5.ふんわり理解で婚約を
ノールはおどおどとした態度はそのままに、眼光だけは鋭くわたくしを射抜いてきた。
何かしら。わたくしのほうが聞きたいことがたくさんありますわよ。
睨みなら負けなくってよ。
ぎん、と見返す。するとノールは目に見えて怯んだ。困ったように眉を下げて、猫背気味に肩を丸める。ちょっと、そうなるくらいなら最初からしないでいただきたいわ。
「あなたのほうこそ何を知っているの? わたくしは、あなたに託されたの」
「託されたって」
「きりきり吐くのです! ほら!」
わたくしは胸元の懐中時計を揺らす。ちゃりちゃりとチェーンが鳴る音はノールに聞こえるようで、目がそれを追っている。でも、その先にある懐中時計の針の音も、本体にチェーンが当たる音も聞こえないなんて。変よ。
「あなたの懐中時計ですわ。金のメッキをした古い懐中時計。あ、いただいたのでわたくしのですけれど」
「懐中時計? いや、そんな高価すぎる物はうちにあるわけ……」
しどろもどろにノールは言ってから、は、と目を丸くさせた。
視線が、わたくしの手元、指先へと移っていく。それは、先程まで見えていなかったはずの懐中時計を、まるで理解したかのような、捉えているような。
ゆっくりと三白眼が細まって閉じていく。噛み締めるみたい。
「誕生日……爺様にもらった……もらった! まて、まて。あれはどこに……っ」
そしていきなり捲し立てたかと思うと、わたくしの手元を見て息をひゅうと飲む。
それからわなわなと震えだした。膝を曲げて頭を抱える姿は尋常ではない。
「ぐ、ぁ、ああ」
吐き出しそうな、獣じみた声。
喉から無理やり声を絞り出したら、こんな声なのかしら。あまりのひどい声音に、どこか遠くで野鳥を観察したときを思い出してしまいましたわ。
とうとうノールは膝立ちになってしまった。細い赤い筋が床に落ちていくのが見える。
鼻血。そこまでの持病があったと?
指先が白むほど力を入れて頭を抱えたノールは、なおもひっ迫した息をし続けている。
「ゔえ……あだま、痛い」
「あら、覚えがありますわね」
ノールの傍に屈んで背中を撫でてみる。良かった。これ、病気ではないのね。
わたくしと同じように、戻った時の記憶を詰めこまれたような頭痛を味わっているということね?
徐々に落ち着いてきたのか、大げさなくらいの呼吸が収まる。しばらくしてノールはやっと顔を上げた。
汗ばんで、まだ鼻から血がぽたぽた垂れていますわ。さっきよりは酷くないので止まったのかしら。
「……君、俺が懐中時計をあげた子だっけ」
「覚えているではないですの!」
思わず撫でていた背中を、勢いよく叩いてしまった。ばんっと音が鳴る。
これは、甘んじて受け入れるべきです。ノールは最初、しらを切ったわけですもの。
このわたくしに! しらを!
「い、痛い、君、それやめて」
「シグとお呼び。それで? お話の続きは? わたくしを前に覚えてないと言い張った理由をおっしゃい」
「さっきまで見えなかったのは本当だ。その時計は、持ち主にしか見えないから」
ノールは今度こそわたくしの手の中の懐中時計を指さした。
「あのときから、君のものだから返さなくていいよ。俺にはもう、使おうと思えないから」
「使うって何?」
「死んだら戻るだろう、それ。まあ、そうしたのは多分俺なんだけど……いや、うん。何から話したらいいかな」
さっきのびくびくおどおどとした雰囲気はない。代わりにノールは疲れ切った様子で目を伏せた。先ほどの酷い頭痛のせいでないのは、その表情でわかる。
「時計を認識してしまったら、記憶同期ができるのか。予想外だ。忘れてしまいたいのに、逃げるなってことか」
「さっさと説明!」
うだうだ言われてもわからない。貴方の前にいるのはわたくしなのをわかっているのかしら。
急かすと、ノールは小さな子どもにするように若干かがんで話し始めた。
「俺は、異世界からやってきた転生者みたいなものだ……いや待ってくれ。頭はまだおかしくなってないから。その顔は心に来る」
「寝ぼけてますの? 寝言は寝て言ってくださる」
わたくしの麗しい顔が何か? リリネットお姉様にも褒められる自慢の顔ですわよ。
「ええと、君は俺と同じ……ではないよね。ここは多分なんだけど、乙女ゲームを模した世界なんだ。とある女の子のための、幸せな舞台装置。きっと、その仮想実験に付き合った世界とでも言えばいいかな」
「わけがわかりませんわよ。もっとわかりやすく」
「君は信じられないかもしれないけれど、俺が元居た世界の思考実験の下地がある世界で、恋愛をシミュレーションするやつで」
「もっと! わかりやすく!」
乙女げえむだとか、かそー実験だとか、なんですの?
まったく聞いたことのない言葉を話されてもわからないでしょう!
それにきっとや多分だなんて憶測ばっかり。
人と話すときは伝わるように相互理解可能な会話をするべきです。大変なことのように言うのなら、尚更!
腕を振って、足を鳴らす。わかりやすい仕草のほうがノールに伝わるでしょう。
その甲斐あって、ノールは「えぇ」と小さくぼやいてから視線をうろつかせた。もう一度地団太を踏んでやろうかしら。
「俺が昔いた場所で考えられた物語が、ここでは現実に……みたいな感じ。たぶん俺は便利な道具屋ポジションだと思う」
「なるほど!」
夢見がちな方なのね。わかりましたわ!
「ノール……空想は子どもまでで卒業するのが嗜みでしてよ」
「伝わんない!」
ノールがまた頭を抱えている。
そうね、恥ずかしい妄想をわたくしに述べてしまった。ですがわたくしはあなたと一心同体の相手となる者。広い心で受け入れて差し上げましょう。
しかし、なんだか悲しそうなのはわかりますわ。
よしよしと背中をまたさすってしばらく。ひとまず、許容の言葉をかけましょうか。
「まあ、仮にそうだとしても? その逆を考えませんでしたの?」
「逆?」
「わたくしたちのところで起きた出来事が、ノールの場所へ物語として流入したのでは?」
「……君、本当は理解していたりする?」
「いいえ? それで、この懐中時計についてはまったくわかりませんけれど。これは?」
懐中時計をまたゆるく振る。
ノールは口元をごにょごにょとさせています。早く、と突っつくと脇腹を抑えながら答えが返ってきた。
「俺が作った。いや改造したが正しいかな。その、どうせ生きるなら幸せになりたいだろう」
「まあ、そうですわね」
「それで、転生した俺はデバックコマンド……あー、特殊な技術とかあって。もしかしたらと四歳のとき試したら、出来ちゃって」
「でばく、こまんど? もういいですわ、それで出来たのがこの懐中時計?」
「そう、それが良くなかったんだ。失敗したらやり直せるように。幸せな選択肢ができるようにと使ったというか……遠い昔過ぎて、あんまり記憶が定かじゃないけど」
遠い昔。
ノールもわたくしと同じように何度もやり直していた?
それでこんなに疲れている?
「バグは、そのせいで見えるようになった。それでまあ、ええと、君が最初に会った俺はその処理をしていたというわけだ」
「ふむ……」
処理はあのノールそっくりな男の死体を埋めていること? そういうこと?
「何度も繰り返して、終わるのが夜会なんだ。いつもトラブルが起きるかバグが出て、俺がひっそり処理して、またやり直し」
「ふむふむ……?」
もっともらしい顔で聞いていましたけど、あまりよくわかりませんわよ。変な言葉ばっかり。
ええと、つまり?
ノールは特殊な才能があり、この死んだら元に戻る懐中時計を作り上げた。作ったことが原因か何かで、バグとやらが見えるようになり、処理に疲れたところにわたくしと運命的な出会いをする。
そしてわたくしに、託したと。
なるほど?
「君が俺を恨むのもしょうがないというか。懐中時計だってバグみたいなものだ。疲れた果てに、これが見えたのは奇跡だと思えて。それでつい。罰は甘んじてうけるから、どうか家族には」
なおもごにょごにょ御託をいうノールはともかく。
聞き捨ててはならない言葉がありましたわ!
今、わたくしを奇跡と。そんな相手だと、そう言いましたわよね!
まあ、まあまあ! ノール、わたくしを運命と思ったのね! 悪くなくってよ!
「そんなことはどうだっていいのです。でもですね? 責任を取るというのなら取ってもらいますわ!」
「それは、うん。俺は何をしたら」
あら、まだ顔に鼻血がついたまま。まあこの際かまわないわ。そのくらいで引くような軟弱な心根ではありません。
さあさあ、袖でふき取ってさしあげましょう。フリルだとうまくとれませんわね。
「わ、ぷ」
そしてノールが怯んだ隙に、腕を絡めてがっしり組む。離れないように力をこめる。足腰を鍛えた甲斐がありましたわ。
ノールを引きずりながら、部屋の扉を勢いよく開け放つ。
「お嬢様、何やらお話が紛糾を……お嬢様!?」
チェッタがほっとした顔をすぐに引きつらせている。その顔になるのはわかっていましたとも。致し方ありません。しかし淑女には引けない時があるのです。
それが今!
「ちょ、ちょちょちょっと! 君、いったい何を。というか離して……力強いなあ君!」
「お父様ァー!」
ずんずんとノールを引きずって向かう。
話し合いとやらをしていても、わたくしの声には敏感なお父様のことです。というよりも小さなお屋敷ですから、よく響いたのでしょう。
「ここだよ、シグちゃん」
即座の返答がある。そこですわね。
止めようか迷う使用人たちの間を堂々と通り抜けて、応接室へと入りこんだ。
「失礼いたしますわ!」
来客用ソファにいたお父様が、小走りに出て来た。
「シグちゃん! お父様に会いたくなったのかな? それとも何かあったのかな」
「この方と婚約します! わたくしのこと奇跡のお相手って!」
お父様は微笑んで黙る。いえ動いていませんわね。気絶していますわ。
お母様がその後ろから呆れた顔を覗かせているので、お任せしましょう。
「ノエルク、血が? 一体何が?」
「いや俺は何も、この子が」
「シグエスネッタ様だ馬鹿者! お前はどうして、そう大事なときに限って礼儀というものを……ご令嬢の服に血が!?」
混乱したエルマイン子爵が血相を変えてノールにつかみかかっています。なんだか大事になりましたわね?
お父様も倒れているし。お母様とエルマイン夫人はと視線を向けると、お母様は音を立てて扇を閉じた。
誰もが言葉を止めて、お母様を見つめる。
「失礼。我が家の娘が粗相をしたようです。このお話、進めてもよろしくて?」
その問いに、わたくしはノールの腕を掴んだまま思いっきり首を縦に動かした。
「そちらは?」
「わたくしどもは、その、ご令嬢がよいのなら。ノエルクは……」
エルマイン夫妻公認ですわね。そうときたなら。
ノール、はいとおっしゃい! わたくしにした責任!
ぐいぐいと腕を引くと、ノールは煮え切らない返事をした。
「ええと、はい」
「では、そのように」
お母様は値踏みをするみたいにノールを見つめ、扇をしまう。こういうところ、オーガの……お婆様の血筋を感じますわね。
「シグちゃんにはあとでお話があります。チェッタも」
淑女の微笑みなのにオーガが見えますわ。助けるのも婚約者の役割では? ほら、出番でしてよ!
ノールにしがみついてみたけれど、そっと離されてしまった。イケズ!!




