第9話 シルドネル伯爵家
「闇の起源は20数年前。シンドネル伯爵家の令息が、隣の帝国から留学してきたとある令嬢を気に入り、妻に迎えたことから始まります」
「シンドネル……」
オランジーナや騎士長リンドネルから幾度も報告書を通して知っている名前だ。
魔窟と呼ばれる、王国の地下に広がるダンジョンを徘徊する魔獣や妖精などを魔法によって精製し、違法霊薬を開発・製造して密売するスカーレットワンズの頭領の名が、確かシンドネル。
しかし、その伯爵家はもうない。
5年前、帝国にある母親の実家があちらで手に染めていた犯罪行為を、帝国の警察機構によって摘発・検挙され一族の多くが処分された。
王国の伯爵家も事件に関与していたとして、男爵家に降格されてしまったのだ。
領地は没収。
残された若い当主は、北の辺境に投獄されていると聞く。
「跡継ぎがいましたが、現在は北で罪を償っています。しかし、次男がおりましてな」
「へえ、まだ悪の根が潜んでいるんだ」
王宮の貴族管理も甘いわね、と嫌味をちくり。
トーテム男爵は「それは貴族連盟の管理ですから」とうまく言い逃れをする。
「この次男、実はイルマイズ王太子殿下とは懇意。というか、幼等部より殿下とは縁の深い男でして」
「まあ、子供に罪はないものね。仲良くしていたら、殿下が悪の道に引きずり込まれた、と?」
「いえ、殿下ではなく。ニーシャ殿下です」
「そこにつながるんだ」
王位継承権がかなり離れた相手を巻き込んでどうするつもりだったのだろう。
学院内には他の王位継承候補もたくさんいるし、公爵家に匹敵する家柄の大貴族の子弟・子女だって何人も入学している。
彼女を狙った理由が、これといって判明しない。
「そっか。生徒会」とエレンシアは咄嗟につぶやいた。
トーテム男爵が結んだ両方の親指が、ぱっと広がる。
「そうです、その通り。さすが聖女様、御明察おそれいります」
「彼は――シンドネルの次男は、生徒会に所属していたのね? それも王太子殿下と同じ時期に」
「最初は忠実なる臣下を演じておりました。しかし、殿下が学校を卒業すると同時に、生徒会長となった彼は任期のまえから作り上げていた網を一気に拡大したのです。そして恥ずべき行為ながらも、魔窟から仕入れた違法霊薬を生徒に売りさばいてきた」
「そこには、ニーシャ殿下もいたのね。いまもいらしている」
「所属されております。ですが、先日の騒動で現生徒会は解散する見込みです。次代がどうなるのか、わかりませんが」
トーテム男爵は会話をしながらもどこか嬉しそうだ。
外には出さないようにしているが、胸内の感情は見えるものだ。
他人にはできないだろうけれど、愛の女神メジェトの聖女エレンシアは違う。
そのくらいのことは、女神から与えられている奇跡によって、看破できるのだ。
ついでにいま彼女が視ている光景は声は、視界が共有されているオランジーナにも筒抜けだ。
耳のそばで、おかし大好きな巫女見習いの「男爵の子息が書記として推薦されるという話です」という報告が聞こえてくる。
「書記」
「は?」
どきりとしたのだろう。
男爵の目が上下に大きく見開かれた。
「なれるといいですわね、ライオット殿」
「‥‥‥見抜かれておりますな。いや、息子は関係ない」
「でしょうねー。だけど、父親としては彼の明るい未来を用意してやりたい。男爵家も、頑張れば伯爵くらいにはなれるかもしれない。この一件が綺麗に片付けば?」
「聖女様――関係ない他所の台所に首を挟むと、ロクなことになりませんぞ」
「あら、わたくしを脅す気? 学院での一件が明るみに出れば、どちらの殿下も絞首刑くらいかしら。……生きていれば、だけれども」
「ニーシャ様の行方は近衛と宮廷魔導師たちが探しております。我が国とて、諜報機関はないわけではない。国内の捜査は任せていただきたい」
それは無理でしょ、とエレンシアは思う。
現段階で魔窟を支配しているスカーレットワンズの頭領は、間違いなくシンドネル伯爵の次男だ。
警察などの手から逃げ切り、闇の組織で成り上がった優れもの。
王国の騎士たちがどれだけ実戦で優秀でも、物事にはかならず抜け目というものがあるものだ。
いまごろ、スカーレットワンズはねぐらを変えているだろうし、ニーシャ殿下と侍女だって捕まっている可能性も否定できない。
「年頃の若い女の子。それも貴族の令嬢と侍女なんて世間知らずもいいところじゃなに。どこかのホテルに逃げ込んだまま、出てこれないのでなくて?」
「――ギャザリックホテルにはまだのようですな。情報を提供できるとしたらこの程度となりますが」
「まだ、王宮の確固たる意志を聞いていないわ。婚約破棄してどうするつもり?」
トーテム男爵は立ち上がると窓に行き、外の景色を眺めた。
時刻は午後。
心地よい西日が差し込み、陽気が過ぎる感触だ。
彼は意を決したかのように言った。
「貴族連盟の増長を抑えたいのが、陛下のお悩みです。トロボルノ侯爵は貴族連盟の盟主にあらせられる」
「婚約破棄をして娘とアーガイム様の仲を清算した上で、その罪をすべてトロボルノ侯爵に押し付けて議会は解散、殿下は北の塔に送られ、ニーシャ殿下は王位継承権を剥奪。その後、絞首刑。といったところかしら」
学院での生徒会は解散、違法霊薬は回収され服用被害が酷い生徒は成績不振で学院を追放となるのだろう。
幾つかの有力な家は降格、もしくはお取り潰しの憂き目にあうかもしれない。
すべてはニーシャが婚約者であるアーガイムを巻き込み、違法霊薬の売買網を確保するためにやったこととして、処理されるだろう。
わかりました、とエレンシアはうなずいた。
これまで渋っていたのに、いきなり色よい返事がもらえたことに驚くトーテム男爵。
聖女は表向きの商売をする時につかう、とびっきりの笑顔で答えた。
「違法霊薬による学院生たちの解毒と解呪……呪いに罹っている可能性もあるから。治癒魔法による回復と経過観察。そのすべてをこの女神メジェトの神殿に一任してくれるなら、引き受けますわ」
「んなっ――」
「だってそうでしょ? 学院の生徒数は約600人。そのうちどれだけが被害者かも判明していない上に、国内外の貴族子弟子女だって大勢いる。と……いうよりも多すぎるのではなくて? 我が神殿は各国で信仰されている上に、千人規模の患者の収容が可能ですよ。どうせ、学院内に医師やら宮廷治癒師を派遣したところで一ヶ月や二ヶ月はかかるはず」
「根を完全に断ってしまうと仰せですか」
「もちろん。スカーレットワンズとの関連もこの神殿内なら、入りこめないし治療期間に三日も必要ないわ」
断言した途端、オランジーナから「無理です、無理ですっ!」と非難が入るが、エレンシアは素知らぬふりをする。
「女神メジェトの神殿……癒しの聖剣を遣う巫女見習いがいるとか、いないとか」
「うちのどんくさい巫女見習いが、その遣い手よ。触れるだけで、難病から瀕死の怪我にいたるまで治癒してみせます。精神的にも、ね」
世間様に知られたくないんでしょ、とエレンシアは痛いところを突く。
男爵は「王族に列する方々以外ならば」と条件を付けてこれを飲んだ。
さて、となるとまずはどこから手をつけたべきか。
ニーシャと侍女メアリは行方不明。
スカーレットワンズは関与した者を決して生かしておかない。
それはアーガイム殿下とて同じことだろう。
「こちらは責任を持って保護いたします。ですが、侯爵令嬢はまた話が別」
「見殺しにするような発言ね。侯爵も、組織もニーシャ殿下を狙っている――誰が得をして誰が損をするのかしら。楽しみね」
エレンシアは意味ありげな笑みを浮かべて、オランジーナがしずしずと運んできた書類にサインした。
それはニーシャとアーガイムとの婚約の成約を破棄する文言が描かれている誓約書で、二人はこうして赤の他人となってしまったのだった。




