【挿話】獄中にて、君を想う者
ここは、レシエル王国の王城にある地下牢。
薄暗くじめじめとしたその一室に囚われた俺ことソレイユ・レシエルは、何一つ抵抗の声をあげることもなく、むしろほっと安堵の息を漏らしていた。
「ああ、良かった。俺はどうなろうとも、これで少なくとも彼女は……ピナは、安全に暮らしていくことが出来るだろうから」
俺にとってピナは、自分の命よりも大事な最愛の人だった。
叶うことならば、彼女を俺の手で幸せにしたかった。
家族から虐げられていた彼女を、これまでの苦労など忘れるほどの愛情で一生涯包んでやりたいと思っていた。
しかし、偶然に聞いてしまったのだ。
俺の母がシュテルン公爵らと手を組み、恐れ多くも謀略を――俺を世継ぎにしたいがために兄王子を討つ計画を、密かに企てているという事実を。
「……馬鹿な。俺は王座など一度も望んだことはないというのに! 才知に優れた兄上は、間違いなく我が国をさらなる発展へと導く賢君になることだろう。俺はそんな兄上を支え、平和な世を築ければそれで良いんだ。間違っても、兄上を追い落とす企みには加担したくない!」
しかし母は、俺が幼い頃からずっと自分の子を玉座に登らせるのだと野心に燃えていた。
俺がそんなことは望まないと何度言っても決してその野望を捨てることはなく、勝手に「第二王子派」を形成して俺を至尊の地位に祭り上げようとしてきたのだ。
だから今ここで母たちを止めようとしたところで止まらないか、あるいは現在の企みは止められたとしてもまたいつか何らかの行動を起こすに違いないということは目に見えている。
「……仕方ない。ここで計画を潰しても、どうせまた反乱勢力をかき集めるというのなら。根本的な問題の解決は望めないというのなら。……だったら今、この機会に俺自身が餌になって第二王子派を一掃してやろうじゃないか!」
その決意のもとに敢行されたのが、俺とピナの婚約破棄劇だった。
ピナを手放したくはなかったけれど、俺のそばにいることこそがピナのためにならない。堕ちるのは、俺たちだけで良い。
そう思えばこそ、ピナを俺や公爵家から完全に切り離すための手段としてあの婚約破棄を実行したのである。
彼女が家を出たあとに遭遇した誘拐犯たちも俺の手の者であり、彼らにはピナを確実に帝国領まで運んでもらい、さらには帝室に仕える騎士団に保護されるように仕向けてもらった。
騎士たちが彼女のロケットを見たならば、すぐさまその高貴なる生まれを察し、皇帝に話を通すはずだ。
そうなればピナが皇女の血筋だということが明らかになり、彼女には最上の扱いが約束されることだろう。
我が国にいる間は万が一にも公爵家の家族に奪われることがないようにと俺が預かる格好にしていたロケットを突き返したのは、まさにこの展開に持ち込むためだったわけだ。
一方の俺自身は母たちの計画に乗るとともに、秘密裏に兄と連絡をとってこの反逆計画を密告しておいた。
優秀な兄は俺の意を汲んで反逆者たちが動くとともに計画を潰し、無事に首謀者たちを捕縛してくれて今に至る。
つまり、俺の意図した計画は完璧に遂行されたのである。
「これでピナの未来も我が国の未来も守られた。ピナは帝国で幸せに暮らすだろう。良かった。これで良かったんだ……」
ふうと大きく一つ息を吐き出したところで、こつりこつりという足音が響いてきた。
ふと見上げた先、鉄格子の向こうには――。
「兄上……。わざわざこのようなところまでいらしてくださったのですか?」
――異母兄である、第一王子の姿。
「ソレイユ。何度でも言うが、反逆計画を密告してくれたお前には大いに情状酌量の余地がある。だからこんなところにおらずとも良いというのに……牢の外に出る気はないのか?」
実は兄は、俺まで捕まる必要はないと繰り返し言ってくれていた。
その申し出を拒否したのは、俺自身だ。
第二王子派の幕引きは、俺自身が消え去ることによっていっそう完璧に達せられると思ったから。
そして何より……ピナのいない人生が確定している俺にはもう、生き延びたいという意思が湧いてこなかったから。
「減刑の必要はございません、兄上。どうかこのまま死なせてください」
「そうか。そうか……」
噛みしめるように呟いた兄は、俺の手に真っ赤な液体の入った小瓶を握らせてきた。
「それがお前の意思ならば、もう何も言うまい。ただ、お前が公開処刑されるさまは見たくない。だから、この毒を飲んで自害しなさい。じゃあな……ソレイユ」
それだけ言うと、兄はひらりと身を翻して牢から立ち去っていってしまった。
一人残された俺は、じっと手のひらに握らされた小瓶を見つめる。
「せっかくの兄上のご厚意だ。ありがたくいただこうじゃないか」
これ以上生きる意思などなかった俺にはもはや覚悟を決める時間を持つ必要もなく、すぐに小瓶の蓋を開けた。
そして何のためらいもなく、一息で毒薬を飲みきった。
「美味しくは、ないな」
苦笑とともに呟き、ゆっくりとその場に横になる。
しばらくは体調に特段の変化は見られなかったが、少しずつ体がしびれ始め、目がかすみ、全身から力が抜けていく感覚があった。
「……これで、おしまいだ」
完全に満足な人生だったとは言えないけれど、最低限為すべきことは為せた。
そんな思いを抱えながら、俺は自分の人生に幕を下ろした……はずだった。
「……えっ?」
だからこれは、絶対にありえないことだ。
神が哀れんで、最期に俺に見せた夢幻の光景に違いない――。
「あっ、起きられましたか! ……ソレイユ殿下」
「……どうして」
――なぜかふと目が覚めた俺は、見知らぬ豪奢な部屋の中に寝かせられていて。
さらには他でもないピナが、俺のそばで泣きながら微笑んでいて。
「……ははっ。こんなこと、現実であるはずはないよな」
何と自分に都合の良い、幸福な夢だろうか。
そう自分で自分の思考を嗤った俺の頬の上に、ピナの涙がぽろりと零れ落ちてきた。




