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簡素だが丈夫な造りのベッド。一人用のテーブルとイス。約六畳の部屋に置かれているものはそれだけだ。運ばれた荷物は既にベッドのそばに置かれており、中を確認するときちんと私の荷物だった。
「アンジェさん、いらっしゃいますか?」
ベッドの上で寝っ転がって薬草学の本を読んでいるとノックの音の後にシュルトさんの声がした。ベッドから飛び起き、ワンピースの皺を伸ばし手櫛で髪を落ち着けると返事をして扉を開ける。騎士の服とは違い、幾分ラフな格好のシュルトさんが安堵した顔で立っていた。
「ああ、よかった。これから市場に行きませんか? この町は王都に近いこともあってか貿易が盛んで諸外国からの出店が多いんです」
「是非……と言いたいところなんですが……この前お金を使ってしまいまして……」
普段使わないがために高をくくって散財したのがいけなかった。まさか王都付近の町に来ることがあるなんて予想外だ。
「そんなこと気にしなくていいんですよ。私が誘ったんですからもちろん支払います」
「それは駄目です! 自分のものは自分で払います!」
人に払ってもらうなどとんでもない、と首を横に振る。可愛げのかけらもない私にシュルトさんは嫌な顔ひとつせず、ひとつの提案を出した。
「では、私どもがこちらの都合で貴女達を王宮に連れて行く詫びだと思ってください」
「……お詫び……」
納得はしかねるが、そこまで譲歩されて断るのは相手に失礼な気がした。断る言葉を飲み込んで頷く。了承を得られたシュルトさんは周りにこれでもかというくらい花を飛ばして嬉しそうにはにかんだ。
「この格好だと目立つので着替えてきます。ちょっと待っててください」
部屋に戻り、予備で持ってきていた服を身につける。薄茶色のワンピースに服の上からウエスト部分だけのコルセットで軽く締める。胸が乗る形になるのが少し恥ずかしいが、こちらの世界では当たり前で、むしろコルセットをしなければはしたないとされるのだ。もちろんこちらの世界に則って下着としてもコルセットを身につけている。上からさらにコルセットをつけるのは、庶民の下着用コルセットは布製で締めが甘いからだ。貴族はあの内臓が飛び出すような金属製のコルセットをつけているから服の上からもう一度つけなくてもいいのだが、庶民は基本手が届かないのでこういう常識が出来上がった。しかし、形状なども割と充実していて数少ないオシャレとして楽しまれている。
「お待たせしました」
「それでは行きましょうか」
大通りは予想よりも凄かった。露天商が所狭しと並び、大声が行き交う。森のそばの町とは比べ物にならないくらいの人々で溢れ、喧騒と活気に満ちていた。森で囲まれた小屋の近くの町はそれゆえに冒険者も多く滞在していたがここまで人で賑わうことがなかった。 あちらの世界で人混みには慣れているとはいえ、静かな森の生活に馴染んでしまった今はどこか懐かしさを覚えると同時にその活気に圧倒される。
「すごいですね……。本当にたくさんものが売ってる……」
「今日は特に混んでますね。はぐれないように気をつけましょう。治安はいいですが、なにもないわけではないので」
これだけの美貌ならもしはぐれても人だかりを見つければ簡単に再会出来そうだが、シュルトさんの言う通りなにがあるか分からない。了承の意を込めて頷き、人混みに足を踏み入れた。
精緻で美しい装飾品に食欲をそそる料理、見たこともない果実などこの世界に来て初めて見るものが溢れかえるほどあり、シュルトさんに申し訳ないと思いつつも頻繁に足を止めて観察してしまう。
「あ、これ可愛い」
色んな店を眺めていたとき、ふと目についた露天商に駆け寄る。そこは装飾品が布の上に並べられており、そのどれもが自己主張の激しい派手さを好むこの世界の装飾品の中で珍しく素朴で可愛らしいものだった。麻布で編まれたレースに小ぶりの宝石がついた髪飾りや首飾りは私の目を引いた。特にその中で淡い紫色の糸で編まれたレースの髪紐は私の目どころか心までも惹き付けた。思わず手に取り眺めてしまう。
「おや、若いお嬢さんが珍しいねぇ」
簡素なカウンターの下からひょっこりと現れた可愛らしい丸眼鏡のお婆さんは、私の姿を目に留めると優しそうな笑みを浮かべた。商品を取るためにしゃがんでいたのであろう、並べられている装飾品と同じものが入った木箱を抱えている。
「うふふ、若い子なんて久しぶりだわぁ」
「どれも可愛いです。けど、これに目を惹かれて」
「嬉しいねぇ。わたしの孫が編んだものでねぇ。病気がちで外に出れない分こういった作業が得意になったのよぉ。それは孫の力作なのぉ」
自分のことのように誇らしげに語るお婆さんに和みつつ、値段を聞くと銅貨二枚とまだ私の所持金額で払えることが判明した。シュルトさんは隣の雑貨露天を覗いていたので、急いで腰に括り付けた革袋を開く。そこから銅貨二枚を取り出してお婆さんに渡そうと手を出すが、その手をすらりと美しい手が遮った。
「銅貨二枚ですね」
いつの間にやらこちらに来ていたシュルトさんが銅貨二枚をお婆さんに手渡して髪紐を受け取った。お婆さんは突然現れた奇跡のような人に目を奪われていたが、すぐに私とシュルトさんを交互に見つめてまぁまぁ、と何やら完全に勘違いした様子で頬に手を当て表情を崩した。誤解だと言っても一向に信じてくれないので私はお婆さんにお礼を言いい、シュルトさんを引っ張ってその場を離れた。
「シュルトさん、盛大な誤解を受けましたよ」
「アンジェさんと誤解されるなら悪くありませんね」
シュルトさんの本気とも冗談ともつかぬ言葉に彼を仰ぎ見れば、にこりと微笑まれた。
「シュルトさんが読めません」
「よく言われます」
その美貌と言葉に騙されてあれよあれよと言う間にシュルトさんの提案を受け入れていたりすることがこの数ヶ月で数えきれないくらいあった。これが数年の付き合いとなるとと考えてやめた。知らぬ間に手のひらで転がされてる未来しか見えない。
その後もシュルトさんは新しいローブやブーツなど買い換えたいと思っていた物を買ってくれた。すっかり日が落ち、町がオレンジ色に染まる頃宿屋に着く。シュルトさんにお礼を言い、部屋に買ってもらったものを置くと別料金を支払ってお湯をもらい、部屋で髪と身体を拭く。水分がなくなるまで大きめの布で髪を拭き、特製の香油をつけて櫛で梳かす。しばらくして自分の部屋を出ると隣の部屋の扉を叩く。角部屋となっているそこは、ヘクセさんに用意された部屋だ。
「ヘクセさん、そろそろ夕飯の時間です」
そう声をかけるとゆっくりと戸が開きヘクセさんが顔を出した。微かに薬草の匂いが鼻をくすぐる。また魔法薬作りでもしていたのだろう。
「今度は何を作ってたんですか?」
「美容薬さ。女共には人気だからねえ」
「美容薬って……。貴重な薬草をバカみたいに使うあれですよね」
「女の美には金、男の美には努力が必要なのさ」
ひひっと笑ったヘクセさんはフードを羽織り部屋から出てくる。腰にまで届く髪はいつもなら三つ編みにして垂らされているが、珍しく三つ編みを頭頂部あたりで纏めていた。
「この町は魚料理が美味しいからねえ。楽しみさね」
「久々の魚ですもんね」
迷いの森でも町でも海から遠い。そのため魚は出回るが値段が高くあまり手が伸びない。時たま川で釣れる小魚を食べる程度できちんとした魚料理は本当に久しぶりだ。生で食べるという概念がないこの世界で刺身は期待していないが、塩焼きのようなメニューがあれば嬉しいと思いつつ、珍しく上機嫌なヘクセさんの後ろをついていく。
「わかっちゃいるけど騒がしいねえ」
運ばれてきた魚料理に手をつけながらヘクセさんは辺りを見渡し呆れたため息をついた。私の隣に座るシュルトさんや、その近くのテーブルに座っている兵士さん達が揃って苦笑した。
ちょうど夕食どきなのか宿屋の食事処は多くの冒険者や旅人で賑わっていた。そこかしこから聞こえる笑い声や話し声に静かさを好むヘクセさんは眉をしかめている。しかしそれでも機嫌が悪そうではないのは目の前に置かれている魚料理のおかげだろう。
「む、これ美味しい……」
ルルゴの衣揚げという魚の唐揚げは脂の旨味はとてもあるが後味がさっぱりとしていてとても美味しい。これに塩をつけるとさらに美味しい。口に運ぶたびに頬が緩むのがわかる。
「もう一つ注文しますか?」
「食べたいですがお腹に入りません」
最後の一口をお腹におさめ、隣でその完璧な身体のどこに入るのか疑問に思うほど皿を積み上げていくシュルトさんの申し出を断る。ヘクセさんは食べるだけ食べて満足したようでとっくのとうに部屋に引き上げていて、ここにはいない。私もそろそろ戻ろうかと席を立つとシュルトさんも立ち上がった。
「部屋までお送りします」
まだ食べ足りないのか、料理を口いっぱいに詰め込む兵士さん達に見送られシュルトさんと食事処を出た。食事処の喧騒が遠ざかり、部屋に着く頃には微かな息遣いさえ聞こえそうなほど静かになっていた。
「明日の早朝に出発ですので、しっかり寝てくださいね」
「シュルトさん達も」
「そうですね、今日は早めに寝ます。それでは」
おやすみなさい、と言って扉を閉める。手早く寝巻き着に着替え、布団に潜り込んだ。お腹いっぱいになった影響か数分もかからず睡魔は襲ってきた。




