21
慰めの言葉でリドさんが復活し、加減乗除の話がひと段落ついたところで二人を雇うことを決め、今後の詳細を決める前に残っていた料理を全員で平らげた。一番食べたのはやはりシュルトさんだった。アリアさんやリドさんが呆れるほどの量が細い身体の胃袋に消えていく。
「その身体のどこにそんなに入るんだい?」
「ふふ。自分でもわかりません」
優雅に口元を拭き、にっこり笑った。アリアさんは慣れたのか直視してもほんの少し目を泳がせるだけで明らかに狼狽えたりはしない。反対にリドさんは耳まで真っ赤にしながらテーブルに突っ伏してしまった。
「くそう……! なんで男なんだよおお」
テーブルと顔の隙間から聞こえる悲痛な叫びに苦笑が漏れる。傾国どころか世界すら傾かせかねない美貌だが、同性にとってはあまり需要はないらしい。
「よく言われますが、それは私のせいではありませんので」
「姉妹とかいないのか!?」
「二人、上がいますがどちらも男です」
三人兄弟の末っ子とだという初情報に驚く私の前で、再度テーブルに突っ伏したリドさんは、大きなため息をついた。その頭にアリアさんが肘を乗せからからと笑う。
「ま、そんなことより明日からどうするかを話し合おうじゃないか」
「アルルの洞窟までここから徒歩で十日前後。明日、夜明け前にはここを発ちたいですね」
「そうかい。採取したあとはどうするんだい?」
「そのとき次第です。ここに戻るか、また別の薬草を探しに行くか。アンジェさんに決めてもらいますよ」
「え……!? 私、ですか?」
思いもよらぬ指示に肩が跳ねる。はい、とかすかに微笑まれるだけで頷いてしまいそうになる。しかしだ。冒険者素人同然の私が正しい判断を下せるとは思えないのだ。勝手に頷きかける頭を叱咤し、横に振る。
「いやいやいや! なんで私なんですか」
「私は護衛です。依頼主の要望を聞くのが仕事ですから」
そう言われて仕舞えば閉口するしかない。アリアさんもそれでいい、って納得しているから少なくとも私が決めることに関して不満はないようだ。
「アルルの洞窟は毒持ちの魔物が多いって噂だからね。解毒作用のある草を道々拾っていこうじゃないのさ」
「それじゃあ洞窟にたどり着く前に集めたものを薬にしちゃいますね」
そうと決まれば買い足すものがいくつかある。それを察したのか、アリアさんはまだ空いているお店を教えてくれた。
「それでは明朝、冒険者組合の前で」
「わかったよ。ほらリド! いつまで死んでるんだい! 帰るよ!」
気分が沈んだことで酔いが回ったらしく、リドさんは青い顔をしながらアリアさんに引きずられていった。
「なにを買いたいのですか?」
「解毒薬が必要らしいので、苦味を緩和する蜂蜜です」
蜂蜜は砂糖に比べ比較的安価だ。ただ、それでも高価なものには変わりないので一般家庭では手が届かない。使用者の多くは食堂を営む人や私たちのような薬師だ。薬の成分を分解することなく苦味や舌触りを緩和できるのでとても重宝している。
アリアさんが言った通りのところに雑貨屋があり、もう星が瞬いている時間なのに絵本のサンタクロースに似た店主は、丸眼鏡の奥の目を穏やかに細めて出迎えてくれた。
こじんまりとしたお店は木目調で整えられていて落ち着いた雰囲気だ。商品も見やすいように配置されていて店主の几帳面さが見て取れる。
早速蜂蜜の並べられている棚に移動し、なるべく質が良くて量が多いものを選ぶ。これ、と思ったやつを二、三個購入し、ついでに新しい布を買い込んだ。薬草を包むのに必須でいくらあっても損はない。
革袋はシュルトさんに引ったくられ、釈然としないながらも店を出た。もう夜の帳が下りていて、宿屋や食堂以外の店や家は真っ暗だ。なんだかんだで泊まる場所を知らない私は、どこか上機嫌のシュルトさんの後ろをついて行くしかない。
「ここです。冒険者組合が運営している宿なので安心ですよ」
冒険者組合と同じ緑色の屋根に白亜の壁、そして木製看板には冒険者組合を示す盾と剣の焼印と宿屋の名前が書かれていた。
中に足を踏み入れると一階の空間にはまだまだ人がいた。手にしているものはお酒だったり剣だったりと様々だが、皆一様に寝る気配はなさそうである。そして例のごとく場の視線はすべてシュルトさんへ注がれる。
思わず後ずさった私の手を引き、悠々と視線の海を歩き、帳場に小さな金属板を二枚置いた。可愛らしい獣人の女の子は猫耳をピクピクさせながら一体何事かと置かれた金属板とシュルトさんを交互に見ていたが、そのうち頭が働き始めたのか耳と尻尾をぴんっと立たせて我に返った。
「はっ! おかえりなさいませ! えっと、葡萄は……こちらの鍵ですね!」
慌てて取り出した二つの鍵を台の上に置き、金属板を帳場の後ろの壁に備え付けられた札掛に引っ掛けてしまう。どうやら金属板は鍵を預けた際の番号札と同じ意味合いのもののようだ。
「ありがとうございます。はい、アンジェさんの部屋の鍵です。私の隣なのでなにかあったら遠慮なく声をかけてください」
鍵を受け取り、そのうちのひとつを私の手に乗せる。部屋は番号ではなく模様のようで葡萄の絵柄が焼き付けられていた。
「ありがとうございます。あの、ここは湯浴みはできますか?」
シュルトさんにお礼を言って、惚けてる女の子に声をかけるとまた耳と尻尾をぴんっと立たせて反応を示した。
「あ、えっと、湯浴みですね!? 可能ですよ! あちら側に見える通路を通っていただきますと、赤い扉と青い扉がありまして。赤い扉が女性用となっていますので、扉の前に立っている見張り番に冒険者証明証を見せてください」
「わかりました。シュルトさん、私、湯浴みをしてきますね」
「ええ。私は先ほど入ってしまったので、先に部屋に戻っていますね。ゆっくりしてきてください」
美しい微笑みに見送られ、私は急ぎ足で教えられた通路に向かう。私が通り過ぎるたびに視線が追いかけてくるが、下を向いて黙々と歩いていけば知らぬ間に赤い扉と青い扉の前に辿り着いていた。
「湯浴みをしにきたのか?」
女性にしては低い声がし、顔を上げると鋭い剣のような印象を受ける目鼻立ちの整った女性が私を見下げていた。思わぬ迫力に、ただ返事をすればいいだけなのにそれすら思い浮かばず、目が泳いでしまう。
「ふむ、やはり私が怖いか」
やれやれと肩をすくめ、百八十後半はあろうかと思われる長身を屈めて私と目線を合わせてきた。涼しげな目元が優しく細められ、きつい印象を受けた美貌が一気に和らぐ。
「安心していい。怒ってるわけではない。お前は湯浴みをしにきたのだろう?」
「は、はい」
「親はいるのか?」
「あ、いえ。 付き添いの方はいますけど、男性なので。今は一人です」
「ほお。お貴族様のお忍びか? 随分と粗末なところに来たね」
「えっと……貴族じゃない……です……。私、薬師をしてます」
外套のポケットから冒険者証明証を出して女性に見せる。突然出されたものに驚いた女性は、数秒間目を瞬かせていたが処理が追いつくと大きな声で笑った。
「そうかいそうかい! 随分と可愛らしい薬師だ! ふふ、久しぶりに笑ったよ。今は誰もいないからお前の貸切だ」
赤い扉を女性が押し開け、入るよう促される。ぺこぺこと頭を下げて扉をくぐった。
「それじゃ、湯浴みが終わったらそこにある鐘を鳴らしな」
細長い台の上にあるハンドベルを指差し扉が閉められた。煉瓦造りの部屋は設置されている浴槽に張られたお湯のせいか暑かった。それでも窓があり、換気は十分になされているので不快ではない。
私の胸ほどの高さの台に籐籠があり、その中に服を脱いで入れる。大きめの布で体の前を隠して、埋め込まれた形の浴槽の前までいき膝をつくと浴槽の中に手を入れてみる。久々の感覚に我慢ができず肩まで一気に浸かった。
「うわああ……。気持ちいいー」
全身を包むお湯がじわじわと体を温め、強張った体が解れていく。やはりこの世界に慣れても長年の習慣はそうそう捨てられない。蓄積されたストレスがお湯に流れていくように、ふわふわとした感覚に思わずほぅと溜息が漏れる。
この世界に来てからお風呂に入る行為と言えば、湯を張った盥で体を拭くだけ。幸い石鹸は作り出せたので清潔の部分に関してはどうにかなったが、お湯に浸かれない不満は解消せず。ドラム缶すら存在しない世界で人一人浸かれるだけのお湯を確保するのは無理があり、我慢していたのだが。
「冒険者組合にこんなお風呂あったなんて盲点だったなあ」
満足するまでお湯を堪能し、体や髪を洗ってさっぱりすると手早く着替える。台の上のベルを鳴らすとゆらりと扉が現れた。
「ずいぶん長風呂だったね。極東の島国にある温泉っつーものをうちのギルド長が気に入って似たものを造ったんだが……。見慣れないせいか入る奴はほとんどいなかったんだよ。お前は極東の方の出身なんだね」
「そう……ですね」
あながち間違いではないので曖昧に笑っておいた。シュルトさんが借りてくれた部屋に行き、持っていたすべての荷物を床に下ろす。そして手早く寝巻きに着替えて少し硬めのベッドに潜り込んだ。




