13『原典モドキ』
焼死体だらけの村を後にしてから、七日後。クロネコとエリーはシアノバクテリアだらけの泉のすぐそばで襲撃を受けていました。
「噂のクロネコ、めっちゃザコいにゃあ」
「あなた……誰」
クロネコの左腕をひと蹴りで折るほどの強敵。エリーに至っては一発で気絶させられ、泉にぷかぷかと浮いています。
「名前なんてないにゃあ」
鋭い牙を見せて答えた敵の頭には猫の耳……猫鬼です。
「あるでしょう、名前くらい。あなた、どう見ても特別製なんだから」
クロネコは思います。この猫鬼も自分たちと同じような、脳内に本を搭載したカスタム品かと。
「名前があることが特別? そんな思いあがりをしているおまえなんかに名乗りたくないにゃあ」
敵が発する純粋な殺意に、クロネコの首筋がざわつきました。
「なら殺す」
殺さなければ殺されると、本能が警告します。
「おまえには無理にゃあ!」
「死ね」
跳躍と攻撃。クロネコは、三センチほど伸ばした爪で敵の喉を完璧に抉った……はずでした。
「甘いにゃあ」
「がっは……」
ギリギリのタイミングで避けられ、腹に叩きこまれた拳。パンッ、と体内でなにかが割れた音と感触があり、口の中に鉄の味がこみ上げます。
「不思議の国も大したことないにゃあ」
「げほっ……げほっ。あなた……どこまで知ってるの……」
敵は、クロネコの頭の中に『不思議の国のアリス』が埋め込まれていることまで知っているようです。
「おまえに腕はもったいないにゃ!」
「はぁっ? ああっ!」
敵の爪が三十センチほどに伸びたことに気づいたときには、右腕が斬り落とされていました。そして、右腕が斬り落とされたことに気がついたときには、左腕も斬り落とされていたのです。
「にゃあの爪はめちゃくちゃキレるにゃあ!」
「うっぐううううう!」
残っているのは、両肩から少し先の部分だけ。いくらクロネコでも、再生して元通りになるには丸一日はかかるでしょう。
「さて、どうするにゃクロネコ」
「はぁっ………」
クロネコは呼吸を整え、痛みを感じないよう感覚を一部遮断します。
「クロネコ……下がって」
「来ちゃだめよエリー!」
「クロネコのほうがだめだよ!」
いつの間にか意識を取り戻し陸地へと戻ってきていたびしょ濡れのエリーが、クロネコと敵の間に立ちました。
「僕に無理なら、エリーでは無理よ!」
エリーの白い服に張り付いたシアノバクテリアのにおいが、クロネコの心をざわつかせます。
「クロネコより弱いおまえがなにをするつもりだにゃ」
敵は、すぐさまエリーに飛び掛かります。
「ぎゃあっ!」
「エリー!」
両腕を斬り落とされたエリーは――――
「にゃぎいっ!」
「んっぐう!」
そのまま敵の胸に食らいついていました。そう、エリーは自分の腕を囮にすることで相手の隙をついたのです!
「んんむむむ!」
「ぐっぎ……離せにゃぁ」
牙を食いこませたまま首をひねり、肉を喰い千切ろうとするエリーを必死に止めようとする敵。
「んんむうううううう!」
「このっ……離せにゃあああああ!」
両手でエリーの頭を押さえているせいで、爪による攻撃ができません。爪を三十センチまで伸ばしているので、上手く食い込ませることができないのです。
「むぐうううう! むう!」
「なに言ってるか……わからないにゃあ!」
「エリー! 逃げて!」
なんとか左手だけで頭を押さえることに成功した敵が、腕を振り上げます。狙いはエリーの首。
ゴトン、ブシュウ
首が落ちて、派手に血しぶきがあがりました。
「あ……あれ?」
エリーの首はつながったままです。
「にゃんにゃんだよ………おまえは」
「エリー……あなた……」
落ちたのは、敵の首。もちろん、切断したのはクロネコではありません。彼女には今、腕が一本もありませんからね。
「えっと? え? あれ? えええええええええええええ!」
自身が何故か勝利してしまったことに気が付いたエリーの、驚きの声が響きました。
「うわっうわっ! 死んでる! どうしようクロネコ! 俺、なにしちゃったの?」
「……ちょっと待って、僕も理解が追いつかないわ」
クロネコの頭は今、血を流しすぎたせいと、両腕を切断された痛みでクラクラ、クラクラ、クーラクラ。
「クロネコぉ!」
「もう……わかったわよ! うわっ!」
躓いたクロネコは、両腕がないせいでバランスを上手くとれません。でも、大丈夫です。
「ふう、よかった」
しっかりと、エリーが受け止めてくれましたから!
「ありがとう、エリー」
クロネコを抱き抱えるエリーの腕は、三本。だからこんなにも安定しているのですね。
「腕が三つあると、上手に抱っこできるね」
そうそう。そういうことです。
「なに言ってるのよ……あなた、今異常なことが起きてるのわかってる? 腕が三本だなんて、おかしいわよ? 再生もありえないくらい一瞬だったし。わかる? ありえないのよ?」
「そうだった! ありえない! クロネコぉ! 説明してよぉ!」
エリーはびっくり大慌て!
「はいはい」
あきれ顔でため息をついたクロネコの心臓は、バクンバクンバクンバクンバクンバクンと激しいリズムを刻んでいました。クロネコもエリーの腕がいきなり三本になってしまったことに、本当に本当にびっくりしていたのです。
「やっぱり俺、腕三本あるよね?」
改めて確かめても、腕は、一、二、三本ありました。
「そうね、三本あるわね」
クロネコももう一度、一、二、三と数えてみました。
「ねぇ、なんで三本もあるの?」
「順を追って説明する……わね。えっと――」
説明なんてできないわよと思いつつ、クロネコは説明をはじめます。
「――まずあなたがあいつに殺されそうになったのよね。あいつが、あなたの首を斬り落とそうとして……」
「え! こわ!」
胸に噛みついていたエリーには、振り上げられた爪が見えていなかったのです。
「その時、あなたの腕が突然生えた。ズバン! ってびっくりする速さで再生したのよ」
「そんな速い再生ある?」
「現にあったじゃないの」
同じように切断されたクロネコの腕は、ようやく二センチ再生できたかできていないかくらい。これでも、異常な回復速度ではあるのですが…………。
「…………。さて、話を続けるわね。あいつは咄嗟の判断で攻撃をやめてあなたの手首をつかんだ。あの速度で生えた腕に反応して防御に切り替えるなんて、流石だと思ったわ」
「誰が流石なの?」
「あいつよ」
クロネコは、頭のない死体を指さしてそう言いました。
「その流石の人を、俺が殺したんだよね?」
「そう」
「なら俺はもっと流石?」
「そうでもないと思うわ」
冷たいクロネコの返しに、エリーは不満そうな顔でほっぺたを膨らませます。
「あれ? でも、あいつ俺の腕をつかんで止めたんでしょ? どうやって俺はあいつを殺したの? あいつの首取れてたよね」
「止めたのは、二本よ。当然でしょう、あいつの腕は二本なのだから」
「?」
「二本の腕で二本の腕をつかんだら手が空かなくなるでしょう」
「まあ、そうだけど。じゃあどうやって殺したの?」
エリーは死体の腕を、一、二、と数えながら尋ねました。
「三本目の腕が生えたのよ。それで首を斬り落とした」
「えええええ!」
「いや、さっき数えたでしょう。なんで今驚いてるのよ」
「ごめん、今のはわざと」
エリーの三本目の腕には長い爪が生えていました。
「茶化されてムカついたし、この話はもうここまででいい?」
「え! やだよ!」
腕のないクロネコは体を傾けて勢いづけ、エリーの三本の腕の中から器用に立ち上がります。
「どうせわかんないことだらけだし、これ以上話してもしょうがないじゃない」
「うん……」
わかんないと言われて、エリーはシュンとしてしまいました。
「それに、確かめないといけないこともあるし」
「クロネコ、無理しちゃだめだよ」
「このくらい、大丈夫よ」
クロネコはふらつきながら歩き、転がる敵の頭の近くで立ち止まります。そして、思いっきり踏み潰したのです。
「服、汚れちゃったね」
頭の中身がクロネコの白い服に飛び散っていました。腕を斬られたときに出血でびちゃびちゃになってはいたのですが……やはり脳の破片は目立ちますよね。
「服なんてどうでもいいのよ。ほら、見てごらんなさい」
腕がないということは、当然、手の指もないので……あごをクイと動かし割れた頭蓋骨の中を見るように促します。
「頭の中なんて見てどうすんの? あれ? なんかあるね」
崩れた脳の中から、頭の中にあるはずがない形をしたなにかが見えます。
「うわ、これ本だ! 頭の中に本がある! 変なの!」
「僕の頭の中にも本があるんだけど」
「えへへ、ごめん。あ、俺の頭にもあるんだっけ」
「僕はそう思っているわ。そんなことより、その本の表紙、なんて書いてあるか見れる?」
「ちょっと待ってね」
スルリ。脳から本を取り出す感触は、なかなかに滑らか。
「字が書いてあるよ」
「どれどれ。これはね、アリス、と読むのよ」
エリーが引きずり出した本は脳まみれでしたが、表紙に『Alice』と書かれていることは容易に読み取ることができました。
「クロネコの本と同じ?」
「そうね。でも、おかしいわ。なんで僕より強いのかしら」
表紙のタイトルを和訳すると『永遠の国のアリス』となります。
「でもアリスの本でしょ?」
「それはそうだけど……」
見たことも聞いたこともないタイトルでしたが、一つだけ間違いのないことがありました。クロネコの頭の中にある『不思議の国のアリス』がアリスシリーズの第一作目であり、最も強い本であるということです。
「俺の頭の中の本とも違うの?」
「あなたの頭の中にはね……まあ、ややこしいからこの話はやめましょうか」
クロネコは、エリーに出会った時にこう思いました。ああ、この子の頭の中には不思議の国のアリスの続編『鏡の国のアリス』の原典が入っているのかと。そうでなければ、自分とほぼ対等に渡り合えることの説明がつかなかったのです。
「ともかく、僕よりも強い本なんて、ありえないのよ」
続編が一作目に勝てるはずがない。これは、クロネコがかつて博士のもとにいたときに教えられたことでした。でも――――
「でも、負けたよね」
「うるさいわね! あ……怒ってごめん……エリー、僕のこと助けてくれたのに」
クロネコはしおらしく、でもどこかわざとらしくエリーに感謝を伝えました。
「あはは、いいよ気にしなくて。最初に助けようとしてくれたのも、最初に腕斬られたのもクロネコのほうだし」
エリーは三本ある腕のうち、どれで頭を掻けばよいのか少し悩みながらはにかんだのです。




