2 アマテラスの代行は務まるか
楠木邸を出立した湊、山神、ヤタガラスはタクシーに乗り、アマテラスが近くにいそうな場所の近くで降りた。
田舎道を歩く。両側に広がる稲の根本だけが残る田を、感傷的な気分で見やるのは湊だけのようだ。
前をゆく真白の大狼は前だけを見ており、その斜め上方を飛ぶ漆黒の大鴉も同じく。
羽ばたいているにもかかわらず、山神ののんびりとした足取りとほぼ同等の飛行速度なのは、不思議で仕方がない。
むろんともに、姿を消している。
時折、人間や車とすれ違うことはあれど、誰も驚くこともなかった。
しかし、虫は違うようだ。
草むらからふたりを歓迎するように騒がしく鳴いていた声が、湊が通る間際には、鳴りを潜める。
近場の草の陰でじっとしているのは、キリギリスであろう。別名、機織り虫。前翅をこすり合わせることで出るその音が、機を織る音と似ていることから名付けられたという。
ギーチョ、ギーチョ。
一定間隔で鳴くその声が、本当に機織りの音と似ているのか湊は知らない。
また鳴いてくれることを期待し葉の上のキリギリスを見つめると、ビヨンと湊を避け、飛び去っていった。
「すごい跳躍力。足にバネでも入っていそうだ」
感心していると、ヤタガラスが旋回し戻ってきた。
「道草を食っている場合ではありませんぞ」
「すみません」
眉を下げ気味に謝ると、山神が振り返る。
「なに、よかろうて。そこまで急ぐこともあるまい。明日までに、アマテラスのもとにたどり着けばよいのであろう」
「ギリギリでは困ります。支度もございますから!」
それもそうだろう。
いつぞやの寝衣でよその神と対面することはできまい。それこそいまは、豪奢な衣装と装身具で身を固めていることだろう。
目の当たりにしたら、間違いなく目を焼かれる。
気合を入れておかねば。
表情を引き締めた湊と違い、山神は同情的な声でヤタガラスに話しかける。
「神域から出る際は、着飾らねばならぬ人型は大変よな」
「そうですな。我らのように獣型であれば日頃の手入れだけですみますからな。――おや? わが翼がいつも以上に輝いているな?」
ふふんと山神が得意げに顎を上げる。
「今し方ぬしが貪り食った我が家の菓子の効果よ」
「なんと……! ならば、ぜひとも我が羽根と交換していただきたくっ――」
とヤタガラスは忙しなく翼をはためかせるも、突如、雷に打たれたように動きを止めた。
「急にどうしました?」
湊の問いに、ぎょろりと眼を見開いた。
「われを喚ぶ声がする……!」
「アマテラス様ですか?」
「否、人間らだ」
「えっ⁉」
理解が追いつかない湊を後目に、ヤタガラスは飛び立つ。
一直線に飛んでいく黒い鳥影を見送った湊は、山神へと視線を移す。
「自ら寄り道されてるんだけど」
「ヤタガラスは粗忽者ゆえ」
なぜかキメ顔で答えてくれた。
「もう、しょうがないなあ」
一つこぼした湊は山神と同時に足を速めた。
やがてヤタガラスが舞い降りたのは、さる中学校であった。
くすんだ校舎を背景に、グラウンドでユニフォーム姿の男子たちが走り回っている。両陣営には、多数の応援者の姿があった。
「サッカーの試合をやってるみたいだね」
グラウンドを取り囲むネットの上にとまったヤタガラスは、片側の応援者たちを凝視している。
一方、その真下で足を止めた山神は首をかしげた。
「ほう? 蹴鞠か」
「たしか蹴鞠は、鞠を地面に落としたら駄目なやつだよね。サッカーは違うよ。ざっくりいうと、相手側のあのポールに囲まれた所――」
ゴールポストを指差す。
「あのゴールにボールを入れなきゃいけないから」
「左様か。なかなか忙しない遊びよな」
「そうだね。みんな元気がいい。若いっていいね」
山神が胡乱な眼つきになった。
「おっさんのようなことを云いおる。おぬしもまだまだ若かろうに」
「ああ、そうだった。たまに自分の年齢を忘れるんだよね」
はははとから笑いすると、若年寄りよなと言われてしまった。
「おぬしもあれほどの歳の時分は、走り回っておったのであろう?」
ボールを取り合う男子らを横目に、山神が尋ねてきた。
「授業や遊びでサッカーをすることはあったよ。部活は違ったけど」
「ほう、なにを?」
「美術部。おもに絵を描いてた」
「ゆえに、おぬしは絵も描けるのか」
「うん、そう。家の手伝いがあったから運動部は避けて、なんとなく選んだだけだったんだけど、結果的によかったと思ってるよ」
幼馴染みに『剣道やろうぜ!』と散々誘われたが、固辞した。体力に自信がなかったのもある。
そんな思い出話をしている間も、頭上のヤタガラスは片方の陣営から視線を外さない。
制服の女子中学生が多く、懸命に声援を送る彼女たちの手には、小さなぬいぐるみがあった。
サッカーボールの上にカラスが乗っている。
「あ、そっか。ヤタガラスはサッカー選手のお守り的な存在だったね」
ヤタガラスは、神話にて神武天皇を導いたとのことで、ゴールにも導くとされている。ヤタガラスを導きの神として祀る神社も存在するため、女子たちがもつぬいぐるみも、そこのモノだろう。
ヤタガラスを喚ぶ声とは、彼女たちの願いに違いない。
案の定、ヤタガラスは大きく全身を震わせた。
「『勝たせて』そう願うか、乙女たちよっ」
「おお、すごい。強く祈れば、ちゃんと届くんだ」
「左様。頭に響くほど、な」
首を振る山神も、日頃からその声に悩まされているのかもしれない。耳とヒゲを垂らしややげんなりした様子の山神と異なり、ヤタガラスはこれ見よがしに翼を広げる。
「清らかな乙女たちのひたむきな願い、ぜひとも叶えてやらねばならん!」
「清々しいまでの贔屓!」
湊は呆れた。
他方、山神は訳知り顔で頷く。
「神とはそういうものぞ」
「――うんまあ、信仰してくれるからこそなんだろうけど……」
半笑いで、女子中学生の集団を見やる。
真ん中でぬいぐるみを高く掲げている女子が目についた。
「あ、あさひちゃんだ」
方丈町商店街の名物イケオジ、越前氏の孫娘である。
「じゃあ、景虎くんが試合に出ているのかな」
折しもボールを受け止めたのは、越後屋の跡取り息子――景虎であった。
間髪いれず、行く手を阻む選手らの間を縫うように、駆け抜けていく。その足からボールは離れない。
「ほう、十三代目め。ずいぶん器用にぼーるを操るものよ」
珍しく素直に褒める山神の声を聞きながら、湊は得点表示板を見た。
三対三。
「同点か。もう時間もないみたいだし、景虎くんが決めてくれるといいけど……」
湊もそう願うばかりだ。
知り合いに勝ってほしいと思うのはしごく当然のことだろう。
つい手に力が入った時、フェンス越しの女子中学生二人の会話が聞こえた。
「ねぇ、試合終わる? まだ?」
「あとちょっとよ」
「あーもう、早く終わってくれないかな。タケルくんが怪我しないうちに」
「――いきなり、なに言ってるの?」
「だって、このあいだ占いで、今日のサッカーの試合中にタケルくんが怪我するって、言われたからさあ」
占いとな。
湊は虚を突かれた。
早く終われ終われと呪詛めいたつぶやきを漏らすその娘は、両手を握りしめて、心から心配しているように見えた。
「――まあ、占いを鵜呑みにする人もいるか」
腑に落ちないながらも己を納得させていると、いったん景虎のもとを離れていたボールが彼へと飛んでいく。
頭上からアマテラスの神気が濃くなった。
見上げると、ヤタガラスが前傾姿勢になっている。
黒きその身の周りに神気が渦巻く。
眼光を光らせたヤタガラスが朗々と声を響かせた。
『乙女らの望み、いまこそ叶えたらん!』
ぶえっくしょんっ。
山神が盛大なるくしゃみを一発。
顔を上げていたがゆえに、神気がふんだんにこもっており、ヤタガラスが発射しようとしていた神気を吹き飛ばしてしまった。
もろに煽られたヤタガラスも落下する。
『ぎゃ〜』と叫ぶその身越しに、景虎がボールを蹴った。
「ヤタガラスさん!」
慌てて駆けつける湊は、わあ、と大きな歓声があがったことで、試合の結果を知った。
あさひを筆頭に女子中学生が飛び跳ね、景虎はチームメイトにもみくちゃにされている。
大歓声のなか、湊はヤタガラスを抱え起こした。
「大丈夫ですか?」
「か、かたじけない」
「いえいえ、山神さんがすみません」
謝罪しつつ元凶を見やれば、鎮座しており、不遜に鼻を鳴らした。
「この程度のことで手助けなぞいらぬ。人間ら、みながみな神の横槍を喜ぶわけではないぞ」
山神はあえてヤタガラスの行いを止めたようだ。
「神の力を頼ってばかりの人間なぞつまらぬ」
打ち払うように、尻尾を振って歩み出した。
「参るぞ」
振り返ることなくいわれ、湊はヤタガラスと顔を見合わせ、ともに立ち上がる。
「あー、鳥遣いさんだー!」
「本当だ。なんでここに⁉ おーい、鳥遣いさーん!」
きゃっきゃと手を振る女子中学生たちのおかげで、視線が集まってしまった。湊は顔を引きつらせながら片手で応え、そそくさとその場を後にした。




