第一話 鼻歌
ルクシア帝国。
大陸最大の国家であり、
秩序と繁栄を誇る帝国。
人々はそう教えられて育つ。
生まれた階級を受け入れ、
与えられた役割を果たすことが平和だと。
歌も、踊りも、絵も、言葉も。
帝国に認められたものだけが許される。
許可のない表現は罪となり、
街を巡回する帝国監視局がそれを取り締まる。
誰が何を語ったのか。
誰が何を描いたのか。
誰がどんな歌を口ずさんだのか。
帝国は見ている。
だから人々は、許されたものだけを楽しみ、
許されたことだけを語り、
与えられた人生を生きていく。
それが、この国の平和だから。
だから誰も疑わない。
――疑うことを、許されない。
「……はぁ」
朝日が昇る頃。
十七歳の少年、レオ・アルヴェインは大きく欠伸をした。
重たい工具袋を肩に担ぎながら、石畳の道を歩く。
今日も労働。
明日も労働。
明後日も労働。
「つまんねぇな……」
誰に聞かせるでもなく呟く。
周りも似たような格好だ。
灰色の作業着に、疲れた顔。
腕には第四階級の腕章。
視線は合わない。合わせない。
「レオ!」
後ろから叔母の声。
「ちゃんとやるんだよ!」
「分かってる」
「また余計なことしたら承知しないからね!」
「してねぇって」
「昨日も言ったでしょ!」
「……はいはい」
レオは片手をひらひら振る。
心配されるだけまだマシだ。
そう思うのに、胸の奥は妙に重い。
◇
昼過ぎ。
市場は人でごった返していた。
第三階級
第二階級
第一階級
歩く場所からして、もう違う。
ノーブル達は舗装の行き届いた綺麗な通りを歩く。
グラウンが歩くのは、土と石畳が境になった道だ。
同じ市場なのに、歩くだけで階級の違いを思い知らされる。
「どいて! どいて!」
悲鳴が上がる。
見ると、グラウンの女性が転んでいた。
荷物が散らばり、果物が転がる。
その前に、上等な服の。
靴の先でわざとらしく果物を避けながら、避けたこと自体を誇るような顔をしている。
「無礼だな」
冷たい声。
「道を塞いだ罰だ」
「ご、ごめんなさい……!」
「黙れ」
女性は縮こまる。
誰も動かない。
動けば自分も罰を食らうからだ。
帝国の秩序は、いつも丁寧で、一方的だった。
「……」
レオは舌打ちした。
関わるな、と頭では分かっている。
分かっているからこそ、余計に腹が立つ。
こんなのが、いつものことだから。
「おい」
空気が止まる。
貴族がゆっくり振り向く。
まるで、道端の石が喋ったのを確認するみたいに。
「……何だ?」
「その人、悪くねぇだろ」
女性が慌てて首を振る。
「だ、大丈夫です!」
「大丈夫じゃねぇ」
貴族が鼻で笑う。
「第四階級が口を挟むか」
「だから何だよ」
「身の程を忘れたか?」
「忘れてねぇよ」
レオは睨み返す。
「毎日思い知らされてる」
ざわり、と空気が揺れた。
後ろに控えていた第二階級の隊員が一歩前へ出る。
こういう時だけ動きが早い。
守っているのは治安じゃない。
秩序の方だ。
「不敬だ」
「そうかよ」
「跪け」
「嫌だ」
次の瞬間、警棒が振り下ろされた。
「っ……!」
かろうじて避ける。
殴り返すが、浅い。
すぐに体勢を崩される。
腹に衝撃。
「がっ……!」
息が詰まる。
膝が落ちる。
「まだやるか?」
「……うるせぇ」
もう一度踏み込む。
だが届かない。
あっさり投げられ、石畳に叩きつけられた。
鈍い音がした。
視界が揺れる。
腹に、さらに重い衝撃。
蹴り。
続けて、背中。
視界が跳ねる。
何が起きたのか理解する前に、もう一人の隊員が腕を掴み、地面に押し付ける。
「調子に乗るなよ、グラウン」
骨が軋む。
「っ……!」
さっきまでの制止ではない。
ただの制裁だった。
「これが秩序を乱す者の末路だ」
誰も動かない。
視線だけが集まり、すぐに逸れていく。
助ける者はいない。
女性は泣きそうな顔で俯いている。
歯を食いしばった。
(くそ……)
まただ。
何も守れない。
守れないくせに、口だけは一丁前に動く。
ただ悔しさだけが残る。
◇
夕暮れ。
傷だらけの体で歩く。
情けなさだけが残る。
「……俺、何やってんだ」
風が吹いた。
その中に、かすかな音。
「…………♪」
鼻歌。
妙に耳に残る。
誰かの気まぐれみたいな旋律。
なのに、やけに整っている。
初めて聞くのに、どこか懐かしい。
胸の奥がざわつく。
足を止めた。
「……誰だ」
路地の奥へ。
その音は、まるで“ここじゃない場所”から漏れてきて、すっと消えていく。
気づけばレオは、それを追っていた。




