これは、恋だ
パウンドケーキの行方はわからないまま、一緒に住んでいるはずのクリスの様子を、週1回ヒマリから聞く日々が過ぎた。気づけばヒマリが王城に保護されてから丸2ヶ月が経った。
その間ヒマリは勤勉に教育に向き合ってきたわけで、3ヶ月で設定されているカリキュラムを飛び級する形で、ついに民衆に大聖女としてお披露目されることが正式に決定した。
「だから、このお茶会は今日が最後になるんです······」
「そっか······。任命おめでとう! なんだけど、やっぱりヒマリちゃんになかなか会えなくなるのは寂しいなぁ」
「私の方こそです!! あの、これからは国中あちこちの魔物討伐に出向かないといけなくなるから、今までみたいに定期的にお約束はできないんですけど······でも、お城が本拠地なのは変わらないから、帰ってきてる時はご連絡してもいいですか?」
「当たり前だよ! 私からも、手紙とか送ってもいい?」
「絶対ですよ!? すぐお返事書きますから!」
たった2ヶ月の付き合いだが、自分の他に唯一故郷を知る女性なのだ。マリアとヒマリはかなり打ち解け、互いに親友か姉妹のように思っていた。だから、気軽に会えなくなるのは心の底から悲しいことだったのだ。
自分は偽物、ヒマリは本物。正式にそう認定されたという事実はマリアの心に小さなトゲを残したけれど、その正体はヒマリへの嫉妬ではなくマリア自身への失望だ。
「あの、先生達はお披露目式の良い席にご招待できることになってて······マリアさん、見に来ていただけますか?」
「うん、絶対行くよ。ヒマリちゃんの晴れ姿だもんね」
「庶民には気が重いです······何なら服とかベールもめっちゃ重いんですよ······」
ヒマリはずーんと落ち込んだ顔をして言った。
「あと、あの、先にマリアさんに言っておかなきゃいけないことが」
「なぁに?」
「当日、エスコート役がいるんですけど、それがクリス先生に決まってまして」
「あぁ······」
マリアの脳裏に、綺麗に着飾ったヒマリを優しくエスコートするクリスの想像図が浮かぶ。
ちくり。心のトゲが太くなる。
「本当はクリス先生はマリアさんと一緒に行きたかったんですけど、国王命令とかで仕方なく······ごめんなさい」
ヒマリのこれは嫌味でも無邪気な悪意でもない。純粋に、マリアに真摯に向き合った結果の報告だ。
それでも、クリスでなくマリアからエスコートの件を聞かされたことがショックだった。ヒマリがクリスの本心を断定形で言い切れることが、今のクリスとの距離感を示しているようで、内容を素直に飲み込めなかった。
「そうなんだ。教えてくれてありがとう。私は1人で大丈夫だから、気にしないで」
マリアにはVIP席が用意されているらしいから、女一人でお披露目式会場に行っても悪目立ちすることはない。もし胸が痛んで蹲りたくなっても、最初からふかふかの椅子に座っていれば誰にも見咎められないだろう。
もともと偽物のことなんて誰も見ていないだろうから。
***
お披露目式は、城や神殿ではなく、王都の中央広場で行われる。お披露目する相手が貴族ではなく国民だからだ。広場には壇が組まれ、壇への道筋に深紅の絨毯が敷かれ、街灯や店の看板はリボンや花で装飾品として完成させられている。広場の外周には屋台が立ち並び、くし焼きらしい香ばしさをあたりに漂わせていた。絨毯を挟んで左右に民衆が押し合いへし合いして大聖女の登場を心待ちにしている。
「まさにお祭り騒ぎといったやつですね」
「ええ、何せ80年ぶりの式ですから」
「魔物が減れば暮らしも豊かになる。だから、花屋も食堂も今日ばかりは大盤振る舞いで大聖女さまの門出をお祝いしているとか」
「ほう、さすがはヒマリ様。姿すら未だお見せにならずとも、そこまで民衆から愛されるとは」
マリアは壇に向かって右横に設けられた教師席の一番後ろに座って、前にいる経済学者と歴史学者の話から情報を得ていた。
「さ、間もなく時刻のようですよ。音楽隊が楽器を構え始めましたから」
「なんだか我々まで緊張しますな。恐れ多いことですが、愛娘の旅立ちを見守る気分です」
「わかりますよ。それもこれもヒマリ様のお人柄でしょうな」
その時、金管楽器の音が鳴り響き、大聖女の登場を告げる。
絨毯の向こうに目をやると、白地に金の刺繍が施されたローブを身に纏い、白いレースのベールを被ったヒマリが馬車の中から姿を現した。民衆が期待にどよめく。ヒマリに滑らかに手を差し出すのが、シルバーを基調としたスッキリとしたデザインのスーツに身を包んだクリスである。
絨毯に降り立ったヒマリは、半歩前に立ったクリスの左肘に右手を置き、優雅に歩き出した。
(結婚式みたい)
マリアはそう思ってしまった。ヒマリの服は大聖女らしく慎ましやかで、華美なドレスではないのだが、ヒマリの可愛らしい顔立ちと隣を歩くクリスのスマートさが相まって、十二分に眩しい光景だった。
ちくり、ちくり。胸のトゲが主張する。
(ちがうちがう。ヒマリちゃん、きっと内心すごく緊張してるんだろうなぁ。晴れ姿、しっかり見てあげなくちゃ)
「あぁ、やはりご婚約者はブラックリー卿に決まったのですね」
努めて切り替えたマリアの耳にとんでもない言葉が飛び込んできた。
「それはそうでしょう。年頃と言い、家柄と言い、何より家を継がずに新たに叙爵するためには、彼以上の適任はおりますまい」
「大聖女さまの地位を確立するためとなれば、やはり慣例的に夫たるブラックリー卿は侯爵に叙されるのでしょうか? いやはや、羨ましいことです」
「ブラックリー辺境伯も驚いているでしょうな。廃嫡したはずの放蕩息子が同等の爵位を得るなど。まあ正式な決定はヒマリ様のお気持ち次第になりますが、聞けばお二人は随分ご親密な様子。めでたい知らせが届くのは時間の問題でしょう」
婚約者? 夫? 彼らは何を言っているのだろう。マリアはクリスから何も聞いていない。クリスが、マリアに何も言わずにヒマリとそんな仲になるわけがない。
——本当に?
ヒマリが保護されてすぐの王城での会議を思い出す。
『ヒマリさまは18歳でいらっしゃいます』
『それは······!』
『わかってくれ、ブラックリー卿』
あれは、そういうことだったのか。
そしてあの日からマリアとクリスの歯車は狂い始め、ろくに話もできないどころか、互いの気持ちを読み違ってばかりいたではないか。マリアが知らない内に話が進んでいても不思議は何もない。
ゆっくりと壇上に到達したヒマリとクリスだが、ヒマリを神官長のいる中央に残し、クリスは壇から降りて控える。マリアたち教育係席の前に斜め立つ形になる。ぴんと伸びた背中が、いつだか目の前でマリアを守ってくれた背中が、いつの間にかこんなに遠い存在になっていた。
ずき、ずき。トゲは次第に杭になる。
神官長が大聖女ヒマリの名を高らかに宣言し、民衆がそれに呼応して歓声を上げる。クリスがヒマリを迎えに行き、手を取って民衆と触れ合える位置まで連れて行く。民衆はさながら空港でハリウッドスターを待つファンのようにロープや警備の隙間から手を伸ばしてヒマリを歓迎し、ヒマリが握手に応えるなどすれば、涙を流して喜んでいた。
民衆の熱狂に圧されるヒマリをさりげなく支えるクリスがヒマリを見つめる目線には、幸せが滲んでいた。
(そこは、私の場所だったのに)
ぴしり、突き立った杭がついにマリアの心にヒビを入れた。割れた心の隙間から溢れ出してくる。恐怖。やるせなさ。諦め。嫉妬。
——愛おしさ。
恋は綺麗なものじゃない。わかったつもりでいた言葉。
そのとおりだった。
これは、恋だ。
お読みいただきありがとうございます。
ご評価、ブックマーク等頂けると大変励みになります。




