出張
私の名はイフルス。
魔王国の小さな貴族の家に生まれた男だ。
家は長兄が継ぐので、私は自身で生活の糧を得なければならなかった。
幸いなことに文官としての才が認められ、魔王国に雇われた。
勤続四十年。
その間に妻を娶り、息子も産まれた。
息子は今年で二十になる。
息子は私に似ず、力と魔力に恵まれ、魔王国軍の将軍になれるのではないかと目されている。
ありがたいことだ。
ただ、少し前まではその息子は魔王国の現体制に対して不満を訴え、隠れて活動家らしきことをしていた。
魔王様に報告すべきかどうかで悩んでいたのだが、急にそういった活動から足を洗った。
何かあったのだろうか?
前に比べて、明るく笑うようになったから良いことでもあったのかもしれない。
ひょっとして、前から懸想していたパン屋の娘との仲が進展したのだろうか?
そうであれば嬉しいな。
ともかく、怪しい活動を止めてくれたのは良かった。
さて、私の話だ。
五年ほど前から、私はシャシャートの街の代官を任じられている。
シャシャートの街は魔王国領の直轄地であり、魔王国でも有数の商業地だ。
最近の発展もいちじるしい。
そんな街の代官に任じられた私は、これまでの働きを認められたという嬉しさ半分、重要な役職への不安が半分だった。
失敗はしたくない。
安全にいきたいのだ。
そう思い、今までやってきた。
心掛けは一つ。
判断に困った時は、前例に従うことだ。
前例にないことは極力しない。
前例にないことをどうしてもしなければならない時は、王城にお伺いをたてる。
情けない話だが、責任が自分に覆いかぶさらないようにしてきた。
私は出世など考えていない。
仕事は安全に、ほどほどで、もちろん収入もほどほどになるが、欲張らない。
自分の才覚は十分に知っている。
シャシャートの街の代官は、私には分不相応だ。
その心掛けが良かったのだろう。
これまで、問題らしい問題はなかった。
なのになぜ。
今、私の目の前には魔王国四天王の一人、レグ様がいる。
レグ様は財務担当。
なんだ?
私は金銭に限らず、不正なことは一切やっていない。
部下の誰かがヤバいことをやったのか?
勘弁してくれ。
いや、素直に私の管理不足か。
しかし、部下たちが……
何をやったんだ?
金に困っているような者はいなかったと思うが……
「よろしいでしょうか?」
「は、はい」
いかんいかん。
悪いことを考えるより、まずはしっかりと話を聞こう。
対処はその後だ。
翌日。
私の目の前には魔王国四天王の一人、グラッツ将軍がいる。
なぜ?
どうして?
何か関係すること、あったっけ?
もしや、このシャシャートの街に戦火が及ぶのか!
急ぎ、兵を集めねば。
いや、それよりも避難場所の確保をしなければ。
シャシャートの街は最近の発展で人が多くなっている。
避難には時間が掛かるが、船の数も多い。
なんとかなるか。
「いいかな?」
「あ、は、はい。
即時に動かせる船の数は二十隻ほどです。
時間的余裕はどれぐらいでしょうか?」
「え?」
グラッツ将軍の後は、ランダン様だった。
魔王国の内政を統括しているランダン様は、私の上司の上司。
これまで言葉を交わしたのも数えるほど。
最後に会話をしたのは……
シャシャートの街で武闘会の謁見に来られた際でしたね。
「ようこそお越しくださいました」
「役目、ご苦労」
約二秒で終わりました。
覚えています。
いえいえ、怒っていません。
面倒な会話をしなくて済むありがたい方だと思っています。
そのランダン様がなぜ?
まさか、解任?
お考え直しを!
レグ様、グラッツ将軍、ランダン様と魔王国四天王の方々と顔を会わせたのだから、次に四天王最後の一人、クローム伯が来るかもしれない。
これまでの三人への応対に失敗はなかったと思うが、大成功でもなかった。
どれも突然だったからな。
来ないかもしれないが、準備しておこう。
無駄骨になるかもしれないから、部下には命じ難い。
自分で部屋の清掃。
テーブルの位置は……この辺りで良いかな。
カーテンにホコリは無い。
メイドたちの普段の働きに感謝だな。
準備しておいて良かった。
今、目の前にいるのは魔王様。
いや、頭を伏せているので目の前ではないな。
頭の先かな。
……
なぜ?
どうして?
これまで、ほとんど会ったこともありませんよね?
え?
頭を上げても構わない?
いえいえ、このまま下げさせてください。
直答?
直接、会話することですよね。
無理無理無理。
疲れた。
ここ数日でかなり疲れた。
一気に老け込んだかもしれない。
しかし、なんだっていうんだ。
魔王様、レグ様、グラッツ将軍、ランダン様の用件は言い方は違ったが、同じだった。
「ゴロウン商会に客が来る。
その客に失礼がないように」
誰が来るっていうんだ?
他国の王様か?
そんな予定は聞いていない。
第一、王様だったらここじゃなくて王都だよな。
他国の王子様とかがお忍びで遊びに来るとかか?
あ、なるほど。
それなら納得できる。
なにせ、陰から護衛しろ、便宜をできるだけ図れ、邪魔をするなと言われた。
……
あれ?
何かするのかな?
遊ぶだけなら、便宜とか邪魔とかないよな。
……
ゴロウン商会とは連絡を取り合っている。
向こうもその客を出迎えるのでバタバタしていた。
余程の大物か?
会頭が直々に指揮を取っていたしな。
到着したらすぐに連絡を寄越してくれると約束してくれた。
私のすることは、最初の挨拶だけだ。
それ以上は特に無いし、する気もない。
陰の護衛もレグ様が用意してくれた。
一応、私の指揮下らしいけど……指示なんて無理だな。
自由にやってもらおう。
私にできるのは、彼らの邪魔をしないことだ。
非協力的だったと言われるかもしれないが、下手に張り切って足を引っ張るよりは良いだろう。
お茶を飲もうとポットに近寄った時、激しくドアがノックされた。
「ゴロウン商会より連絡がありました。
来られたようです」
「そうか」
レグ様の用意した陰の護衛たちはすでに姿がない。
私も遅れるわけにはいかない。
用意していた馬車で、ゴロウン商会に向かう。
この馬車、ゴロウン商会からの献上品だが非常に乗り心地が良い。
来客者をこの馬車に乗せたら、喜んでもらえるかな?
いやいや、押し付けはよろしくない。
向こうが望んだ時に貸し出す方向にしよう。
「マルコスです」
「妻のポーラです」
ゴロウン商会の客は二人。
人間の若い夫婦だ。
……
農家の夫婦か?
いや、いや、いやっ!
愚か者!
あの夫婦の服装をよく見るのだ。
一見、普通の服だがキラリと光るセンス。
そして、生地は高級品だ。
高級品を普通の服に仕立てたのか?
酔狂な。
よほどの金持ちと見える。
いや、身分を隠したいのか。
となると、夫婦と名乗っているが……主と侍女の可能性もあるな。
だが、ここはしっかりと夫婦として応対。
失礼のないように。
……
あれ?
妻の方の立ち振る舞いに品を感じる。
逆か?
妻の方が主で、夫が従者?
駄目だ駄目だ駄目だ。
先入観を排除!
思考を停止させろ!
目の前の二人は夫婦。
ゴロウン商会のお客様。
「シャシャートの街の代官、イフルスと申します。
お二人の来訪を歓迎いたします」
よし。
完璧な挨拶!
では、ここから巧みな話術で二人の目的を聞き出し、それを邪魔しない!
っと、ゴロウン商会の会頭が二人の前に……どうした?
「お二人は、この街で商売を始めるそうです」
商売?
……商売?
何かの暗号か?
聞いてないぞ。
「ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、どうぞご協力をお願いします」
……
駄目だ。
わからん。
「具体的に、何をどうすればよろしいでしょうか?」
わからない時は聞く。
知ったかぶりが一番危ない。
頼む、ゴロウン商会の会頭、私に答えを!
「南商区の四つ角の一つ。
街の資材置き場になっている場所がありますよね。
あそこなんとかなりません?」
すばらしい。
明確だ。
「お任せを。
即座に移動させ、お譲りいたします」
「ありがとうございます。
代金は後ほどお持ちします」
後とは言ったけど、何年先かわからないというヤツですね。
「承知しました」
「マイケルさん。
シャシャートの街に店を出すと、代官様が挨拶に来るんですか?」
「ははは。
滅多にないですよ。
それより、お店のほうは大丈夫ですか?」
「村長と色々と練習しましたから。
任せてください」
「頑張ってください。
と言っても、お店が出来るまでは時間が掛かりますので、それまでは観光を」
「観光は明日一日で。
後は開店する準備に当てたいと思います。
すみませんが、地理に不案内なので……」
「部下を用意しております。
存分に扱き使ってください。
なにせ、こちらからお願いした出店ですから」
一村住人、マルコスとポーラはシャシャートの街に出張となっていた。
翌日。
「この大金はなんだ?」
「ゴロウン商会が持ってきた土地代です」
「え?
あれ?」
「驚きますよね。
倍額以上ですから。
ゴロウン商会は金を持ってるなぁ」