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09『服を着てみたい』

 エリーの鼻をくすぐったのは、食欲を刺激するにおいでした。


「ねぇクロネコ、どっかでお肉焼いてるよ。おなかすいたし、とりにいこうよ」

「え、食欲あるの今?」

「あるよ。全部出ちゃったし」


 二人はついさっきまで、嘔吐と排泄を繰り返していました。原因は、ナイルの花の食べすぎ。要するに、二日酔いですね。


「ねぇーいこうよ。お腹すいたよ。死んじゃうよ」

「猫鬼は長い間食べ……まあ、いいわよ。行こう」


 クロネコが「猫鬼は長い間食べなくても生きていけるでしょう」と言い切らずに立ち上がったのは、エリーの「死んじゃうよ」という言葉を不快に感じたから。


「死んじゃうよぉ」

「死なないわよ……ま、でも僕も、お肉は美味しいから行ってもいいけどって気分なんだけど?」


 エリーのわがままを解決するには、殴り殺すか、言うことをきくかのどちらか…………今回は、後者を選んでみることにしました。


「やったぁ! クロネコ大好き!」

「エリーが好きなのは僕じゃなくてお肉で――あ痛たたた…………」 

「クロネコ、大丈夫?」

「ごめん、もうちょっと待って。まったく、なんなのかしらこれ」


 また下ってきた腹をさすりながらしゃがんだクロネコは、謝罪すると少し体が気持ち良くなる理由について考えていました。エリーに謝ると膝の裏がジンジンと少しだけ、ほんの少しだけ気持ち良くなるのです。


「服、着てなくてよかったね。絶対汚くなるよ」

「エリー、服着たことあるの?」

「ないと思う」

「僕は、一週間前まで着てたよ」

「そういえば、前に会った時は着てたね」


 クロネコには一週間を正確に数えるだけの教養がありましたが、エリーにはありません。


「俺、服着てみたい。着ないと死んじゃうよ」

「死なないでしょ。まあでも、服は僕も着たいし一緒に探してあげるよ」

「ありがとう、クロネコ」


 エリー、人生初の感謝でした。




 スンスンと肉の焼けるにおいをたどり、その発生源である、やたらと大きな家が集まった村にたどりついたのはそれから三日後のことでした。


「なるほど、そういうことね」

「食べるとこ、全然ないよ」


 半日でたどり着ける距離でありながらこれほどに時間がかかったのは、途中で二度クロネコがエリーを殴り、損傷した部位の再生を待っていたからです。


「しっかり焼いてるわね」

「なんで死んじゃうのかな? ねぇ、みんなまとめて死ぬ必要ってある?」

「そういう教えなんでしょ」


 村の中央にある広場での集団焼身自殺。あの美味しそうなにおいは、人の焼けるにおいだったのです。


「クロネコが俺のこと殴らなければ、間に合ったかもしれないのにね」


 エリーの言葉にクロネコは苛立ちましたが、ここで殴ってはいけないと拳を強く握り我慢をします。


「無理よ、このにおいがした時点で絶対間に合わない」


 焼けた肉のにおいにかすかに混じるのは、ある特殊なオイル独特の爽やかな香り。短時間で、人間と人間が身に着けているものだけを焼き尽くす性質を持つ不思議化の影響を受けた香油のにおいです。


「間に合ったかもよ?」

「無理よ。レリジョンオイルが使われているもの」


 レリジョンオイルという名の香油には、飲むことで蝋化を防ぐ効果もあるのですが……量が限られており、製造法も明らかでないため、貯蓄量が少なくなると自殺に用いられることが多いのです。生きたまま蝋になっていくのは、つらいことですからね。


「はぁ、久しぶりにお肉食べたかったなぁ」


 球体から平面へと変化した世界の各所に、まるで最初からあったかのように置かれていた甕。レリジョンオイルは、その中に入っていたものです。その後、甕の数が増えることはなく、オイルが新たに甕の底から湧くこともなく。結果、奪い合いが起き当時の世界人口が三分の一程になってしまったという、いわくつきの品でもあります。


「わがまま言わないで」


 オイル戦争終結からもう随分と経った今の時代まで、この村の人々が生きながらえることができたということは、相当な量を所有していたということ。先祖がたくさん殺して、たくさん集めたのでしょうね。


「お肉食べたいって言うのって、わがままなのかなぁ」


 影のように黒い死体は軽く蹴飛ばすだけで散らばってしまいました。骨まで真っ黒。食べられる部位など、ひとかけらもありません。


「肉はあきらめて、服を探せばいいんじゃない?」

「さっすがクロネコ! 頭いいね!」


 周囲の家はみな木造ですが、何人も焼き殺した炎の影響を一切受けていませんでした。なんせ、この、手足の腱が縮み切った死体をつくったのは、人と、人が身に着けているものだけを焼く性質を持ったレリジョンオイルですからね! 繰り返しになってしまいますが、このオイルを燃料とする火は人間と人間が身に着けているものだけを焼き、役目を終えるとすぐに消え去ってしまうのですよ!


「あの家なんて、いいんじゃないかしら。可愛いわ」


 目を付けたのは、白壁と赤い屋根の家。バルコニーには、鉢植えにされたナイルの花が見えます。


「鍵、かかってるね」

「そんなの、壊せばいいじゃないの」


 バコン。クロネコが華奢な脚で蹴飛ばすと、頑強そうに見えた扉はいとも簡単に壊れてしまいました。


「あ、人」

「一緒に自殺しなかったのね。あ、こら! まちなさいエリー!」


 怯えた顔で奥へと逃げていこうとした少年を、エリーが捕まえます。焼けていないなら食べられる。エリーの口の中によだれが溢れてきました。


「い、いやだ! やめ! やめて!」

「クロネコ、一緒に食べよう! どうする? 殺す? 生きたままのほうが美味しいかな? あはは、こんな子どもははじめて」


 嬉々として喋るエリーのほうが、少年よりも小さいのですが……。


「やだっ! 離せ!」


 バン! エリーが少年を絞めようとしたとき、破裂音が鳴りました。少年が隠し持っていた小さなピストルで、撃ったのです。


「びゃあああ……いたい……」

「エリー! このっ、糞ガキ!」

「……だ」


 クロネコは雷光のように走り、少年を蹴り殺します。


「エリー! 傷口を見せて!」


それから、顔を押さえてのたうち回るエリーの頭を両手でがっしりと掴みました。傷口の様子を見ようとしたのです。


「痛いいい! 痛いよぉ!」

「エリー!」


 尋常じゃない痛がり方に、クロネコは嫌な汗をかきます。


「痛いっ、痛い痛い痛い! 離して! 離して!」

「エリー! 手をどけなさい!」


 顔を覆っている手を無理矢理剝がすと、ボキンという音がしました。勢いあまってエリーの手首を折ってしまったのです。二人の力の差は再会した時よりも、さらに、大きくなっているのです。


「うううああああ!」

「くそっ、やっぱり!」


 弾丸が破壊したのは、エリーの眼球。怒りに身を任せて暴力をふるっているときのクロネコですら傷つけることを躊躇する部位でした。


「目が痛いっ……痛いよクロネコ!」

「見せて!」

「ぎゃああああああ!」


 血だまりとなった窪みに口をつけ、血と弾丸と破裂した眼球の残骸を吸い出し吐き捨てます。


「大丈夫、大丈夫だから!」

「ひいいぎいいあああ、クロネコ! 痛い! すごく痛い! 助けてぇ!」

「大丈夫、大丈夫だから!」


 すぐに血で満たされる眼窩。猫鬼であろうとも眼球は再生できないという知識と常識が、クロネコの不安をどんどん大きく育てていきました。

 

 どうすればいい?

 どうすればいい?


 そもそも、血が止まらなければどうなるのか?

 血がなくなると、エリーは死ぬのか? 

 目をやられたときも、体内で血を増やし補うことはできるのか? 


 焦るクロネコの脳が、あるアイデアを思いつきます。


「エリー! 口開けて!」


 クロネコの爪が、七センチメートルほどに伸びて熱を帯びました。


「痛い、痛いいいいいい」

「エリー! 大人しくして! もう少しだから!」


 爪で服ごと少年の腹を引き裂き、赤紫色の臓器を引きずり出します。


「痛い! 無理! 痛いよぉ!」

「食べて!」

「無理ぃいいいいい」

「ならっ……!」 


 クロネコは臓器を齧って何度も噛み潰し、エリーに口づけをします。


「んっぐ……ん」

「むっぐ」


 ぐちゃぐちゃになった少年の内臓を、舌で無理矢理エリーの喉の奥へと押し込んで――。


「ぐむう! んんむう!」

「あむっ!」


 飲み込んだことを確認すると口を離し、再び臓器を頬張り奥歯ですり潰します。


「うっ…おええっ!」

「吐くな!」

「ぎゃあああああ!」


 ゴボンと噴き出した吐瀉物にクロネコは怒り、エリーの顔面を垂直に殴りつけてしまいました。


「あ……ごめん。でも、吐かないで!」

「うう、がんばるから! がんばるから! 殴らないでぇ」

「がんばって、殴らないからがんばって」


 クロネコはそれから何度も少年の臓器を咀嚼し、口移しでエリーに与え続けました。もし、仮に眼球損傷による出血を、体内造血で補えないとしたら……内臓、つまりは血の材料をたくさん与えればよいと考えたからです。

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