4 準備は入念に
「――わたくしが悪いのです。甘やかしすぎたのです。腕の際立つ娘だったものですから」
苦悶の表情を浮かべるアメノハヅチに、山神が穏やかな声でいう。
「――そう萎縮するな。かの娘、見るからに一端の歳であろう。本神の資質であろうよ。鍛錬が足りぬわ」
「あれかもね。いままで自分が負けを認められる相手がいなかったからこそ、アマテラス様をライバル視するんじゃないかな」
そういったものの、湊は素朴な疑問が湧いた。
「ヤタガラスさん、アマテラス様は、機織りがお上手なんですか?」
「もちろんです。アマテラスの織物は他の追随を許さない出来栄えです。そなたも会ったのなら、アマテラスが身につけていた衣も目にされたでしょう?」
透け具合が気になってまともに見られなかった。
とはいえず、視線を彷徨わせながら「はあ」と胡乱な返しをした。
眼を眇めるヤタガラスは、絶賛しないことが気に入らないようだが、言葉を続けた。
「アマテラスの機織りの腕に敵うモノなど、人間界はおろか、神界にもおりません」
胸を張って自慢そうだが、対照的にアメノハヅチが大きく身を震わせた。
「当然のことでございます。太陽が東から昇って西に沈むのと同じように、世の理なのでございます。もしそんなアマテラス様にかの娘の不敬な言葉が届いてしまったら、亡きモノにされてしまいます……!」
えっと、湊は目を見開く。
「アマテラス様はそんなに気性の荒い方なんですか⁉」
「お、恐るべき方でございますっ」
顔を覆われてしまい、湊は戦々恐々となる。
一方、ヤタガラスは羽毛を逆立てた。
「そんなことはない! 多少荒ぶる時はあれど、相手を消し去ることなど断じてない!」
「よほど不快にさせねば、な」
しれっといった山神が前足を組む。
「しかし酔狂よな。アマテラス自身に、己へと向けられる醜い感情を消させようとするとは、な」
「一部の感情のみを取り除くなど、アマテラスにしかできませんからな」
そういったヤタガラスが湊を見やる。
「というわけで、そのアマテラスの閉じ込める力を与えられたそなたの出番というわけです」
「――理由はわかりました。あまり自信はないんですけど……」
最近ようやく意識的に遣うようになったからだ。
護符に祓いの力を閉じ込めることは造作もない。対象は物だからだ。しかし今回は違う。
神だ。
神の身のうちに渦巻く感情の出処を見極め、それのみを取り出し、閉じ込めなければならない。
山神が交差させた前足に顎を置き、上目に見てくる。
「さて、いかにする。かの娘に気づかれるわけにはいかぬ。激しく抵抗されるのは、目に見えておる。もしわずかでも気取られようものなら、おぬしの命が危ういぞ」
「マジですか」
腰の引けた湊に、山神は耳の先をかすかに倒す。
「まじである。相手は腐っても神ゆえ」
「腐ってはおりません、まだ」
被せ気味なアメノハヅチの物言いは不穏であった。
山神がやや語気を強める。
「あの娘、このまま驕りたける感情を高ぶらせ続ければ、いずれ腐り神となろうよ」
「――字面だけで恐ろしいよ」
腐り神とはいかなるものかは想像すらできないけれども。
湊は、戸口の隙間を見た。
一心不乱に機を織る女神は、機織りそのものが好きなのだろう。
いまのままであれば、いずれ腐れ神となる。
さすれば、機織りなどできまい。
――それを阻止できるのならば、やるべきだ。
表情を引き締め、湊はアメノハヅチに向き合った。
「こっそりやらせていただきます」
アメノハヅチは微笑み、ヤタガラスは当然のように頷き、山神は鼻梁に皺を寄せて笑った。
話し合いの末、アメノハヅチが機屋と和室を隔てている神気の壁に、一瞬だけ穴を開けることになった。
万全を期して人間の気配を完全に消すため、みな神御衣をまとうことにした。
アメノハヅチの手には、光沢のある羽織りがある。
「こちらに、袖を通すだけでようございます」
わかりましたといいながらも、湊は後方が気になって仕方がない。
山神の周囲にふんわりと漂う衣――羽衣である。
さらしのように細長く、七色に光るそれは、なんと山神の巨軀を浮かび上がらせていた。
「なかなかよき! 己が力をつかわず飛べるのはこうまで楽とは知らなんだ」
山神、ご満悦である。
くるくるとその場で回転している。
「すごいですね」
湊はただひたすら感心するしかない。
「ええ、まあ」
淡く笑むアメノハヅチは、どこまでも控えめだ。
部屋の壁の手前でターンを決めた山神が、なぜか偉そうにいう。
「アメノハヅチよ、もっと誇るがよい。これは特別の腕がなければ、織れるものではあるまい」
「――そうでございますね。羽衣はわが神族のモノにしか織れません」
凛とした言い方であったが、即座に昏い表情になった。
「ですが、かの娘はまだこの羽衣を織ることができないのです。邪な気持ちに心が占められているばかりに――」
振り切るように面を上げる。「さあ、こちらを」と羽織を広げた。
湊が腕を通すも、まるで着ていないように軽い。
「不思議な感覚だ」
感動しているさなか、ふわふわと漂ってきた山神が真正面に来た。
「このあいだ、悪霊になりかけていた蛇から感情を引っこ抜いた時、ちと強引すぎたろう」
「あ、はい。今度は慌てないよう、気をつけます」
うむと頷いた山神は、真顔で見つめてくる。
「だが今回は、失敗は許されぬ。やり直しもきかぬ。ゆえに、よう視えるようにしてやろう」
ぎらりと双眸が光った途端、すとんと湊の顔面に眼鏡がかかった。
「おお、眩しくない」
神は総じてまばゆい。
光の権化たる山神で慣れはしたものの、眩しいことに変わりはない。
それが、まったくなくなった。神々の御身も明瞭に見えた。
そして、御魂も。
その在り処、形、色まで視えてしまい、湊は反射で顔をそらした。
「なにゆえ、よそを向く」
「いや、なんか、御魂を直視したらよくないだろうと思って……」
妖怪も探られることを嫌う。湊自身もそうだ。当然、神も同じだろう。
姿よく立つアメノハヅチが感心したようにつぶやく。
「弁えてらっしゃるのですね」
「それに越したことはありますまい。神の中には、人間に御魂を視られようものなら、一瞬で怒髪天を衝くモノもおりますからな」
ヤタガラスの言葉から、湊は己の直感に感謝した。
ヤタガラスが翼を広げる。その嘴の先に、手のひらサイズの木箱が現れた。
「では、これに感情を閉じ込めてくだされ」
「わかりました」
両手でしかと受け取った。




