神統断章拾遺 序
序
神々の威光については、聖典に始まり子供への寓話まで様々なところに記され、語られ、伝えられている。しかしながら、あの崩滅の日により、貴重な神代の記録の多くが散逸し、忘却されし始原神の創世の話、偉大なる7神の様々な御業、千年の闘争の出来事の数々、神に愛された7種族の献身、崩壊した現界の復興にかかわった様々な英雄・偉人・聖人の歴史が今なお逸失しているものが数多くある。それらは、ときおり古代の遺跡の遺物の中から、辺境に住まう異人の口伝、銘肌の民 シーデルンの皮銘の記録、神代より生き続ける様々な知恵ある存在の語りによって明らかになることがある。本書はそういった様々な記録の断片を拾い集め、神代の実相に迫るものである。
当然、創世の歴史、神代の事実は聖典にすべからく書かれており、その内容に疑いをはさむことを目指しているのではない。一敬虔な信徒としては、より精細な歴史を明らかにすることは、神々の威光を高めることにつながり、ときとしてある邪知による神々やそれに連なるものへの誤った理解を解消しうるため、精力的に取り組むべき事柄であるように思われる。例えば、万夜と終焉の反逆神ディット・グー・ドーズは確かに忌べき邪神ではあるが、始原神から別れ出でた神であるのも事実である。あのおぞましき邪教の教団 永遠の終夜神明兄弟団は、かの神をその本質からして、世界を滅せんとした神として讃え、現界を混沌へと落とし込もうと画策するが、正しく創世の話を知れば、根本においては間違いであること明らかである。かの神は本来は聖嵐神の片割れとして、夜を司りあらゆるものの静寂を守る神ではあった。傲慢により始原神に弓引くこととはなったものの、もとより世界の終わりを望むような神ではないのである。これはかの神を善しとすることではない、ただ誤った知識で神を見るのであれば、その本質を見誤ることになることへの警鐘である。その愚かな史実として、崩滅の日以後、今となっては王国歴のいつとは明らかならぬときのことではあるが、現南方エスタニア連邦のグーナカル地方にあったとされるある小国での実例がある。その小国は農業と牧畜をおもな産業とし、穏やかに過ごし、聖母神 ラナ・ディル・ジーエーナを特に崇拝していた国であった。あるとき、放浪の聖職者が街に住むようになり、聖母神の神殿で説法するようになった。この聖職者は根は善良で、悪意あるわけではなく、わずかに知が足りず、聖母神の本質を誤って理解してしまっていた。かの神は生命を慈しみ、命が芽吹くことを喜び、地に増えることを望むものではあるが、それは自然の内においてである。人為をもって、生命の営みが歪められることは望まず、厭う存在である。聖職者は、聖母神の生命への司の本質を正しく汲みきれず、命が増え満ちることを、単純に理解してしまい、説法にて、多く交わり、多くの子をなすことを進めてしまったのである。国にとって国民が増えることそれ自体はいいことであり、この小国も最初は国力の増強につながった。しかし、いたずらに子が生まれ行けば、小国では養い切れなくなり、浮浪児が増え、野党が増え、国を脅かすこととなった。この小国は敬虔であったがゆえに、聖職者の言を疑いきれず、盲目的にしたがってしまい、国是とまでしたため、最後には大きな天災に見舞われ、収穫がなされなくなったとき、飢餓にて滅びたとされるのである。
このように、神の本質、神の司るものを正しく知ることは、道を踏み外すことなく生き行くために必要なことであり、世の理は神によって律されている以上、神の意に反することは、正道から外れることに他ならない。本書はただ神の威光を讃えるだけのものではない。正しく神の在り様を後世に伝えることにより、我らがあの崩滅の日を、その他の愚行を繰り返さないための、道しるべに成らんがために本書を書き記す。
最後に本書の作成に多大なる協力をしてくれた、遍歴学者の一派である吹き流れる知恵の収集旅団 旅団長 クローネ・ディ・バーガンディアとその仲間たち、貴重な古代の書物や資料を提供してくれたホーファティナル学術自治領 グラナガダン大図書館、神々について深い見識を示し正道を示してくれた、ファーマディア派聖母神協会 ジャスル・エーグルハ大司教に感謝を示したいと思う。
王国歴1650年 聖燭の月 24の日
人類魔導管理統一機構 聖典照合局 史料編纂室
主任 ミレイア・ソル・グランヴェ 記す




