第32話:暴君の爪牙
「散れッ!!」
カイの鋭い号令とともに、一斉に左右のブナの木陰へと身を隠した。
直後、三メートルを超える巨躯が、土煙を上げながら弾丸のような速さで突進してくる。
「……こいつ、猪とは重さが違うぞ!」
レイジが叫び、槍を突き出す。
だが、巨熊はその剛腕を一振りしただけで、強靭な鉄の槍を飴細工のようにへし折った。
風圧だけで頬が切れるほどの暴力的な一撃。
レイジは間一髪で地面を転がり、その直撃を免れる。
レンが背後から矢を放つが、鋼のように硬い漆黒の毛に弾かれ、皮膚を貫くことすら叶わない。
「グォォォォォォッ!!」
森の空気を震わせる咆哮。
巨熊は、最も自分に肉薄していたカイへ狙いを定めた。
丸太のような腕が振り下ろされ、カイは鉈の腹でその衝撃を受け流そうとするが、あまりの質量に足元の土が深く陥没する。
「……くっ!」
腕が痺れ、視界が火花を散らす。
数名が隙を見て鍬や鉈を振るうが、巨熊の皮膚を傷つけるには至らず、逆にその巨体から放たれる圧倒的な威圧感に、戦線は一歩、また一歩と後退を余儀なくされていた。
「……ダメだ、こいつにはまともな攻撃が通らねぇ!」
レイジが折れた槍を捨て、腰のナイフを抜く。
獲物を守りながらこの化け物を倒すのは不可能だ。
全員の脳裏に「全滅」の二文字がよぎった。
その時、カイの右腕が、刺すような熱を帯び始めた。
「……レイジ、レン! 全員を連れてモールへ走れ!」
カイが叫ぶ。
巨熊の視線を釘付けにするよう、あえて開けた場所へと躍り出た。
「何を言ってんだ、カイ! お前一人残すわけにいかねぇだろ!」
「いいから行け! この獲物がなきゃ、モールの皆が飢えちまう!タクトやミナ達にそんな思いはさせたくねぇ ――レン!レイジを連れてけ!」
カイの瞳に宿る、逃れようのない決意。
レンは唇を噛み締め、震える手でレイジの腕を掴んだ。
「……レイジさん、行こう! カイが時間を稼いでくれてる間に!」
「レン、離せ! 糞っ……! カイ、死ぬんじゃねぇぞッ!」
レイジの絶叫を背に、一行は重い獲物を担ぎ、必死の形相でモールへと続く道へ駆け出した。
一人残されたカイは、鉈を捨て、右腕の革小手を静かに解く。
目の前では、獲物を逃した巨熊が、怒りに狂った赤い瞳でカイを睨みつけていた。
「……あいつらは、行かせない」
カイは低く呟き、逃げる仲間たちとは逆の方向――森のさらに深い闇へと向かって、全力で駆け出した。




