崩壊する天秤ーラ・ジュスティス・ア・エテ・デシュエ
結局のところ、なぜ陛下があんなに急に気力を取り戻されたかについては私の知るところではないし、知っていたとしてもそれを書き留めるのは野暮というもの。正常な宮廷に戻っただけでも十分だと思うことにします。けれど、ひとつだけ言っておくならば.......”愛”は絶大な力を持っている。今後の歴史を変えてしまうほどに。私にしてみれば少し羨ましいけれど、陛下にはきっと彼がいなくてはいけないのでしょうね。
『日々の記録』第22項、ヘラの月第18日よりーシャルロット=ロワイヤル・ド・ロアゾン
「......ん?あれ、俺ねてたのか」
目が覚めると部屋の中で一人ベッドの上にいる自分に気が付いた。
昨日は......あぁ、そうだ確か陛下を説得するためにここまで来てそれから......思い出そうとするが記憶が曖昧だ。それよりも...
(外がなんだが騒がしい)
上着を羽織り、身なりを整えて部屋の外へと出た。王の回廊の扉を開けた途端、大広間が大勢の貴族たちで埋め尽くされているのが目に入った。普段なら別にそれ自体は何ら不思議な事ではないのだが、国王が崩御しアントワーヌが新たな王に即位してから今までのような宮廷のしきたりも行われなくなった。
そのため、王に謁見するために人が集まることもなかったのだが。
(こんなに人が多いのは久々だ.......)
「あの、今日はずいぶんと人が多いですが何があったのですか?」
その場で立っていた一人の婦人に話しかけると彼女はこう答えた。
「あぁ、陛下がようやくご公務に復帰されたようですわ。今朝早くから大臣たちを招集して会議をなさっていると」
俺はその言葉に驚きを隠せなかった。昨晩まであんなに消極的だった陛下が急に.......しかも会議だなんて。
昨日の今日でそんなに人は変われるのだろうか。
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時は少し遡り、早朝の宮殿で宰相は扉を激しく叩く音で目を覚ました。
重い瞼を開きベッドから起き上がる。
「......誰だ」
普段ならこんな早朝に起こされることなどない。何か緊急事態だろうか?
寝巻のまま扉を開くとそこには若い従者が息を切らして立っていた。
「一体何ごとだ?こんな早くに」
「宰相様、早朝に申し訳ございません。陛下が閣僚会議を招集すると。宰相様をお呼びです!」
「なっ、陛下が?出てこられたのか」
それを聞いて一気に目が覚める。2週間ほど部屋に閉じこもっていた国王がついに出てきたのだ。何用かはわからないがこれは良い兆しかもしれないと、彼は思った。
「分かった、直ぐに向かおう」
そう即答すると宰相フィリップは正装に着替え身なりを整えて大会議室に向かっていった。
会議室の前につくと、もうすでに何人かの閣僚たちが到着していた。財務総監に軍務大臣、大法官などいつもの面々が揃っている。
そのまま中に入るとそこには以前見たときと同じ正装のアントワーヌが中央の席に座していた。
以前よりもむしろ凛々しくなったような気さえする。
「......国王陛下!おいでになられたのですね。よくぞ...」
宰相に始まり閣僚の面々が次々と頭を下げ、挨拶をする。
「あぁ。宰相。迷惑をかけたな.....だが、整理はついた。これからは国王としての役目を果たそう」
その言葉に特に宰相は安堵した表情を見せた。即位から実質的な統治者がいなかった状態だったのだから無理はないだろう。
一瞬、穏やかな雰囲気に包まれたのも束の間、アントワーヌの表情が厳しく変化する。
「だが、まず一言お前たちに言っておく。お...余のいない間、王威を貶めるよからぬ噂が飛び交っていたようだがこれについては断じて容認できない。貴様らの中に王権を軽んじようとする者がいれば......容赦なく処罰するから覚悟せよ」
一同はその鋭い気迫に押しつぶされそうになり、緊張が走った。以前の王太子時代の彼からは想像できない姿だ。
「余はサンドニージュにおける正統な王位継承者であり、唯一の国王である。ロアゾン家の王権は何者にも分割されることなく、その全ては王である余に属する...... この我こそは国家なのだ」
その勇猛たる弁舌はまるで先代王を目の前にしているかのようであった。
一同はしばらく沈黙し、やがて軍務大臣が口を開いた。
「は!我々臣下一同は国王陛下に対して絶対なる忠誠を誓います!」
その額はにわかに汗ばんでいるように見えた。彼が王権を分割しようなどと言い出した張本人なのだから責任を感じているのかもしれない。
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こうして一同が着席すると通常の閣僚会議が始まった。国王臨席の下行われる会議などかなり久々であったため、議論しなければならない議題はいくらでもあった。
財政危機や共和派への対策さらには北方大陸における反乱など、王の裁定を待つ要件は無数にあったものの目下決定すべきは
「戴冠式についてですが、いかがいたしましょう。出来るだけ早く行われた方がよろしいかと」
「あぁ。無論、すぐにでも準備に取り掛かろう。早ければ早い程よい、今月末はどうだ」
新たな王が即位したことは王国全体に知れ渡っているが、いまだ王としてのアントワーヌは公に姿を現したことがない。国王として正式に即位したことを示す戴冠式は、王権を国全体に誇示する非常に重要な典礼なのである。
その重要性は本人も理解しているようだ。
「調整いたしましょう。あとは......」
「それと、普通の戴冠式ではつまらん。各国から王族を招待し、今までで類を見ない豪華な式にするのだ」
「は、はい。承知しました」
そうして詳細な日程や内容が決まると、会議は内政や外交へと進んでいった。
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数時間に及ぶ会議がようやく終わりアントワーヌが閣僚と共に出てくると、大広間で噂話をしていた宮廷貴族たちが急かされたように二列になってお辞儀をする体勢をとる。
俺も人の流れに飲まれるように列に加わった。
ロゼイユ宮名物の国王謁見が復活したというわけだ。
”国王陛下”と呼び求める人々の声に一瞥もくれることなく前へと進む威厳ある姿は昨日とは別人の様に見える。
(ともかく、これでひとまずは安心......だろうか)
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閣僚会議に謁見、朝食の儀など一通りの儀式を終え、アントワーヌは執務室へと戻っていた。
「......はぁ。まったく、俺がいない間に王威を蔑ろにするようなことを企てているとは、貴族どもも油断ならんな.....」
少し疲れた様子でため息を吐くと、外から扉を引っ掻く音が聞こえた。少し遅れて聞き馴染みのある少女の声が響く。
「......国王陛下。シャルロットでございます。お呼びでしょうか」
「あぁ、入れ」
扉を開きしずしずと入室した王女は少し安堵したような表情だった。会議の後で執務室に来るように話を通していたのだ。
「こうして、陛下を見るのも、久々な気がいたします......よくぞご決断なされました」
「はぁ。そんな他人のような態度はやめてくれ。以前のように兄上と呼べ」
妹の仰々しい態度に不満なのか呆れた様子で彼は言う。
「しかし...... まぁ、今はいいでしょう。それで、兄上。どのようなご用件で?」
「実は......」
アントワーヌは少し躊躇いながらもその計画を打ち明ける。
全てを聞き終えた後、シャルロットは返答に困った様子で彼を見た。
「何ですって?それは.......いくら何でも.....」
「頼む。俺一人では王などと言う大役は努められる自信なんてない。お前の知恵が必要だ」
彼が話したのは、国王の補佐として政治的判断を彼女に補佐してもらいたいという内容だった。
威厳ある国王像を守るには常に冷静で卓越した判断が必要になる。しかし、彼には、少なくとも先王に匹敵するほどの政治手腕があるとは思っていなかったのだ。その点、妹のシャルロットは王女でありながらも政治や帝王学を幼少より学び、あらゆる分野に精通する秀才だった。以前から先王より「男であれば間違いなく名君になっただろう」と言わしめた程だ。
「......お気持ちはありがたいですが、兄上もご存じでしょう?王女が政治に関わることなどできません。ましてや国王の補佐などと......」
法律に明記されている訳ではないが、この世界では長年女性が政治参加することはタブー視されてきた。サンドニージュにおいても例外ではなく、王女や女性の宮廷貴族は婚姻によって栄華を極めるものとされた。
「誰がそんなもの決めた。国王である俺が望んでいるんだ......宰相はあてにならん。お前は俺を完璧な国王として監督してくれ。これからはお前の意見を国政へ取り入れよう」
「......承知、致しました。陛下と王国の御為に全力を尽くしましょう」
その懇願を聞き入れ、彼女は深くお辞儀をした。
非公式ではあるが、これは事実上サンドニージュ史上初めて女性が君主に最も近づいた瞬間である。
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それから国王フランソワは今までと打って変わったように、次々と問題の改革に着手した。
まず彼が最重要課題としたのが、共和派の問題である。
法院長セルヴェールが共和派に無罪判決を言い渡したあの日以来、裁判官たちも次々と共和派側に寝返り高等法院はもはや共和派の根城と化しているのが現状だった。
このまま放置すればさらなる勢力の拡大は免れないだろう。
「......王政に異を唱える共和主義者は国家に対する反逆者であり、そのような者どもを擁護する法院長ならびに裁判官らも同罪である。このような事態は早急に解決されなければならん...... よって、高等法院は解体する」
「なっ......陛下、それはいくらなんでも......」
閣僚会議の冒頭でそう発言したアントワーヌに一同は驚愕した。
特に宰相はあまり賛成できない様子だ。
「高等法院は王権から独立した機関......あそこに直接介入すれば国民の反発は必須となるでしょう」
それが慣例だった。確かに、黄金王の治世に取り決められた条約により北星教会がもはや民衆の聖域でなくなった以上、公的に保護してもらえるのは高等法院だけだった。
王国の最高裁判所でありながら、独立した組織として王権を監視する。その役割は正しく庶民にとって絶対的な正義であっただろう。それを今までの慣例に背き強引に解体すれば、暴動が起きても何ら不思議ではないのだ。
「もはやそんなことを気にしている場合ではないのが分からんのか?共和主義の毒が我が国を破壊しようとしている。司法機関がそんな反社会的思想に支配されてしまうこと自体が、国家の危機だと言っている。それに反対するようならば......貴様も共和主義的だとは思わんか?」
「っ......そのようなことは...」
論理的な反論にフィリップは言葉を詰まらせた。彼の言っていることは正しいように思えた。国民の反発を招くことは必須だが、この状況をいつまでも放置するわけにもいかない。
「まことに、聡明なご判断でございます。陛下。共和派などという連中をのさばらせておくこと自体が国家に対する反逆、王に対する背信なのです」
軍務大臣がそう言い添える。張り付いたような笑みを浮かべ国王を全肯定する姿はどこか白々しささえ感じさせる。彼にしてみれば先王より保守強硬な姿勢を取るアントワーヌの方が性にあっているようだ。
「そうだろう、ベルナール。そういうことだ、良いな。この勅令をもって高等法院は解体する。すぐに宮廷近衛兵第9師団を派遣し、法院長並びに共和派の者どもを捕縛せよ。手段を問わぬ」
「......は。承知致しました、陛下」
フィリップは依然として賛成しきれないようだったが、周りの閣僚たちから強い反対の声もない以上これ以上アントワーヌの機嫌を損ねるのも野暮だと思い、受け入れることにした。
そもそも、元より宰相は国王に助言する権限を持つだけで拒否することなどできない。
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「ねぇ、いつまでこうしているつもり?そろそろ新しい隠れ家を見つけないと」
マリアンヌは共和派の幹部たちと共に高等法院の応接室にいた。
あまり飲み慣れていないコーヒーを啜っては、時折渋い顔を見せている。
「そう焦るな。ここより安全な場所なんてサン=ジュヌヴィに無いだろう。『慣例』がある以上王宮の奴らがここに踏み込んでくることはない。俺たちには民衆の支持がついてるからな」
フランソワは余裕そうな表情でそう答えた。彼もまたコーヒーカップを持ったまま、何食わぬ表情で一口すする。
「そうは言うけど、そんな律儀かしらね。私が王様なら裁判所が共和派に寝返ったらすぐに軍隊を寄越してまとめて締まり首にするところよ」
「王侯貴族みたいな連中は何よりも『慣例』とか『しきたり』を重視する。それが代々続いてきた宮殿のルールだ、そう簡単に破るようなことはしないさ」
仕事柄なまじ上流階級について熟知している彼には、そう言い切れる自信があった。しかしその余裕は突然飛び込んできたジルベールの姿によって崩れ去ることとなる。
「大変だ、フランソワ!」
その焦りようからして相当の緊急事態であることは明白だった。
「ジルベール。どうした、いきなり。騎士団長サマがそんな様子じゃ......」
「奴らが......大法官が近衛兵を引き連れてここに向かってる。無理やりにでも捕らえるつもりらしい」
軽口を叩こうとしたところを彼は切羽詰まった声でそう告げた。どうやら本当に一刻を争う事態らしい。
「な......馬鹿な。あいつらが『慣習』に背いてそんなまねするはずが.....」
「どうやら今度の王様は今までとは違うみたいね。......だから言ったのに!逃げるわよ」
フランソワが困惑している間にマリアンヌはすぐに脱出の支度を整える。
「あ、あぁ......っ、みんなを出来るだけ連れて、分散して脱出するんだ!ジルベールは法院長を頼む」
「承知した」
短く返事するとそれぞれが迅速に動き出し、共和派の面々は事態を聞き、矢を射られたように逃げ始めた。宮廷に出入りすることが多いジルベールが知らせてくれたから良かったものの、そうでなければ今頃一網打尽だっただろう。
しかし、全員の退避が完了しない内に予想よりも早く奴らは到着した。
庭先に二人の大声が響いている。おそらく大法官と自警団が対立しているのだろう。
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「.......もはや高等法院は国家反逆者を匿う犯罪組織となった。国王陛下の勅令により今、この時をもって解体する」
そこには一枚の書状を持って鼻高々に宣告する大法官と、緊張した面持ちでそれを受け止める自警団の男が対峙していた。
私があの時ほど驚愕と怒りに苛まれたことなど一度もない。ただの一度もだ!司法権の長たる高等法院を解体しわが物にしようとする暴挙に至るとは。今にしてみればこれこそが決定打だっただろう。この一件によりかえって民衆の支持が高まったというもの。ともあれ我々はあの国王を少々過小評価していたようだ。善王の定めだ慣例を冒してまで勢力に取り込もうとするなど、先王とはまるで違う。
しかし私は約束しよう。例え家を一時失うことになろうとも自由の灯は決して打ち消されないと。
『自由への闘争』第3章よりーフランソワ・ブルッソー




