13
「うわ……すごい」
馬車の小窓から顔を覗かせ、先にある景色に目を見開く。
日が昇る前に宿屋を出て馬車に乗り込むこと数時間。
活気ある城下町を通り過ぎると灰色の城壁に囲まれた白亜の城が見えてきた。圧倒的な存在感と美しさは建物自体が芸術品として建てられたと言っても過言ではない。素人目にも素晴らしいと思うのだから目の肥えた人々には一体どれほどの感動を与えるのか。
「あのお城、すごく綺麗ですね」
あらかた満足して顔を引っ込め、風で乱れた髪を手櫛で直す。正面に座るシュルトさんに声をかければ、あれは王宮だと訂正された。
「王宮……?」
「はい。政治を行う場として利用はしているので城と呼んでいただいても差し支えはないのですが、正式には王宮になります。王都から離れたシャンパーニ地方に建てられている離宮は城、と呼びますよ」
城と王宮の違いは単純で、軍事目的で使用されるかどうか。今から行く王宮は王族の住居として建てられているので篭城したり戦闘などに向いていないらしい。
「そのため王宮が攻められても守れるように我々騎士団や王宮魔術師が存在するのです」
城や王宮の違い、騎士団が存在する意味を初めて知った。ふむふむと生徒よろしく聞き入る私にシュルトさんは騎士と兵士の違い、騎士団の組織体制などなど全く知識のない私にも嚙み砕き、分かりやすく丁寧に教えてくれた。
「着いたようですね」
各騎士団の苦労話を聞いている途中で馬車の揺れが止まった。シュルトさんは小窓から顔を覗かせた兵士さんに軽く手を挙げ私達ににっこりと微笑んだ。
ヘクセさんはようやくかい、とわざとらしく腰を叩き外で待機している騎士のエスコートを無視して颯爽と馬車を降りて歩いて行ってしまう。エスコートを無視された騎士は呆然とヘクセさんの後ろ姿を見送っている。その様子が可笑しくて笑いを堪えているとクスクスと隠す様子もなく上品に笑うシュルトさんに促され私も馬車を降りた。
「……………おお」
視界に飛び込んできた景色に思わず女らしかぬ感嘆の声が漏れた。上品な匂いが漂ってくる薔薇で彩られた庭はしかししつこくなく、ここを何回歩き回っても退屈しないであろうほどに計算され尽くされた庭園。その先には遠目に見た王宮が建つ。庭園は昔母親に連れて行ってもらった薔薇園にも似ていたが、それよりも遥かに美しかった。
そして私の女らしかぬ呟きを聞き取っていたらしいシュルトさんが優しく目を細めてここは王妃が愛する場所なのだと教えてくれた。
「これから陛下とお会いしていただきます。公のものではないのであまり緊張なさらずに……は魔女殿には必要ありそうにないですね」
「当たり前さね。たった四十程度の若造に下げる頭はないよ」
これだけ聞けば立場を弁えない老魔女として捉えられかねないが、ヘクセさんのこの発言にはきちんとした理由がある。しかしそれを知っているのはこの中で私のみなので何も知り得ない周りの騎士や兵士さんたちはヘクセさんの発言に異議は唱えずとも表情が不敬と訴えていた。
それでもその中でシュルトさんだけが表情を変えずにいた。内心怒っているのかと思えばそういう風にも見えない。まるで私と同じですべてを知っている上でこの発言を聞いているような。
「………シュルトさん!」
「はい、アンジェさん。どうかいたしましたか?」
ある可能性に思い至り、斜め前を歩くシュルトさんの騎士服の裾を軽く引っ張り小声で呼びかける。かなり小さな声だったにも関わらず気がついてくれた彼は蕩けそうな笑みを向けて屈んでくれた。その耳にこっそりと囁く。
「もしかしてシュルトさんはヘクセさんの秘密、ご存知で?」
「ええ。陛下が知っておくべきだと」
それならば納得である。
すっきりした顔で大きく頷いた私に申し訳なさそうにシュルトさんは知ってることを伝えておけばよかったと謝った。しかし元はと言えばヘクセさんの発言がいけないのであってシュルトさんはなに一つ悪くない。
私が慌ててそう否定すれば、シュルトさんは前を堂々と歩くヘクセさんの姿を目に留め苦笑いを零すだけでなにも言わなかった。擁護する言葉が思い浮かばないようだ。
「ああ、魔女殿。謁見は王宮ではなく離宮で行いますのでご案内いたします」
王宮まで一直線に伸びる舗装された石畳を歩いていたヘクセさんをシュルトさんが呼び止める。急に呼び止められ、振り返ったヘクセさんは不機嫌そうなものの、なにも言わずに着いてきた。
「こちらです」
連れて来られたのは、古びた塔だった。王宮の裏側にそびえるその塔は、年月に置き去りにされたかのように蔦が巻きつき、今にも崩れ落ちそうなほど。あれほどの芸術美を誇る王宮との落差に私はしばし呆然とその塔を見上げた。
「アンジェ、いつまで呆けてるんだい。行くよ」
老婆とは思えぬ強さで背を叩かれ我にかえる。一人でスタスタと塔の中に入って行くヘクセさんとは違い、シュルトさんは私が来るまでその場で待っていてくれた。
「私も初めてここを訪れた時はアンジェさんと同じ反応でしたよ」
「ここに王妃様いらっしゃるんですか?」
「さあ、どうでしょう」
少しだけ意地悪そうに彼は微笑んで小首を傾げた。そのあまりの破壊力に思わず鼻を両手で塞いだが、私の後ろで同じく直視したであろう兵士さんはその場を走り去った。
「……この顔は本当に難儀で困ります」
困ったように笑うその姿すら美しいのだから確かに難儀かもしれない。ただシュルトさんはその美貌をひけらかすことをしないのでまだ被害が少ない方だろう。
「お前さんの悩みよりも今はこっちが優先さね。見たところここに王妃はいない。巧妙に隠されてはいるが……ここは転移門じゃないかい?」
「……さすが魔女殿ですね。そうです。ここに登録された魔力を流せば王妃様のいる場所へと飛びます」
「ふむ……。登録されている魔力は五つつ……。王妃と、王と……あとは王に似てはいるが知らない魔力達だねえ」
「それは俺達(息子)のですよ、森の魔女殿」
真後ろから唐突に聞こえてきた声。私にとってはものすごく聞き覚えのある声に勢いよく振り返った。ばちりと視線がかち合う。色素以外まったく変わらないその姿に私は目を見開いて固まった。相手も私がいたことが予想外だったのか、灰青色の瞳を見開いて固まっている。
「………瑠衣兄さん……?」
「え……おま、ゆず……ブフォ!?」
突然視界からその人の姿が消え、代わりにやれやれと首をすくめるヘクセさんが立っていた。一連の流れをようやく思考が働き理解できた私ははっと我に返り、床にぶっ倒れている人物へと駆け寄った。
「瑠衣兄さん! 私の名前はアンジェ、絶対真名で呼ばないで」
起こすのを手伝いながら早口でそう伝えると、ピンときたのかこくこくと頭を縦に振り、親指を立てた。変わらぬその姿に加え、変わらない仕草に思わず笑ってしまう。
「そうそう、俺の名前も瑠衣、じゃなくはないが……それは愛称。俺はダングストス第三王子、ルリエルドランス・ダングストスだ」
「るりえ……だんぐ……す……と……すぅ?」
「……うん、瑠衣でいいから。いままで通り瑠衣兄さんでいいから。お前と周りじゃ意味は違うが発音は変わらないしな」
なにがなんだか分からないが、長ったらしい名前を呼ばなくて済むらしい。整理のつかない頭でとりあえず瑠衣兄さんと呼ぶと、少年のような笑顔を見せた。
「なんでお前さんがこの子の真名を知ってるんだい?」
立ち上がった瑠衣兄さんと思しき男性をヘクセさんが目を剣呑に細めて見ていた。心の底まで覗かれそうなその目にたじろいた彼はどう説明すべきか考えあぐねた挙句、とんでもないことをぶちかました。
「こいつの従兄弟です!」
予想の斜め上どころか明後日の方向な回答に、さすがのヘクセさんも理解ができないようで、珍しく呆けた顔をしている。私はため息をついて瑠衣兄さんと確定したその人の前に出ると簡単に説明をするために口を開いた。
「……まさかアンジェさんが境門通過者だとは……。その珍しい色合いにも納得です」
「ふむ、それでアンジェのいた世界でおっ死んだあんたは魂だけが境門を通過して王子として肉体を得た、というわけかい?」
「詳しいことはわかりませんが、この世界に照らし合わせるならそうなりますね」
私の説明に冷静さを取り戻した瑠衣兄さんが補足を加えてなんとか理解してもらった。その代わりに私が境門通過者だということはバレてしまったが、頭の回転が早いシュルトさんはこのことは内密に、と私たちに釘を刺した。幸いこの場には私たち四人以外おらず、他にこの話が漏れることはなさそうだ。
「世間は狭いとよくわかりました。それよりも思わぬ時間を食ってしまいましたね……。ルイ、さっさと魔力を流してください」
「お前親友じゃなかったら今頃不敬罪だからな。流すけども」
不満顔の瑠衣兄さんは手を下にかざし、聞いたことのない呪文を呟き始める。その姿をぼーっと眺めていたら徐々に床が光り出した。慌てて下を見ると、さっきまで普通の石を削り出しただけに見えていた床に巨大な魔方陣が浮かび上がる。あまりの光の強さに目を瞑ると一瞬の浮遊感の後に、地に足がつく感覚に思わずよろめく。
「大丈夫ですか?」
「シュルトさん……一応。ただ少しだけ酔ったかもしれません」
「たまにいるんだよな。転移酔いを起こす奴」
「ふぅ……もう大丈夫です」
大きく深呼吸をして気持ち悪さを追い出すと、漸く辺りを見渡す。そこは先ほどの無骨な塔とは全く異なり、王宮と同じく意匠が凝らされた造りの空間が広がっていた。
「ここは転移用の部屋。少し歩けば王妃の部屋に着くよ」
豪華な扉を押し開けた瑠衣兄さんは、相変わらずエスコートなど華麗に無視して進むヘクセさんを苦笑いで見送り、私とシュルトさんを通して扉を閉めた。
日光がたっぷりと降り注ぐ廊下はほんのりと暖かく、優しい明かりで満ちている。これだけ太陽の光を浴びられたら気持ちがいいだろうな、と森の木漏れ日を思い出して口元が緩む。それを目ざとく見ていた瑠衣兄さんが声をかけてきた。
「……なにかいいことでもあった?」
「ううん。ただ、数日なのにもう森が恋しいなあって」
「そっか。お前今、森の魔女だもんな」
「見習い、ね。それよりヘクセさんずんずん進んでるんだけど道あってるの?」
「ああ。魔女殿は母さんの魔力を追って進んでるんだろうさ。問題ないよ、ほら」
顎で示され前を向くと、シュルトさんと似たような騎士服を纏った女性の騎士さんが二人、行き止まりの扉の両脇に立っていた。その二人は私たちの存在に気がつくと、二人同時に敬礼をした。
「お待ちしておりました、ルリエルドランス王子、シュテルツェルト殿、そして森の魔女殿! 中で陛下がお待ちです!」
赤い髪の女性騎士さんが私たちに挨拶をする隣で桃色の髪の女性騎士さんが扉を叩く。全く華奢に見えない扉にそんなノックで伝わるのかと思ったが、どうやら魔力を流してノックをしているらしく騎士さんが開けてもいないのに、扉がひとりでに開き始めた。
「お邪魔するよ」
ヘクセさんは当然とも言わんばかりに、臆することなく部屋へ足を踏み入れた。後に続く瑠衣兄さんも緊張の様子は見られない。情けなくも私は場違いな気がしてなかなか一歩を踏み出せず、その場で足元を見てしまう。
「アンジェさん、問題ありません。アンジェさんの所作や言葉遣いに悪いところはありませんよ。もちろん服装も。私が保証します」
私の心を読んだかのように俯く私の心に降ってくる言葉。ゆっくりと顔を上げると奇跡としか言いようのない美貌が私を優しく見つめていた。
「……そうですね。……入ります」
意を決して部屋へ踏み込む。廊下よりも大きな窓は床から天井付近まではめ殺しになっており、とても広い部屋の隅々まで光を取り込んでいる。しかしその部屋に置いてあるのは大きな天蓋付きベッドだけ。ベッドを覆うように天蓋から垂れる絹は透けるほど薄く、それを何枚も重ねて中の様子を窺わせないカーテンを作り出していた。
「まったく、一国の王がそんなに女々しくてどうするんだい。ええ? アンドルエル」
天蓋付きベッドに向かって鋭い声を投げかけるヘクセさん。その声には呆れが混じっている。
「……妻がこんな状態なのに仕事など手につきませんよ、魔女殿」
カーテンからゆっくりと姿を現した人物は、隣にいる瑠衣兄さんとそっくりの色素を持っていた。瑠衣兄さんが歳をとったらこんな感じなのかと思わせるくらいには外見も似ており、瑠衣兄さんがこの国の人間なのだと思い知らされる。元の世界での両親とは部分では似ていてもここまでは似ていなかった。
「ふん、軟弱者め」
「魔女殿は手厳しい。……それよりも妻をどうか診てください。王宮治療師にも手に負えないとなるともはや呪いしか考えられません」
ヘクセさんが面倒くさそうにカーテンの向こうに消えていく。暫くしてヘクセさんが私の名前を呼んだ。窺うように王様を見ると、こくりとひとつ頷いたので、会釈を返してそそくさとカーテンをくぐった。
「……これが王妃様……」
まるで童話の眠り姫のように穏やかな寝顔は、今すぐにでも目を開けそうなほど健康的だった。長い髪はベッドに蜂蜜色の海を広げ、新雪の肌は血色がいいのかほんのりピンク色に染まっている。鮮やかな赤い唇は今にも言葉を発しそうで、一体どこが悪いのか見当もつかない。
「……随分と厄介な呪いがかけられたねえ。眠り続ける呪いとは……」
苦々しく呟いたヘクセさんは緩く首を振ってベッドから離れ、カーテンを潜っていってしまった。私もそのあとを追い、再びカーテンを潜った。




