41 彼の好み
近づけない。
でもできる仕事はたくさんある。
肌を見せることを嫌がらなければ収入も多い。
密着できないことは、悪いことばかりじゃない。
距離が近すぎて失敗している人もいた。
だからわたしは安心した。
そう思うことにした。
気づけば大きな建物の中で暮らすようになっていた。
わたしと同じように、肌を見せて暮らしている女性が多かった。
でも、いままで会った女性たちとはちがっていた。
顔を合わせることがあっても、笑顔で、おだやかな会話をした。
お茶をいれてもらったりした。わたしはお茶のいれかたも知らなかったけれど、彼女は教えてくれた。
大きな建物の持ち主がその建物を維持できなくなったので、わたしたちはバラバラになった。
わたしを自由にしようとして近づいてきた人たちは、わたしの特性に気づいて離れていった。
そして王子がわたしに気づいた。
姿を見せるよりも、相手にふれることによる価値のほうが大きい。
確固たる場所を手に入れた。
わたしにふれると、苦痛に顔をゆがめるのを、たくさん見ることになった。
わたしを見て、絶望する。
許してくれと願う。
助けてくれとひざまずく。
それがわたしの価値だ。
わたしは大きな建物に暮らすこともできるようになった。
誰かの家ではなく、わたしの家だ。
でも思う。
あのときの家が、ふと、頭をよぎる。
彼女にお茶をいれてもらいたくなる。
彼女の名前はなんといったっけ。
もうわたしはひとりきりだ。
彼は武舞台の上で、すこし後ずさった。
わたしは速歩きで追いかけるが、彼はどんどん後ずさる。
「どこへ行くの」
「どこって」
「戦わないの?」
「戦いますけど」
「そうだ。ねえあなた、この『戦争』が終わったら、アイ国に来ない?」
わたしは自分でも思わぬことを言っていた。
でもそれはいい考えに思えた。
「は?」
「ねえ、そうしなよ」
「どうして」
彼はすっかり気が動転しているようだった。
無理もない。わたしのような魅力ある人間に言われたら、驚いてしまうだろう。
「もちろん、この国にいるより、ずっといい思いができるようになるから。この国にいても、適正な評価はされないでしょう?」
「え?」
「お金がないところにいるというのは、その、お金がない人の基準の中で、評価されるの。その人の、100点満点で評価されるの。だから同じ80点の評価を受けても、ワガ国とアイ国では待遇に大きな差が出るってこと」
「……」
彼は後ずさり続ける。
「ねえ、わたしの言ってることわかるでしょ?」
「なんのためにそんなことを」
「ああ、警戒してるの? 殺されるかもしれないって? 平気だよ。ワガ国からアイ国に行った人、たくさんいるんだから。ねえ、わたし、あなたのことをすっかり気に入ってるってわかる?」
「わからないですけど」
わたしは必要以上に服を振り乱しながら早足で動いていたので、観客席からはいちいち、声や、指笛や、そういうものが聞こえた。
彼にしか見せていないつもりなのに。
不愉快だけれど仕方ない。
「わたしのこと嫌い?」
「嫌いっていうか」
「仲間に聞いてもいいよ。わたしが、誰かをこんなに誘ったりすることはないって、わかるよ。ねえ、わたしと一緒に行きましょう。わたしと一緒になりましょう」
「どうして」
「わたしにふれても痛くもかゆくもないんでしょう? そんな人、いままでひとりもいなかったの。ねえお願い、わたしと一緒にいましょう。これからずっと」
「あ、お断りします」
「えっ」
わたしの足が止まった。
彼も止まる。
「どうして」
「どうしてって……」
「わたしの顔が気に入らない? わたしの体が気に入らない?」
「そんなことないですけど……」
「じゃあ、なにが気に入らないの?」
「本気で言ってるんですか」
「ええ」
彼は、難しい顔でわたしを見た。
「いや……。大勢の前でそんな服装で平気な人っていうのは、ちょっと無理かなと」
「服装? 男の人は、こういうのが好きでしょ?」
「それはそうですけど……。なんていうか、距離がある人なら、ですかね」
「距離?」
「奥さんが元グラビアアイドルとか、夢のようでもある気がするんですよ。でも、現実にそうだったらちょっと、グラビアアイドルとこの先暮らせるの? この人とは、ちょっと、細かいところで気が合わないような気がするともいえるというか。雑なトーストとか食べてくれないで、見栄えのいい食べ物とか食べそうだし。もう、ダンミツとかになったら手に負えないですし」
「なんの話?」
「要するに、身近な人にはそういう格好してほしくない、というか……」
「じゃああなたの言うとおりの服を着ればいい?」
「いやあ、いまさらもう、芸能人のコスプレくらいにしか感じられませんし……。ちょっと無理かと……」
「どうして? ねえどうして」
わたしが詰め寄ると彼はさがる。
わたしが苦痛を与えると知っているならわかる。
でもそうじゃないのに、こんなことは初めてだ。
誰だって喜んでくれると思ったのに!
「わたしのことを好きな人はいても、嫌いな人なんていなかったのに。わからない、なにが気に入らないの?」
「うーん……。もしかしたら俺は、ナガサワマサミが好きだと思っていたけれど、クロキハルみたいな人が、好きだったのかもしれないですね……」
「誰?」
そのとき、客席の上のほうで声がした。
ワガ国の王が観覧している席のあたりだ。
客がそちらを見る。
王が座っていたはずの席には人は見えない。
近くにいたワガ国側の人間の姿も見えない。
「で、誰?」
そんなことより彼の好みのほうが大事だった。




