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聖女Aは逃げだした!  作者: みそぽんわさび


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伸ばした手 支える手

謁見の間はしんと静まり返っていた。部屋の中央には玉座の足元につながる深紅の絨毯が敷かれていて、その両脇に貴族たちがずらりと並んでいる。前回感じた落胆と侮蔑のため息は聞こえない。


玉座の手前に王が立ってマリアを出迎えた。王の隣にはヒマリと宰相が立っている。


「ようこそお越しくださった。マリア様」

「国王陛下に拝謁致します」

「そう畏まらないでください。今日は貴女様の功績を讃える場なのですから」


淑女の礼をしたマリアを、些か慌てた様子で国王が立ち上がらせる。


「早速ですが、宰相より、この場に集まった貴族の面々に向けて、マリア様の功績につき改めてご説明を」

「はっ、陛下」


王に促されて宰相が前に出た。


「皆様ご存知の通り、マリア様は先の聖女召喚の儀にていち早く我々の声にお応え下さり、我が国にご降臨なさいました。その後は聖なる魔法の洗練のため王立治療院にてご活躍され、数多の民草をお救いくださいました」


うんうんと頷く貴族達。


物は言い様というか、あまりの掌返しにマリアは閉口してしまう。この場のほとんどの人間が、かつてはマリアを罪人でもみるような冷ややかな目で見下ろしていたというのに。


マリアの気持ちを他所に宰相は続けた。


「そしてこの度、大聖女ヒマリ様の浄化の旅の道中に、ドラゴンが出現しました。マリア様はヒマリ様の危機をいち早く察知され、果敢にもお1人で駆けつけてくださいました。そして壊滅状態にあった一行のために、それは高度な聖なる魔法をお使いになりました。浄化魔法よりもさらにさらに濃い魔法でした」


おお、と誰とはなく感嘆を漏らす。宰相も国王も誇らしげな顔で話を続けた。


「これにより、誰しもの傷は癒え、死人が蘇り、荒らされた森すら息を吹き返しました。その奇跡を目の当たりにしたドラゴンは、恭しく頭を垂れてマリア様にキスを贈り、何者も傷つけることなく森の奥へと帰って行ったそうです」


「死人を生き返らせる程の奇跡……!」

「ドラゴンから生還するどころか、キスを贈られるなど、初代さまの神話そのものではありませんか!」

「大聖女さまとして覚醒されたとは先触れでお聞きしていたが、よもやこれほどのお力とは!」


俄に場内がざわつく。

宰相や貴族の言っている内容は事実ではある、のだろうが、マリア自身は狙ってやったことではないし、もう一度やれと言われてできる自信もない。奇跡だ神話だと持て囃されても反応に困る。


「それでは、マリア様を改めて大聖女さまとしてお披露目なさるのですかな」

「うむ、これほどの奇跡のお力。早急に浄化の旅に出て頂くべきでしょうな」

「いやはやめでたい、今代はおふたりの大聖女が並び立たれるということか。なんと安寧な時代か」


「皆、湧き立つ気持ちはわかるが、一旦落ち着かれよ」


なおも興奮冷めやらず口々に言う貴族達を国王が制した。


「マリア様。まず我々は貴女様に謝らねばなりません。我々の声にお応え下さったあの日から今日まで、我々がマリア様にご用意した環境は、大聖女さまにふさわしいものではありませんでした。口にするのも恐ろしいご無礼もありました。ここに、心からお詫び申し上げます」


王はマリアに向かって頭を深く下げた。貴族達も続けて陳謝の姿勢をとっている。召喚された日以来の大仰な光景を、マリアはどこか他人事のように受け流した。


「お顔をお上げください、陛下、皆様」


マリアの言葉に、ゆっくりと皆が体を起こす。


「頂いたお気遣いは、力無き者に対する待遇としては十分過ぎるものでした。私はそのことであなた方を恨んではおりません」

「寛大なお言葉をありがとうございます。それでは、大聖女さまとしてお立ち頂けますか」

「力の限りは務めさせて頂きます。しかし、先に申し上げておかないといけないことがあります。——おそらく、私自身は今でも大聖女の器にはありません」


ご謙遜を、と笑い飛ばそうとする国王と貴族達を、マリアの真剣な眼差しが鋭く射抜く。


「私の今の力は、借り物なんだと思います」

「まさか、マリア様のお力はもはや歴代にも並び立つ方がいらっしゃらないほどです。誰がそのような奇跡の力を貸せると仰りますか」

「子どもです」

「は」

「私は今、妊娠しています。この子を身籠ってから聖なる魔法がどんどん強くなりました。なんとなくですが、わかるのです。今の私の力は、この子に由来するもの。きっとこの子が生まれたら、私はただの聖女に戻ります」


しん、静まり返った場内。この世界の貞操観念とか、「大聖女さま」への神聖視とかを基準に考えたら、マリアの妊娠は貴族達には到底受け入れられないことだろう。マリアは言葉を続ける。


「力を失っても、ただの聖女としてでも、自分にできる限りの貢献をお約束します。特別な対応など不要です。ですから、ただ1つお願い申し上げます。私がクリストファー•ブラックリー様と共にあることをお許しください」


言った。言えた。皆の期待を踏みにじることを。

これから降り注ぐであろう落胆と侮蔑に備える。それらから、マリアはもう逃げない。


一度あの奇跡を起こしてしまった以上、マリアが表舞台から消え去るのは不可能なのだ。それならば、背筋を伸ばして真っ向から受け止めてきって、名実ともにクリスの隣に立つ。


マリアの覚悟に呼応するように、クリスがよく通る声で宣言した。


「マリアのお腹の子どもの父は間違いなく私です。そして、私が愛しているのはずっと前からマリアのみです。彼女への気持ちに関して何1つ疾しいことはなく、誰に恥じることもないと自負しています。私も、マリアと共にあることを心から望みます」


ざわざわ、貴族達が控えめにどよめく。歓迎のどよめきではないのだが、声高に糾弾する者もいない。


マリアが如何に否定しようと、どんなからくりがあろうと、この国の民にとっては「神話の時代以来の強い力を持つ大聖女さま」である。そのような偉大な存在のやることに文句などつけられない。


お相手がどこの馬の骨とも知らない者でなくてよかったとも思う。


しかし、ブラックリー卿はヒマリ様の……。ヒマリ様とて大切な大切な大聖女さま。理不尽に傷つけられるのを黙って見ている訳にはいかない。


ブラックリーの若造め、大聖女さまお2人を手玉に取るとは、なんと軽率で罪深いことを! とはいえ、ここでクリスを責めては、マリア様もヒマリ様も不快になられるかもしれない……そんな逡巡が見て取れた。


「クリストファー」

「父上」


歩み出たのはブラックリー前辺境伯だった。


「お前は、恥じることをしていないのだな? マリア様のお側を本気で望むのだな」

「神と大聖女様に誓って。私は父上の期待に添えない非力な身ですが、彼女とお腹の子どもの幸せだけは、この身に代えても守り抜きます」


父と息子は静かに向き合う。甘やかしのない厳しい目線で、父は息子を査定した。


「……お前を信じよう」


短い、しかし力強い一言の後、国王と貴族達へ深々と頭を下げた。


「陛下、そして貴族の皆様。誠に勝手ながら、私からもお願い奉ります。お認め頂けるならば、ブラックリー家は、一層の忠誠を王家と国に捧げましょう」


退いたとはいえ長年国境を守り抜いた前辺境伯が、下位貴族も含む集団に向かってだ。その光景にクリスは自分も低頭しつつ胸を痛めた。

しかし、クリスが父へ謝罪の言葉を発する前に、小声で父がそれを制した。


「お前を軽んじて背負い込んだわけではない。私がしゃしゃり出なくても、お前は自身の力でこの場を治められたはずだ。だが、親は子どもを守りたいものなのだ。お前自身がそう言ったようにな」

「ありがとう、ございます……っ」


クリスは唇を噛み締めて潤む目を堪えた。

少し、風向きが変わりだした。


機会を逃すまいと手を上げたのはヒマリだった。


「私からもいいですか。私とクリス先生は、皆さんが思っていらっしゃるような関係ではありません。私はクリス先生を慕っていますが、それは兄のようにです。そして、マリアさんを姉と思っています。お2人の望みを叶えるように、私からもお願い致します」


マリアはヒマリに嫉妬して、何も言わずに離れてしまったのに、ヒマリは今もマリアを姉のようと言ってくれた。嬉しくて、ありがたくて、今度はマリアの目頭が熱くなる。


でも、それが溢れる前にヒマリがマリアの方を見て、小さく目配せを送ってきた。


「それに、私にも他にちゃんと好きな人がいます。後日皆さんにきちんとご紹介しますから、私を信じて待っていてください」


年相応の無邪気なウインクが可愛くて、マリアは思わず顔を綻ばせた。

ヒマリとマリアの間の柔らかな空気は、自然に貴族達に伝播する。事情を知る国王と宰相は、肩の荷が下りたような顔で笑っている。


ああ、本当にこの国の人は、優しく理性的だ。



マリアが必死に伸ばした手は、いつの間にかたくさんの人に支えられて、さらに遠くに届こうとしている。ヒマリも、前辺境伯も、それどころか今や王も貴族達も、マリアの味方だ。




和やかな空気の中、国王はマリアを新たに侯爵に叙すと宣言した。とは言ってもこの国では爵位を持てるのは男性だけなので、正確には叙爵されるのはクリスで、マリアはその伴侶という形だが。


「でも陛下、私は大聖女でなくなる日が近いのに」

「マリア様、そもそもドラゴンがひと度怒れば、北部地方は灰燼と化すはずなのです。それを鎮めた、それだけで叙爵の対象です」

「頂く爵位が高すぎます」

「いいえ妥当です。それに、仮に生まれた御子が聖なるお力を継いでいたら……いえ。とにかく、マリア様は大聖女さまとしても、少なくとも今現在は誰より強いお力をお持ちなのですから、何卒お受け取りください」


国王は、子どもも大聖女であることを期待しているのだろう。

事実、この子はたぶん、大聖女になれる。子の生き方を限定するつもりはさらさらないが、それ故に親である自分たちの身分が高いほうが守りやすいだろう。そういった打算もあって、マリアは首を縦に振ることにした。


「ブラックリー卿は、それで良いかな?」

「謹んで拝命致します。何の功績もない我が身には余る地位ではございますが、生涯をかけてマリアを幸せにすることで責を果たして参ります」


クリスの宣誓は、王の微笑みと貴族からの拍手を以って認められた。


クリスはマリアに手を差し出す。マリアはそれに迷いなく自らの手を重ねる。固く繋がれた手を間に置いて、2人は歩きだした。

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