フィールド・オブ・ドリームス
フィールド・オブ・ドリームス
おれたちはまた元の砂浜に戻り、レジャーシートに腰を下ろした。
午前中久しぶりの海ではしゃぎすぎて疲れたこと、昼におでんをつまみながらビールを飲んで少し酔っていたこと、それと焦げた肌に吹きつける海風が気持ちよかったのだろう。おれはいつの間にか眠ってしまったようだ。
目を覚ますと、陽は傾きかけており、二人の影が長く伸びていた。横のきーちゃんはただ海を見つめていた。
浜の様子が違っていた。人はだれもいなくなり、広い砂浜はおれたち二人だけになっていた。沖に高く積まれた消波ブロックは消えていて、一面に海が広がり多くの島々が丸見えになっていた。振りかえると、コンクリートの建物はなくなっており、もとの竹やぶに戻っていた。すべてが昔の、おれたちが子どものころ遊んでいたままだった。
きーちゃんになにが起こったのか聞こうとしたら、はるか沖の風景が視界に入った。
だれかが泳いでいた。小学生らしき男の子と女の子。
大はしゃぎだ。なにがそんなに楽しいのやら。どうして子どものころはなんでも楽しいのだろう。歩くことも走ることも泳ぐこともただそれだけで楽しい。さらに、そこに工夫や遊びをくわえてより楽しくする。石ころをけるとか黒い所を踏んだらアウトとか、どちらが長く潜れるかとか海底の大きな石を取ってきたほうが勝ちとか。大人になるにつれそんなことを忘れてしまう。効率ばかり優先させて、心の余裕がなくなる。そのはしゃぎぶりにおれの顔は思わずほころんだ。
そんなことを考えながら、最近めっきり衰えてきた目をこらすと――。
おれとやのきよだった。やのきよは大きな浮き輪につかまり波間に漂い、大きな口を開けて高らかに笑っている。「アハハハハ」が、オレンジ色が混ざりかけた青空にとどろいた。まさしくやのきよの笑い方だ。その周りをおれが泳いでいる。さながらイルカのように。
だれも注意しないのをいいことに、あんな沖まで行って遊んでいる。今ならこっぴどくしかられるはずだ。いや、昔も見つかればこっぴどくしかられたのだろうが、おれたちが気にしなかっただけかもしれない。
おれは思った。そや、きーちゃんは昔あんな色白でプックラしていた。毎日元気いっぱいではつらつとしていた。男子顔負けで、鬼ごっこやドッジボールで大活躍して、ゴムまりのようにはじけていた。
隣で声がした。
「うち、昔、あんなんやったんやー」
きーちゃんにも二人が見えていた。続けて、
「うち、もうしわしわのおばあちゃんや…。色も黒なって、しみもできて、白髪も増えて…。こんなんなってしもた……」
つぶやきが泣いていた。
そりゃそうだ。おれたちはもう六十歳台後半だ。おれだって、背も縮めば肌もたるみ、しわもしみもできた。髪も薄く細くなってきたし、白髪も増えた。すっかりおじいちゃんだ。お互い様だ。
しかし、おれにとってはきーちゃんは相変わらず美人でかわいいままだ。小学校で出会ったとき、転校したとき、大学生で再会したとき、初めてデートしたとき、キスをしたとき、セックスしたとき、プロポーズしたとき、結婚したとき、子どもが産まれたとき、昔とちっとも変わっていない。
いつの間にか、隣のきーちゃんの指にアクアマリンの指輪があった。それを見て、おれは思った。
きーちゃん、今までほんまにありがとな。きーちゃんのおかげでおれはここまでがんばることができた。三人の自慢の娘たちにも恵まれたし、明るくて楽しくて最高の家庭を持つことができた。みんなたいした病気もせんと健康にスクスクと育って、みごとに社会に羽ばたいて活躍してくれとる。それぞれが家庭を持って、五人のかわいい孫を持つこともできた。孫はまだ増えるかもしれん。
会社もそうや。思いがけずえろう【えらく】なれた。これもおれが安心して心置きなく働けるようきーちゃんがバックアップしてくれたおかげや。きーちゃんやなかったら、おれは絶対こんなになれとらんかった。
『アハハハハ』なんや。これを聞くたびにおれは勇気が出た。どんなに落ちこんどっても元気が出た。この無垢で無邪気で一途な『アハハハハ』がどんなことからも、おれを、おれたち家族を守ってくれ、いついかなるときも励ましてくれた。
振りかえれば、おれの人生は最高やった。それはなんもかんもきーちゃんのおかげや。このことだけは間違いない。英語でゆうたら、『YOU MADE MY DREAMS COME TRUE』なんや。いや、過去形やない。まだ現在進行形や。
きーちゃんは健康だった。病気といえば、長女が小学校から拾ってきたインフルエンザにかかったくらいしか記憶がない。あのときは母親と幼い三姉妹がみんな寝こんで、連絡を受けたおれは出張を切りあげて帰ってきた。それ以外で寝こんだことはないはずだ。
おれも健康には自信がある。でも、きーちゃんにはかなわない。
きーちゃんがうらやましいのは歯だ。ほとんど歯医者に行かない。この年になっても、ほんの小さなつめ物が二つあるだけだ。上の歯だから、大口を開けて笑っても見えない。見えるのは真っ白、とまではいえないが、健康そうな少し黄ばんだ歯だけだ。歯を自慢するために笑っているのではないかと思うくらいだ。夏なんて、冷蔵庫の硬い氷をバリボリとかみ砕いて涼をとる。
その点おれはしょっちゅうどこかの歯が痛み、歯医者に行く。口の中はつめ物、かぶせ物ばかりだ。とても大口を開けてなんか笑えない。
四十歳くらいからていねいに歯を磨くようになったが、やはり遺伝的な要因が大きいのだろう。おれから見ればいいかげんな手入れなのに、歯が健康な彼女がうらやましい。
うれしいことに、娘たちも健康と歯のじょうぶさは引き継いでくれている。孫たちはまだ小さくて病気のオンパレードだが、成長するにつれてきーちゃんの遺伝子が発現してくれることを願っている。心身ともに“健康”であって“タフ”であることにまさる財産はない。
子どもたちや孫たちのことも含めて、ほんとうにおれにはもったいない妻だ。
「ね、コーヘイ、うちのこと好き?」突然横から声がした。「ね、うちのこと、愛しとる?」
もちろん! もちろん! 今やってだれよりも大好きやし、最高に愛しとる。それはきーちゃんが昔とおんなじようにきれいで美しいのと同じで、変わっとらへん。ほんで、これからも変わらへん。断言できる。
二人ともこれからどれだけ生きられるかわからない。五年かもしれないし十年かもしれない。明日にでも死んでしまうかもしれないし、ひょっとしたらとんでもなく長生きするかもしれない。ただ言えることは、昔のように生きつづけることを無条件に信じることはできない年になった。
体も今は二人とも悪いところはないが、これからどんどん衰えて悪くなっていくのだろう。重篤な病気になって、寝たきりになってしまうかもしれない。先のことはだれも予測できない。
昨年、若い元部下が相次いで亡くなった。夏に膵臓がんで一人、年末に大動脈乖離で一人。ともに直前まで元気いっぱいだった。あまりに急な出来事で、満足にお別れも言えなかった。葬儀に参列したが、残された家族の悲嘆が痛ましかった。
葬儀の最中、線香の匂いに包まれ読経を聞きながら死に際について考えつづけた。自分だけじゃない。きーちゃんのこともだ。
先週NHK BS放送で映画『慕情』を見た。おれは若いころ一度見ていて、結末が好みじゃないことをきーちゃんに言ったのだが、「有名な作品やから一度見とかんと。ジェニファー・ジョーンズ、エキゾチックできれいやし好きなタイプやし」
案の定、見終わったあとのきーちゃんはかなり沈んでいた。エンドロールが流れているとき、きーちゃんが寂しそうに言った。
「…ね、別々に死ぬん、いややな。残されたほうがたまらんな…。死ぬんやったら一緒に死にたいな……」
確かにそうだが、そのときおれはなにを言っていいのかわからなかった。無言でキスをして、ソファでセックスをした。真っ昼間だというのに。
きーちゃん、これから健康で元気なうちに余生を楽しもう。お互い健康に留意しつつ、おいしいものや食べたいものを食べてお酒も飲んで、ときどき外食したり国内外を旅行したり。映画も見たいし、美術館や博物館にも行きたい。ふだんおれは読書にいそしみ、きーちゃんは好きなテレビ番組を見る。いつも一緒だ。それで、子どもたちや孫たちの成長を見守ろう。
引退直後から家事は分担している。週二回のゴミ出し、食器洗い、そうじ、ふとん干しはおれの担当だ。
慣れていないし不器用で雑な性格だから、当初は文句を言われてばかりだった。
きーちゃんの家事はこまかいうえにこだわりが多い。なにごとにも几帳面できっちりやらないと気がすまない性格だ。最初はこれまでの罪滅ぼしの意味もあって、きーちゃんを家事から解放させようと意気ごんですべての家事をやろうとした。が、とくにこだわりのある洗濯全般、台所や洗面所やバスルームやトイレなど水まわり部分のそうじはすぐに取りあげられてしまった。
料理だってそうだ。きーちゃんの料理は味もバリエーションも最高だ。栄養学を勉強しただけあって、体のこともしっかりと考慮してくれている。完璧といっていい。それに比べたら、おれの料理なんて食べられたものじゃない。トライしたものの、買物、料理、味、栄養など、すべてのお粗末さにすぐに双方が音をあげた。
今では洗い物すべてと朝昼の料理の担当になった。洗い物はいいかげん、ずさんであることにしょっちゅう苦情を言われしかられる。コーヒーをいれパンを焼き卵焼きを作り、パスタとソーメンをゆでインスタントラーメンを作るだけのことを、料理と言っていいのかどうかわからないが。
おれにとって、おむすびはきーちゃんの味の原点だ。いまだにY島で食べた味をはっきりと覚えている。
子どもたちが小さいころは、どこへ出かけるのもたくさんのおむすびを作った。さすがに二人だけの外出で作ることはなくなったが、夜余ったごはんでときどき作ってもらって食べる。頬張ると、かつての懐かしい味が口に広がり、思い出で胸がいっぱいになる。
ちなみに、世間では『おにぎり』が一般的な呼称だが、我が家では『おむすび』だ。形も三角形ではなく俵型だ。
きーちゃんは家事を“愛”そのものだと喝破する。
はいてもふいてもほこりはたまるし汚くなるし、洗って干してたたんでもすぐにクシャクシャになり汚れ泥まみれになる。どんなにおいしい料理を作ってもあっという間になくなってしまう。朝昼晩一日三食、すぐに次の料理を作らなくてはいけない。それに必ず洗い物がつく。毎日毎日その繰りかえしだ。
それ以外にも、こまごまとした名もない家事が無数にある。切りがない。
おれから見れば、賽の河原で延々と小石を積み重ねる難行苦行に思えて仕方ないが、きーちゃんは、「だからこそ愛なんや。家族への愛がなかったらできへん仕事や」と平然と言ってのける。実際に家事を始めてみて、おれもつくづくそう思うようになった。
一年以上続けてきて、免許皆伝とまではいわないまでもおれもずいぶん慣れてきた。きーちゃんもいいかげんさやお粗末さに慣れてきたのだろうし、打っても響かないことへの疲れやあきらめの気持ちもあるのだろう。小言もあまり言わなくなった。
完全引退したら、すべてまかせてきた家に関することも全面的にやるつもりだ。庭の草抜きや手入れ、古くなりいたんだ個所の修理や家具の配置換えなど。娘たちが残している教材やマンガや本やぬいぐるみも整理しないと。アルバムもちゃんと整理して、いつでも三人に渡せるようにしておこう。
大そうじも年末の寒い時期にすることはない。気候のいいときに時間をかけてやればいい。日曜大工や家庭菜園をするのもいいかもしれない。なにせ時間はたっぷりとあるのだから。楽しみだ。
どうせ三日坊主で終わるんや、道具代や家庭菜園の賃料がもったいない、なんて却下されるかもしれない。きーちゃんはいまだにおれの小学校の夏休みの宿題の話題を出して笑うことがある。
でも、おれは変わった。小学校のころのおれのままなら、とても会社勤めなんてできやしない。社会人になっていつの間にか早起きになり、つねに早目早目の行動、スピード重視になり、何ごとも迅速にきちんと仕上げるようになった。挙句の果てに、「そのせっかちやめて」「そんなにせかせかせんでもええやろ」などと文句を言われる始末だ。でないと、大企業の専務になんてなれない。おれが変わったことはきーちゃんがいちばんよく知っているはず。
でもまあ、おれがこんなに変わったのはきーちゃんのおかげなのだが。
住む場所も東京にこだわらない。お義母さんがいよいよ一人暮らしができなくなり、一緒に住むことを希望するなら、二人して大阪に引っ越してもいい。三女たちもいることだし。
いっそのことおれの故郷四国に帰る手もあるかもしれない。雨が少なく日照時間が多く、温暖な気候が懐かしい。おれの愛する瀬戸内海にもすぐに行ける。のんびりと流れる悠久の時に身をまかせて余生を過ごすのもいい。
周りに人がいないのを確認して、おれたちはキスをした。目を閉じ唇を合わせ、口を開き舌をからませた。きーちゃんの体温と湿り気を感じ、ほのかな潮の香りと味がした。
香りと味が強くなったとき、おれは海の中にいた。全身に水の触感と冷たさを感じ、海中をフワフワと浮いていた。
おれは驚いた。ほんの少しだけ。足が着かないこと、体が浮いていることに覚束なさを感じたけれど、すぐに冷たさと浮遊感になじんだ。なんといっても子どものころは毎日泳いでいた。
すぐに泳ぎはじめた。魚になった気分だ。
目の前に浮き輪に浮かぶきーちゃんがいた。いや、大人になったレディのきーちゃんじゃない。おてんば娘のやのきよだ。濃紺のスクール水着からはちきれんばかりの四肢を伸ばした野性味あふれるやのきよだ。
おれも子ども時代のチビ助に戻っていることに気づいた。手足が細くて短くて小さい。それを水の中で懸命に動かしている。海の中をのぞくとアトムといわれた海水パンツだった。懐かしい。
ゴーグルなんかつけちゃいない。海水が目にしみて痛いけれど、そんなことはへっちゃらだ。いつも目を真っ赤に充血させて泳いでいた。
目が合った。目の前の女子が大笑いした。
「アハハハハ」
大きな口を開けてのどぼとけを見せる豪快な『やのきよ笑い』だった。
おれの手の平と太ももとひざが真っ赤だった。少し考えて、小学六年生なのだと思った。夏休み直前に公園で遊んでいるとき、木から木へと飛び移り、幹をつかむのに失敗してズルズルとすべり落ちた。それで手の平と足の内側を激しくすりむいた。家で恒例のばあちゃんのオキシドールの拷問と赤チンの刑を受け、ずいぶん長いあいだ手足が真っ赤に染まっていた。
おれは思った。そっかー、おれは結局約束守ったんやー。こうやってやのきよを海に泳ぎに連れてきとる。おれもけっこう律儀やなー。
五年生の十月末の約束をおれは実行したのだ。“律儀”なんて言葉は当時知らないはずだったが、使ったことを不思議に感じた。
一人の男子が近づいてきた。
だれや、こいつ。なれなれしい。こんなに近寄ってきて。大きな体して、むだに派手な水しぶきをあげてからに。水がかかるやろが。迷惑なやっちゃな【やつだな】。
またまたおれは驚いた。ここ数年来で最高のびっくりだった。
おお、ハッチ! ハッチやないか! ハッチハッチハッチ! 元気やったんか? …そっか、元気やないわな、おまえ死んだんやった…。なあ、なんでそなん早よう死んだんや……。
おれが問いかけても、ハッチはただニコニコと笑いながら泳ぎつづけるばかりだった。
おれは続けた。
なあ、おまえがおらんようになって、おれがどなん寂しかったかわかるか? おまえの訃報を聞いたとき、ほんまびっくりした。もう体の半分がのうなる【なくなる】気分やった。世界がくずれ落ちる気持ちになったわ。シュガーやカフェインも同じやったと思う。
相変わらずハッチは笑っていた。
ハッチ、ありがとな。おれはおまえと出会えて、友だちになれてほんまによかった。小さいころからいっつもつるんで、おもろかったし楽しかったし、いろんなことで助けられた。おまえからはしてもらうばっかりで、返すことがちっともできんかった。
のう、ハッチ、ほめてくれ。おれ、がんばったやろ? おまえがおらんようになってからもがんばったやろ? 何ごとにもええかげんで、ルーズなおれやったのに。
ハッチは泳ぎつづけた。
おれもそんなに先はなごない【長くない】思う。おれがそっち行ったら、また一緒に遊ぼな。野球やドッジやハンドして。そっちに海はあるんか? あるんやったら泳ご。それが楽しみやきん、おれは死ぬこと全然怖【こわ】ないわ。
また一人の男子が加わった。アトムじゃないおしゃれな水着をはいていた。
山崎君! 山崎君やん。大学以来やきん、もう四十五年以上会【お】うとらん。
山崎君もニコニコと笑うばかりだった。
転校早々ユニフォームのことで気ぃつかわせてごめんな。悪気はなかったんや。ユニフォームや着とる子見るん初めてで、みんなびっくりしたんとうらやましかったんや。こんなこと、今さらやし、小学校んときも何回もゆうたけど。その水着もかっこええなあ。いっつもおれらとは違うおしゃれな服着とった。
聞いたで。京都で脳神経外科の個人病院やっとるって。えらい評判ええらしいなあ。りっぱや。さすが山崎君や。頭もよかったけど、性格もよかったもんなあ。いっつもみんなのこと考えとった。患者さんファーストのええ先生なんやろな、きっと。
そや、お父さんやお母さんはまだ元気なんやろか。お二人に会うとらんかったら、おれ、こんなになっとらんかった思う。お二人の話を聞いてがんばったんや。ハッチも同じやゆうとった。な、ハッチ、そやろ? ご両親にお礼ゆうとって。姉ちゃんにもよろしゆうとって。
おれは振りかえった。やのきよも笑顔で二人を見ていた。その顔は言っていた。「よかったなあ、二人に会えて」
ああっ、ドウリや! ドウリやドウリ!
相変わらず上半身ムキムキやなあ。に比べて、足が極端に短い。ドウリは重心が低いっちゅうことはスポーツでだいじなことなんやって自慢しとったなあ。
中学校のとき相撲で県大会優勝、四国大会で準優勝して、そのことを証明してくれた。相撲部屋からスカウトされて上京したけど、そっからどなんなったんな? 活躍すん楽しみにしとったのに。ケガしたらしいんは聞いたけど、そっからのことがわからんようなった。今どこでどうしとんや。教えてくれ。
家のうどん屋もいつの間にかのうなったしな。ドウリんとこのうどんは最高やった。今でもあれ以上のうどん食べたことないわ。こなんこと思とったら、100%イリコだしの匂い思いだす。おばちゃんはおれらからは絶対にお金とらんかった。なんぼでも食べさせてくれた。ああ、また食べとなってきた。でも、もうかなわんな……。
あっ、でんでん。うわっ、相変わらず大きな体にちんまい【小さい】頭。こけし男ゆうたら、いっつも怒っとった。それより今の世の中やったら、なんとかハラスメントに引っかかるか。
なあ、バスの運転手になったんは聞いたけど、その後どうなんや。元気でやっとんか?
ああ、ウラバンもゆうちゃんも、キューピーもしんいちも、松っちゃんも黒べえもピーもかっちんもみんなおる。みんな、元気でやっとんかー? 家族もおるんか? どなんしとんや? 楽しやっとるか? しあわせなんかー?
ロミ、ロミや。ロミ、おれ、おまえに言わなあかんことあるんや。機会がのうてずっと言えんかったんや。
高校三年生の夏のことだった。
最後の総体でおれたちは準優勝に終わり、目標だったインターハイ出場には届かなかった。
おれはハッチとともに八月下旬に開催される国体の県選抜チームに選ばれたが、受験勉強に専念するために辞退した。M高の不文律だ。ハッチはハンドボールで進学するから、エースの主将として出場した。
夏休み前の日曜日、家で勉強していたおれが何気なくテレビをつけたら高校野球の県予選をやっていた。準々決勝、S商業高校対J学園。
S商はおれの家から1kmと離れていないなじみの高校だ。甲子園に何度も出場しており、おれが生まれる前の話だが準優勝したこともある。古豪として世間に知られていた。対してJ学園は新興の私学で、野球に力を入れはじめていた。愛知や大阪から選手をスカウトしていて、テレビ画面に表示される出身中学は知らない名前ばかりだった。すべての中学名がわかるS商とは対照的だった。
九回表S商の攻撃。二対七で敗色濃厚だった。あー、S商もうあかんな、と思ったとき、軽やかな場内アナウンスがこだました。
「S商業高校、七番〇〇君に代わりまして、代打ヤマダカツキクゥーン。背番号18ぃー」
おれの勉強の手が止まった。ロミだった。
ロミはおれたちのチームではずっと補欠だった。試合が決まってからの代打要員、守備要員で、競っている試合ではせいぜいバントか代走でしか出られなかった。少し足が速かったからだが、運動会のリレーメンバーにはおよばなかった。
それでも練習も試合も休まなかった。だれよりも早く来て懸命に練習をして、試合ではいちばん声を張りあげていた。
中学校でおれとハッチがハンドボール部に入った理由は、当時のS中野球部は不良の巣窟で、イジメや理不尽なシゴキが常態化していたこと、上級生だけが試合に出て、一年生はどれだけ実力があっても球拾いと声出しだけと聞いたからだ。一年生のあいだずっとだ。
くわえて、人数の多い野球部に比べてハンドボール部は部員数が少なく、手っ取り早くレギュラーになれるとの打算もあった。
おれとハッチは背も高く足もそこそこ速いロミをハンドボール部に熱心に誘った。大好きだった野球を裏切る背徳心を共有できる仲間がほしかったこともあった。
ロミは気弱に言った。
「ごめん。おれ、やっぱし野球好きなんやー。野球部入るわー。ごめんなー」
ロミは一年間イジメやシゴキに耐え、球拾いや草むしりや声出しにがんばった。しかし、上級生になってもレギュラーにはなれず、試合に出たのは小学校と同じ、代打、代走、守備要員だった。
おれはロミがS商に進んだのは知っていたし、野球部に入ったことは聞いていた。しかし、すぐにやめるだろうと高をくくっていた。
S商は名門、古豪だけあって、部員数は一学年で二、三十人はいる。しかも近隣中学で鳴らした選手ばかりだ。練習は厳しいし、ロミの実力ならレギュラーなんてとうてい無理な話だ。なのに、また果敢に野球部に挑み、三年間がんばったこと、しかもベンチ入りを果たしていることに感動した。そのうえ、最後の最後に代打で登場した。温情采配であったとしてもりっぱなものだ。
真っ黒に日焼けした一人の選手がテレビ画面にいた。大きなヘルメットをかぶり直し、素振りを何回もしながら打席に入っていった。
まさしくロミだった。背が高くヒョロッとしていて、童顔で、ねずみのように大きい前歯二本をいつも出している。
おれはテレビの前に座りなおし、画面を凝視した。手を固くにぎりしめ、一心にロミを応援した。打て、打て、打て、ロミ! 絶対に打て!
J学園のピッチャーは県ナンバー1との評判で、左腕から繰りだす伸びのある速球が武器の本格派だった。大学野球やプロ野球のスカウトも注目していた。八回を投げ抜いていたが、見るかぎりまだまだ球に力があった。
一球目、直球を見逃し一ストライク。二球目ロミは直球を待っていたのだろう、カーブにタイミングをはずされ、力のない中途半端な空振りで二ストライク。
おれはテレビに言った。
「ロミ、直球や。九回表の先頭打者、だいじな場面や、絶対にアウトがほしいはず。いちばん自信のある直球でくるはずや」
五点差なんかセーフティーリードじゃない。一つ流れが変われば、いっきに逆転される可能性がある。それが野球というスポーツの魅力だし、怖いところだ。小学五年生のときのジャイアンツとの三回戦でも、おれみずからが証明した。奇しくも同じスコアで。
テレビに大写しになったロミはさかんに唇をなめていた。それと、両手で顔のいろんなところを触る。ともに、おれのよく知る緊張しているときのくせだ。集中している証拠でもある。
外角直球のボール球をかろうじてバットにあてた。地元の実業団野球部監督の解説者が、
「もったいないですね。ボール球に手を出しました。もっと落ち着いて、じっくり球を見きわめないと」みたいなことを言った。
おれは言った。
「ホッコか【アホか】、おまえ! 知ったようなことぬかすな! やっとつかんだベンチ入りで、最後の最後にこんな緊迫した場面で代打なんや。しかも、これが高校野球最後の打席になるかもしれんのや!」
ロミの家は小さな八百屋をやっており、小学校のときから高校を出たら家業を継ぐと言っていた。それで商業高校に進学した。
「そんな状況で、落ち着いて打席に立てるやつなんかおるかい!」
このときおれの頬はすでに濡れていたのだろう。
「ロミ、直球や、絶対直球や! ヤマはれ、ヤマ。それにタイミング合わせるんや!」
そうテレビに話し、おれは直球が来ることを心で念じつづけた。
真ん中の少し高めに直球が来た。さすがに相手も疲れていて、コースも高さも甘くなっていたのだろう。気温は午前中の早いうちに三十度を超えていた。
ロミが出したバットにボールがあたった。キンッ! 短い金属音が響いた。
いいあたりではなく、打球にそれほど力はなかった。が、飛んだコースがよかった。フワーッと上がったボールは一塁手の頭上を越え、一塁線のすぐ左側にボールが落ちた。変なバウンドになり、ファールゾーンにころがった。
切りかわった画面に必死の形相で走るロミがいた。一塁をまわったところでヘルメットが飛び、ツルツルの坊主頭になっていた。
また画面が変わった。ライトが懸命に追いかけ、ボールをつかんで二塁に投げた。ロミが頭から思いっきりすべりこんだ。きわどいタイミングだった。おれは思わずテレビを両手でつかんだ。
二塁塁審の両手が大きく広がった。セェーーーフ!
二塁上に立ったロミが右拳を何度も振りあげた。同時に、S商高応援スタンドから大歓声がわき起こり、ブラスバンド部の勇ましいマーチが鳴り響いた。ロミは胸を土だらけにして、顔をクシャクシャにしていた。おれは目から涙が伝っていることにやっと気づいた。
あのときのロミの姿はいつもおれに勇気を与えてくれた。あきらめたらいかん。続けとったらいつか必ず実を結ぶ。だいじなのは継続することであり、目標に向かって懸命に努力することや。やめたらあかん。それこそジ・エンドや。
浪人中希望が見えず途方に暮れたとき、大学合格直後訓さんを失い絶望したとき、東京の一人暮らしで孤独にさいなまれたときなどに思いだした。社会人になっても、ことあるごとにロミのあのときの姿を思いだした。
ロミ、ロミ、高校でようがんばったのう。あんときはすごかった。おれ、おまえに負けた思たわ。ハッチに話したらおんなじことゆうとった。なあ、ハッチ、そやろ? このこと、いつかおまえにゆわないかん思とったんや。
ロミはみんなと同じくなにも言わずに微笑むばかりだった。
おまえんことやきん、あんなん、たまたまや、まぐれや、出会い頭やくらいにしか言わへんやろ。
八百屋の一人息子のロミは臆病とも思えるくらい謙虚な性格で、いつも自分のことを過小評価していた。それは、ときにおれたちをイライラさせた。
違う、あれがお前の実力や。ほんま、あのヒットはすごかった…。その証拠に、おれの心にまだ残っとる。ほんで、ときどき思いだすんや……。
みんながおれの横にいるやのきよを見つめた。おれは紹介した。
みんな、やのきよや。覚えとるやろ。五年生の二学期と三学期におった。短かったけど、印象強烈やったもんな。
やのきよははにかんで照れ笑いを浮かべていた。
大学のときに再会して、おれの嫁さんになってもろた。子どもも娘三人できてな、もう孫も五人もおるんで。ほんまに、最高の嫁さんになってくれた。
家族のことは言わないようにしていたおれだったが、このメンバーには臆面もなく素直に報告できた。
ハッチと山崎君の目は、ほれ見い【そら見ろ】、おれら【おれたち】のゆうたとおりになったやろ、と言っているかのように笑っていた。ウラバンもただ笑っていた。
隣で浮き輪に浮かぶやのきよもなにも言わず、みんなを見ながら相変わらず微笑むばかりだった。
みんなが笑っていた。海に浮かんだまま、なにも言わずただただ微笑むばかりだった。
ああ、みんなに会えてよかった。みんなの姿見て、おれ、ほんまにうれしいわ。な、また遊ぼな。野球やドッジやしよな。ほんで【それで】、ここにまた泳ぎにこよな、こうやって……。
でも、それはかなわない。時間は先に進みこそすれ、戻ることはありえない。物が下から上に落ちないように、太陽が西から上り東に沈むことがありえないように。
同じように、人は生まれて年をとり、必ず死ぬ。おれにもきーちゃんにもそれは必ずやってきて、やがて別れることになる……。
ふと、生温かさと湿り気とぬめりを唇に感じた。目を開けると、すぐそこにきーちゃんの顔があった。
そっか、おれ、寝とったんかー。夢、見とったんかー。
王女様にキスされて目覚める王子といったところか。いや、流れついた浜で、『リトル・マーメイド』のアリエルにキスをされて目覚める浦島太郎か。
太陽が消波ブロックに近くなっていた。きーちゃんが言った。
「な、もうそろそろ行こか」
おれたちはこれから松山の道後温泉に向かう。もうそろそろ出発しなくてはいけない。
でも、その前にきーちゃんに一言言わなくてはいけなかった。『慕情』を見たあと、きーちゃんが「死ぬんやったら一緒に死にたいな」と言ったことについて。その後ずっと考えていたことだ。
夕暮れの瀬戸内海が背景で、押しよせる波の音がバックグラウンドミュージックだ。なかなかロマンチックな舞台だ。
「なあ、きーちゃん、どっちかが病気になったりしてもう死ぬとわかったら、世界クルーズに行こ。ほんで思いっきり最後のぜいたくをして愛しあって満足したら、夜中、北極海か南極の海に飛びこも」
きーちゃんはおれの横顔を見ながら黙って聞いていた。おれは続けた。
「極寒の海に落ちたら、心臓まひであっちゅう間に死ぬらしいで。たいして苦しまんみたいや」一呼吸置いて、「酔っぱらっとったら、たいして怖【こわ】ないやろ。二人が離れんように体を鎖で固【かと】うくくりつけて、飛びこも」
失血死やガス中毒や大量服薬では失敗の可能性がある。一人だけが死んで一人が生き残るなんて最低だし、後遺症に苦しむことになったら最悪だ。転落死は衝突の瞬間が痛そうだし、首つりや窒息や溺死はとても苦しそう。死んでしまうとはいえ、血なんか見たくもない。遺体が残って見つかれば、娘たち家族に迷惑がかかってしまう。
心臓まひなら血も流れないし、まったくの想像だが、それほど痛くもなければ苦しまずにすむような気がする。苦しんだとしても一瞬だろう。よくわからないけれど。
夜の北極海や南極海で行方不明なら、だれも捜索なんてしないはずだ。娘たちには遺書を残しておけばいい。そのうちえさになって魚たちの役に立つ。
おれは死んだらお墓に入るのはいやだといつも言っている。あんな真っ暗で狭くてジメジメしたところなんか真っ平ごめんだ。考えただけでも息がつまる。これは小さいころ兄ちゃんにやられたふとん蒸しのトラウマだ。
ばあちゃんや父ちゃんや母ちゃんは先祖代々の墓に入っていて、地元に残る洋子や親せきでめんどうを見ている。今さらそこにおれたちが入るなんてありえない。兄ちゃんも同じ意見だ。
きーちゃんや娘たちにも、おれが死んだら可能であれば臓器提供して、大学の解剖実習に利用してもらって、焼いたあとは適当に捨ててくれればいいと言っている。臓器提供意思表示カードも書いたし、献体登録もすませてある。
きーちゃんもおれにならって同じようなことを言っている。だから、二人のお墓なんていらない。死んでしまった人間に、墓や戒名や仏壇などこの世になにかを残すなんて意味のないことだ。ましてや、それが生きている人の負担になるのであればなおのこと。おれたちのことなんて、死んだら忘れてくれていい。
きーちゃんが言った。
「コーヘイ、大好きな海で死ねるんならええなあ」
そう、そのとおり。さすがきーちゃん、おれのことをようわかっとる。海で死ねたら本望や。
「でも、瀬戸内海やのうてええのん? 昔、ゆうとったやん。死ぬんやったら、いちばん好きな瀬戸内海で死にたい、そこで海の藻屑になって、魚のえさになるんが夢やって」
そや、忘れとった。そういや、昔そんなことゆうとった記憶がある。
でも、だいじょうぶ。そんなことでひるむおれではない。おれは答えた。
「瀬戸内海やったら泳いでまうやん。水も温【ぬる】うて気持ちええし波もないし。それに慣れとるから、縛られとってもきーちゃん背負とっても泳げてまう。ほんで、すぐにどっかの島に着くやん。O県までやってたった10kmやし。ほんなら死ねんやん。もっとおっきて【大きくて】、冷たい海やないと」
一気におれはまくしたてた。
「アハハハハハハ」
おれの大好きな大きな笑い声が、瀬戸内海の夏の夕暮れに舞いあがった。
終
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