5 もう一度、魅了したい
レオンス様と初めて会ってからひと月と半分が過ぎた。
その間、私とレオンス様は学園では一緒に過ごす事が多くなり、周りも何となく私たちがお付き合いしているかのように思っているようだったが、レオンス様から付き合おうと言われた訳でもなく、私も私たちの関係についてどう思っているのか聞けないままでいた。
レオンス様は伯爵家の後継ぎで、私は男爵令嬢。私の家は高位貴族ほど裕福ではないし、私の家と繋がりを持ってもレオンス様の家には何のメリットも無い。
レオンス様が強く望めば婚約という道もあるのかもしれないが、今のところそういった進展は無い。
私は相変わらずレオンス様に恋をしていたし、一緒に過ごす時間をとても大切に思っている。
1組でのレオンス様がどのように過ごしているのかは分からないが、少なくとも昼休みと放課後は私と過ごす事が多く、移動教室の時にすれ違う事があってもレオンス様はいつも男子生徒と一緒にいるので、私以上に親密な令嬢はいないようだが、それでも近頃は胸が苦しくて切なく思う時がある。
学園生の中には学園の間だけの恋人を持つ生徒もいる。学園生の間と割り切って恋愛を楽しみ、卒業後は家に釣り合った相手と婚姻を結ぶのだ。学園生の間の恋人は別れる事の方が多いが、運が良ければ愛人として関係を続ける事も出来る。そういった関係は高位貴族の令息と低位貴族の令嬢との間で時々見られる事だった。
私は彼との関係を割り切れていないし、今はまだそういう話もされていない。
私はレオンス様との将来が見えなくて不安になっていた。
身分違いの恋なんてこんなものだと、夜に一人でいる時ふと思う事もあるが、私は自分の初めての恋を簡単に捨てたくはなかった。
レオンス様とは今でも昼休みはほとんど一緒に過ごしているが、図書室での勉強は毎日だったのが、私が少しずつ勉強が出来るようになっていくにつれて頻度が減ってしまい、今では週に2日ほどになっていた。
ほら、私たちの繋がりなんてこんなにも細くて薄い。
そして図書室で隣同士に座って勉強を教えてもらっている際に、たまにだが意図せずお互いの顔が近くなってしまう事がある。
そんな時、私はあの能力を使ってしまいたい衝動に強く駆られてしまう。
レオンス様を強く願う気持ちと近い距離、これだけ簡単な条件で私の魅了は発動してしまう。あのペンダントさえなければ。
何度もそう思うのだけれど、けれどもその度に私は私たちの出会いを思い返してしまう。
あれは事故に近いものだったが、そもそも私たちの始まりが魅了の能力を使ったものだったのだ。
彼はおそらく私の魅了の能力によって私に興味を持ってくれた。そんな彼に私は恋をしてしまった。
再びあの能力を使えば彼は私を愛してくれるかもしれない。また私の事をかわいいと言ってくれるかもしれない。次に魅了を使えば彼は恋人になろうと言ってくれるかもしれない。それはきっと良くない事だし、頭では分かっているのだ。でも、またあの能力を使いたいという強い誘惑に私はいつか負けてしまうかもしれない。
「どうしたの、アネット?」
レオンス様が不思議そうな表情をして私の顔を覗き込む。この距離はまずい。私は無意識に首から下げたペンダントのある辺りを制服の上から触れて深呼吸をする。
「ええっと、この問題が少し難しくてちょっとぼんやりしてしまいました」
無理やり貼り付けた笑顔は上手く出来ているだろうか?
「そうだな、ここは王国歴680年の政変に繋がっていくから、その後に作られた改正版の貴族法の47条を読むと理解しやすいと思うんだ…」
「そうなのですね。……もう少し自分でも考えてみますわ」
私は今広げている法律のテキストの問題に集中するように努力する。
レオンス様が私の長い髪をひと房掬い、青い瞳でじっと見つめる。
「そうやって見られていると、集中できないのですが…」
「最近、少し元気がないな。悩み事でもあるのか?」
彼は察しが良くて優しい。そういう彼も好きだけれど、彼は私の気持ちを知っていて何も言わないのではないかと最近では思ってしまう。
「今の悩みはそうですね、少し勉強に集中しにくいところでしょうか」
そう言いながら私は身を引いてレオンス様から少しだけ離れる。レオンス様の手の中にあった金色の髪がその手を逃れてはらりと落ちる。
「せっかくレオンス様に教えて頂いているのですから、次のテストは頑張ろうと思ってるんです」
私が努めて明るく話したら、レオンス様は穏やかな笑顔を浮かべて私の頭を撫でてくれた。
「俺が教えるようになってから初めてのテストだから以前よりも順位が上がってくれると嬉しいな。今日はこれで終わりにして帰りにお茶にでも行かないか?」
何度も放課後に二人で出掛けたカフェにまた行こうとレオンス様が誘ってくれる。
「はい、大通りにあるあのカフェですよね。ぜひお伴をさせて下さいな」
元気ではなくても元気に見られるように、私は意識して声のトーンを上げて、泣きたい顔に笑顔を貼りつける。