7 これにて、一件落着
閉ざされた扉めいた岩。その横に控えた湊は、しめ縄を手に軽く目を伏せていた。
呼吸も一定に。神経を研ぎ澄ます。
――ウオオォォーーン
高く高く、山神が吠える。
秋風より一層冷然とした神気を込めて。
はじまりの合図であるそれは、空気を一変させた。
吐く息が白くなり、湊は身震いする。が、陽気な音で肩の力が抜ける。
陽気な足音である。桶の上でヤタガラスが踊っているからだ。
足を踏み鳴らし、尾羽根をふりふり。
コケコケ、コケコケ。
激しくなる踊りに合わせ、その周囲のニワトリたちも騒ぐ。
ヤタガラスが一羽で踊るのは嫌だとわがままを申したため、急遽、アマテラスが召喚した眷属たちである。
中心にいるのは、今しがた矢に乗っていた派手な雄鶏。ほかは白、茶、黒の色とりどりの羽毛をもつ雌鶏たち。
中には、翼をばたつかせ、湊の目線あたりまで飛んでいる個体もいる。
それを前にしたアマテラスは、笑うどころか両指を組み合わせ、打ち震えた。
「素敵。みんな素晴らしいわっ」
さながら、お遊戯会を見学に来た親のようだ。
ともあれ、アマテラスの御身から熱気が放出され、気温が上がる。
真冬の寒さから真夏の暑さへ。
その変化が岩の中まで、影響が出たのか。
コトリ。
岩戸がわずかに開く。
人型の片目が見えた。
トヨウケヒメがのぞいている。
狙い通りだ。
あとはその御身が見えるくらいに隙間が広がったら、アマテラスが引っ張り出す手筈となっているのだが――。
湊の目と、トヨウケヒメの目が合った。
刹那、怒声があがる。
「おのれ人間め! またもわらわの羽衣を奪いに来たのかッ」
湊に向けていったのは、明らかだ。
重苦しい神気を叩きつけられたからだ。
どうしてそうなる。とんでもない誤解だ。
「いえ、違います!」
とっさに風で払い、湊は後退しながら否定するも、神気の攻撃はやまない。
さらに後ろへ下がると、すっと湊の前に割り込む背中があった。
アマテラスだ。
「トヨ、鎮まりなさい」
押し寄せる大波めいた神気をその身で受け止めつつ、静かなる声で説き伏せる。
しかし効果はなく、トヨウケヒメは激昂した。
「おのれ、外道! よくもふたたびわらわの前にその面をだせたものよ……!」
自ら岩戸を開け、出てきたのだ。
綺羅びやかな衣装に、美しいご尊顔。
けれども怒りで歪む表情は、身の毛がよだつほど恐ろしい。
トヨウケヒメはアマテラスに神気を浴びせながら、嚙みつくように問うた。
「アマテラス、そなたの後ろにいるのは、人間の男よな!?」
「ええ、そうよ。けれど人間の男すべてが神の羽衣を奪うわけではないのよ」
トヨウケヒメの神気はますます荒れ、吹きすさぶ。
アマテラスは一歩もひかない。ゆるがない。
ただトヨウケヒメの神気を真っ向から受け止めている。
垂れ流される二神の神気は重い。巻き起こる風に、周囲の木々が倒れそうだ。
膝をつきたくなるほどの重さを感じるも、湊は風を盾代わりにした。
後ろのヤタガラス、大勢のニワトリも守るために。
山神は斜め後ろにいるが、二神の神気をものともせず、己が神気で身を守っている。
体毛一本一本を光らせつつ、湊を見た。
「ふむ。風でなんとか二神の力を防げておるが、そろそろアマテラスの力も使いこなせるようになったほうがよかろうな」
「いかにも」
ヤタガラスは山神の言葉に頷いているが、ニワトリたちは地面をついばんでいる。さすがアマテラスの眷属たちである。自由かつ肝も据わっていた。
「そうだね、結界として使えるらしいから」
「うむ、今回は使う機会はなかろうが」
そう山神がいった直後、アマテラスの頭光が太陽のごとく輝く。濃く重い神気が放たれ、トヨウケヒメを囲い込んだ。
✽
風は穏やかに、泉もさざめき立つ程度になり、あたりはもとの静謐さを取り戻した。
やや荒れてしまった草地に、一同は輪になった。
トヨウケヒメもいるが、湊との間にはアマテラスが座し、透明の壁が張られている。
防御壁である。トヨウケヒメは、落ちついてくれたものの、いつなんどき荒ぶるかわからないからだ。
なお、ニワトリの皆さんはおかえりになった。
ちんまりと座したトヨウケヒメは、視線を落としている。
その膝には、薄い布があった。
羽衣である。半透明のそれは、無残にも破れている。
「実は、不注意からこの羽衣を引き裂いてしもうたのじゃ」
「それであの岩屋に引きこもったの?」
アマテラスが優しく促すと、トヨウケヒメは頷き、苦々しい声を出した。
「――そうじゃ。いろいろ思い出してしもうてな」
ギリッと鋭い視線を向けられ、湊は身を強張らせた。しかしそれだけだ。神気で攻撃はされない。
一応、無害な人間だとわかってもらえたが、人間の男だというだけで憎悪の対象とされてしまうのだ。
釈然としないが、無理からぬことともいえる。
トヨウケヒメはその昔、羽衣を人間の男に奪われたことがあるという。
それを聞き、湊は羽衣伝説を思い出した。
天女が羽衣を脱ぎ、泉で水浴びをしていると、人間の男に羽衣を隠されるのだ。
そして男にいわれる。返してほしくば、俺の嫁になれと。
天女は泣く泣く従うも、ある日、男のいない隙に羽衣を見つけ、天へと帰っていく。
羽衣伝説は各地に残されているが、内容に多少の差異はあれど、共通していることがある。
羽衣を取り戻したモノは、確実に男のもとを去る。
なんの未練もなさそうに。
ともにいるうちに情が芽生えることはなかったのは明らかだ。それもそうだろう、脅された相手を本気で心から愛するモノなどいるはずもない。
伝説は当然ながら、史実が反映されている。
トヨウケヒメの実体験がもとになっており、トヨウケヒメの態度からして、いまでもそうとう恨んでいるのは確かだ。
「羽衣が破れたのは不幸ではあったが、人間の男に取られたわけでないゆえ、よかったともいえような」
山神の言葉に、トヨウケヒメは力なく返事した。
その目が山神に向く。上向きなのは、山神が浮いているからだ。また羽衣をまとっていた。
「うらやましいの」
焦がれてやまない声色である。
湊は小声で、アマテラスに訊いた。
「アマテラス様、羽衣は手に入りにくいモノなんですか?」
「ええ。あれは、アメノハヅチとその血を引く神にしか織れないモノなの。そして一度手に入れたら、もう二度と手に入らない」
「それは、アメノハヅチ様方が物々交換をお断りされるということですか?」
「そう、羽衣はただの神衣とはわけが違うから」
内密の話であろうとこれだけ近ければ、トヨウケヒメにも筒抜けである。
みるみる目に涙を溜めたトヨウケヒメが、顔を覆う。焦った顔をしたアマテラスがその背をさすった。
湊は山神と目と眼で会話する。
――山神さん、トヨウケヒメ様に羽衣を差し上げては?
――ぬぅ。
――山神さんは自力で飛べるでしょ。
――ぬぅ……!
しばし百面相し葛藤していた山神であったが、深々と息をついた。
しゅるりと、その御身から羽衣を外す。
「トヨウケヒメよ、これをぬしにくれてやろう」
非常に居丈高である。
自身ももらっただけであろうに。
トヨウケヒメがゆるりと顔を上げる。すっと眼前に飛んできた羽衣を見て、徐々に顔をほころばせた。
その日、その辺り一帯の畑の穀物が著しく生長し、味も格段に上がったことを湊だけは知らない。




