第4話 初めての一皿
しばらく私の顔を見つめていたギルは、ふっと口元を緩めた。
「面白い。やってみな」
そう言ってカウンターの扉を開ける。
私は思わず胸を撫で下ろした。
彼は店の奥へ引っ込むと、少し黄ばんだエプロンを持って戻ってきた。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
受け取ったエプロンからは、油と煙、それに料理の匂いが染みついていた。
長い年月、この宿屋の台所を支えてきた証だ。
その匂いを嗅いだ瞬間、熊ちゃんと肩を並べてラーメンを作っていた日々が鮮明に蘇る。
「スープ、味見して」
「今日のチャーシュー、最高だな」
笑い合った記憶が胸を締めつけた。
「……だめ」
私は小さく頭を横に振る。
今は思い出に浸る時間じゃない。
料理に集中しよう。
キッチンを見回す。
並んでいたのは緑色のピーマンによく似た野菜、玉ねぎ、人参、キャベツ、そして吊るされた肉の塊だった。
ギルは腕を組み、お手並み拝見とばかりに私の手元を覗き込んでいる。
「この肉は何ですか?」
「角うさぎさ。鶏肉より脂身が多くて食べるところが少ないんだ。爽子は初めて見るかい?」
「……角が生えているのは、初めてです」
私の知っているうさぎは、丸くてふわふわで、長い耳とつぶらな瞳が可愛い生き物だった。
でも目の前に吊るされている角うさぎは違う。
短い茶色の毛並みに、鋭い前歯。
子犬ほどの大きさがあり、額にはユニコーンのような一本角が突き出ていた。
正直、ちょっと怖い。
「……角に突かれたら痛そうですね」
「そりゃあ大変だ。畑を荒らす厄介者さ。でも、この角は砕いて粉にすると滋養強壮に効くんだ」
「へぇ……」
異世界って、本当に何でもありなんだ。
私は苦笑しながら野菜を洗い始めた。
包丁でピーマンのヘタを落とす。
その瞬間。
『ぎゃっ』
そんな声が聞こえた気がした。
「えええっ......!」
ピーマンがしゃべった!
「ギルさん!ピーマンがしゃべりました!」
私は包丁を握る手に、力がこもった。
「......何を言っているんだい?」
「ピーマンがしゃべる......他の野菜もですか!?」
「そうだよ?」
異世界なんだから、しゃべる野菜がいても不思議じゃない。
けれど......しゃべる野菜に包丁を入れる勇気がない。
「ギルさん、このままだと可哀想で切れません」
「あぁ、『いただきます』って手を合わせるんだよ、そうすれば黙るから」
「そ......そうなんですね」
夜になると彼らは畑で内緒話でもしているのかもしれない。
命は大切にいただこう。
そう思うことにして、中の白い種を指先で丁寧に取り除いた。
「玉ねぎ、使ってもいいですか?」
「ああ、好きなだけ使いな」
「いただきます」
ぺり、ぺり、と茶色い皮を剥いていく。
一枚。
また一枚。
熊ちゃんへの想いまで剥がしてしまうように。
目に染みる。
「うぅ……」
涙が滲んだ。
玉ねぎのせい。
きっと、そう。
「爽子は手つきがいいねぇ」
「ラーメン屋を営んでいましたから」
「ラーメン?」
しまった。
思わず口が滑った。
やっぱり、この世界にはラーメンがない。
ならば私が作る。
ラーメンも、定食も、お酒に合う料理も。
異世界で一番うまい食堂酒場を開くんだ。
「あー……料理屋で働いていたんです」
慌てて言い直す。
「料理屋? バルみたいなもんか」
「はい、そんな感じです」
人参はもう観念したようにぐったりしていて、キャベツだけが「ぶつぶつ」と呪文のようなものを唱えていた。
「いただきます」と手を合わせ、
人参の皮を剥く。
キャベツを半分に割る。
野菜を一口大に切り揃え、銅製のフライパンの横へ並べる。
切り落とした玉ねぎの皮、人参の皮、キャベツの芯は捨てない。
寸胴鍋に水を張り、その中へ入れた。
あとで野菜の旨味を引き出す。
ギルは目を丸くしていた。
「皮まで使うのかい?」
「はい。ここにも美味しさが詰まっていますから」
「へぇ……」
いつの間にか暖炉の前でポーカーをしていた男たちまで集まってきていた。
「なんだなんだ?」
「この姉ちゃんがギルの代わりに飯を作るらしいぞ」
「ギルの料理に敵うっこねぇ」
ドワーフが焦げ茶色のスープをすすりながら、にやにや笑う。
私はそのスープへ目を向けた。
塩気ばかりで、素材の味はどこにも残っていない。
こんなに新鮮な野菜があるのに。
こんなに立派な肉があるのに。
全部、もったいない。
料理は素材を隠すものじゃない。
素材を生かすものだ。
私は静かに深呼吸をした。
さあ、異世界で最初の一皿を作ろう。




