クリス視点(5)
それぞれの思惑を秘めたまま、ついにお披露目式当日がやってきた。
名家の嫡男であったクリスにとって、単に民衆の間を数百歩ぶんヒマリを先導して歩くくらいのことは造作もないことだった。相手がマリアで舞台が結婚式場だったのなら壇上まで心臓が保つかも怪しいが、残念ながらクリスがヒマリにときめくことはないし、逆もまた然りだ。
式は滞りなく終わって、クリスはマリアのもとに急いだ。
マリアはまだ教育係の専用席に座ったままだった。待っていてくれたのだろうか。浮ついて久々に正面から合わせたマリアの顔は、記憶の中より翳っていた。もしかして、クリスとヒマリの噂を聞いたのだろうか。嫉妬してくれたなら嬉しいが、不安にさせるのは本意でない。ヒマリとは何もないと、クリスの1番はマリアだと早く伝えたい。
「何か聞いたかもしれないけど、僕はマリアを置いていく気はないからね。少し待っていてほしい」
不確定な機密事項が多すぎて、言える言葉はあまりない。それでもマリアならわかってくれるはずだ。
それが証拠に、祭りを回る時には手を繋ぎ、恋人の証を髪に飾って歩いてくれた。離れ難い気持ちを汲み取って飛び込んできてくれた。
「······いいの?」
マリアを絶対に傷つけたくなくて、情けなくも念押ししたクリスに、マリアは無言で首肯してくれた。薄暗い廊下でもわかるくらいマリアの頬は紅かった。あまりにも可愛くて、色っぽくて、そのまま自室に引きずり込んだ。
幸せな、時間だった。
ずっと欲しかったものを手に入れられた喜び。彼女に受け入れてもらえた喜び。愛しい手を重ねたまま微睡める喜び。あらゆる歓喜でクリスの心はいっぱいだった。
満たされた時間を煩いノックで邪魔されて、内心腹を立てながら出てみたら、ヒマリと仲の良い騎士団所属の伯爵家三男が、焦った顔でヒマリが倒れたと告げた。
わざわざ身分の高い騎士が、しかもここまでなりふり構わず伝令に来るということは、ヒマリが倒れたのは間違いなく本当のことだ。妹のように思っているヒマリが心配だったのと、目の前の青年の焦りっぷりが憐れだったのと、ヒマリに万一のことがあったら婚約解消話が頓挫するかもしれないという利己的な不安とが、クリスを駆り立てた。
マリアは少し寂しそうだったけれど、大丈夫。マリアならわかってくれる。
「ごめん、行くね」
一言だけ謝って、宿舎を飛び出した。クリスが走って向かっているのは、マリアとの明るい未来に向けてのつもりだった。
***
王宮では、既に回復して恐縮しきりのヒマリと、国王と宰相が待っていた。一応診察したものの、何のことはない疲労による立ち眩みだったようだ。
最も国王たちはクリスの診断などほとんど聞いていなかった。意識を取り戻して座っているヒマリを見るや否や伝令の彼が抱きついて、しかもヒマリがそれを嬉しそうに抱きしめ返すものだから、国王はそれはもう驚いた顔をして、ちらちらと宰相と目で会話するのに忙しそうだった。
役目を終えたクリスとともに、国王と宰相もそそくさとヒマリの部屋を後にしたが、国王が宰相に小声で何かを命じ、宰相は資料室へと走っていった。おそらく今頃、伝令役の素性を徹底的に調べ上げていることだろう。
期せずしてヒマリとの婚約話が円満に白紙になりそうだ。
クリスは清々しい気持ちで、まだ早朝の王都を宿舎に向かって馬車で駆け抜けた。仕事の時間まではまだ少し余裕がある。ベッドに戻ってマリアを抱きしめてもいいし、2人でのんびりとコーヒーを飲んでもいい。
るんるんと自室の扉を開けたが、そこにマリアはいなかった。
着替えに行ったのか? マリアの部屋を覗いてみると、荷物がごっそりなくなっていた。机の上に、昨日あげた薔薇と1枚の紙が置かれている。恐る恐る近づく。
「いままでお世話になりました。さようなら」
間違いようもない、マリアの丁寧な筆跡で書かれた1行だけの手紙。
クリスは咆哮した。
そんな、なぜ、マリア。昨日はあんなに幸せだったじゃないか。
——マリアは満たされていなかったのかもしれない。
今朝、寂しい思いをさせたなら謝るから。
——わかってくれるなんて思い上がりだった。
愛しているのに。マリアも僕を愛してくれていただろう?
——愛しているなんて言われてない——。
疑問と不安が浮かんでは消えた。浮かれきっていた過去の自分に心底腹が立つ。
「謝らなくちゃ」
謝って、これまで以上に大事にして、彼女の本当の心を手に入れる。
どんな手を使っても探し出して、今度こそ手放さない。
その日からクリスはマリア探しに明け暮れたが、なかなか消息すら掴めない。それはそうだ。田舎に行けば行くほどクリスの伝手は少なくなるし、隣町に手紙1つ送るにも苦労するこの世の中で平民1人を探すなんて、山の中でたった1つの石ころを探し当てるようなものだ。
でもマリアはクリスにとってただの石ころじゃない。この世の至宝、巨大なダイヤの原石だ。諦める訳にはいかなかった。
2ヶ月ちょっとが過ぎた頃、弟から何かの手掛かりになれば、と連絡が届いた。分家の男爵夫人が、名もなき田舎の聖女に命を救われたというのだ。仮に王立治療院に行っても助からないのではというほどの重傷をみるみる治して、こともなげに去っていったらしい。
(マリアだ······!)
男爵夫妻が事故に遭った場所から1番近い村に、すぐさま人を送った。果たしてマリアはそこにいた。居ても立ってもいられず、早馬で報告を受けたその日に、クリスは治療院を飛び出した。
2日かけてマリアが今住んでいるという借家の前に辿り着いた。馬から素早く降りて、ドアの前に立つ。深呼吸を1つ。
「マリア、僕だよ。クリスだよ。迎えに来たんだ。話をさせてほしい」
「クリス、さん······」
ドアの向こうからマリアの声がした。薄っぺらい木の板1枚の向こうに彼女がいる。
見つけた。懐かしい。愛おしい。もう、逃がさない。
次話からマリア主軸に戻ります。
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