18 お久しぶりのイチョウと白狐
ククノチから渡されたのは、曲げわっぱ一つ。
いまのところ、これしかないとのことであった。ゲームができなくなったククノチといえば、猛然と仕事をはじめたため、湊はトリカと暇を告げて神域から出た。
鳥居を抜けた瞬間、ぐるりと柔らかなモノに巻き付かれた。
「うわっ」
黒い毛色と内包する神気から、猫神の尻尾なのは疑いようもない。尻尾が頭から足元へ、下りていった。
『怪我はないにゃ』
「あ、はい。大丈夫です」
気丈に答えるも、疲れは隠せなかった。尻尾が先端の白い部分で、ぽんぽんと頭をなでてくれた後、消えてしまう。
視界がひらけると、数歩先の石畳に鎮座する、ハチワレの猫神が見えた。
『疲れたろう、お菓子でもお食べにゃ』
ちょいと猫神が手招きをすると、テーブルと椅子が現れた。
卓上には、いちごのタルトと紅茶のティーポットが載っていた。
ごくり。トリカが喉を鳴らす。期待のこもった眼で見られたら、湊が断るはずもない。
「うれしいです。いただきます」
笑顔で席についた。
そうして、バイトは無事に終わった。
甘いお菓子と猫神の神域でのんびり過ごしたおかげで、湊は気力も体力も回復した。
ならば、気になっていた木の様子も見に行こうとなった。
南部稲荷神社のご神木、イチョウである。
以前は、世にも知られた大樹だったのだが、神の眷属同士の揉め事に巻き込まれ、倒されてしまった。宿っていた木の精も消えかけたため、楠木邸のクスノキの生命力を分け与えたのである。
とはいえ、稲荷神社への道すがら、湊の表情は優れなかった。
「イチョウ、育ちすぎてないならいいんだけど」
「注意はしたんだろう?」
隣を歩くトリカは前を見たまま、訊いてきた。
「一応ね。けど、とにかく早く生長したいっていう感じだったから」
「まあ、人間らからご神木と称されていた木ならば、矜持も高いだろう。小さいのは我慢ならないんじゃないか」
「やっぱりそうだよね。クスノキもべらぼうにプライドが高いから……」
先日播磨に言われたことも思い出す。
クスノキがストレスを溜めているように見えると。
他の木との共存は考え直すべきじゃないかと。
反省した。クスノキを蔑ろにしていたのかもしれない。
山神に相談したいが、かの神は現在夢の中である。山神がなんの前触れもなく眠りに入ることは珍しくない。ほんの数時間で起きることもあれば、数日間眠りっぱなしのこともある。ゆえにいつ起きるか予想もできないが、起きたら相談するつもりだ。
トリカが遠い目をしていう。
「木どもは動かないせいか、我慢強いと思われがちだが、そんなことはない。せっかちで、頑固で融通が利かないやつらばかりだぞ」
「御山にも木の精が宿る木が何本かあるよね。そのコたちも?」
「ああ、頑固親父みたいな感じだな」
嘆息するトリカを湊は曲がり道へ誘導する。
「トリカ、こっちだよ」
棟を寄せ合う建物の屋根の向こうに、こんもりとした杜が見えた。
町中にある緑の集合体は、目に優しくて和む。つい口元が緩んだ。
が、即座に目つきを鋭くした。
睨むように見るのは、和風の民家。
竹垣に囲まれたその家から、嫌な気配がする。つい今しがたまで、ククノチと猫神の神域にいたこともあり、その空気の悪さは不快でしかなかった。
折しも、その家の玄関から老人が出てくる。
うつむきがちで地面の一点を見続ける、どこか危うい空気をまとっていた。
「トリカ。あの人、悪霊に憑かれてるよね?」
「ああ」
トリカも険しい顔で、老人を見つめる。
湊はボディバッグからメモ帳とペンを取り出した。さらりと翡翠色の線を引く。
即座に、老人の足に絡みついていた人型の悪霊が粉微塵に。
後を引く瘴気も、家にわだかまっていた形になりきれない悪霊も、綺麗サッパリ消え失せた。
「よし」と湊は、ペンとメモ帳をバッグにしまった。トリカが見上げてくる。
「いやに手慣れているな」
「出先でたまにやってるからね」
「悪霊はおろか、瘴気すら視えていないだろうに」
「まあ、そうなんだけど――」
湊は立ち尽くす老人を追い越しざま、横目で見た。
双眸は見開かれ、口も半開き。
自身の身体の変化を感じている。苦痛から解放されたのであろうことが見て取れた。
あえて声をかけることもなく、ある程度距離を取ってから、トリカに続きを話す。
「人の様子を見れば、憑かれているかどうかはなんとなくわかるようになったんだ」
「そうか」
どことなく機嫌のよさそうなトリカとともに、角を曲がった。
南部稲荷神社は、さも稲荷神社といった外観をしている。
朱塗りの鳥居と社殿。
目にも鮮やかなそれらを守るように、鎮守の杜が取り囲んでいるのだが、その中でひときわ高くそびえていた大イチョウが不幸にも倒されたのだ。
前回セリと訪れた時、ぽっかりと空間があき、木の株だけが残されていた。
いまそこには、新たなイチョウが立っている。
切り株から芽生え、株立ちとなっていた。
それを囲う木柵の手前にトリカと並び立ち、湊は感動で打ち震えた。
「むちゃくちゃ立派に育ってる……!」
密生した幹は数えきれないほど多く、競い合うように天を目指すそれらの一番高い幹は、湊の顎まで届きそうだ。
「これは、やはり生長が早すぎるだろう」
見上げるトリカの顔は険しい。
「うんまあ、そうなんだけど。俺はうれしいよ」
「――生長を喜ぶ気持ちはわからないでもないが……」
困った顔をしているが、湊はイチョウの生命力あふれる姿に笑みが絶えない。
「ちゃんと黄葉もしてるしね」
まだ小さいにもかかわらず、すべての葉が秋色になっていた。ねぎらいの気持ちを込めて幹に触れたかったが、木柵を越えるのは、さすがにできない。
が、向こうからきた。
しゅるりと枝が伸び、湊の前髪に巻きついた。
さすがにこれはマズイ。
すばやく他者に見られていないかを確認する。誰もいないが、よろしくあるまい。
「駄目だよ、急に枝を伸ばしたら。ほら、元に戻って、戻って!」
枝を外して押し戻すと、先端の葉でピタピタと叩かれたが、枝は縮んでもとへ戻っていった。
それを無言で見ていたトリカがため息をつく。
「こいつは、ずいぶんおかしな木になってしまったな」
返せる言葉はない。
こうなったのは、湊がクスノキの生命力を与えたからに他ならない。しかし後悔はない。そのおかげで、この木に宿る精霊を救うことができたのだから。
その精霊が株立の間からのぞいている。苔玉のごときその身も黄色になっており、頭に小さなイチョウの葉も生えていた。
屈んだ湊はイチョウに、小声で話しかける。
「できるだけ、普通の木のように振る舞うんだよ」
「湊、甘すぎるぞ」
「そうでもないよ、ね?」
いいながら、湊は首だけで振り返った。
鳥居の陰に、白い狐が佇んでいる。その後方の、神社の主神たるウカノミタマの眷属である。
「――ああ」
声に覇気がなかった。
湊は気配で存在を察知したのだが、いざその姿を目の当たりにして驚いた。毛並みは荒れ、黄ばんでいる。
ゆえに湊は立ち上がりざま、叫んでしまった。
「うわあ、ひどい! 神の眷属にあるまじき姿になってる」
「――うるせーよ」
白狐は、気配を尖らせた。
負けん気の強さは健在のようだが、やはり元気はないようだ。
深くため息をつき、ズリズリと尻尾を引きずりつつ、近づいてくる。
が、さっとトリカが湊の前に移動すると、足を止めた。
背を丸めたトリカが、白狐を睨み据える。
「おい、貴様。湊に妙な真似はするなよ」
毛を逆立て、威嚇するには理由がある。
白狐は以前、楠木邸の上空でツムギと激しく争ったことがあり、あまりの騒がしさに山神の逆鱗に触れ、遠くにぶっ飛ばされた。後日、詫びに来たのだが、その際も湊に突進しようとしたのだ。
「まあまあ、トリカ。そう怒らなくても。彼はまだ若いんだから」
「こいつ、我より五十以上も歳上だぞ」
フォローできない。白狐も言い返せないようだ。
もごもごと口を動かしているが、声は出さない。
トリカには強く出られないのだろう。何しろ、トリカはまだ幼い。神の類いからすれば、まだ庇護すべき子どもでしかないのだ。
それもあるが、そもそも白狐には気力もないらしい。
はーっと深く嘆息し、俯いてしまった。
「なんなんだお前は、辛気臭い」
嫌そうに睥睨するトリカはとことん辛辣である。
湊は膝を折り、警戒態勢を解かないトリカの背をなでてなだめた。
「トリカ、落ちついて。たぶんあのコ、俺に突っかかってくる元気もないよ」
「――だといいが」
しぶしぶといった体でトリカが横へのき、湊はあらためて白狐と対峙した。
その姿は憔悴しきっていた。




