第57話 ありがとう爽子さん
町の人たちとの距離が近づき、顔を合わせるようになる頃には深い話をするようになった。
閉店間際の静かな店内、ヴェダーたちもシマエナガの羽根の中に潜ってスヤスヤと寝息を立てている。
「爽子さん、相談してもいいですか?」
それは、おばあちゃんの形見のトマトの鉢植えが萎れて、元気がない、解決方法はないかという相談だった。
声をかけてきたのは、朝市で香草を売っている二十代前半の若い女性だった。
両手で抱えている素焼きの鉢には、一本のトマトが植えられている。
葉は黄色く色づき、茎はぐったりと垂れ下がっていた。
「これ、亡くなった祖母が育てていた最後の苗なんです。種を繋いできた大切なトマトで……」
女性は葉を優しく撫でる。
「春までは元気だったのに、急にこうなってしまって」
「見せてもらってもいいですか?」
私は鉢を受け取り、しゃがみ込んだ。
まず葉の裏を覗く。
虫はいない。
茎にも傷は見当たらない。
次に土へ指を差し込む。
「……あれ?」
土はしっとりどころか、水が滲むほど湿っていた。
「毎日お水をあげていますか?」
「はい。可哀想だから朝も昼も夕方も、たっぷりあげています」
その言葉に、私は少しだけ苦笑いした。
以前の自分も、全く同じ失敗をしたからだ。
「もしかして……」
私は鉢をそっと横へ倒し、根元を少しだけ持ち上げた。
白いはずの根は茶色く変色し、一部が柔らかく腐っていた。カビも生えている。
「やっぱり……根腐れです」
「根腐れ?」
「水が多すぎて、根が息をできなくなってしまったんです」
女性は目を丸くした。
「水をあげ過ぎても駄目なの?」
「はい。私も最初、同じことをしてしまいました」
テオに教えてもらった言葉が、そのまま頭に浮かぶ。
『乾燥気味に管理することが大事です』
私は笑いながら頷いた。
「土の表面が乾いてから、お水をあげるくらいでちょうどいいんです」
「そうだったの……」
女性は申し訳なさそうにトマトを見つめた。
「でも、まだ間に合います」
「本当ですか?」
「はい」
私は裏庭から小さなスコップを持ってきた。
鉢から苗を丁寧に抜き取り、黒く傷んだ根を少しずつ切り落としていく。
ヴェダーたちもいつの間にか目を覚まし、私の周りへ集まってきた。
「ヴェダー?」
「大丈夫。お手伝いしてね」
「ヴェダー!」
七匹のヴェダーは、ふかふかの腐葉土を運んできたり、小石を抱えてきたりと忙しく動き始める。
茶色のヴェダーは得意げにペレットを一粒抱えてきた。
「ありがとう。でも今日は少しだけね」
土へほんの少量だけ混ぜ込む。
今では、このペレットがとても良い肥料になることを知っている。
新しい土を鉢へ入れ、苗を植え直す。
最後に軽く水を与えた。
「これでしばらく様子を見ましょう」
女性は何度も何度も頷いた。
「ありがとうございます……」
その時だった。
萎れていたトマトが、小さく葉を揺らした。
「♪すー……はぁ……」
「えっ?」
よく耳を澄ます。
「♪おみず、いっぱいで苦しかったぁ……」
トマトが眠そうな声で呟いた。
女性には聞こえなかったようだが、私にははっきり聞こえた。
「ごめんね」
私は葉を優しく撫でた。
「今度は気持ちよく育てるからね」
するとトマトは、少しだけ葉を持ち上げた。
「♪ありがとう」
その小さな声に胸が温かくなる。
「爽子さん」
「はい?」
「町のみんなが、爽子さんを頼る理由がわかりました」
女性は目尻に皺を寄せて笑った。
「料理だけじゃないんですね。植物も、人も、ちゃんと話を聞いてくれる……」
私は照れくさくなって頭を掻いた。
「私も皆さんに教えてもらってばかりなんです」
ギルに料理をする場所をもらった。
レオンには市場で助けられた。
テオには畑を教わった。
肉屋さんや窯じい、町の人たちにも何度も支えられてきた。
一人でここまで来たわけではない。
気付けば、異世界でできたたくさんの縁が、私を支えてくれていた。
女性は大事そうに鉢を抱え直した。
「元気になったら、一番最初の実を持ってきます!」
「楽しみにしています」
店を出ていく背中を見送ると、ヴェダーたちが満足そうに葉っぱを揺らした。
「ヴェダー!」
窓辺ではシマエナガが「ジュリッ」と優しく鳴く。
ランプの灯りに照らされたヴェダー亭は、ただ食事をするだけの店ではなくなっていた。
困った時には誰かがふらりと立ち寄り、お腹も心も少し軽くなって帰っていく。
そんな場所に、少しずつ育ち始めているのだと、私は温かな店内を見渡しながら静かに微笑んだ。
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