23 湊、不覚にも風邪をひく
居間に鎮座した山神の前足の下で、白い炎が燃え上がった。
その中心にあるのは、どんぐりの木彫りである。
昨日、カッパから奪い取った妖魂を閉じ込めたモノだ。
炎のゆらめきが、苦しそうに見えるのは気の所為だろうか。
思う湊は、寝室のベッドから見ていた。
ヘッドボードに寄りかかる顔は赤く、目もうつろ。
風邪をひいていた。
ここに引っ越してきてはじめてのことである。
季節の変わり目のせいもあろうが、昨日、風が吹きすさぶ橋の上で嫌な汗を大量にかいたせいかもしれない。
あの時、妖怪から妖魂のみを抜き取った。
あまりに禍々しい妖気を放っていたから、とっさの判断でそうしたのだ。
播磨のことは見えていた。
しかしもう一人、男の陰陽師がいることには気づかなかった。
おそらく見られただろう。
風神の風のことはバレていないだろうが、妖怪から妖魂を奪ったのは、知られたに違いない。
いかにも、目端が利きそうな男であった。何より、霊力が強かった。
が、とりわけ何もいわずに去っていった。
正直、あまり関わりたくない相手だ。播磨にも気にするなといわれたのだけれども。
「無理せず、寝ておけばよかろうて」
呆れたようにいった山神が前足を払う。
白い炎は消え、どんぐりの灰すら残っていない。
「――見届けたかったから」
絞り出すようにいった湊は、ぱたりと横倒しになった。
妖魂から力だけは奪えても、その後はどうにもできない。
ゆえに、山神に始末を頼んだのである。
二つ返事で引き受けてもらえたものの、任せっぱなしは居心地が悪いため、具合が悪いなか見届けたのであった。
とはいえ――。
「勝手に始末してよかったのかな……」
「いまさらである。それに、かようなモノを手元に置いておけば、よからぬ輩に狙われるかもしれぬぞ」
「えっ、誰に、いた!」
急に起き上がったせいでめまいがして、ベッドに逆戻りした。
額を押さえていると、座した山神が静かな声で続ける。
「妖魂を好んで喰らう妖怪である」
戦慄した。
「それって……」
「まあ、共食いよな。喰らえば、己が力となるゆえ」
頭痛が増した。
湊は枕横に置いていたひょうたんを額に当てる。冷たくて心地よい。チャプチャプとひょうたんの中で、液体が動く音がする。
いつでも飲めといってくれているのだろう。ありがたいことだ。
「湊、メシは食えそうか?」
気遣わしげに声をかけてきたのは、トリカ。戸口から寝室をのぞくその後方に、小さな土鍋が浮いている。
「少しは食べた方がいいですよ」
そういったセリが寝室に入ってくると、その歩みに合わせて、土鍋が近づいてきた。
端のほうがまだくつくつと煮えている。おじやのようだ。いい香りがするのだろう。詰まった鼻ではわからないけれども。
正直食欲はないが、せっかくの厚意を受け取る以外の選択肢はなかった。
「ありがと。いただきます」
「無理しなくていいからね〜」
背中のお盆に匙を載せたウツギが軽い調子でいった。
みなの優しさを嚙み締めながら完食する頃、カタリと庭に面した窓口で小さな音がした。
リスだ。長い耳の頭をのぞかせ、こそっとどんぐりを置いた。一瞬だけこちらを見て、さっといなくなる。
そして代わりのように、べたりと窓に手をつける妖怪がいた。
「なんだい、なんだい。ずいぶん弱ってるじゃないかい」
つまらなさそうにいったのは、山姥である。
「このヤモリの黒焼きをお食べ。そうしたら、あっという間に元気になるさね」
ほいと干からびたブツを置いた。山姥は若い娘の姿をしているが、襟元をきっちりと閉じていた。
山姥も秋の装いになったのかもしれない。そう思うと、自ずと笑みが浮かんだ。
山姥が口をひらきかけたが、横から飛んできた野衾に顔面を塞がれ、倒れるようにフェードアウトしていった。
「あやつらは、気にせずともよい」
山神があくび混じりにいった。
「みんな、優しいね」
「そうさな。ぬ、起き上がらずともよい」
お見舞いの品々を取ろうとしたら、止められた。
山神が手招き、どんぐりと黒焼きのヤモリを引き寄せ、サイドテーブルに置いた。
「もう、眠るがよい。治るものも治らぬぞ」
「――うん、そうする」
布団をかぶっていると、山神の気配が強くなった。
見れば、山神は庭の方へ顔を向けていた。ふっと息をつく。
「新たな客が来ておるが、いかがする。追い返してもよいぞ」
珍しく雑な扱いである。おそらく神ではないのだろう。
「――入ってもらっていいよ」
「よかろう。なれど寝たままでよい」
山神が打ち払うように、大きく尻尾を振った。
ほどなくして窓の外に、ひょっこりと姿を現した。
甲羅を背負うカッパであった。
昨日、妖魂から妖力を奪った相手だ。そのため、湊より大きかったその身は、すっかり縮んでしまっている。
力を取り返しに来たのだろうか。
否、とてもそうとは思えない。暗い面持ちは、後悔に苛まれた人間のように見えた。
『キュエ。あの、その……』
視線をあちこちへ飛ばし、まごついている。
それは、山神が射抜くような眼を向けているせいもあるかもしれない。
ともあれ、カッパに敵意がないのは明らかだ。
「俺に、文句をいいに来たの?」
あえて水を向けると、カッパは弾かれたようにこちらを見た。
『キュエ! いや、文句などあるはずもない。感謝している。人を傷つけようとしているおのれを、おのれで止められなかったんだから……!』
「――そうなんだ」
『キュエ。そうだ。そ、それでだな。わてはなんてことをしてしまったのだと、反省しているのだ。記憶にある限り、わては何人かにケガを負わせている。けれども、どうしたらいいのかわからんのだ……っ』
決して悪い妖怪ではあるまい。
なにゆえ自身の行動を止められなかったのか、気になった。
尋ねてもわからないという。
湊にも見当などつくはずはなく、熱で頭も回らないため、それ以上は訊かなかった。
カッパが懺悔する人のようだと思ったのは、間違いないようだ。
相手に報いなければ、気が済まないのだろう。
「――あ、そうだ。カッパは、人に万能薬を与えることがあるって聞いたことがあるけど、それは本当?」
『――キュエ、本当だ。ただし滅多なことではやらん。かの薬は秘伝中の秘伝なのだ』
「だったらなおさら、それをケガさせた人にあげればいいのでは?」
『それはできかねる。カッパ協定に反するのだ』
「そんなのがあるんだ。――じゃあ、あれだ。あげるんじゃなくて、ケガをさせた部分に勝手に塗りつけて去るっていうのは?」
『キュエ! その手があったか!』
皿をぽんと叩き、顔を輝かせた。
ではさっそくと、背を向けようとしたカッパに、湊は平坦な声でいった。
「キミの万能薬なら、身体の傷は簡単に治せるのかもしれない。でも、心についた傷はそう簡単に癒えるものではないよ」
『――心に刻んでおく』
神妙に答えたカッパは、すっと溶けるように消えてしまった。
それを見届け、湊は瞼を閉じた。
山神が終始、カッパを探るように凝視していたのは、いったいなんだったのだろうと思ううちに意識は遠のいていった。




