まって以来の事だった。

熟練の兵士ですら半日で逃げ出す危険な森を、半分焼き払って皇子が得た物は、古ぼけたテキストが一冊だった。

強い呪いが掛けられており、人間ならば触れただけで指が腐り落ちた。

皇太子にすら、その書物を読む事は出来なかった。強い瘴気を放ち、近付く者を拒む。

いにしえの魔術書・・・それを弟は別の紙へと書き写し、闇のギルドへ売り払ったと云う。

ラルフも、これを見逃す事は出来なかった。

「愚かな弟よ、父上のお許しも得た。

お前は今日から西の離宮へ押し込めの身だ。」

兄の皇子の宣告にも、この弟は鼻で笑ってこう言った。

「およしなさい、兄上。

父上にもう一度御相談を。・・・でなくば、西の離宮は吹き飛びますよ?」

王も皇太子も、この皇子には手を焼いていた。

そして、古くから王国に仕える臣下達が魔族の血を引く皇太子に反感を持っている事に対しても、この事件はさらなる危機感を煽る結果となった。

魔族が支配し、人間が奴隷のようになって暮らす国は、多く聞こえている。

強過ぎる魔力を持つ弟のセフを、臣下達は警戒した。

やがてはこの国を、魔族が支配する、人間にとっては非常に暮らしにくい国へと作り変えてしまうのでないか、と危惧した。

年々、混血の流入は増え続け、国民の一割にもなろうとしている。


王はラルフの母より後、正妃を定めなかった。それは皇太子の座が不動のものであると喧伝する事であり、他の腹違いの兄弟たちを抑える事でもあった。

皇太子の正妃と定められたシエナの権勢は、並ぶ者もない。後宮の女達全てがシエナに額ずいた。未来の王妃に。

けれどシエナは一人の時間を大切にした。かしずかれて過ごす事は、彼女の好みではなかったし、とても疲れる事だった。王以外には訪れる者のない女の園。誹謗中傷は当然のものだったし、女同士の醜い争いも絶えなかった。

それらの喧騒から逃げるように、シエナは庭園によく訪れる。

その隔絶された世界に、時折、招かれざる者は来訪した。

色とりどりの花が咲き乱れる広大な庭の一隅。女達もここまでは来ない、片隅の岩陰をシエナは好んだ。そして、時折、高い城壁の上、皇太子妃の頭上から声を掛ける者がいるのだった。

年端もいかぬ少年が、この高い壁を難なく越えて、シエナの前に降り立った。

「シエナ、いいものをあげるよ。」

後宮は男子禁制だったが、この少年には関係のない事のようだった。

それでも騒ぎにならぬよう、ひと気のない時を狙って、正妃の前へ現われた。

「ほら。」

その手の上には、見た事もない小さな金色の鳥。

羽根が震えるたびに、輝く光の粉を辺りに振り撒いている。明らかに、現世の鳥ではなかった。

「これは・・・?」

「幻獣。・・・魔術の本に書いてあったんだ、幻獣を捕え、契約を結ぶ方法。

コイツは簡単だよ、口移しにある種の餌を与えるだけでいい。だから、シエナにあげるよ。」

いつ、正妃を見付けたものか、気付けば後宮へと忍んで来るようになっていた。

この不思議な少年が、皇太子の兄弟の中でただ一人、妃に引き会わせなかった皇子だという事をシエナが知ったのは、まさにこの時だった。

幻獣など、高等の魔術にもその扱い方など知られていない。

魔術の本、その一言でピン、ときた。

ああ、この子が皇太子さまの弟君なのだ・・・シエナは温かい目で、少年を見つめた。

「あなたが末の皇子のセフ様だったのね?

兄上様がお話になっていたわ。恐ろしい森に入り込んで、神殿に安置されている禁断の書を盗み出した、・・・って。」

「あれは禁断の書なんかじゃないよ! それに盗んだわけじゃない、借りただけだ!」

ムキになって、皇子は反論した。

「でも、それを悪用して、闇の市に売ったのでしょう?」

兄や父にはロクな返事もしないこの皇子が、シエナの質問には素直に答えた。

「・・・大事な事は書かなかったよ。幻獣の事とか、闇との契約とか・・・危なそうな章は全て抜いたから、無害だよ。・・・お蔭で大した金にはならなかったけど。」

ボヤくように告げる皇子に、正妃は腕の高価なブレスレットを外して手渡した。

「こんな物、貰えない。」

「この小鳥のお礼よ。少なくとも、無害な魔術書よりは高く売れるわ。

・・・ね? だから、もう危険な真似は止めてちょうだい。

皆、貴方を心配しているのよ?」

皇太子妃の言葉に、皇子は黙って俯いてしまう。

その表情が、何かを言いたげなことに気付き、シエナは促すように少年の頬を撫でた。

「・・・誰も俺の事なんか気にしない。

兄上は俺を、珍しい生き物か何かのように思ってるし、父上には傍に呼ばれた事すらない。」

吐き捨てるように、妃に告げた言葉の裏側に、この末の皇子の救いを求める気持ちが隠されていた。兄の皇太子がそうであるように、この弟の皇子も、誰かの中にその存在を見付けたいと思っている。・・・愛されたいと願っている。

母が我が子にそうするように、シエナも少年に腕を伸ばし、精一杯の優しさで包み込んだ。

抱き締められる事に慣れていない皇子は、すぐに腕から逃げてしまったが。

「皇子! 誰にも愛されていない者など存在しないの、父君も兄上様も、本当は・・・」

その言葉は、走り去ってゆく皇子の後姿には届かなかった。

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