表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界北海道 夫を探して異世界へ来たら、夫にはもう妻がいました ~食堂酒場を開き、幸せになります~  作者: 雫石しま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/96

第10話 青いエプロンと黄色いオムレツ

「まるでホームセンターみたいだわ」


 思わずそんな言葉が口をついて出た。


 ギルの宿屋の物置には、使い古した寸胴鍋やフライパン、フライ返し、ボウル、木べら、包丁まで所狭しと並んでいる。


 壁には大小さまざまなお玉や泡立て器が整然と掛けられ、棚には木皿や陶器の皿が積み上げられていた。


 中古品ばかりだというのに、どれも驚くほど綺麗だ。


 ギルの生真面目な性格なのだろう。


 鍋の底は煤一つ残さず磨かれ、フライパンは顔が映りそうなくらい光っている。


「これだけ手入れされていたら、まだ何年でも使えそう」


 私がそう言うと、ギルは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「道具は相棒だからね。手入れを怠ると、美味い料理は作れないさ」


 その言葉に思わず頷く。


 熊ちゃんも同じことを言っていた。


 包丁を研ぐ音が聞こえるたび、「商売道具は大事にしろ」と笑っていた姿を思い出す。


「爽子、本当に行ってしまうのかい?」


 ギルは棚から丈夫そうな鍋を選びながら、心配そうに私を見つめた。


「ええ」


 私は麻袋を広げ、新聞紙の代わりに柔らかな紙で皿を一枚ずつ丁寧に包んでいく。


 一枚。


 もう一枚。


 皿が重なるたび、独り立ちする決意も少しずつ固まっていく。


 本当は怖い。


 知らない土地で一人きり。


 頼れる人もいない。


 それでも、熊ちゃんの城下町で暮らし続けることだけはできなかった。


 いつか町で偶然会ってしまうかもしれない。


 幸せそうな二人の姿を見るたび、きっと私は立ち止まってしまう。


 だから前へ進む。


「店を開くなら、トーカチーに居抜きの店があるよ」


 ギルは古びた地図を広げ、指で町を示した。


「知り合いが店を畳んでね。厨房もそのまま残っている」


「十勝……」


 地図を覗き込む。


「食材には困らなさそうね」


「ああ。畑も牧場も多い。牛も豚も野菜も美味い土地だ」


 その言葉だけで胸が躍る。


 料理人にとって、食材の豊かな土地ほど魅力的な場所はない。


「そこにします」


 私が即答すると、ギルは満足そうに頷いた。


「よし」


 さっそく机に向かい、便箋へ手紙を書き始める。


 慣れた手つきで封をし、伝書鳩の脚へ結び付けた。


「頼んだぞ」


 窓を開ける。


 伝書鳩は大きく羽ばたき、澄み切った青空へ吸い込まれるように飛び去っていった。


 あっという間に小さな白い点になり、やがて見えなくなる。


「返事は今週末には来るだろう」


 ギルは笑った。


「それまで俺たちに、うまい料理を作ってくれ」


「もちろん」


 私も笑顔で頷く。


 するとギルは店の奥へ引っ込み、大きな寸胴鍋を抱えて戻ってきた。


「これは俺からの餞別だ」


 少しくたびれてはいるけれど、丁寧に磨かれた立派な鍋だった。


「トーカチーの店で使ってくれ」


 私は両手で受け取る。


 ずっしりとした重みが伝わってきた。


「ありがとう。大事に使うね」


「鍋も喜ぶさ」


 二人で顔を見合わせ、小さく笑った。


 その足で私は市場へ向かう。


 昼間の市場は相変わらず活気に満ちていた。


 色とりどりの旗が風にはためき、道化師が五つのボールを軽々と操るたび、大きな拍手が沸き起こる。


 露店からは焼き立てのパンや果物の香りが漂い、妖精たちが楽しそうに空を飛び回っていた。


「エプロンをください。その青いエプロン」


 私が指差したのは、澄み渡る空のような青色のエプロンだった。


「はいよ」


 顔なじみになった市場のおばさんは、にこにこと包みながら言う。


「旅に出るんだって?」


「うん」


「だったら、これも持って行きな」


 包みの上へ、青い三角巾をそっと重ねてくれた。


「サービスだよ」


「えっ、いいの?」


「また元気な顔を見せてくれりゃ、それで十分さ」


 胸がじんわり温かくなる。


「ありがとう」


「爽子ちゃん、また遊びにおいでね」


「はい!」


 卵をカゴいっぱいに買って宿へ戻る頃には、夕日が町を茜色に染めていた。


 ギルの宿屋は今夜も満席だった。


「今日は何を作るんだ?」


 ドワーフたちがそわそわしている。


 私はチョボが産んだ卵と、市場で買って来た卵をボウルへ割り入れた。


 牛乳を少し。


 塩をひとつまみ。


 砂糖をほんの少し。


 箸で優しく混ぜ合わせる。


 カチャカチャと鳴る音に合わせ、ドワーフは首をぐるぐる回し、獣人たちは尻尾をぱたぱたと揺らしていた。


 妖精はその音を真似しながら、天井をくるくる飛び回る。


「ギル、ラードはある?」


「もちろん」


 ラードを、熱したフライパンへほんの少し落とす。


 ジュワッ。


 香ばしい湯気が立ち上る。


 獣人たちは一斉に鼻をひくひくさせた。


「肉だ!」


「いい匂い!」


 みんながキッチンカウンターへ身を乗り出す。


 余分なラードを紙で拭き取り、溶き卵を流し入れる。


 ジュワッと優しい音が響く。


「何を作っているんだい?」


「オムレツよ」


 箸で大きく円を描くように混ぜ、半熟になったところでフライパンを軽く叩く。


 トントン。


 トントン。


 形が少しずつ整っていく。


 皿の上には、艶やかな黄色いオムレツがちょこんと微笑んでいた。


 誰もがごくりと唾を飲む。


 ギルが最初の一口を運ぶ。


 宿屋はしんと静まり返り、咀嚼する音だけが響いた。


 やがてギルは目を見開き、大きく息を吐く。


「これはうまい!」


 思わず立ち上がった。


「卵がこんなに柔らかくなるなんて……爽子、お前さんは本当に料理の魔法使いだ!」


 その声を合図に、ドワーフたちが小皿を持ってずらりと並ぶ。


「俺にも!」


「おかわり!」


「まだあるか!」


 あっという間に皿は空になる。


 足りなくなった卵を買おうと、獣人は市場へ全力で駆け出していった。


 笑い声が絶えない宿屋。


 みんなの笑顔を見ていると、胸の奥がじんわり熱くなる。


 旅立ちの日は、もうすぐそこまで来ている。


 少し寂しい。


 でも、それ以上に楽しみだった。


 きっと十勝には、まだ出会ったことのない人たちが待っている。


 そして、新しい食堂酒場も。


 私は新しい青いエプロンをそっと抱きしめ、小さく微笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ