第一話.
「えー、なんで?」
「なんで、って言われても……」
彼女の大きな声で、彼はビックリし慌てている。
比較的小さいその喫茶店は、薄暗く、人も少ない。その少ない人は皆、大きな声のする方を注目している。
ますます彼は、慌てる。
「だ、だって、さ……」
「やだよー、タカ」
「ぼ、僕だってやだよ。でも、いやだって言ったらクビだぞ」
彼は回りを気にしながら、声も体も小さくし答えている。
「やめちゃえば?」
彼女は怒りながら、そしてスネながらそう言う。
「ミ、ミナ、それは言わないでくれよー」
彼はますます小さくなり、そして困った顔でそう言う。
二人はその状態のまましばらく硬直していた。そうしているうちに回りの視線もなくなっていった。しかし、おそらく聞き耳は立てていることだろう。皆、会話が少なめだ。
十分ぐらいたっただろうか。彼は突然冷めたコーヒーをぐっと飲み干した。その行動を彼女は目だけ動かして追っていた。
「と、とにかく出ようか」
「……」
彼に続き、彼女は無言で立ち上がり、そして先に外に出ていった。
「千九百円になります」
彼は慌ててカウンター越しにお金を払い、彼はその喫茶店を出ていった。
二人の出ていった喫茶店に残る数少ない人からは微笑が洩れているのが分かった。
彼が外に出てみると彼女は見えなくなっていた。
「あ、あれ? ミナ?」
左右に広がる見通しの良い小綺麗な商店街の通りに、その姿が見えなかった。
「ふう……、会社、やめちゃおうかな……」
そうつぶやきながら彼女を探すでもなく、とぼとぼ歩き始めた。まっすぐ前を見なくても歩いていける、慣れた道だ。
商店街の通りを途中で折れ、少し行ったところに比較的新しい二階建てのアパートがあった。彼の足はここに向かっていた。アパートのサイドに付いている比較的幅の広い階段を上がり、二階の一番手前の部屋の扉のノブに手をかける。
開かない。
「鍵が掛かっているってことは、こっちに来たんじゃないのか……。どこ行ったんだろう? ま、荷物もあるし、そのまま帰っちゃうってことは、……ないよなぁ」
彼はそうつぶやいて、たいして高くないアパートの二階から辺りを見回していた。
*
あれだけ青かった西の空も、気が付くとオレンジ色になり始めていた。
タカは今だ戻らぬミナがさすがに心配になり、自分のアパートを離れ探し始めた。タカにとっては比較的住み慣れたこの町。しかし、ミナにとっては、時々タカの家に来て買い物に通るぐらいだ。
「荷物おいて帰っちゃったのかなぁ」
タカは商店街の道の真ん中でそう頭をかいた。
「念のため家に電話してみるか……」
タカは自分のアパートに再び向かった。
日が暮れてくるとこの商店街は買い物客で賑やかになる。まだ日のある今は、まばらだ。まっすぐ道を歩くことが出来る。
途中、よく立ち寄る魚屋で声をかけられた。がっちりとして四角い顔、そして短いあごひげを生やしていて、風貌もなん『魚屋っぽい』人だ。愛想がよく声がでかい。ここのおやじはそういう人だ。この商店街、全部がこういう人ばかりだと日が暮れる前からもっと活気が出るのかも知れない。
「よう、タカさんよ! 今日は買っていかないのかい? 彼女来ているんだろ? さっき見かけたよ! ほれ、マグロ、安くしておくよ!」
彼女のこともすっかり知られている。人間観察がうまい、というだけでなく、人に関しての記憶力は大したものなのだろう。
「彼女を、……ミナを見たんですか?」
ちょっと情けない声になってしまった。
「なんでぇ。逃げられたのか?」
「ち、違いますよ。ただ、どこ行ったか分からなくて。いつ頃どこに行きました?」
「マグロ、何パックだい?」
「……し、ししゃもはありますか?」
タカはちょっとひきつった笑いでそう返す。
「毎度。彼女な、あっち、右の方に向かっていったぞ。子供連れてよ」
「こ、子供?」
ししゃものパックが一つ入った袋を受け取りながら、その魚屋のおやじの言葉にタカは驚いた。声も裏返っていた。
「おうよ。…出来たか?」
「ち、違います」
「はは。わかってるさ。もう、幼稚園って感じだったからな」
そう笑い短いあごひげを撫でている。
「幼稚園児……この辺に知り合いなんていないはずだ」
「ま、とにかく行ってみなよ。ついさっきだから」
「あ、はい」
タカはそう言ってさっき教えてくれた方にダッシュした。後ろから魚屋のおやじの声が聞こえる。
「ししゃも、電子レンジはダメだぞー」
ししゃも、レンジだと爆発します。




