恋は、くしゃっと笑った
目の前に翼だらけになった半裸の兄がいたら、どう反応すればいいのだろう。
コルセリアは、好き放題してきた兄がとうとう取り返しのつかないことをしでかしたんだと思った。具体的には何が何かわからないが、人倫に背く何かだ。羽のある人間なんていないのだから、きっと間違いない。
そうとしか思えなかった。なので第一声は決まっていた。
「対処は、せめて家族である私が……!」
そっと携帯していた短剣を取り出した。
呆気に取られた兄、バザンのきらきらしい顔を見据える。そして、コルセリアは高々と両手で短剣を掲げた。
「兄様お覚悟! 動かないでくださいませ!」
そして勢いよく目立つ翼目掛けて振り下ろした短剣は、鮮やかに空を切った。
バザンが避けたのではない。邪魔が入ったのだ。それをコルセリアが理解するころには、地面が迫っていた。全力を込めすぎた弊害だった。
「ああっ」
体が前のめりに倒れて、ぶつかる直前。
腹部に腕が周り、くるりと視界が一回転した。まるでダンスのステップを踏むみたいに、自然な円を描く動作でコルセリアは元の姿勢に戻っていた。
「やあ、君。危ないよ」
このあたりでは珍しい風貌の男。わずかに屈んでコルセリアを覗き込んでいる。
炭の火が消えたような暗い灰色の髪に、黒い瞳。少し焼けた薄い黄色の肌は、コルセリアともバザンともまったく違う。異国の者だろうか。
何より顔立ちが特徴的だった。
切れ長の目は一見クールな印象を与えるのに黒目は大きく、鼻筋は通って唇は薄い。彫りが薄くて神秘的。けれど、笑うとくしゃっと変化して愛嬌たっぷりになる。
思わずコルセリアは息を呑んだ。
(す……好き!!)
まるで天啓にも似た思考で染め上げられたみたく支配される。
頭から足先まで、びりびりとしびれてしまう。ただただ、男を視線で追うことしかコルセリアには出来なかった。
「大丈夫?」
「あっ、あっ、大丈夫です!」
どこが好きかと聞かれたら、わからないけどとにかく全部好き!
頭の中で騒がしいほどの思考は、今まで何をしていたか忘れてしまうほど。
今にも心臓が飛び出るのではないかと思いながら、コルセリアは短剣を震える手で抱え込んだ。
そして何がなんだかわからないまま、送り返され、気づけばコルセリアは自分の部屋に戻っていた。
コルセリア・トボレは、とある地主の末娘として生まれた。
貴族ではないが代々資産潤沢だったので暮らしぶりもよい。父母に兄二人と姉の、合わせて六人家族。互いの仲も悪くなかった。
手堅い商売と信頼できる仕事ぶりの父母。貴族に婿入りした長男。狩上手が功を奏して手柄を挙げ、騎士爵をもらい家を継ぐ予定の長女。
コルセリアも、美貌の祖母似で可愛らしいお嬢さんと噂され、誰も彼もそこそこの評判だった。
ただ一人を除いて。
トボレ家の放蕩息子。
コルセリアの三つ上の兄、バザンは世間からそう評されている。
五年前のバザンが十四歳のとき、何を思い立ったのか衝動的に家を飛び出したのが原因だ。
運動神経や戦闘センスは皆無なのに、こういう行動力だけ抜きんでていたバザンは各国をふらふらと移り歩いた。
コルセリアたち家族がバザンの行方を知ったのは、ついこの間。五年後、故国に戻って薬問屋を立ち上げたという本人の知らせからだった。
それまでは送り元不明の本人の名前だけ書かれた手紙が不定期に来て、それが生存報告の代わりとなっていた。なので家族全員、常々心配していたのだ。
結局、いらぬ心配だった。
知らせを受けて、コルセリアは自分が様子を見に行くと名乗りを上げた。
長兄は家を出てしまったし、次期当主の姉や父母が直接動くより、コルセリアのほうが大事にならず身軽に動ける。年頃の娘が安易に動くのはと良い顔をされなかったが、あの兄を相手取るならとどうにか説得した。
兄妹のなかで下二人であったバザンとコルセリアは、よく一緒に行動していたから。
記憶の中の幼い兄は、いつだってユーモラスで突拍子もなくて明るかった。何度となく行動に振り回されたのはともかくとして、よく遊んだ。
得意げなバザンが世話を焼いてくれたことは、今でも鮮やかな記憶として残っている。
だから、バザンがやらかしていたなら一番に自分が行って止めなければと思ったのだ。家族の分までしっかりと話をしなければ。そう思って、調べた住所に向かった。
その結果が、あれだ。
(誰あの御方、誰あの御方、誰あの御方ァ!!)
バザンからの手紙は自由極まる内容で、細やかな生活ぶりなどうかがえるものではなかった。交友関係についても、仕事環境や勉強のことも一切なかった。
あったとしたら、『今日の晩御飯は大猪のジビエ。果実酒漬けがおすすめ。俺は元気です』という、メモ書きかと思うような代物だった。
ちなみに会いに行く切っ掛けになった手紙には、『帰国した。今日から薬屋さんです。よろしく』である。父は鎮静薬を飲み、母は怒りに燃えて扇子を圧し折り、姉は真顔で素振りをし始めた。
(本当に誰!? 兄様のご友人? あの兄様に?)
部屋を無意味に歩き回って、コルセリアはハッと我に返った。
(であれば、兄様がさぞかしご迷惑をおかけしてやしないかしら。あの兄様だもの)
頭に浮かぶのは、過去のバザンの所業。
道草を食ってと怒られたから、実際に食べてみようと巻き込まれ二人で腹を壊したこと。
風になりたいからと大きな布を手足に結び付けて、窓から飛ぶ様子を見届けさせられたこと。
流れ星を捕まえに行こうと連れ出されて、二人して迷子になってしこたま怒られたこと。
(ありえる! ああ、そうとしか考えられなくなってきた)
バザンが成長したとて、知らせの様子から察するに一切変わってない。兄は兄のままだった。それに、今日見たあの姿がコルセリアの考えをより確信に近づけた。
(そもそもあの姿は何!? 兄様がより変な存在になってしまったなんて!)
きらきらしいバザンの美貌は年相応に成長して、より魅力が増していた。それはいい。
ただ、大きな鳥の翼が生えていた。肩の後ろ、腰のあたり、肘から一対ずつ。六枚の白い翼がそれぞれ無造作に羽ばたいていた。
世界に鳥の翼を生やした人間なんて存在しない。落ち着いてから何度考えても、兄が何かやらかしたとしかコルセリアには思えなかった。
(みんなになんて説明したら……ああでも、途中まで一緒だったアンとダルクが報告してそう)
コルセリアのお供につけられた、優秀な熟練使用人二人が今ここにいない。
こうしてコルセリアが放心して帰ってきたことも含めて、すでに家族の誰かの耳に入っているだろう。父母は午後から出かける用事があって、代わりに姉が家で番をしているはずだ。
よりにもよって、姉。
そろりと歩き回る足を止めて、コルセリアは部屋を出た。
広いリビングには、武装した姉のマキシンがいた。
コルセリアが足を踏み入れると、すぐにマキシンは振り向いて迎えた。鮮やかな橙の髪をまとめて結い上げた、きりりとした姿はコルセリアの憧れそのものだ。
しかし、凛としている面立ちに表情はない。唇だけは優雅に弧を描いている。
「コルセリア。馬鹿ン、いえバザンのこと、聞きましたよ」
「姉様、えっと、その」
「あなたをそこまで驚かせた罪。酌量の余地はありません。私が始末をつけましょう」
そう言って、マキシンはおもむろに手を叩く。すぐさま近くの使用人から槍と手入れ道具が手渡された。そして使い慣れた様子で、無言で手入れを始めた。
コルセリアの喉がひゅっと詰まる。姉は本気だ。本気でやるつもりだ。
マキシンはコルセリアをひどく可愛がってくれている。昔っからだ。バザンが何かやらかすたび、首級を上げてやると憤慨するマキシンを長兄と抑え込むことが何度あったか。
「姉様、姉様。私は大丈夫です。久しぶりに会って、びっくりが勝ってしまって」
「聞くに、バザンは異国の者と共に仕事を始めたのでしょう。見も知らぬ男と接触して、可愛いあなたが驚かないわけがありません。奴は配慮が足りないのです」
また無言で槍を磨き始めた。既に切っ先は光に反射してぴっかぴかであった。
「確か、遊牧民の出だと調べがついています。出自も確かではない者とコルセリアをいきなり会わせるなどと……」
磨く速度が上昇する。もはや槍の切っ先が摩耗するのではないだろうか。
(こういうときに、ジェレミー兄様がいらっしゃったら)
今はいない長兄を恨めしく思いながら、コルセリアは暴走しつつあるマキシンを止めるために話しかけた。
「マキシン姉様、落ち着いて。私、落ち着いた姉様が凛々しくって好きです」
「ええ、落ち着いていますよ。可愛い可愛いコルセリア」
くるりと槍が回転して、柄が床を軽く打つ。マキシンはゆらりと体を傾むかせてコルセリアを見つめた。
「その男、姉様が見極めます。ついでにバザンをとっちめてしまいましょう」
(あーっ、あの御方にとばっちりが! それだけはダメ!)
うっかり見惚れてしまったばっかりに、猛獣のような姉が荒々しく槍を振り回して突撃していくなんてあってはならない。
「ちが、違うのよ姉様。その御方は倒れそうになった私を紳士的に助けてくださったの」
「それが手口かもしれません」
「まだお名前も知らないし、どういう御方かもわからないし」
かつん、とまた槍の柄が床を叩いた。先ほどより強い。マキシンは煩わしそうに眉をしかめた。
「ツェド。二十歳。男。玻璃の国遊牧民ヘルバから離れ、エンタール公国にて薬学を学ぶ。バザンとはそこで知己を得る」
「エンタール公国の? まあ、兄様ったらそんなすごいところに通っていただなんて」
「公にすれば、可愛いコルセリアに求婚がより殺到しかねません。ごめんなさいね、あなたには好きに生き生きと、なんなら姉様とずうっと一緒にいてくれたらそれでいいと思って」
「姉様……」
余談だが、マキシンの二つ名は槍トボレとトボレの大シスコンである。手柄が大きいため一つの欠点くらいはまあヨシと噂される呼び名であった。
「それに、上の貴族連中からバザンの薬に目を付けられたら、より面倒です。あの子に貴族相手の商売ができるものですか。下手に潰される前に保護しなければ」
「目をつけられたらって」
「バザンは何をしでかすかわからないところがありますが、錬金薬の才だけは確かなのです。妙な薬を作って、無暗に使われたらどうなることか」
錬金薬。
その言葉に、コルセリアは「あっ」と声を上げた。
(あの翼、錬金薬のしわざだったのね! まるで魔法みたいな薬が作れる錬金窯の……そうよね、そんなことがあってもおかしくないかも)
この世界には、認められた錬金薬師に授与される錬金釜というものがある。それを用いて作る薬が錬金薬という。誰もが作れるわけではなく、適正がある者にしかできないそうだ。
とはいえ、その人数はそこそこいる。中規模の街に一人くらいの割合だ。そのため、薬自体はある程度流通している。
ただし、通常の薬よりも不可思議なことがおこる錬金薬は高級品扱いだった。
「問題のない従来の錬金薬ならいざ知らず、人体を変化させたり環境を変えたりする薬を作れば、お咎めもあることでしょう。バザンならやりかねません。やはり」
(ああっ、できてもダメなほう! やっぱりいけなかったんだわ、あれ)
しかし変だ。コルセリアは考え込むマキシンを見て、首を傾げた。
翼が生えていたことを知らないような素振りだ。どうやら幸運にも、バザンのあの姿を見たのはコルセリアだけだったようだ。
(よくないけどよかった! 兄様の状態を知らないなら会わせないようにしなきゃ。姉様が兄様をやっつけてしまうし、その近くにいるあの御方も……ツェドさんと仰るのね、不思議な響きのお名前)
見慣れない神秘的な容姿を思い出して、コルセリアは慌てて頭を振った。
(しっかりするのよ私! 関係なさそうな方へ危害を与えてはいけないわ! ついでに兄様も!)
思い出すだけでなんだか頬が熱くなる。もう頭はツェドでいっぱいになってきた。
「姉様! 今一度、今一度私に機会をくださいませ!」
「何故です」
「驚いて兄様とちゃんとお話できなかったので、落ち着いて話したくて。謝らなくては。それに、錬金薬について聞きたいです」
「それはいくらでも姉様が話してさしあげます」
「直接おうかがいしたいのです!」
両手を合わせて、マキシンへと詰め寄る。
「私の憧れの姉様であっても、兄様はいつも姉様から逃げ回っていたでしょう? だから、私から聞いて姉様にお伝えしたほうがいいと思うのです」
「しかしですね。バザンだけでなく他の男がいるところに」
「またアンたちと行きますから! 姉様はお家で私を待っていてほしいのです」
マキシンが唸る。槍とコルセリアを見比べて、目をつぶった。眉間に皺を寄せたまま、深く深く溜息を吐いたあとで、待機していた使用人に顔を向けた。
「あれを持ちなさい」
すかさずマキシンの元に、布で包まれた金属棒が差し出された。
それを受け取ると、マキシンはコルセリアの手にそっと持たせた。
「携帯杖です。ここを押して展開すると半円の矛先が現れます。そっ首目掛けて使うのですよ」
「……わあ、ありがとうございます」
短剣はコルセリアに向かないと判断したのだろう。あの短剣を持たせて使うよう教えたのはマキシンだ。
「今度はアンたちを置いて、走って向かわないようにしなさい。くれぐれも気を付けて」
「はい、姉様」
片手でコルセリアを抱き寄せたマキシンは、嘆くように呟いた。
「ああ、心配です。姉様も、やはりともに向かい槍の錆に」
「今すぐ行ってまいりますね!」
それを遮るように、コルセリアは勢いよく言い放った。
輝く橙の髪をなびかせて、慌ただしく杖を抱えてリビングを抜け出した。
***
再び訪れたバザンの薬屋は、改めて見れば趣がありすぎるものだった。
まず人里から離れている。深い森で囲まれているのは、素材採取に便利だからだろうか。
石を積み重ねて出来た石壁はやけに堅牢で、窓をカーテンで隠されてしまえば中で何をしているかわからない。
時折、屋根から突き出た煙突から立ち上る煙で中に人がいるのだとわかる様子だった。
朝に訪れてから時間が経っての昼下がり。
食事でもしているのか、ほんのりと美味しそうな匂いがした。
「お嬢様、本当におひとりで向かわれるのですか」
「そうよ。アンたちが一緒だと、兄様は窓から飛び出しかねないわ」
「それは、確かに……待ち構えたほうが良さそうです」
幼いころから世話をしてくれたアンとダルクは顔を見合わせて納得したようだった。ありがとう過去の兄の所業。コルセリアはそっと胸の内で罪悪感と安堵を抱えてしまった。
そして二人を前庭のあたりで待たせてから、深呼吸をして家の入り口のノッカーを鳴らした。
「兄様。コルセリアです。さっきはごめんなさい。もう一度参りました」
ノッカーをまた数度鳴らすと、くるりとドアノブが回った。
中から現れたのは、ツェドだった。
「あれ、また来てくれたんだ」
顔だけ出したツェドはコルセリアを見つけると、目を丸くした。それからまた愛想よく目を細めた。なんだかとってもいけない雰囲気がする。
それだけで、コルセリアはたまらなくなって目を逸らしてしまった。暑くもないのに汗が出てきそうだ。意味もなく服の裾を指先でいじって、相手の出方を伺う。
「コルセリアさん。バザンの妹の」
「はい、そうです」
「うん。少し待っていてね」
流暢にこの国の言葉を話すツェドの声を聞いて、うっとりしないようにするだけで大変だ。
(落ち着かなきゃ……! 翼の生えた兄様で大変かもしれないのに、私まで迷惑をかけては……でも、でもっ!)
ちらっと視線を上げる。
家の奥へと首を逸らした筋が目に入って、唇を咄嗟に噛んでしまった。
(わからない! もう、好きしか出てこない!)
人を見た目だけでここまで好きになってしまった。それは普通のことなのだろうか。
もしかすると、これも錬金薬のせいなのか。そう思えたらよかったが、コルセリアは生きてきてこれまで錬金薬のお世話になったことはなかった。
「バザンが入っておいでって。狭いあばら家ですが、どうぞ。足元に気を付けてね」
「はいっ。ありがとうございます」
「君のお家の人は待ってもらうことになるけど、いいかな」
ツェドは言いながら、外で待つアンたちを見た。
「大丈夫です。話はしていますし、きっと兄様は二人を見たら逃げてしまうから」
「……なるほど」
顎に手を当ててツェドは呟いた。
そのまま外に出るとドアを開いたまま、中に入るように促した。
「では、俺のほうからも彼らにお話をしておこう。それなら、君も安心してバザンと話しやすいだろう」
「ありがっ、ありがとうございます」
気遣いをしてくれた。
途端、コルセリアの頭の中はクラッカーが盛大に鳴ったみたいに騒がしくなった。声が裏返ってしまった。
息を詰めて顔を見られないように伏せて、中へと足を踏み入れた。
ドアが閉まる。
その向こうには、やはり翼だらけの兄がいた。
幸いなのは半裸ではなくなったことだろうか。布を巻いて服のように見せかけただけだが、それでもマシだ。バザンの容姿をもってすれば、幻想的な生物が現れたかのように感じられるだろう。
「コルセリア。ひどいじゃないか。お兄様は悲しい」
口を開かなければ芸術作品もかくやなバザンは、コルセリアを迎えると唇を尖らせて文句を言った。
「いきなり剣を向けたのは……謝ります。ですが! ひどいのは兄様ではありませんか。勝手に出て行って、挙句そんな姿になるなんて、驚いてもごうとするのは当然です!」
「マキシン姉様仕込みの洗脳だよ、それえ。あと出て行ったのは謝るが、これは偶然の産物。俺は悪くない」
「そんなこと仰って! 姉様がいらっしゃったらどうなさるんですか」
翼を畳んで窮屈そうにソファへ座るバザンへ、コルセリアは近寄った。途端、バザンは前腕に生えた翼で顔を隠した。
「俺はいないと言ってくれ」
「もう知っていますよ。槍を持ってこようとするのを止めました」
「ありがとうコルセリア愛してる」
「そんな姿になったのはまだ知らないようでしたから、もしバレてしまったら私では止められないですよ」
ちらりと隙間からハシバミ色の瞳が覗いた。きまり悪そうに視線を動かして、コルセリアを伺ってくる。
「そっか。ツェドがうまく誤魔化して凌いでくれたんだな」
バザンの口ぶりからは信頼を感じた。顔を出して、窓の方を向いた。
「もう会っただろ? 向こうで錬金薬師の資格を取るときに一緒に勉強してさ。すごくいい奴なんだ」
「そう、ですね。すごく優しそうな方です」
「そうなんだよ! コルセリアならわかると思った! でも向こうの国の価値観だと違ってさ。聞いて驚くぞ」
態勢を直してソファ上でバザンがあぐらをかく。狭いソファを詰めて、横に座るように促したので言葉に甘えてコルセリアは座った。
図体はでかくなっても、長男のジェレミーや父と違ってまだまだ細身だ。代わりに翼が邪魔極まりないが、器用にもコルセリアを包むように動いた。
「あっちじゃ、とにかく顔が濃いのがウケるんだよ。こう眉も太くて、いかついの」
「でも、兄様のお顔立ちが良くていらっしゃるのは、ようくわかっていますよ」
「うん。コルセリアも俺似で可愛いぞ。それでもな、あっちじゃ俺は格好いいからほど遠かったってわけ。ツェドも同じでさ、モテない同盟組んだの」
数年前まで行方知れずだったのを忘れたかのようにバザンは振舞う。全く変わらない距離感に、コルセリアはこれがバザンだったと呆れ混じりに笑った。
相変わらず子供のような兄だ。
「ツェドなんかさ、薄い顔でなんだか怖いって言われるのさ。何考えてんのかわかんないとか。まあ、確かによくわかんないとこあるけど」
そこが魅力的に思えるコルセリアにとって変わった意見だと思えた。マキシンのことを注意するのもつい忘れて、バザンの話にコルセリアは聞き入った。
(ツェドさんも錬金薬師。しかも堅実なタイプで、兄様のフォローをしてくださって。物腰も柔らかくて……)
予期せぬ供給をもらった気分だ。
前のめりになって心のメモをしたためながらコルセリアが聞いていると、不意に声が掛かった。
「毛色違いの薄壁呼ばわりは驚いたよね」
入り口からツェドが戻ってきた。二人して顔を向けると、「似てるね」と笑って言った。
「歓談中、失礼。コルセリアさん、そろそろ戻られてはとお付きの人が」
「えっ、そんな……でも」
にわかに立ち上がって、コルセリアはバザンを見た。
「兄様、結局そのお姿はどうなさるんです」
「うーん、困る。薬作るのに邪魔なんだよな、これ」
「困る、ではないのです! 次は姉様が来るに決まっています!」
「もっと困る。やっぱり切ってごまかすとかどうかな」
のんびりというバザンがもどかしい。コルセリアは指をわきわきと動かせて、ツェドを見た。
「確かにその翼は邪魔になるね。でも、バザンから生えたからには、体のどこかから持ってきた部分があるはずって話したろう。切るのは悪手だよ」
「そうだった。あばら骨が減ってるんだ。あと多分足の指あたり。中身はどうだろ」
「気を付けて慎重に作るか、大人しく提案だけしてくれ」
骨が減ってる。
愕然とバザンを見るが、本人はどこ吹く風だ。
(姉様が見たら、絶対、私より素早く動いて翼を切り飛ばしてしまう。そうしたら兄様の骨が減ってしまう)
なんて恐ろしい。
(私が家に戻れば、次は姉様自らが行かれるでしょう。それなら)
コルセリアは拳を握り締めて、顔を上げた。
「私、帰りません!」
「えっ」
「どしたの。コルセリア、反抗期?」
すっとぼけたバザンの顔を睨み返して、コルセリアは宣言した。
「兄様が元のお姿に戻るまで、立てこもります。姉様が来たら、私が追い返してみせます!」
「えー、どうするツェド」
「いや、俺に聞かれても」
他人事のように言うバザンに、ツェドは困惑の声を上げた。
「お手伝いもいたします。これでも嫁入り修行として、一通りの家仕事は学びました。どうか、兄の身の安全のためにもお聞き入れくださいませ」
「でも、その、嫁入り前のお嬢さんが男所帯に住み込むってのは……」
「床でも寝てみせます!」
「やる気だあ」
さらに困ったように言ったツェドは、口角を下げて息を吐いた。
「お兄様はコルセリアが居てくれてもいいけどさ。マキシン姉様怒り狂わない?」
「兄様が姉様に直接会って、血まみれになるよりマシです! それに、そうなったらツェドさんにもきっとご迷惑をよりかけてしまいますもの」
コルセリアの言葉に、バザンは数秒考えてうなずいた。
「それもそうだ。ツェド、コルセリアに居てもらおう。お前、命、危ない。多分」
「姉様からの追及は私がなんとかします。ご迷惑をおかけしますが、兄様を人前に出さない協力を何卒……何卒!」
それぞれに言われて、ツェドは「えぇ」と困惑の声をまた上げた。
そうと決まれば、時間が惜しい。
コルセリアは紙とペンをバザンに頼むと、マキシンと家族に向けて手紙を書き始めた。もちろん、バザンにも釈明の手紙を書かせた。
それを仕上げると、外で待つアンたちに持たせて帰ってもらった。コルセリアはこんなに駄々をこねたのは初めてとばかりに帰りを拒否しきってみせた。
戸惑いながら帰る二人の後ろ姿を見送って、コルセリアは不思議な達成感を味わったほどだ。
しかし、翌日には大槍片手のマキシンが襲来した。
入り口の前で蹴破ろうとしたマキシン相手に、コルセリアは必死で拒否をした。
つっかえ棒がわりに、持たされた杖を斜めにして塞ぎドアを抑える。
「蹴破ったり危害を加えるようでしたら、一生姉様を嫌いになります! 駄目ったら駄目です!」
「可愛い可愛い貴女に嫌われようと、なさねばならないものがあるのです。帰ってきなさい、コルセリア。バザンはついでに顔を見せなさい」
「嫌です! 無理を通されるなら、私が自ら壁となって立ちはだかってみせます!」
扉に張り付いたコルセリアに、さすがのマキシンもひるんだ。どうにか宥めすかしてどかそうとしたが、結局受け入れなかったコルセリアによってとうとう譲歩した。
「では、半月。半月だけ猶予を与えます。どうせバザンが何かしたのでしょう。ですが、これ以上はなりませんよ」
「姉様」
答えに窮したコルセリアは、バザンたちを振り返った。代わりにバザンが声を張り上げた。
「りょーかぁい、マキシン姉様! ちゃーんとコルセリアは預かるから任せて!」
「そういう軽い返事が信用ならぬのです! まったく!」
やがて甲冑を鳴らして遠ざかる物音がした。
こうして、コルセリアの居候生活が始まったのだった。
***
バザンとツェドの薬屋での暮らしぶりは、コルセリアが思ったほどひどくはなかった。
部屋も空いていた物置をコルセリアの部屋にしてもらい、生活スペースを確保もできた。
それに手伝いで大変な目にあうということもなかった。
まず最初の朝。
コルセリアが起きると、すでに食事の準備をしていたツェドがいた。
手際よく美味しそうな料理を着々と作っている。なお、バザンはリビングのソファでうつぶせのまま寝ていた。ひとまずバザンを叩き起こして、準備の手伝いを行った。
バザン曰く、調理担当がツェドで片づけ担当は自分と作業を分けているらしい。
ただ、翼の生えた手ではうまく洗うことができず、コルセリアは早速自分が役に立てると意気込んだ。むしろ、バザンにはコルセリアが手伝う間に錬金薬で体を戻すよう試行錯誤してもらわなければならない。
バザンの家での担当をそっくりそのまま引き受けたコルセリアは、張り切って取り掛かった。
(兄様の戻るための時間を作れるうえ、ツェドさんのお手伝いもできる……!)
好意を押し付けるつもりはない。まだ会って間もない相手からなんて、きっと迷惑だ。
そう思うが、抑えきれずに些細なことで喜ぶのは仕方ない。自分に言い聞かせながら、コルセリアは一生懸命に取り組んだ。
一日が過ぎ、三日、五日。一週間が経つのはあっという間だった。
コルセリアがこの暮らしに慣れるくらいになっても、バザンの姿は戻らなかった。
マキシンとの期日があるからと取り組んではいたが、翼が一つ引っ込んだり、戻ったりを繰り返していた。時には腕が増えたり枝分かれしたりした。錬金薬ってなんでもできるのではと慄いたのは一度や二度ではない。
そして、ああでもないこうでもないと取り組むバザンとは対照的に、ツェドは慣れた様子で市販薬を作り上げて売りに出していた。
今日もそうだ。
リビングから続く錬金釜が二つ並んだ部屋のなかで、慣れた手つきで薬を梱包している。
「あの、兄様が安定して暮らせるのは、ツェドさんがそうして作っていらっしゃるからでしょうか」
なので、ついつい気になって片づけの手を止めて、コルセリアはツェドに聞いてしまった。
ツェドは作業を止めずに、なんでもないように言って返した。
「半分はそうかな。でも、バザンが稼ぐときはもっとすごいよ」
「兄様が?」
「そう。ああ見えて、本当にすごい奴なんだ。どうしようもない奴でもあるけど」
そこで言葉を切ると、ゆっくりと振り向く。長めの波巻く横髪が耳元を流れる。つうっと動いた黒目は、コルセリアの姿を捉えると緩やかに瞬いた。
「コルセリアさんのほうが知ってるか」
「え、あ、えっと。はい」
答えあぐねて、必死で聞かれたことを思い返して返事をする。
「妹である君に言うのは、どうかなって思うんだけど」
ツェドはそう前置きすると、静かに言った。
「バザンは人間社会でまともに生活するのが難しいタイプだと常々思っていて」
「……確かに!」
ツェドに見とれていた横っ面を叩く正論に、コルセリアは遅れて力強く同意した。
「人の和に馴染めないわけじゃないんだ。陽気で良い奴だし、友達も多い。でも行動は突飛だし、微妙なニュアンスを察することもできない。だから望まないトラブルも多い」
「わ、わかります。そうなんです、そうなんです……!」
思わず握りこぶしを作って、コルセリアは頷いた。
「放っておけなくて、手伝いたくなるんだよね。バザンの顔見るとわくわくするし」
「わくわく、ですか」
「そう。本当に楽しそうに釜へ向かってやってるのをみると、何しでかすんだろってこっちまで楽しくなる」
何を思い出したのだろうか。ふっと表情がほころんでいる。
瞳はこちらを見ていない。けれど、ツェドの語る楽しさの名残がその奥に残っているように光って見えた。
好きだな、と思った。
バザンを友として、誇らしく、親しく感じている姿が、コルセリアの鼓動を速めた。
「まあ、今回は楽しむどころじゃなさそうだな。バザンの自業自得だから俺は擁護しないけど」
くつくつと喉奥で笑い声を鳴らして、ツェドは梱包が済んだ薬を抱えた。
「でも、コルセリアさんが会いに来てよかったかもな。掃除、今日もありがとね」
「あ、いえ、そんな」
柔らかく礼を言って、ツェドはそのまま部屋を出て行った。
(私が会いに来てよかったって、ど、どういう!? 兄様のことよね、そうよね。ううう、ずるい。ずるいずるい、好きぃ……)
ドアが閉じて見えなくなるのをいいことに、コルセリアは腰が抜けたようにへなへなと座り込んだ。家や人前だと絶対にできない格好で、顔を覆う。
熱い溜息をこぼして、深呼吸をする。
(あと、一週間だけ。兄様が戻らなかったら、まだいれるのにな)
よこしまなことを考えてしまって、首を振る。それは駄目だ。また溜息を吐く。
このままいくらでも吐けそうだ。
自分を叱咤して、のろのろと立ち上がる。そうしてコルセリアが服の皺をはたいていると、にわかに騒がしくなった。
ドアの向こうから、どたばたと足音を鳴らしてバザンが現れた。翼と手でいろんな材料を抱えている。
「あっ、いたいたコルセリア。思いついたのがあるから手伝ってくれ」
「……兄様。私、錬金釜は使えませんよ」
「そこはこう、俺の翼を抑える係とか素材を切る係とか」
「素材を切るって、私で大丈夫なんです?」
「うーん、作業工程くらいなら大丈夫大丈夫」
快活にバザンが笑う。翼と腕でコルセリアを押しながら、さっきツェドがいたところまで進む。
(楽しそう……楽しそうではあるわ。いつものことだけど)
ご機嫌なバザンの様子を見ながら、先ほどのツェドが言っていたことを反芻する。
コルセリアと同じハシバミ色の瞳はきらきらと輝いてみえる。
「今回のは、ちょっと良さそうな気がするんだ」
「本当ですか?」
「根拠はないけど自信はある!」
そう言って、バザンはコルセリアにあれこれと指示を出し始めた。
さすがに錬金薬師をしているだけあって、指示は確かだ。そして、ツェドが言っていることをコルセリアはなんとなくわかった。
出来上がるまで終始バザンは楽しそうなのだ。うきうきと作業が楽しくてたまらないといった表情を隠しもしない。まるでそれが移るみたいに、コルセリアもなんとはなしにそわそわとした。
(ああ、この感覚。懐かしいかもしれない。昔の兄様と遊ぶときだわ)
振り回されて、嫌なこともあった。あったが、確かに楽しさもそこにあった。
「コルセリアさあ」
不意にバザンが呟いた。
「ツェドに惚れたよな?」
「えっ、な、ななななんで!?」
言い当てられたことにひどく動揺して、コルセリアは身構えた。
「いや、めちゃくちゃわかりやすいから。同じくらい、ツェドもすっごい気を遣ってるなーって見てわかったし」
「ひぃ」
どうしよう。
その言葉ばかりコルセリアの頭に浮かんでくる。
おろおろとバザンの続きを待つばかりだ。
「あんな気を遣えるのになんでモテないんだろうなあ。な、どう思う?」
「えっ、どっ、どう思うって!?」
「コルセリア、それ切りすぎ」
動揺のあまり手元までおろそかになっていた。バザンに指示されていた生薬の材料は驚くほど小さくなっている。ぶるぶると震える包丁が動くたび、量産されていく。
「俺としてはすすめたい気持ち半分とそうでないのが半分でさ」
コルセリアが切り過ぎた材料をサッと手ですくって、バザンは窯に放り込んだ。
「友人としてはめちゃくちゃおススメ。超いい奴。でも、トボレの者としては駄目かも。出自がまず駄目。俺と違って正真正銘の逸れ者で、家なんてないし」
(……えっ、兄様が真面目なことを仰ってる)
動悸はまだ収まりきらないが、コルセリアは包丁を置いてバザンを見上げた。
錬金窯を前に腕を組んだバザンは、「だからさ」と言った。
「お兄様にいい考えがある」
窯の中では、材料がとろりとろりと溶けて輝いている。反射光がバザンの美しい輪郭を撫でる。
煌びやかな宝石も霞むほどの美貌を惜しげもなく妹相手に晒して、一等楽しそうに口角を上げた。
「土壌は整えてあげるから、あとはお前の力でやってみな」
翼の一つがコルセリアの頭を撫でるように動いた。
バザンなりの思いやりなのかもしれない。そう考えて、コルセリアは感謝の言葉をのべようと口を動かして止まった。
「あ、そうそう。今のコルセリアは女として意識されてんじゃなくて、丁重なお客様対応されてるだけだかんな」
余計な一言に、コルセリアは装備していた携帯杖を無言で展開した。そして、バザンの腰目掛けて思い切り突いてやった。
*
居候生活の十日目。夕食後のひと時に事件は起きた。
コルセリアが手伝った錬金薬が完成し、翼の数を減らすことに成功したバザンは、そのまま煙突から飛び出していった。
唖然と見送ったコルセリアに、ツェドは一つ息をついて荷造りを始めた。
「じゃあ、俺、あっちにいるから」
「えっ? ええ?」
「バザンが帰ってきたら、戻るね。悪いけど、錬金部屋だけは出入りすると思う」
ツェドが指さしたのは家屋の隣にある倉庫だった。手入れ道具や乾燥した材料などがある狭い場所である。
「あの、なんでツェドさんはそちらに」
コルセリアが聞くと、当たり前のようにツェドは答えた。
「いや、だって。コルセリアさんの名誉は守るよう言われているし、そもそも同じ生活空間に二人きりは良くない」
「言われている……もしかして、姉様ですか?」
曖昧に笑って、ツェドは荷物から錠前をコルセリアに差し出した。
手渡された錠前がずしんと手に沈む。
「寝るときは入り口にそれをかけて。かけかたはわかる?」
「そんな、待ってください。それなら私が倉庫に行きます」
「あそこ、女の子が寝るようなとこじゃないよ。薬臭いし虫も出るし」
「余計ツェドさんを行かせられるわけないじゃないですか!」
コルセリアは、家主を追い出して一人快適に過ごせるほどの胆力はない。というより、好きな相手をぞんざいに扱うなんてもってのほかだ。
錠前を放って、引き留めるために入り口に小走りに向かって立ちはだかる。
「今お借りしている部屋にかけます。それならいいでしょう?」
「でもね、同じ家の中は」
「姉様が何を言っても兄様がいない今、ここの代表者はツェドさんです。出て行くなら私です」
ここからは引かない気持ちで、携帯杖を握り締める。
「どうしても駄目と仰るなら、今から兄様を探しに行ってまいります」
「いや、それは……」
無茶だろうと言わんばかりに、ツェドの眉尻が下がる。コルセリアも無茶だとは思ったが、あえて気づかないふりをした。片手に携帯杖を持ったまま、後ろ手でドアノブを回す。
「空飛ぶ兄様が目撃されたら大変ですし、森を抜ければ人里もあります。それとなく情報を集めて」
「わかった。わかったから。出て行かなくていいよ。俺も残る」
「……はい!」
ほっとしてコルセリアは元気よく答えた。それを見たツェドは、わずかに目を丸くして小さく息を漏らした。
「互いに気を付けて過ごそう。それでいいかな」
「もちろんです。ご迷惑はおかけしないように努めます!」
前のめりで宣言する。
「兄様は後でお好きに折檻していただいてかまいません! 私もします! 姉様仕込みの杖捌きをご覧にいれてみせます!」
「いや……しないよ。なんか、思ったより凄いね、君」
それは誉め言葉なのだろうか。微妙な心地になったが、ツェドのおかしそうに動く表情を見れてすべて帳消しになった。
変に思われても注目してもらえるだけで心が浮きたつ。そんな気持ちの動きに、コルセリアは慌てて「良くない、落ち着け」と自分に言い聞かせた。
(でも、ツェドさんとこれで二人きり……二人きり!? やだ、なんか緊張してきた。大丈夫かしら。私、やらかさないかな。そうなったらどうしよう)
意識すると、途端不安になってきた。コルセリアは自分が持っている携帯杖を握り込むと、そうだ、と思いついた。
大事に抱え持った杖を、ツェドへ差し出す。
「あの、私も変な動きしてしまったらこれでどうか……どうぞ」
「どうぞって。ふ、くく」
今度こそ笑い声をあげたツェドは、体を屈めた。ひいひい笑って、コルセリアに向かって軽く手を振る。
「なんでそんな心配するの。いいよ。護身道具なら自分で持ちな」
「で、でも!」
「そんなの持ってても俺のほうが強いし。ああ、おかしい」
笑い過ぎてまなじりに涙まで浮かんでいる。それを雑に拭ってから、放り投げられた錠前をツェドが拾った。
「はい、これ。内側からかけて。錬金薬で補強してるから、俺でも無理に解けない」
受け取ろうとして、コルセリアはツェドをうかがった。そろりと見上げる。
「どうかした?」
「あのう、私がこれをかけたら倉庫に行くなんてこと、ありませんよね?」
「ありません。これで安心かな?」
「はい、安心です」
錠前を受け取る。先ほどの重みが戻ってきたが、気分は大違いだ。
嬉しくて、表情が緩むのが止められない。にこにこと錠前を眺めていたら、少し間をおいてツェドから声がかかった。
「あー……えっと、じゃあ、俺は明日の薬の仕込みしてから寝るから。先に休んで」
「はい、お休みなさい。また明日」
「うん。また明日」
小刻みに手首を動かして、ツェドを見送る。その背が見えなくなると、コルセリアは静かに嬉しさを噛みしめた。
(兄様が飛び出したときは、何をしでかすのかと思ったけど。今なら感謝してもいいかも!)
ふっとリビングにある煙突を見る。
屋根を突き抜ける幅広の煙突は、細身のバザンなら軽々と入り込めるだろう。それで器用にもするすると飛んで登っていくとは思ってもいなかった。
(それにしても、どこへ行ったのかしら。素材採取とか? 人に見られてないといいけど)
何もないことをいいことに、半身を煙突の下から潜り込ませて見上げてみる。丸い穴の向こうに、うっすらと夜空がある。
すると、ひょこっとバザンが顔を出した。
コルセリアが声を上げようとする前に、黙るようにバザンがポーズをする。それから何やらあれこれ腕を動かす素振りをすると、また姿を消してしまった。
(何? あっ、まさか。土壌を整えるって、二人きりにしてくれたこと、だったり?)
その疑問に答える者はもういない。
ぽかんと口を開けたまま見上げる。穴の向こうから、ひらひらと白い羽が落ちてくるばかりだった。
翌日の十一日目からは、昨日のこともあってちょっとだけ距離が縮んだ気がした。
これまで通りに調理準備をして、一緒にご飯を食べる時間。会話は多くはなかったけれど、嫌な沈黙だとはコルセリアには思わなかった。少なくとも拒絶されていないし、近くにいることを許されている。
勘違いでなければ、きっとツェドも同じだ。
例えば、ちょっと手が当たったり近づいてしまったとき。
挙動不審になりそうだったのでコルセリアが携帯杖をおずおずと出そうとすると、笑いながら「いらない」と言われた。それによかったと心底ほっとしながら腰元のベルトにつけると、またおかしそうに目を細めてくしゃっと笑うのだ。
ツェドの神秘的な雰囲気が崩れて、近寄り安くなる瞬間が何より好きだと、ますます感じてしまう。
(落ちる底が抜けてるみたい)
心の中に好きの穴があって、そこに積もった好意がどんどんと嵩を増して肥大化する。そんなイメージが浮かぶ。どこまで夢中になれるのだろうかと、いっそ恐ろしくなるほどだった。
(嫌なところなんて、あるのかしら……あったとしても大したものではないし)
今のコルセリアなら、多少のことは好きの材料に変えてしまえる。
今日だって、食事の材料が足りないなとぼやいていたので狩猟も手伝えると言ったら驚かれた。あれはコルセリアを一切あてにしてなかった顔だった。
ツェドはどうやら困っても人に頼れないようだった。それに自分はそこまで大したものではないと思っている。
だからかもしれない。友人の妹とはいえ年下の小娘を尊重して扱ってくれるのは。
(うう、でもそんなツェドさんも好きぃ……目が見えなくなりそう)
コルセリアはあてがわれた部屋のベッドでうつぶせに顔を押し付けた。今までより近づけたことやかけられた言葉を思い出しては、反芻してごろごろと転がってしまう。
何度か繰り返して、枕を抱きかかえる。コルセリアはすう、と思い切り息を吸い込んだ。
(明日からは、気づいたら褒めて感謝しよう。あと出すぎたアピールはしない。よし!)
お前の力でやってみろ。
バザンに言われなくても、コルセリアはやってやるとやる気を出した。
十二日目からは、押しつけすぎないようにコルセリアはツェドに感謝を正直に伝えた。
兄のことや、このままコルセリアを家に置いてくれたこと。細やかな気遣いも気づいたら都度、しつこくならないように何度だって伝えた。これまでもしたことはあっても、じっと相手の挙動をさらに観察して言うのはまた違う。新たな発見もあった。
好む味付けや料理の手順。素材の扱い方。掃除のルーティーン。ちょっと困ったかなと思っている仕草。そんな表情の変化もしっかりと覚えた。
それを十三日、十四日目を通して、コルセリアは我ながらなかなかうまく頑張れていると自分を褒めたくなった。
ツェドは最初に会ったときと同じくらい優しく接してくれるが、うっすらと隔てた遠慮の壁に踏み入れるようになったと思えたからだ。
それを実感したのは、十四日目の夜の食事だった。
「明日で十五日目だっけ」
ぽつりと言ったツェドに、コルセリアは食事を楽しむのを中断して注目した。
「お姉さんが迎えにくるんだよね」
「はい、きっと必ず。兄様は結局戻ってきませんでしたが、明日こそ帰ってくるのかもしれません」
「そうだね。バザンは自分がした約束だけはちゃんと守るから」
「その通りです」
よく知っている。その気持ちを込めて大きくコルセリアがうなずく。
ツェドも軽くうなずいた。
「なんか、思ったよりも早く過ぎちゃった気がする」
「いろいろありましたから。ツェドさんはよく働いていらっしゃったし、兄様のことも、私が押しかけたこともありましたし。本当に、いろいろ」
「ああ、うん。最初はどうなんだって思ったけど、あっという間だった」
緩く涼やかな目は伏せられ、感慨にふけっている。ツェドは少し黙ると、おもむろに顔を上げてコルセリアを見据えた。
「前も言ったけどね」
「はい」
「君がここへ会いに来てくれてよかった。バザンも喜んでたし、俺も、悪い時間じゃなかったと……思う」
最後は少し自信がなさげだった。視線がやや流れて気まずそうな息を吐く音が漏れている。
「いや、なんか改まると恥ずかしいや。でも、ありがとう」
「い、いいえ。いいえそんな。あのっ、私も! いつもありがとうございますって思ってます!」
思わず腰を浮かせて勢いのままコルセリアは返した。
「出会えたこと、ずっと忘れません! ずっと!」
「大げさだよ。うん、でも、そうだと嬉しい」
「はいぃ!」
言葉尻が溶けてしまった。何度もうなずくと、壊れたおもちゃみたいとツェドが笑う。遠慮のない様子が嬉しくて、えへへ、と気が緩んだ笑いが出てくる。
頬を抑えて、嬉しさをどうにかこらえて、コルセリアはその夜何度もこのことを思い返してしまった。
そして、来る十五日目。
和やかに最後の日の朝食を楽しむのをそこそこに、コルセリアは身支度を整えて入り口に立った。
結局、告白まではできなかった。
昨日の夜のことだけで胸いっぱいで、これ以上を望めばきっと絶対帰りたくないと思えてしまったからだ。弱さ半分の言い訳と、姉や兄が反対したことやツェドを困らせると考えてはダメだろうなというあきらめもあった。
(立つ鳥、後を濁さずとどこかの本でも言っていたもの。良い子のコルセリアをツェドさんの中に残せたら、それでいいと思わなきゃ)
それに会おうと思えば、きっとまた会えるはずだ。
コルセリアにはまだ時間があるはずだ。
あわい期待を残したまま、コルセリアはツェドを見て、きっちりと礼をした。
「本当に、お世話になりました。あの、兄様には」
「ああ、バザンは多分」
言いかけて、ツェドは入り口のドアを開けた。
ドッ、ドッ、と土煙を上げてやってくる武装馬がいる。馬上にはやはり姉のマキシンがいた。
しかしそれだけではない。
その馬に追いすがるように、ともすれば追い越すように見事な馬が並走している。
「姉様と……?」
コルセリアもその音に入り口からでると、困惑の声をあげてしまった。
「ジェレミー兄様」
「一番上の?」
二人して家屋の入り口に立つと、嘶きを上げて馬が二頭止まった。マキシンはコルセリアたちを見下ろしたあとに、着いてきた馬とその騎手に向かって眉を上げた。
「なぜジェレミー兄上が?」
「お前がっ、暴走していると……バザンに、聞いたっからだよ」
ぜえはあと肩で息を整えながら、立派な体格の長兄ジェレミーが言った。バザンのところで、馬の頭を遠慮なくたたいた。
「マキシン、こいつ、バザン」
「は?」
自身の馬を落ち着かせて降りたマキシンが、ジェレミーがまたがった馬を見つめた。
ハシバミ色の瞳をきゅるりと潤ませて、くねっと首を曲げる。タテガミは鮮やかなオレンジ色で、実に見事な美しさをもっていた。
「夜中に押しかけてきたかと思ったら、その場でろくな説明もなく……いや、こいつなりの説明はあったか……ともかく、馬になったかと思ったら連れてこられた」
「それは、なんという。通常の馬でも半日を超える距離ですが」
「おかげで飲まず食わずの強行軍だぞ。ちょっと絞ってやってくれ」
鎧甲冑の女戦士に睨まれて、バザンと言われた馬はさらに可愛らしく首を傾げている。
「ちなみに喋れる」
「ごきげんよう、お姉さま大好き!」
「な? バザンだろ」
青筋をたてて頭頂部を何度も突いたジェレミーは頼りない動作でどうにかバザン馬から降り立った。
そして唖然と見守っていたコルセリアとツェドに気づくと、よたよたと歩いてきた。
「コルセリア、久しいな。元気か」
「はい、ジェレミー兄様。元気です」
「お前、年頃の娘がなあ……いや、まあ後でいい。ともかく横の君がツェドか」
頭から足元までじろりとツェドを見て、はあ、とジェレミーは目を瞬かせた。次には実にスムーズに頭を下げて謝罪していた。
「我が弟と妹が、世話になって。迷惑をかけたね。ついては、慰謝料として」
「いや、そんないりません」
「バザンに関してはこの先の迷惑料も込みだ。俺の気持ちとして受けてくれ」
懐から出すと、さらさらと何かサインをしてツェドに差し出した。
「この数日で君に関しては調べている。まあ、大丈夫だろうということで俺の婿入り先から支援する。トボレ家も、それならということで便宜を図るそうだ」
「兄上!?」
それに声を上げたのは、馬となったバザンの首にアームロックをかけていたマキシンだ。
「父と母の許可は俺経由でもらった。まだ次期当主はお前ではない。反対したければお前自身で説得しなさい」
「で、ですがっ、コルセリアが」
「コルセリアも押しかけているんだぞ。元々はそこのバザンがやったことだとしてもだ」
コルセリアの意志で居候を始めたのだが。そう訂正しようとして、バザンの目がウインクしているのに気づいた。口元に手を当てれば、それでいいとでも言うようにバザンはまた大げさに「いたーいギブギブ」と声を上げた。
「ところで君、いい胃痛薬製作もできるってね。融通利かせるから、ぜひによろしく頼む」
ツェドの手に紙を押し付けると後ろで騒ぐバザンに一喝した。
「もっと苦しめ馬鹿たれ!」
「だって、俺だけじゃ駄目でも、我らがお兄様ならなんとかしてくれるって思ってえ!」
「ばーか! この馬鹿! 婿に出た兄を馬車馬の如く使う弟がどこにいる! おかげで寝不足だわ!」
「こーこ! それに今、馬は俺だもん。あっ、ギブギブまじでギブお姉さままじでやばい」
だばだばと前足後ろ足を動かしたバザンがのたうち回る。傍から見れば暴れ馬を御す女戦士である。
「大体ろくな便りも寄越さずに、この! 兄上の言う通りですよ、なんてことを!」
兄と姉にこってり絞られている様子は、昔に戻ったみたいだ。コルセリアはなんだか懐かしいかもしれないと場違いな感想を抱いた。
ふと、横のツェドを見れば、紙面に視線を下ろしている。それから目が合った。
「なんか、ちょっとした扱いにされたみたいだ」
紙面をくるくると丸めてツェドが言う。
「それは、おめでとうございます。ツェドさんはしっかりした錬金薬師さまですから、いずれ得たものです」
「まあ、そうなのかな」
若干戸惑った風だったが、コルセリアのほうを向くと緩く口角を上げて微笑んだ。ほんの少し考えた素振りをして、長い背丈がコルセリアに合わせてわずかに屈む。
「じゃあ、よかったらの提案なんだけどね」
なんだろう。
コルセリアが見返すと、耳元で控えめに囁かれた。
「功績もうちょっと積んだら、君をデートに誘いたいんだけど。どう?」
はっとして口元に手を当てる。嬉しい悲鳴が漏れてしまいそうだったから。
じわじわと上る熱をそのままに、コルセリアはツェドを見る。
はにかんだ笑みは、これまで見た表情よりずっとずっと美しく鮮やかに色づいていた。
「喜んでえ!」
嬉しくて涙まで出てきそうだ。
大きな了承の返事に対して、なんだと振り向く他の兄姉を他所にコルセリアはわっと顔を手で抑えた。
「好きです!」
そしてとうとう、堪えきれずに愛を叫んだ。
了
なお、この後。バザンは馬状態からけろっともとに戻りました。
こちらは、要素をもらって書いてみようチャレンジ企画で出来たお話です。
いただいた要素は以下の通り。
【ぱっちり開いた一重まぶた】【生真面目な苦労人】【翼の生えた人】
切れ長ぱっちり黒目大きめちょい垂れ目な塩顔お兄さんと自由な奴と、恋に振り回されちゃった子で何かわちゃっと恋愛っぽいの。そんな気持ちで書きました。趣味が漏れ出ています。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




