第6話 説明の外側
利用者に示されるMIRAの推薦理由と、その裏側にある内部評価。
二つは同じものではない。内部では多くの情報を使い、その中から本人の選択に必要なものが整理されて説明される。
それなら、AUX-17が利用者向けの説明に出ていないことだけでは、異常とは言えない。
シンは別の方法を試す。AUX-17が何を意味するのかではなく、このコードがどの案件で使われているのか。
その範囲を辿ろうとしたとき、照会は途中で止められる。
相談者の手元に表示されていた推薦理由は、四行だった。
シンは、昇降機の保守をしている彼女の案件を、もう一度開いていた。再評価のあと、彼女の端末に届いた説明画面の控えが記録に残っている。専門職コースを第一推薦とする理由。現場業務の継続を収入および昇進機会より優先するという本人の意向。長期の職業満足の見込み。身体負担への条件付きの対応。後進への技術指導による役割の拡張。どれも短く、平易で、彼女がその場で読んで頷ける言葉で書かれていた。
その隣に、同じ案件の内部評価のダイジェストを並べた。
こちらは四行では済まなかった。本人の価値の優先度、現場業務を優先する条件、職業満足の予測に加えて、彼女の説明画面には出てこなかった参照がいくつも並んでいる。地域の設備保守に携わる技術者の需給。同業他社を含めた将来の転職可能性。専門職コースの定員と、会社側の育成計画との整合。どれも名前を見れば何を評価したのかが分かり、どれもおかしな項目ではなかった。
彼女に見せる必要がなかったのだろう、とシンは思った。
利用者向けの説明の作り方は、職員向けの手引きにも書いてある。説明は内部評価をそのまま写したものではない。内部評価をもとに、本人が自分の選択に使える形へ整理し、要約したものだ。評価に使ったすべての項目を並べれば、本人は読み切れない。少なくともこの案件では、四行に絞ったのは隠すためではなく、読ませるためだったように見えた。
説明は、評価の写しではない。要約だ。
それを確かめてから、シンはあの生活拠点の相談を開いた。
四十代の男性が、移転を考えてAXIAに来て、最終的に残ることを選んだ案件。相談本文は今も開けない。けれど、彼の端末に届いた説明画面の控えは、ダイジェストと同じ系統に残っていた。
第一推薦の理由は、内部評価とよく対応していた。通勤の継続、通院環境、近くに住む親族。要約として過不足はない。
シンが見たかったのは、第二候補の方だった。
移転案についての説明は、三行しかなかった。住居費の上昇。現在の支援網からの距離。移転先での就業の見通し。どれも移転の不利な点で、第二候補を選ばない理由としてなら十分に読める。けれど、なぜこの案が第一推薦のすぐ後ろに置かれているのかを、この三行は一言も説明していなかった。
内部評価の側では、第二候補は高優先の候補として保持されている。その欄には、名前のない一行がある。
補助評価参照 AUX-17
昇降機の案件では、説明画面に出なかった参照はどれも、読まなくても大勢に影響しないものだった。要約から落ちたのは、結論を左右しない部分だった。
この案件は違った。要約から落ちているのは、第二候補がこれほど強く残っている理由そのものかもしれない。少なくとも、表示された三行のどこにも、その強さに対応する言葉はなかった。
それでも、説明が嘘だとは言えなかった。三行に書かれていることは、どれも正しい。書かれていないことがあるだけだ。そして、書かれていないこと自体は、昇降機の案件にもあった。違いは、落ちた部分の重さにしか見えない。その重さを、シンは量れなかった。
シンは端末から少し身を引いた。
AUX-17が何なのかは、前に調べた。コードは存在する。内部評価の参照として登録されている。詳細は、今の参照範囲では表示できない。同じ検索をもう一度かけても、同じ一行が返ってくるだけだろう。
調査部門にいた頃、意味の分からない符号に行き当たったときのやり方は決まっていた。定義を読めないなら、使われている場所を集める。どの記録の、どの欄に、どんな内容と並んで現れるのか。用例が十分に集まれば、定義を読まなくても輪郭は見えてくる。
AUX-17が何かを知ろうとするのではなく、AUX-17がどこで参照されているかを知る。
内部評価のダイジェストには、監査のための逆引きの機能がある。参照コードを指定すると、そのコードを参照している評価記録を案件をまたいで一覧にする。調査部門では何度も使った。記録の整合性を確かめるための、ごく普通の道具だ。AXIAに移ってからも、自分の権限の範囲で使えることは知っていた。
シンが検索条件を入力していると、背後に人の気配がした。
「その案件、条件の文言は結局あれで通ったのか」
レグルだった。手にした端末から目を上げずに、シンの画面の端に映っている昇降機の案件番号を見ている。
「通りました。修正なしで」
「そうか」
レグルは短く頷き、それから少しだけ間を置いた。
「会社側から連絡があった。技術指導の担当枠が、来月から正式に付くそうだ。三年後の再評価の日付も、向こうの人事記録に入った」
シンは顔を上げた。相談が終わったあとの経過を、管理者がわざわざ追っているとは思っていなかった。
「確認したんですか」
「条件付きの推薦は、条件が実行されなければ意味がない」
レグルは当然のことのように言った。
「推薦の文面が正しくても、会社がそれを運用しなければ、本人の手元に残るのは紙だけだ。だから、付いたかどうかは見る」
それだけ言うと、レグルはまた自分の端末に目を戻し、フロアの奥へ歩いていった。背筋はまっすぐで、足取りに無駄がない。シンはその後ろ姿を少しのあいだ見てから、画面に向き直った。
逆引きの条件は、単純だった。参照コード、AUX-17。対象範囲、AXIAの全案件。期間の指定なし。
実行すると、確認の画面が出た。
この照会は、複数案件にまたがる内部評価の参照関係を対象とします。照会の内容は記録されます。
見慣れた注記だった。調査部門で逆引きを使うたびに、同じ文面を読み飛ばしてきた。シンは確認を押した。
結果は出なかった。
代わりに表示されたのは、一覧ではなく、一行の通知だった。
照会は保留されています。対象範囲の確認のため、担当部署の判断を待っています。
保留は、珍しいことではない。調査部門にいた頃も、範囲の広い照会は、ときどきこうして止められた。多くは数時間で承認され、たまに範囲を絞るよう差し戻された。シンは照会番号を控え、残っていた相談記録の整理に戻った。
通知が届いたのは、終業の少し前だった。
差出人の欄には、個人の名前はなかった。
BOUND|境界監査
VIAの中で、権限や操作の範囲が制度上許される内側にあるかを監査する部署だ。調査部門にいた頃、照会の差し戻しで何度か同じ差出人の通知を受け取ったことがある。
本文は、シンが覚えている通りの書式だった。
照会番号。照会者。照会の内容。判断、停止。理由、照会の対象範囲が、照会者の現在の業務上の権限を超えるため。なお、本照会の記録は規定に基づき保存される。
ここまでは、差し戻しの通知と何も変わらない。範囲を越えたから止めた、という連絡だ。シンが、個別の相談の確認から一歩出て、案件の全体をまたいで内部の評価を辿ろうとした。境界を監査する部署がそれを止めるのは、仕事として筋が通っている。
通知の最後に、担当者の所見を書く欄があった。以前に受け取った通知では、ほとんどが空欄だったか、「範囲を限定して再申請のこと」といった定型の一文だった。
今回の欄には、一行だけ書かれていた。
そのコードを二度と検索するな。
シンは通知を最初から読み直した。
本文が止めているのは、照会の範囲だった。案件をまたいで辿ろうとしたこと。権限を越えたこと。それなら、範囲を絞れば済む話のはずだった。
所見の欄だけが、範囲の話をしていなかった。
そのコード、と書いてある。検索するな、と書いてある。範囲を限定しろでも、再申請しろでもない。
担当者の欄を開いた。表示されるのは、境界監査という役割の名前だけだった。誰がこの一行を書いたのかは、通知のどこを見ても辿れない。規定の通知として送られている以上、それはおかしなことではなかった。
シンは、この一行が何を意味するのかを考えようとして、やめた。
警告が来たことは事実だ。けれど、それが何を守るための警告なのかは分からない。隠したいものがあるのかもしれない。単に、越えてはいけない線を越えかけた職員を、強い言葉で止めただけなのかもしれない。どちらとも言える材料が、今の手元にはない。
分かっているのは、自分の照会が誰かの目に止まり、その誰かがわざわざ範囲の話ではなくコードの話をした、ということだけだった。
フロアの照明が一段落ちた。シンは通知を閉じず、所見の欄の一行を、もう一度だけ読んだ。
AUX-17について、シンが最後まで読めた文章は、それが初めてだった。
(第6話 了)
BOUNDが止めたのは、シンの広すぎる照会だった。
少なくとも、正式な通知にはそう書かれている。現在の業務権限を越えたため、検索を停止した。そこまでは、何もおかしくない。
けれど、担当者の所見だけは違った。
そのコードを二度と検索するな。
範囲ではなく、コードそのもの。
誰が書いたのかも分からない一行だけが、制度の説明から外れていた。
『MIRA』
進学、就職、居住地など、人生の大きな選択を支援する推薦システム。「第一推薦」「強く非推奨」「許容」「条件付き代替案」などの評価を示す。新しい情報が加わることで、推薦順位や条件が変わる場合がある。
『AXIA(人生選択調整部門)』
MIRAの推薦と本人の希望が大きく食い違った際の相談窓口。本人に代わって答えを決めるのではなく、本人の価値や事情をMIRAが評価できる形で正確に伝える。
『VIA』
職員が業務上の記録や評価情報を扱うシステム環境。利用できる情報や操作の範囲は、所属や業務上の権限によって異なる。
『BOUND(境界監査)』
VIA内で、職員の権限や操作範囲が制度上許される範囲にあるかを監査する部署。広範囲の照会などを保留・停止する場合がある。
『価値情報』
本人が何を望むかだけでなく、何をどこまで優先するか、何を手放してもよいかを示す情報。優先順位が明確になることで、MIRAの評価が変わる場合がある。
『再評価』
新しい事情や価値情報を加え、選択肢をあらためて評価する仕組み。第一推薦そのものが入れ替わる場合もある。再評価の履歴には、何が加わり、何が変化したのかが記録される。
『推薦外の選択』
MIRAの第一推薦以外を選ぶことも可能。必要に応じて支援条件や再評価の時期などが設定される。
『利用者向け説明』
MIRAの内部評価をそのまま表示したものではなく、本人が選択に使える形へ整理・要約された説明。内部評価で使われたすべての情報が表示されるわけではない。
『内部評価』
MIRAが選択肢を評価する際に用いる内部情報。利用者向け説明には出ない参照や評価情報も含まれる。参照コードから、そのコードが使われた評価記録を案件横断で逆引きする機能もある。
『AUX-17』
内部評価に使われていた「補助評価参照」。検索索引上には存在するが、シンの現在の参照範囲では詳細を確認できない。全AXIA案件を対象に逆引きしようとした照会は、BOUNDによって停止された。
『最終監査』
案件の確定に伴い、記録の保全や事後確認を行う処理。死亡確認前に開始される場合もあり、ユイの最終監査は死亡確認より三十四分前に始まっている。
『開始参照』
最終監査が何を根拠に開始されたのかを後から辿るための参照情報。ユイの記録では「詳細を表示できません」となっており、中身を確認できない。
『シンとミオ』
ともにAXIAで相談対応を担当。シンは以前、調査部門に所属。ミオとは当時から面識があった。
『レグル』
AXIAの管理者。本人の価値をどのような言葉でMIRAへ渡すかを厳密に確認する。条件付きの推薦については、相談後に条件が実際に運用されたかも確認している。
『ユイ』
シンが調査部門にいた頃の相棒。公式記録上の死因は「自殺」。最後に残した文章の書かれ方に、シンは違和感を覚えている。死亡前には、AUX-17が含まれるAXIAの相談案件を繰り返し参照していた。
『ヴェル』
記録や参照履歴を扱う技術部門の職員。シンが調査部門にいた頃から面識があり、システム仕様について相談できる相手。




