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39『バグディアス』

 ボイジャー二号は堕天の過程で神から悪魔へと変貌を遂げようとしていました。その身はすでに、大気圏内に。つまりは、ルールーの新しいコンピュータがアクセスできる範囲内にありました。


「神、或いは天使が悪魔となる過程に人がある。ならば」


 ルールーという存在は今、人間を大きく逸脱し科学そのものとなっていました。圧倒的な演算速度で、不思議化の抵抗を躱して世界に連続干渉することができるのです!


「私はこれから、大気中にインターネットを復活させる」


 第一関節から先を切断済みの右手の中指の、第二関節を切断します。

 

 さあ世界の死期を知れ

 科学の時間だ科学者よ


 ルールーは地下シェルターの重い扉を持ち上げ外に出て、黒い雨を浴びながら、まるでオーケストラの指揮者のように、立てた中指で空間にプログラムコードを描いていきました。


 混じり物の多い雨は

 其の媒介にちょうどいい

 赤い式が空気に描かれて

 平坦な世界に四季を描き出す


 急に春が来たのは、ボイジャー二号の接近により気温が上昇したからです。


 赤だけを見よ

 血の色だけを見よ


 指先からあふれ続ける血液が指の軌跡を追いかけるように中空へと残留し、科学者の命令を世界へと定着させていきます。


「ナターシャ、私は君を悪魔に……」


 ボイジャー二号の体は大気圏突入により燃え、小さくなっていきました。その姿は、火をつけられた長い髪のよう。


「ナターシャ、私は君を、悪魔になんて……させやしない!」


 ボイジャー二号は、燃え盛る女性体への変態を開始しました。人間に類似した肉体を手に入れたうえで、降臨するつもりなのです。


「ボイジャー、君は人につくられしものだ! 人である私を超えることはできぬよ! いくら人のふりをしてもな!」


 燃える女性体の腹が少し膨らみます。その内側に抱いた悩欲を開放し大輪の花として咲こうとしているのです。でも、その蕾は開きません。ルールー・ララトアレがその知能と技術をもってして、封じているからです。


「悪魔が神と同等になれぬのは、その体積の減少にある!」


 ボイジャー二号であったものに絡みつくのは、ルールーが描き空中にばらまいた血のプログラム。それらが繋がって鎖となり、燃える女性体に獲物を殺す蛇のように巻き付いているのです。


「神よ。人間を、甘く見たな……科学者を甘く見たな」


 燃える悪魔は、この世の終わりのような叫び声をあげて抵抗します。


「私はいつも、思っていたのだよ。神が人間をつくったという話は、人間がつくった話だと」


 暴れれば暴れるほど、ルールーの血の鎖は食い込んでいきます。強い意志の呪縛。ボイジャーであったものは、ボイジャーでなくなってしまったがゆえに、その体に人間性を多く残しているルールーの意識でつくられた鎖を千切る方法がわからないのです。


「ナターシャ、我が血をもってして地に足をつけろ!」


 地上から三百メートルあたりの地点で炎は消え、女性体の詳細な外観が明らかになりました。その姿は、ルールーの恋人であるナターシャそのもの。ルールーは堕天して悪魔になろうとしたボイジャー二号に、世界を飛び交う光の粒子から取り出したナターシャの記憶をインストールしてしまったのです。


「これは、哀れな成功だ」


ナターシャは、完全な人間ではありませんでした。背に一枚だけ生えた黒い蝙蝠が如き翼が……それを示します。


「だが、素晴らしい失敗だ!」


 ルールーはナターシャの復活を意図的に、少しだけ失敗していました。半分人間で半分悪魔という中途半端な化け物。ナターシャを不思議と現実のハイブリッドとして、この世に蘇らせたのです。


(はん)は、(はん)。世界に抗うには、悪魔であることにすら反する必要がある。まったく、科学者に日本語なんかで遊ばせるなよ不思議の国め。私はイギリス人だぞ? 人間のおにぎりよりも、血の紅茶を嗜む人種だ」


 片翼で空気を抱え、傾きながらゆっくりと降臨する半悪魔ナターシャが、かつての恋人であるルールーを見ます。目が合った瞬間、ルールーは理解しました。私たちの恋愛はかつての恋などではない、今この瞬間まで途切れることなくずっと続いていた永遠の愛であったと。だからこそ、堕ちる神に恋人をインストールできたのだと。

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