6話
「リオール、貴方は立派な大人になったのね。でも、私は全然ダメ。社交界ではうまく立ち回れなくて、ビスコーテ家の立て直しだってお姉様達の協力なしでは何もできないのよ。私はきっと貴方の役には立てなくて、足を引っ張るだけ。だから、友人ではだめかしら? 結婚しなくても、いい関係は築けると思うの」
「……チェルナ……」
「驚いたかしら? 子供の頃の私は自信満々で、だから家格の違う貴方にも強引に結婚を迫ったのよね。無謀なことを、貴方は許してくれたけど。今は……少しも貴方の横に並べる気がしないわ」
チェルナがそう言った後、リオールはしばらく黙っていた。
沈黙が続き、彼の反応がないことに不安を感じ始めた頃。
「長い間、ひとりにしてごめん」
彼がぽつりと言った。チェルナは思わず顔を上げ、彼の顔を見た。
リオールはすまなそうな苦い表情で彼女を見下ろしていた。どうしてそんな顔をするのか理由がわからないでいると、彼は再び口を開いた。
「君と結婚の約束をした時、社交界で適齢の未婚の女性が一人でいるとどれほど注目されるのかを、僕はわかっていなかった。君をエスコートしない婚約者なんて、他人から見れば架空の存在でしかない。好奇心を煽る格好の的になると今なら想像できるが、異国にいた僕は君の状況を少しも理解しようとしなかった」
「リオールは外国で勉強していたのだから、しかたがないわ」
「チェルナ、僕は君が僕から絶対に離れられないように、わざと父に君とのことを話した。父に話せば、正式な婚約に話を進めるとわかっていたからね」
「……」
「君が婚約解消を望んでも、僕とダンフォード家を説得できなければ解消の手続きはできない。実際に、僕はそうしただろう? 君がひとりで悩んでいたのに気づきもせず、婚約を解消したいという手紙を読んで、社交界にデビューした君は他の男に心変わりしたのだと思った。だから、正式な婚約が成立していることを君に伝えなかった。他の男と結婚する時に、それを知って君が困ればいいと思ったんだ。結婚するためには、まず僕との婚約を解消しなければならない。僕を納得させなければ誰とも結婚はさせないとね。ずいぶんと酷い男だ」
自嘲気味な笑みを浮かべているリオール。彼の口から語られる内容に、チェルナは驚きはしたが酷いとは思わなかった。他の男性と結婚するなら、そのくらいの誠意は見せるべきだと。ただ、チェルナの解消理由は心変わりではないので、彼に誤解を与えたことは反省しなければならない。誤解とはいえ、彼の表情をみれば彼が嫌な思いをしていたのは間違いないのだ。
「リオールは……私がしつこく迫ったから、渋々結婚を承諾したのだと思っていたわ。だから、私からの婚約解消の申し出には、賛成してくれると……」
そう言いながら、チェルナは改めてリオールの発言を考えているうちに、自分もまた彼を誤解していたことに気づく。
リオールはチェルナを他の男性と結婚させたくないと、架空の存在にまるで嫉妬しているかのようである。彼との約束を手紙で撤回しようとしたチェルナにプライドが傷つけられた怒りも混じっているだろう。しかし、彼は仕方なく承諾したのではなく、真剣にチェルナと結婚したいと望んでくれていたのではないだろうか。だからこそ、ダンフォード卿に話し、留学前に正式な婚約まで整えた。帰国した時には結婚するつもりで。
チェルナはもちろん彼との結婚を望んで迫ったのではあるが、彼ほど本気で考えていただろうか。留学する前に約束を取り付けることに必死になっていたが。先のことは彼が戻ってから考えればいいと思っていた。彼がチェルナに正式な婚約成立を伝えなかったのは、彼女にこそその覚悟がないとわかっていたからでは?
リオールは絶対に婚約を解消するとは言わない。自ら酷いと言いながら、解消させたいなら僕を納得させろと言う。しかも、簡単に説得される気などさらさらないようで……。
リオールはこんな人だっただろうか。
チェルナは自分の記憶を振り返ってみたが、よくわからなかった。
「賛成するはずがないだろう。僕がどうして結婚を約束したと思っているんだい?」
「……私が、結婚してと迫ったから……」
「そうだとも。君が僕との結婚を望んだからだ。君が僕を気に入っていたのは確信していたが、君とそれ以上の関係を築くには時間がなさ過ぎた。君は、君のすぐ上の姉シェレナ・フィズ夫人の夫のような男が好みだったろう? あの程度の男ならごまんといる。君が知らない男と親しくなっても、僕は遠い地で指を咥えているしかないんだ。それでも君と婚約するか、ずいぶん悩んだよ」
チェルナは目をグルグルさせながら彼の言葉を聞いていた。
彼女の好きな男性のタイプは、彼の言うように姉シェレナの夫君が理想だ。力持ちで逞しくてちょっと粗雑な感じで、それでいて優しく面倒見がいい。もちろん義兄に懸想しているなんて意味ではない。あくまで好みのタイプというだけである。
しかし、それを彼に知られていたというのは、とてつもなく恥ずかしかった。タイプではないのにリオールに結婚を迫ったチェルナは、キャフベリ卿になった途端にリオールへの態度を翻したテレーサと何が違うだろう。自分の考えの浅さに唇をかむ。
「私の好きなタイプを知っていたなら、貴方は違うとわかっていたはずだわ。それなら……断ればよかったでしょう?」
「断ってどうする? チェルナを他の男に譲るのか? どうして僕がそんなことをしなければならないんだ」
「でも、リオールは私との婚約をずっと渋っていたわ。断る気だったのではないの?」
「返事を保留にして、君を女性だけの神殿に神官見習いとして勤めることを勧めようかと考えていたんだ。だが、ビスコーテ家の跡継ぎが世間知らずでは困るだろうから、手は打たなかった」
チェルナは顔を引きつらせた。リオールの言う女性だけの神殿で神官見習いとして勤めるとは、俗世から隔離された神殿の中で神に仕えて暮らす子女を指す。そういう神殿があるのは知っているが、そこはチェルナにとって牢獄に等しい。
「……そうしないでいただけて、嬉しいわ」
頭が切れる人だとは思っていたが、リオールはこの年齢で陛下から任務を与えられるほど有能なのである。七年前の彼の選択によっては、チェルナが神殿に閉じ込められた可能性もあったということ。どういう手段を取れば他家の娘にそんなことができるのかは、チェルナには想像もできないのだが。
わかっているのは、恐いくらいのリオールの執着が本気だということだ。それは何も過去のことに限らない。今の彼が貴族男性っぽくないのは、それをチェルナが好むためで。外見の雰囲気だけだが、彼に再会した時にうけた印象を考えれば、成功したといえる。
「とにかく、僕は友人で我慢する気はない。約束したのが子供の頃だったとはいえ、約束は約束だ。婚約者としての立場は譲れないよ。僕が悪いと責めてくれても構わないから、そこからスタートしたい」
リオールは自分の希望を述べた。しかし、肯定の返事しか受ける気がなさそうだ。否というなら対立することになる。対立したとして、チェルナが彼を説得しようとする間、彼が黙っているとは思えない。彼は遠くにいるわけではなく、逢える距離に戻ってきたのだ。
「まずは婚約者としてお付き合いをするということね。わかったわ。でも、私は以前のチェルナじゃないって責められたら黙ってないわよ?」
「もちろんだとも。僕が君を責めるようなことがあれば、いくらでも文句を言ってくれていい」
文句を言うだけで婚約解消するという選択肢がないことに、チェルナは笑った。
リオールの執着はかなり強いものの、チェルナの意思を尊重してくれている。だから、彼の提案を受け入れようと思った。たとえチェルナが彼に迷惑をかけるような事態になっても、彼なら何とでも対処できるだろう。彼の提案を変えさせる方が、はるかに難しい。
チェルナは怒涛のような二日間に頭が追い付いていなかったが、リオールが戻ってきたこと、明日以降に再び社交界で騒がれるだろうことを理解した。しかし、今度の騒ぎはリオールと二人。困ることはない。それどころか、これから起こる変化が待ち遠しいくらいだった。
「まだ言ってなかったわね。お帰りなさい、リオール・ダンフォード」
「ああ……ただいま、チェルナ・ビスコーテ」
二人はゆっくりセントアン・ホテルに戻ったのだった。
一年後、ビスコーテ領にある神殿の一室にて。
「チェルナ、どうかしら? きついところはない?」
ビスコーテ家二女エティナ・ダンフォードが尋ねた。美しく着飾ったドレスを身にまとったチェルナの背後に針を手に跪いている。これから結婚の儀式が執り行われるため、ビスコーテ領次期当主のサッシュを姉の手で付けたところだ。
ビスコーテ家四女チェルナ・ビスコーテは立ったまま動かずに答えた。
「ないわ、エティナ姉様」
そこに扉が開き二人の女性が入ってくる。
「ルフォナ姉様を連れて来たわ、チェルナ。お姉様と一緒だと、迷子になるところだったわ」
「この神殿のガラス窓が見惚れるほど美しかったのですもの。シェレナもそう思ったでしょう?」
ビスコーテ家長姉ルフォナ第三王子妃と三姉シェレナ・フィズである。
「それはそうだけれど、お姉様と同じで私も道順を覚えるのは苦手なのをご存じでしょう? お姉様の旦那様、トルドィウク殿下が神殿に増築寄贈してくださった回廊は、チェルナの結婚式の後にゆっくりご覧になればいいのに」
「色とりどりの光が降り注いで輝いていたのよ。あんな美しい光景を見て足を止めないなんて難しいわ、シェレナ」
「足をとめてくださればよかったのよ、ルフォナ姉様」
「足を止めたつもりだったのよ? でも、あまりの美しさについ引き寄せられてしまったのね。図案は見せていただいていたのだけれど、本物は本当に素晴らしいわ」
「えぇ、素晴らしいわ。とても評判なのよ。他の領地からも噂を聞いて訪れる人も多いんですって」
ふわふわと楽しそうにおしゃべりをしながら二人は奥へと進む。
それを衝立越しに聞きながら、エティナは小さく溜息をもらし立ち上がった。衝立の向こう側なためチェルナとエティナから入室者の様子はまだ見えない。
チェルナは二人が姿を現すだろう方向を向いて腕を組んで待つ。
「シェ姉、ルフォ姉、この部屋に来るだけなのに、どうして迷子になりそうになるのよ! もう、こんな日に心配させないで」
二人の姿を見た途端、チェルナは二人を叱る。もちろん本気で怒っているわけではない。ルフォナには第三王子トルドィウク殿下の妻なので、国の要人として警護がついている。ただ、そうはいってもルフォナの身分と現在妊娠中のシェレナでは、少しでも遅くなれば心配になるのだ。
「まあ、チェルナ、結婚おめでとう! なんて素敵なドレスなの。このドレスの緑はチェルナの瞳の色にあわせたのかしら? ほんとうに鮮やかで美しい色だわ」
空気を読まないルフォナは、チェルナの姿に目を輝かせていて、チェルナのむくれた表情には目を止めない。姉ルフォナも妹の怒りはわかっているのだが、彼女のドレスに目が行ってしまう。
「来てくださってありがとう、ルフォナ姉様。でも、シェ姉様は妊娠しているのだから、気を付けてくださらないと困るわ」
「ごめんなさい、チェルナ」
「まあいいわ。この布地はリオールが外国滞在中に見つけたそうなの。ここまで鮮やかな緑に染めるのは難しいんですって」
ルフォナとチェルナが話している横で、エティナはシェレナに話しかけた。
「ルフォナ姉様を連れてきてくれてありがとう、シェレナ。トルドィウク殿下はどうしてらっしゃるの?」
「エティナ姉様の旦那様(ダンフォード家次期当主マクオル・ダンフォード)と新郎のリオール様と一緒に談笑されていたわ」
「うちの子も一緒に?」
「子供たちは私の夫が相手をしているわ。ブレンは殿下とご一緒にいるのは恐れ多いのですって」
「まぁ……うちの子も殿下のお子様もブレン様が大好きだから喜んでいるでしょうね。ブレン様には後でお礼を言わなくては。お姉様とシェレナは鈍いから、羨ましいわ」
エティナは肩をすくめてそう言うと、チェルナとルフォナの方に目を向ける。
「ルフォナ姉様、おしゃべりしていないでチェルナに祝福をしてくださる? まさか忘れてらっしゃらないわよね?」
「忘れるはずがないでしょう? ビスコーテ家次期当主の結婚なのよ?」
ルフォナは手に持っていた小さなポーチから美しい金細工に緑の宝石をあしらったブローチを取り出した。
さっとエティナが歩み寄ってブローチを手にすると、チェルナの胸元に付ける。本来であれば祝福のプレゼントを贈る本人が直接つけるものだが。ルフォナに付けるのを任せれば、チェルナの胸にまで針を突き立てかねないのを妹達は知っていた。
そうして、チェルナの仕度が整った。
「結婚おめでとう、チェルナ」
「おめでとう、チェルナ」
「結婚おめでとう。リオール様と仲良くね」
「ありがとう、お姉様達」
チェルナは姉達に祝福され、目に涙を浮かべた。
四姉妹が揃うと騒々しい。こんなに騒がしいのは久しぶりである。
以前はずっとそうだったのに、ルフォナが王都に旅立ち、エティナが侍女として働きに出て、シェレナも結婚して嫁いでいき、ビスコーテ家はチェルナと両親が暮らす生活となって数年が経つ。姉達がいなくなったビスコーテ家はどこか寂しく、物足りなく感じることもあった。
もう戻ることのない騒がしさが、懐かしく思い出される。
これからリオールを迎え、ビスコーテ家はまた変わっていく。両親がそうだったように、チェルナも彼とともにビスコーテ家に暮らし、次代へと繋がなければならない。
この先、リオールとともに、ビスコーテの人々が笑って過ごせる幸せな日々が続くように。それが彼女の選んだ務めである。
コンコンと戸が叩かれる音がして一斉に目を向けると、戸口に父と母が神殿儀式用の正装姿で立っていた。嬉しそうな笑みを浮かべて。
「チェルナ・ビスコーテ、仕度はできたかな? さあ、私達の家に君の伴侶を迎えよう」
「はい、お父様」
チェルナは歩き出す父の後に続き、足を踏み出した。
~ The End ~
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!(//∇//)