第10話 侯爵家の威厳
「ニーシャ様……どうしてこのようなことになってしまったのですか、お痛わしい」
侍女メアリは暗い倉庫の一角にしつらえたベッドのうえで寝ている主人のそばで泣いていた。
あれから3日が経過した。
違法霊薬を飲んだことで魔力が飛躍的に増大したメアリは、渾身の力をこめて転送魔法を使った。
魔力だけでなく、命すらも燃やした執念は魔法の威力を増幅させ、二人は王都郊外にある倉庫へと逃げ延びることができた。
ここは王立騎士団が所有するもう使われていない倉庫で、もしアーガイムやバッカイムなどに裏切られた際は避難場所になるようにと、ニーシャが幾つもの関連部署を経由して用意していた隠れ家の1つだった。
まさかこんな事態が起こると予想していなかったメアリだが、貴族連盟議会の議長として王国の社交界の有力者だった父親の背中を見て育ったニーシャには、これくらいの対策をするのは当たり前となっていた。
(ニーシャ様の勘は鋭い。恐ろしい――そして、とてお良く働く――)
こんこんと眠り続けるニーシャは、メアリの手で制服から軽くて柔らかい生地で編まれたワンピースに着替えていた。
長い黒髪に白い布は映えるなかで、心臓にちかい位置に飛んできた短剣を受けたニーシャの肉体は、違法霊薬で治癒をし回復はしても、死の淵から蘇ることは相当な負担を身体に強いてしまう。
この状態になれば鍛え上げた戦士でも、数分後に戦いに戻るというまでには至らない。
回復効果や治癒効果はあくまで肉体を再生し、元の状態に近いところまで戻す、という効果しかない。
いまのニーシャは、失った体力と精神的なストレスが過剰なレベルに達していて、眠りながら自己回復する最中だった。
「‥‥‥もう時間がないわ」
私になにかあれば、お前は逃げなさい。
見捨ていい、と告げられた過去を思い出す。
生まれてからずっとおそばに仕えているのだ。
命を差し出しても、自ら去ることはない。
侍女の矜持のようなものを、メアリは持ち合わせていた。
(でも、彼はどうだろう)
ふとテッドのことを思い出す。
アーガイムが婚約破棄をしたそばにいながら、止めようとしなかった彼。
もうすぐ侍従を辞めるから、自分には関係ないと白を切ったのかもしれない。
騎士になるから、と結婚を含ませる言い方をされたらメアリだって乙女だ。
愛する人との将来に興味がない訳ではない。
けれど――その愛も、あんな仕打ちをされたのでは、先を見れなくなってしまった。
一瞬、テッドが自分達を探し出し、ここに駆けつけてどこか国外……隣国の帝国にでも連れて行ってくれないか、と願ってしまう。
そんなはかない願いは、叶うことはないと知りながらの夢想だった。
「ニーシャ様」
意識のない主人に呼び掛けてみる。
彼女は闇にうずもれた意識の向こうで、どんな夢を見てるのだろうか、と。
この倉庫に用意された食糧や医薬品には限りがある。
あと数日内に別のアジトへと転移魔法で移動しなければならない。
だが、問題がある。
王国全土に張り巡らされた結界だ。
国内にある数十の神殿の聖女や大神官、神官たちによって実現した魔導装置は、天変地異すらも退ける。
と、同時に結界内で使われたさまざまな魔法の痕跡を、つぶさに観測し解析・追跡することができるとされている。
(前回はたまたま、魔導回廊が開いていたから転移門経由で逃げ込めたけれど)
王立学院には王国内を縦断する転移網の出入口である、転移門が設置されている。
アーガイムを始めとした生徒たちのなかには、寮にはいらず遠方から転移門を経由して通学している生徒もいる。
彼らのために登校時と下校時は門が解放されていたのだ。
メアリはその機能をうまく利用して、ここまえ跳んできたのだった。
しかし、ここから先のどこかに行くには馬車か、転移魔法を複数回、短時間の間に連用するかのどちらかになる。
ニーシャは目覚めない。
そして馬車を使えばどこでバッカニアに襲われるか分からない。
「それだけじゃないわ、王国騎士団だって――この国のすべてが私たちを狙っているはず」
隠れ家に居ては、外部の様子がわからない。
新聞の1つすら、手に入らないのだから、逃亡者としては辛いところだ。
お前だけでも逃げなさい――。
主人の復讐を果たさないまま、終わらないとメアリは心にちかった。
☆
同刻。
トロボルノ侯爵は娘が行方不明なったことを公にせず、議会連盟における会議を招集していた。
議題は『王権濫用の防止と王室法典の改正案の提案』。
王立学院で行われたアーガイムによる娘ニーシャへの婚約破棄騒動と、この際に濫用された王族の権限の縮小を求めたものだ。
「この婚約に関しては王家と侯爵家の約束事。それは女神メジェトのまえで交わした神聖なる契約であり、個々人の意志によって翻すことは許されない。アーガイム殿下はそれを成されてしまった。これを機に、拡大解釈されている王室の特権について制限をかけるべきだ」
議長席で侯爵は静かにそう告げた。
息まくこともなく、娘が被害者だというのに悲しみを片鱗すら見せずに、ただ朗々と議題を述べて行く。
彼は第一王子派でもなく、第二王子派でもなく、王の独裁政権をやめ、政務に貴族や市民の代表をもっと起用するべきだという開明的な人物だ。
そのため、今回の事件は渡りに船。
娘の身が心配でもあるし、侯爵家の威厳が傷つけられたことには怒りが絶えないが、自身の理想を叶えるためには最適の場だと考えていた。
「しかし、今回の件では貴殿の御息女が行方不明なられている。しかも、現場には凶刃が残され安否すらわからないという惨状だ。まずはこちらを王族に対する謀反として、厳格に対処することを貴族連盟の名に懸けて後押しするべきではないのかね」
「上院議員、学院内は治外法権。いかに我が娘が末端の王位継承権を持つ者とはいえ、王国法では介入が難しいことは明らかです」
「だがね、君。有事の際には、王国側の介入が認められている」
「今回は学院側がそれを拒んでおります。つまり、あの場での被害者は中立地帯における一個人といえますな」
「‥‥‥で、あれば婚約破棄が行われた現場も学院内だ。陛下における王権の縮小を望むには除外されるべき案件ではないのかな」
複数名の議員たちから、否定的な意見が出されて侯爵家は口をつぐんだ。
彼らは投票に対して有効な議席数をもつ派閥の代表者たちだ。
この案件が通過するかどうかは、彼等の意志にかかっている。
印象を悪くするのは、良策ではない。
「この件にかかわった殿下は2人。王室としてはどちらも王位継承権を剥奪し、塔への幽閉を考えていると返答があった」
「まだ、ニーシャは婚約破棄を承認してはいない。いや……侯爵家の主たる自分が――」
「侯爵。落ち着きなさい。メジェト神殿の聖女様が、神託を下された」
「神――託っ?」
個人の意志よりも、王の意見よりも重宝されるものが王国にはある。
それが神々による神託だ。
そして、女神メジェトは王国で最上位の神として崇められている。
出し抜かれたか、と侯爵は歯噛みした。
「メジェト様はアーガイム殿下とニーシャ殿下の婚約破棄を認めるそうだ。学院は治外法権で、王国法では介入できない。王権の縮小案は、またに機会にされてはいかがかな、侯爵閣下。国王陛下はトロボルノ侯爵家に対する制裁も考えておられるようだ。まずは身を固められた方がいい」
「‥‥‥賢明な判断をするようにいたします」
「そうだな。早く娘御が見つかることを祈っている。議会も捜索には力を惜しまない」
「では――」
と、トロボルノ侯爵は肩を落とし意気消沈したまま顔を上げる。
そこには負けたという敗北感はなく、まだなにかを企んでいる顔つきだった。
「‥‥‥我が娘とアーガイム殿下が所属していた生徒会による、大規模な違法霊薬の販売が学院内で行われていたという事実を掴んでおります。そして――」
「待て、侯爵閣下。それは場違いの案だ」
「いいえ、議員。場違いではありません。アーガイム殿下を通じてナミア王太子妃が違法霊薬を常習的に服用されていたという……その以前から。20数年前のあの伯爵家! 忌まわしいシンドネル伯爵の名を騙る人物によって、王太子殿下が在籍時から生徒会は違法霊薬の密売に加担していた可能性がある」
「だが――治外法権を出してきたのは貴方だ、侯爵」
「治外法権、結構。しかし、我が国の資産である次代を担う貴族の若者たちが被害者であるというならば、これはもはや国難! 王国法が介入するべき案件だと思いますがね、議員」
有力者たちは一様に青ざめた。
しばらく沈黙が続く。
やがてその内の1人が意を決したように口を開いた。
先ほどまで、侯爵と会話していた人物だった。
「‥‥‥侯爵閣下。そうなれば貴方も無事では済まない。爵位どころか領地返上、家はお取りつぶしになる可能性も――」
「結構。覚悟の上です。娘を殺されかけたのだ。ここで立ち上がらずになにが家族といえましょうか。これはトロボルノ侯爵家の威信をかけた戦いなのです。私は『王権濫用の防止と王室法典の改正案』の実施を強く訴えます!」
家を潰されても、貴族としての体面を捨ててでも、娘を失いかけた父親として国王の圧力と戦う、とトロボルノ侯爵は議会に訴えかけた。
その思いは強く、普段から王室や主にアーガイムの素行不良により娘たちを傷物にされた、下級貴族たちの賛同を得ることに成功する。
こうして、議会は王室派と侯爵派の2つに割れもめにもめた結果、治外法権を利用して王国の人的資産を失いかけたことに対するアーガイムの責任と、彼の監督責任が問われ国王が議会に招聘されるという事態に発展する。
国王は王室の監督不行き届きを追及され、王権に言及しない代わりに王立学院での捜査を始めることを許可した。




