13 いづも屋の一日バイト
朝はすっかり肌寒くなった。
湊も長袖に羽織りという秋の装いとなり、ボディバッグを斜め掛けし、トリカといづも屋の前にいた。
いつもと違い、裏手である。
裏通りに面しているとはいえ、うらぶれた様子はない。
陽光が差し込み、雀の鳴き声がこだましている。
「あんまり、表側と変わらないね」
同じように見上げていたトリカも頷く。
「だな。しかしそういうものじゃないか。いくらこの店に神が住まうとはいえ、わかりやすくおかしな様子は醸し出しはしないだろう」
この店には、猫の神がいる。しかも店長だという。
湊は裏口に掲げられた看板を見た。
「表の看板と同じだけど、猫の絵もないな」
「猫の絵? そんなものあったか?」
ここに来る前、表通りを通ってきたから、トリカも見ている。
「今日はなかったよ。俺も前回はじめて見たんだけど。ほら、この看板の左側も、妙に空白があるよね」
「ああ、表の看板もそうだったな」
「そう、そこに猫の顔の絵が浮かび上がるんだ」
トリカは後ろ足で立ち、余白部分を見上げた。
「――おそらく猫の絵には意味があるんだろう。裏の店が開いているという目印ではないか?」
裏の店とは、神産物交換所である。
この店に住まう猫神が開放している神域らしく、そこには様々な神がつくったモノが置かれているという。
「あ、そうかもしれない。あの時、店の屋根から神様が入っていくのはじめて見たし」
「その通りです」
朗らかな声とともに、裏口が開いた。
俊敏な所作で出てきたのは、いづも屋の店員――鞍馬五鬼であった。
その出で立ちに、湊は目を瞠った。
「おはようございます、鞍馬さん。珍しくスーツなんですね」
いままで作務衣姿しか見たことはなかったが、鞍馬五鬼は上背もあり、胸板もある。見事に着こなしていた。
ただ頭はつるつるで、堅気には見えないが、むろん口が裂けてもいうつもりはない。
「ええ、はじめてお目にかかる神様のもとへ行く時は、いつも正装していくものですから」
照れたようにいう鞍馬は、いまから遠方へ出かける。
ゆえに湊は、昨日メールで依頼されたのだ。
今日だけ、この店のバイトを頼まれてくれないかと。
表の雑貨店ではなく、裏の店側――神産物交換所の方である。
鞍馬は扉を大きく開けた。
「お二方、どうぞ中へ。仕事の説明をします」
お邪魔しますと、湊はトリカと連れ立ち、戸口から入った。
がらんとした白い空間が広がっていた。
数歩でたどりつける真正面に、一枚の扉がある。
半透明で、うっすらと光っており、明らかにこの世ならざる様相を呈していた。
この場は楠木邸の庭と同じく、現世と神界が混じった場所のようだ。
扉から先が、神界に存在する神域なのだろう。
「わりとあからさまなんだな」
歯に衣を着せぬトリカの感想は、ごもっともだ。その後方で裏口の戸を閉めつつ鞍馬は言った。
「わかりやすさは大事ですから。だいいち、神様方はあの扉の先にある特産物にしか興味を持たれませんので」
己の興味あるものにしか目もくれない。
神のその性質をとことん理解している湊もしみじみと頷く。
「なんていったって神様ですからね」
「ええ、神様ですから」
力強くいった鞍馬ともども、扉の前で向き直る。
「さて、仕事内容なのですが、メールでお伝えしたように、難しいことはなにもございません。神産物の受け取りをお願いします」
急遽出かけなければならなくなったため、それらを受け取ることが困難になった。ゆえに、湊に頼ったという。
なぜ湊なのか。
それは、猫神の指名だからだ。
そう言われてしまえば、断りづらかった。もとより、表の雑貨店のバイトでもなく、山神の眷属と同じく神産物交換所に興味があったから、引き受けたのだ。
むろん、トリカを連れて行くとの旨は事前に知らせてあり、許可も得ている。
「はい。ただちょっとよくわからなかったんですけど、ただ猫神様の神域で待っていればいいんですか?」
「はい、そうです」
「神産物は、宅配便のように届くんですか?」
「似たようなものです」
にこにこと笑うその顔をトリカが半眼で見上げた。
「おい、もう少しちゃんと説明しろ」
「申し訳ありません、そうとしかいえないのです。中で店長がお待ちしておりますので、そちらで詳しくお聞きくださいませ」
「――わかりました」
と湊はいう他なかった。
扉を一瞥する。神域に入ってから、はじめての神とご対面となる。
いや、一度見かけた。そう、あの絵だ。
白黒のハチワレ猫であった。
あの時、白手袋をはめたような前足で手招きしてくれたのだから、愛想が悪いことはあるまい。
「鞍馬さん、お急ぎなんですよね?」
はっと鞍馬が顔色を変える。
「そうでした。では、よろしくお願いいたします!」
賜りましたと湊は店の鍵を受け取り、鞍馬が出て行ったあと、裏口に鍵をかけた。
「よしじゃあ、いきますか」
「ああ」
トリカが緊張する様子は微塵もなかった。
半透明な扉を開ける。トリカとほぼ同時に境界を完全に越えた瞬間、パタリと扉は閉じられた。
猫の手によって。
突如虚空から現れた巨大な猫の手に、湊はあんぐりと口を開けた。
「え、は?」
丸太めいた前足は、湊の胴と変わるまい。
黒地に、白い靴下を履いたような柄である。
「えっと、猫神様ですよね?」
感じる神気は一つしかない。ゆえに間違いないと思われるが、いちおう尋ねた。
にゃ〜と大きな返事が空間にこだました。
ここは、とてつもなく巨大な空間である。
石畳の道が前方へまっすぐ延び、その両側に古式ゆかしい和風建築の建物が並んでいる。清浄な気配に満ちたあたりは、まるで神社のようだ。
と思うも、いまはとにかく、猫神である。
ふいに前足が消え、正面の石畳に陽炎めいたゆらめきが立つ。ぼんやりからくっきりと輪郭があらわになった。
前足をそろえて鎮座する、白黒のハチワレ猫。
通常の成獣よりやや大きいくらいだが、立ち昇る神気からしてしごく神々しい。
「はじめまして、猫神様」
しゅるりと長い尻尾を自身に巻きつけた。ニシャリと笑い、思念で歓迎の言葉を伝えてきた。
『ようおいでなすった』
「はい。猫神様、今日は一日、よろしくお願いします」
湊が頭を下げると、猫神が機嫌よさげに尾を緩やかに振る。
『こちらこそよろしく頼む、バイトくん。わたしのことは店長と呼んでおくれにゃ』
「――はい、店長」
語尾が気になったが、まあいいだろう。
胸をそらす猫店長は愛らしい。前足もにぎにぎと動いている。前々から思っていたが、猫の手はクリームパンのようだ。それが動くさまはなかなかの眼福である。
そんな猫神なのだが、不穏なことをいい出した。
『たった一日とはいえ、この店の従業員となった君の身は、店長たるわたしが必ず守るから安心しておくれにゃ』
トリカが、顔をしかめている。
「――鞍馬さんから、危険があるとは聞いておりませんが」
『なにしろ、クセの強い神を相手にしてもらわねばならんからにゃ』
すっと踵を返し、音もなく歩き出した。トリカと一緒についていきながら、湊は軒を連ねる建物を見た。
「どう見ても、神社の拝殿っぽいね」
「だな」
大社造、春日造、神明造。
いずれも本を伏せたような屋根を抱く木造の建物が整然と並んでいる。
一番手前の拝殿で、ぴたりと猫神の足が止まった。
通常なら賽銭箱が置かれている所に、台が設えてあった。
赤い毛氈が敷かれ、幾本もの酒瓶が載っている。
『いうまでもなく、あれが神産物にゃ』




