12 クロも成長中
「人間どもは欲たれゆえ」
意地悪そうに嗤う山神を、ガバっと顔を上げた湊が睨む。
「山神さん、予想がついていたなら、なんでウツギたちを止めなかったの!」
と声を荒らげたものの、湊はすぐ語気を緩めた。
「いやでも、あんなに張り切っていたんだから止められるわけないか。うんまあ、たしかに人間側が悪い」
頷き、納得してしまった。
「山神さん、責めてごめんね」
謝ると、山神も鷹揚に尻尾を振った。
不思議な関係だとあらためて感心する。友のようであり、祖父と孫のようでもある。
「ギャオ」
小さく鳴いたクロが、前足でチョウチンアンコウを山神へ押し出した。
プラプラゆれる提灯から神力を回収しろといっている。
山神はかすかに首を傾けた。
「いらぬ。それは、ぬしにやろう。好きに使うがよい」
と言われてしまえば、クロも遠慮はしない。
ポンとチョウチンアンコウの背を叩き、消してしまった。
そうして、身を沈めたかと思うと反転し、湊の首を目掛けて飛びかかった。
突然の暴挙ともいえる振る舞いに、湊が動じることはない。さっとクロを捕らえてしまった。
膝上にひっくり返し、わしわしと腹をなで回す。
「毛がふわふわ。ツヤもすごい。播磨さんが手入れをしてあげているんですか?」
慣れきった対応にしばし播磨は固まったが、答えた。
「――ああ、毎日ブラッシングしている」
「よかったね、クロ」
湊の手に嚙みつこうとしているクロは返事をしないけども。
しばらく攻防を続けていたが、ふっと動きを止めたクロが樹冠を見上げる。
「ぎゃおお」
「ああ、風鈴がないのが気になるの? しまったよ。夏はもう終わったからね」
ぱちくりと瞬きしたクロは、湊の膝から降りた。たっと駆け出し、板張りの縁へ向かう。その場に伏せると、泳いできたのであろう霊獣に尋ねた。
チビの鍛冶の神はどこ? と。
何事か返事をされたクロは、石灯籠を見やるとへたりと尻尾を下げた。やや意気消沈したようだが、トコトコと手水鉢に近寄り、その鉢から流れ落ちる水に触れる。
ペロペロ。肉球に少しだけついた水を舐め取っている。
水は嫌いだろうに。その水はいいのか。
さておきクロの振る舞いは、まさに勝手知ったる他人の家である。
たった一週間しか預けていなかったにもかかわらず、この慣れようはなんだ。
いたたまれなさに、播磨は湊に頭を垂れた。
「クロが好き勝手に振る舞って、大変申し訳ない。よくいってきかせるから」
「いいえ、気にしないでください。クロがここでのびのびと過ごしてくれるのは、俺もうれしいですから」
屈託のない笑顔から本心なのだろう。
何も気にしていないようだが、傍らの山神が播磨の手土産の紙袋に鼻を突っ込んでいるのは、気になるようでチラチラ見ている。
「ほう、これはこれは。実にうまそうである」
山神の催促ともとれる独り言に、湊はただ前方を見据え、反応を返さない。
「これはあれよな、柿であろう。干し柿……。あんぽ柿か。ま、まさか、秋きんとんではあるまいな⁉」
正解である。干し柿の中に、栗きんとんが仕込まれた和菓子だ。旬の物を好むようなので選んだ。
かすかに頷くと、山神が湊を見る。
おめめキラキラ、尻尾ぶんぶん。よだれも盛大にひっ垂らす。
「ぐっ」と座卓の上で拳を握る湊は、顔を伏せて歯を食いしばった。
楠木湊は、山の神にとことん甘い。おそらく、その見た目にある。狼に弱いのだろう。
しかしそんな湊であっても、絆されなかった。山神の御身を視界に入れないようにして、強めにいう。
「よかったね、山神さん。あとでいただこうね」
山神の姿が消えた。冷涼な神気が漂いはじめたのは、不機嫌になったからだろう。わかりやすい。
が、播磨には少しばかり心臓に悪い。
いらぬ緊張を誤魔化すべく、眼鏡を押し上げた。
一方、湊はまったく気にもしない。座卓の端に置かれていた護符を引き寄せる。
「さ、仕事をしましょう。こちらが今回の分です。すくなくて申し訳ないんですけど」
差し出された束は、三十枚あるかどうか。
「十分だ。無理はしないでくれ」
受け取った播磨は、いつも通り一枚一枚念入りに確認した。
煌々と翡翠色を放つのが半分。残りはその色と祓いの力が閉じ込められていた。
現在、霊力の問題がなくなった播磨は、湊の護符は使っていない。
しかし相変わらず、術者ではない親族が必要としているため、以前と同様、湊から出された分はすべて買い取っている。
ひょいとクロが膝に乗ってきた。すんすんと護符を嗅いでいたかと思えば、次に座卓に伸び上がり、首を伸ばした。
落ちつきがないとは思うも、クロが嗅いでいる木彫りは播磨も気になっていた。
「クロ、そのどんぐりが気になるの?」
ひょいと湊はそれをクロのそばへ置いた。
首を傾けたクロは、ちょいちょいと触っている。丸々としたどんぐりは実物と大差ないだろう。
父が以前、〝いづも屋〟なる雑貨屋で、湊の彫った舟を購入したことがある。そのため、湊が木彫りを行うのは知っていた。
その時の舟は、霊獣の抜け殻が帆として張られていて、霊妙なる力を含んでいた。そのうえ、後方でどっしり構えているクスノキと同じく、破邪の力をふんだんに放出する逸品でもあった。
このどんぐりも同じだ。
ならば、売り物であろう。壊したら、事である。クロは怪力だ。日に日にその力は増していっている。
播磨は軽くクロの尻尾を引っ張った。
「クロ、壊すなよ」
わかっているとばかりに、尻尾で手の甲を叩かれた。
その拍子に、どんぐりが転がり、ぽろりと帽子めいた殻斗が取れる。どんぐりの中の空洞が見えた。
「――わざわざくり抜いたのか。手間だろうに」
つい思ったことが口をついて出た。
「ええ、まあ。これにいろいろ閉じ込めようと思っていまして――」
いろいろとはなんなのか。
いいにくそうなことから、楠木湊のもう一つの神の力に関することかもしれないと思った。
封じる力なのは、護符を視れば明らかだ。
いったいどんな神からもらったのだろうか。
思っていると、湊の手元でスマホが震えた。
湊が視線を落とすと同時に、ぬっとその下方からクロが頭を出した。
いつの間にそちらへ。
焦る播磨をよそに、クロは伸び上がり、スマホの画面をのぞき込んだ。
なんという行儀の悪さだ。
思わず、立ち上がりかけた播磨だが、湊はまったく気にする様子もない。画面をクロに見やすいよう傾けた。
「クロ、字が読めるの?」
「ギャオ!」
だいぶ読めるようになった、と得意げに鳴くも「読めるわけないか」と湊は気づかない。クロが画面に触れる。
「クロの大きな手じゃ、開かないよ」
笑いながら湊が操作すると、クロがのぞき込んだ。
――いづも屋、クラマ、折いってそうだんが……?
たどたどしくメールの文面を読み上げだした。
いつの間にか、漢字まで読めるようになっている。母の英才教育――本の読み聞かせの成果であろう。
と感心している場合ではない。
膝立ちになった播磨は、クロの首根っこを捕まえ、回収した。




