表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
9/95

テスト期間

 地区大会が明けると、もう中間テスト1週間前だった。本来は部活動が一切禁止になる期間だが県大会目前ということもあり運動部は特別に活動が許されている。

 この日も授業を終えるといつも通りに陸上競技場に歩いて向かった。頬を掠める5月の風は生ぬるい。走るのに適した時期になってきた。

 競技場に到着した頃には陸上部とサッカー部はもうウォーミングアップをしていた。二ノ丸高校はサッカー部も県トップクラスの強豪だ。彼らも陸上部や駅伝部と同様にインターハイを目指している。そのせいかテスト期間のウォーミングアップには緊張感が伝わってきた。

 駅伝部の集合場所に行くと3人は待ちくたびれたかのようにストレッチをしていた。しかも漣にいたっては「おっせーよ、バカ」とまで言う始末だ。

「バカはないだろ、バカは。俺だって問題作りで忙しかったんだから」

「生徒だって時間がないの分かってるでしょ? サッカー部とか陸上部の顧問みたいに、もっと早く来てよ」

 漣は完全にご機嫌斜めだった。地区大会の優勝も彼女にとっては一瞬の出来事にすぎず、今は普通の女子高生に戻っていた。

 そんな漣を見て、いつも通りに京子はなだめに入る。

「まぁまぁ、落ち着いてよ。先生も忙しいんだから」

「どうせズキューンなビデオをダウンロードしてたら遅くなってたんでしょ!」

「どんな効果音だよ。てか高校教師としてモラルなさ過ぎだろ」

 京子の一件を漣が出してこなかったのは仏心、というべきか。

「どーでもいいけど許せない」

「どうでもいいならいじるな!」

 ってか今日は一段と漣は俺のことをいじりたがっているな。どんだけイライラしてるんだ?

「そもそもテスト期間なのに、京子先輩だって時間が惜しいですよね」

「あははは、私は赤点を回避できれば充分だから…………」

 京子は苦笑いをしながら応える。

「先輩は頭いいから幸せですよね。私なんて去年単位を五つも落として――」

「なんだと!」

 思わず言葉が飛び出てしまったが、無理はなかった。

 二ノ丸高校は「六つ以上単位を落とすと進級できない」という進級制度がある。毎年ごく数名の困ったちゃんが留年という悲しい事態に陥ってしまうんだが……

「な、そんなに驚かなくていいじゃない」

「驚くに決まってんだろ。なんでそんなにバカなんだよ!京子とは天と地の差じゃないかもう一つ単位を落としたら、進級さえ危うかっただろ」

「ストレートすぎぃ…………」

 俺は教師であるのをいいことに漣をメッタ打ちにしていく。一通りセリフが尽きた頃には漣は完全にどんよりしていた。

「もう、やめてください…………」

「まったくなんで漣はこうなんだか」

 呆れてしまうような勉強態度だ。こんなことだから駅伝部が廃部になっちゃうんだ。

「そんなの私の問題なんだから、別にいいじゃない」

「いいわけないだろ!」

 気が付けば漣を一喝していた。大音量で部員にツッコむことはしばしばあるがこんな激しい口調で怒ったのは初めてだった。漣は驚いて口をポカーンと開けたまま俺を見ていた。

「あ、いや、その。あれだよ。留年しちゃうとインターハイ路線の大会に出れないからさ。来年もチャンスがあるのにもったいないなって思って。だから赤点なんて取っちゃダメだぞ」

 俺がまじめに話し始めたのを見てか彼女も普通に戻った。そしてゆっくりと、落ち着いて話し始めた。

「そう、だね。分かった。みんなには迷惑かけないようにする。あたしだって、来年も駅伝部全員で頑張りたいし」

 一言一言をポツポツと話す漣を、京子は優しくアシストした。

「そうだね。さすが、次期部長の漣さんだね」

「そんなつもりじゃ」

 漣は少し照れたような表情を浮かべる。

「――――――でも夏が終われば私は引退するから、稲穂ちゃんと二人で『全員』ってなるよ。それはちょっと言い過ぎたかもね」

 身内の会話だけで見せる京子の明るい話し方だったが、漣はちょっと素直じゃなかった。

「だって、全員だよ。その…………」

 目を泳がせながらそう言った。クールな彼女には珍しく頬を真っ赤にする。いつも見ない彼女の表情だったので俺はついついからかってしまう。

「そうかー。来年も俺の指導が受けたいのか―。良い子だなー、漣ちゃんは」

「ち、違う! 吉川先生ってことだし。誰がお前みたいな奴となんか……!」

 いつものように漣は俺のことをバカにした。入部当初から未だに続くこのやりとりも昔はただの軽蔑だった。でも、今は昔ほど嫌じゃないかもしれない。


「もういいじゃん。練習始めようよ。時間、もったいないし」

「そうだな。今日は県大会に向けたスピード練習をやるぞ。京子と稲穂は1000mを4本、漣は300mを3本と200mを2本ってとこかな」

 そう告げてミーティングを完了させると京子と稲穂は先にウォーミングアップに行った。しかし漣は一人不満な表情でその場にたたずんだままだ。

「ちょ、私だけ一人って………… 県大会直前なのに」

「しかたないだろ。お前だけ専門が800mなんだからさ。スピードの力をつけないと、800mじゃ勝てないぞ」

 今まで距離にこだわっていたのは漣が一番よくわかっているはずだ。確認のためにもそれを言いたかった。

「う、うん。でもその代わり、タイムはちゃんと計ってくれるよね?」

「当たり前だろ。何のための顧問だよ」

 今更そんなことを言われたって、なんなのか。

「そうだよね。じゃ、お願い!」

 漣は両手をあわせて微笑むと京子と稲穂のあとを追いかけていった。その足取りは軽く春風にそっと乗っていくようだった。


 京子と稲穂の練習は早めに終わり電車の時間もあるので早々に帰宅していった。ま、稲穂に関してはもう少し練習したいと駄々をこねたが、初めてのテストで赤点なんて取ってもらいたくなかったので「帰らせた」わけだが。

 しかし漣の練習は時間がかかってしまい、最終的には俺と2人で居残り練習のようになってしまった。夕暮れの時間になり、競技場にも誰もいなくなったが、ただ俺の声だけが響く。

「いいぞ! ラストはしっかり追い込め!」

 これが最後の200mだ。スピードに磨きをかけるため最後の1本まで全力で走らせる。喘ぎ声を上げながら走る漣。少しかわいそうにも思えてしまうが、試合で結果を出すためにやっていることだ。

 フィニッシュラインを駆け抜けた瞬間、手にもっていたストップウォッチを押した。30秒。少し物足りないタイムだ。彼女の実力と調子の良さなら、30秒台前半まではいけたはずだ。

 走り終わって彼女のところに駆け寄り、クーリングダウンのジョグに移りながら話し掛ける。

「最後追い込みきれなかったか?」

「ううん、ちょっとキツかった。体もなんだか動かないし」

 両手を膝に付けた漣は、ちょっと不安そうな顔だ。

「地区の疲れが溜まってるのかな。どこか痛いところはないか」

 そんなことはないよ、と漣が言ってくれて安心した。

 そのまま水銀灯で照らされたグラウンドを二人でジョグした。そういえば例の地区大会での盗撮犯逮捕から初めて走ったな。

「先生、地区のあたし、どうだった?」

 漣は突然切り出した。いつになく明るいトーンだった。

「どうだったって、速かったよ。大会記録も見えたじゃないか」

「そうじゃなくて」

 急に漣は立ち止まった。それに気付いて俺もすぐに止まったが、漣は3mくらい後ろにいた。振り返って彼女の方を見ると顔の半分だけが照らされて見えた。いつもより瞳は大きいようだった。

「どうした」

 漣は答えない。ずっと俺の顔を見たままで何も話さない。沈黙はしばらく続いた。

 すると、漣は急に笑顔になって話し始めた。

「ううん。なんでもない。言おうと思ったけど忘れちゃった」

「なんだよ。また変態とか言われるかと思ってひやひやしたじゃん」

 目を細くして厭味ったらしく漣を見つめてみる。

「へへっ。でも、もう変態って言わないかも」

「なんで急に」

 その答えも言うことなく漣は再び走り始めた。クーリングダウンにも関わらず、ジョグのスピードは心なしか速くなっていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ