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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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顧問初日

 十二月下旬になると正式に教員登用の通知が来た。面接室での大歓迎は嘘ではなかったようだ。

こうして俺は晴れて二ノ丸高校の教師になれた。本当に信じられないのだが本当のことなのだ。信じられないけど。

 早々に高校の近くにアパートを借りて一人暮らしをスタートさせた。

 社員寮を抜けられたらこともブラック企業からの退社も本当にうれしい。もう会社が辛すぎて教員登用の通知をもらったその日に辞表を提出、即受理された。俺、どれだけ要らなかったんだ?その後は忘れている勉強の復習をしながら実家の手伝いをし、モラトリアムを満喫した。

 桜のつぼみもふくらみ始める季節となり、教師としての人生も幕あけを鮮やかに彩る。そうやって春休みはルンルン気分で授業の準備をしたのだった。

そんなある日の春休み、新学期のために職員室で事務処理をしていたとき、あるおじさんから話しかけられた。

「栃岡君、調子はどうだい?」

 おじさんは丸眼鏡をかけており、かなりかすれた声をしていた。少しヤニ臭がしたのでタバコを吸う人なのだろうか。第一印象は微妙に悪い。

「僕のこと覚えているかな?」

「え、あぁ!」

 言われて思い出したが、彼は採用試験の面接官だった。

「校長の河合だ。よろしく」

手を差し出されたので握手をした。彼の手はしわが多く、皮が厚かった。多分六十代の人なんだろう。

「調子はまぁ上々です」

「よかったぁ~。駅伝部の活動は見に行ったかい?」

「いいえ、まだです」

校長は見た目のわりに話し方は軽かった。なんていうか、親戚のおじさんくらいだ。

「じゃあ見に行ってきなよ。こんな事務処理だけじゃつまんないでしょ。部活も行っちゃいなよ」

「え、いいんですか」

「オーケー牧場! きっと早く顔を出してあげた方が、子供たちも喜ぶと思うよ~」

 校長はおおらかで助かった。面接の時といい、やっぱりいい人だ。オーケー牧場なんて言葉は久しぶりに聞いたけど。

事務作業を切り上げて職員室を後にすると、男子駅伝部の部室に向かった。時刻は午前8時25分。そろそろ部室には人が集まり始める時間だろう。

 鼻歌交じりで廊下を歩くと、部室棟に着いた。駅伝部室は二階の突き当たりにある。俺の高校時代と変わらない位置だ。

 今日から教え子であるボーズ達、ばっちりしごいてやろう! まぁどうせ男子だしってことで挨拶代わりにノックもせずに部室のドアを開けた。

「たのも――!」

 って道場破りみたいに勢いよく入ドアを開いたのの、部屋には2人しか生徒がいなかった。活動開始30分前だというのにこれしかいないのか。最近の若者はたるんでるな。

1人は黒いジャージを着て携帯電話をいじり、もう1人は制服から着替え中だった。どこにでもある部室の普通の光景だ。

…………でもこの部室はなんだか様子がおかしい。なんだろう、この異世界に来たような気味の悪さは。これは単に更衣室特有の湿気のせいではない。明らかに空気が人間界と違う。俺はこの場にいたたまれないような気分になった。

でもいったい何が原因なんだよ! 謎を明かそうと勇気を出して着替え中の生徒を見た。

 その瞬間、背筋がぞっとした。だって、その生徒は胸部に「男がつけているはずのない下着」をつけていたんだぜ・・・・・・

ちょっ、どういうことだよ? 確かにここは「男子駅伝部」の部室のはず。そして男子駅伝部には男子しかいないはず。じゃあここにいる「彼女」はなんなんだ??

俺はそのフォーカスから視線を上げていく。男子とは思えない華奢な首筋。男子とは思えないすべすべとした頬……

そしてついに「彼女」の顔を直視した。「彼女」は赤みがかったショートヘアーだった。顔にはまだ幼さが残り、澄み切った瞳。

 完全に女子だ!女の子!女子高生!

彼女は恐ろしさに怯えて声も出せない様子だった。

「いや、あの、違うんだ! これはその、挨拶代わりでって………………違う! そんなんじゃないだろう!」

 あまりの緊張にセルフツッコミをする。すごくつまらないことは自分でも分かっていたがそんなことを気にする余裕もなかった。

 彼女は体だけでなく声も震わせる。そして、どもりまくりながら何かを言おうとする。

「あ………………あぁ…………ぁ…………ぃや……………………」

 うわあああああああ最悪だああああああ!!!!!着任早々なんでこんなことになってるんだよおおおおおおお

 れ、冷静になれ俺!! こういうときは相手の敵意や恐怖を少しでも減らすことが大事だ。ほら、あるじゃないか。自己紹介とかあいさつで相手の敵意を減少させるのが地球上の民族に共通した特徴であって、だから友好的な関係を作るには――――――――――

「おっさん、もしかして不審者?」

 携帯をいじってる方の女子高生が攻撃的な口調で話し掛けてきた。こっちの「彼女」もショートヘアだったが、色は純粋な黒だった。スカートの子とは違って大人びた印象を受けた。

「どうせ盗撮カメラでも設置しに来たんでしょ? ってことはこの前の女子バレー部の事件の犯人もあんただったの? 女子の体操着を盗んだとかガチでドン引きなんだけど」

 違う。断じて違う。俺は良識ある人間だ。確かに彼女は高校以来いないし正直コンプレックスもあるが、誰か迷惑になるようなことはしないぞ!

 とにかく誰かが目撃して騒ぎになる前に収拾をつけないとだ。この状況は非常にまずい。

 よし、こうなったら思いっきりいこう!ほらほら、こういうときこそ自信だよ!

「じ、自己紹介がまだだったな、諸君。俺は新しく駅伝部の顧問になった栃岡翔だ。しかもこの駅伝部のOBなんだぜ!? インターハイも出たんだぜ? 更に明英大学出身ときたもんだ!」

 勝負に出た。しかもドヤ顔で。あれ、最後は難関私大を有名してるなんかうざいやつになってるけど。

 しかし予定通り彼女達はたじろいだ。特に下着の子のほうは顔を青くしている。やったぜ。

「新しい………………先生………………OB…………インターハイ……………………し、失礼しました!」

 その子の顔は再びリンゴのように真っ赤になった。状況が理解できたのだろう。これで少しは話しやすそうだ。

「いいんだよ。ってか君が謝る必要ないし!」

「でさ、新しい先生なら何で女子部室に侵入してくんのよ」

 ジャージのほうが反撃にきた。彼女の目は凛としていて、思わずたじろいでしまった。

「い、いや、駅伝部って男子だけだと思っていたから……………………女子もいたんだね。失礼失礼」

「は? 駅伝部は女子しかいないんだけど」


 ええええええええええええええええええええ!!!


「『女子駅伝部』ではなく?」

「うん。『(男女合同で)駅伝部』だけど」

「っていうのはフェイントで」

「ない!」

 おい、嘘だろ。

 俺の高校時代の駅伝部はマネージャーまで男という、男の男による男のためじゃない部活だったのに。

それが今では女子だけだと?

そーいえば最近は大会で名前を聞かなくなったなーなんて思っていたらこんな変化を遂げていたとは………………一体何があったんだろう。

必死に考え込んでいると、例の下着の子がオドオドしながら話し掛けてきた。

「あの、申し遅れましたが、私、新3年生で部長の、藩内京子(ばんない みやこ)といいます」

なんだ部長かよ。話が早い。ってか

「三年生だったんだ」

 実際けっこう童顔だったから下級生だと勘違いしてた。

「すみません。激しい人見知りと、極度の緊張症なので、威厳があるようには、とても見えませんよね」

 京子はつっかえながらもちゃんと話した。てか「威厳」ってなに??

「あれ、もう一人の君は?」

「私は常盤 (さざなみ)。新2年で副部長。よろしくね、変態顧問さん」

 は?後半がすげームカつく。

 たまたま偶然の出来事で変態呼ばわりされて盗撮も疑われて……一体何を考えてるんだ?

「変態ってお前、俺だって顧問なんだからさぁ……あれ、副部長って言ったよね? 3年生は京子のほかにはいないの?」

「いない。だってこの2人で全員だから」

「あぁ?」

「この2人で全員! なんか文句あんの?」

「パードゥン?」

「うっせーんだよ変態! あたし帰る」

 漣は部室を出て行った。勢いよくドアが閉じると、それっきり沈黙になってしまった。

 あ、ちょっと怒らせ過ぎちゃったかな。しんみりとした部室に、少し後悔がにじんでいる。

「――――――――ごめんなさい。漣さんは、1年生の頃からああなんです」

 京子はいつの間にかジャージを着ていた。さっきまで着替えの真っ最中だったから、ちょっと安心した。

「そうなのか。でも荷物は部室に置きっぱなしみたいだけど」

「多分練習に行ったのでしょう。彼女は一度練習を始めると、昼過ぎまで戻ってきません」

「もはや問題児じゃんねーか……いつも大変だな」

「いいえ。そんなことないですよ。この部活の練習は毎日『フリー』ですから」

フリーの練習ってすごく大事だ。疲れをとったり怪我を治したりするのに絶好の機会。でも、それが「毎日」となると話は別だ。つまり、この部活は

「堕落してるな」

「すみません」

「いや、それ以前に顧問が悪かったんだろう。今まで誰が顧問だったんだよ」

「分かりません」

「えっ」

「いえ、一応名前はあったんですけど、どこの誰だか分からないんです。多分、前の顧問の方だとは思うのですが」

「もしかして、『大森顕』っていう人?」

「ご名答です」

 あの野郎……………………奴は俺達をインターハイや都大路に導いてくれた恩師である。しかし数年前に実業団から監督のオファーが来ると、あっさり顧問をやめてこの高校を去った。恐らく奴はこの高校を出るときに後任の顧問を任命しなかったのであろう。それは奴の適当な性格から言って十分に考えられる。だからいつまでも「大森顕」の名が残りつづけているというわけだ。忌まわしき亡霊よ。なぜ罪のないこの子達と俺を傷つけるのだ?

「すみません、お顔が怖いです」

「あぁ、すまん。とにかく今日からは俺が責任をもって指導をするからよろしくな」

「あ、はい! こちらこそよろしくお願いいたします、先生!」

京子は慌てて礼をした。

「先生」という呼ばれ方が、心なしか嬉しかった。教育実習のときも感じていたが「先輩」と呼ばれるのとはわけが違う。言い方が悪いけど、ちょっと特別になった気分だ。

「じゃあまず君達について知りたいんだが、専門種目は?」

「私は、1500mと3000mの長距離で、漣さんは、800mと1500mの中距離が、専門です」

 京子は手のひらを前で組みながら、俺を見上げるように話した。

「今期のタイムトライアルとかのタイムは?」

「今年はまだタイムを計っていません。スピード練習もこれからですし」

まだスピード練習をやってないのか。もうすぐトラックシーズンだというのに、これはまずいな。

 ちなみに、高校の長距離ランナーは「駅伝」と「トラック種目」の2つを兼ねるのが一般的だ。駅伝がない春から秋口にかけてのシーズンは1500mや3000mなどのトラック長距離種目で上位を狙い、秋の駅伝シーズンには駅伝で都大路を目指す。ぶっちゃけインターハイに出場する選手の多くが都大路でも活躍する。今はメンバーが足りない二ノ丸高校だけど新入生がたくさん入ってくる可能性があるから、これからのトラックシーズンも大切にしたいところだ。

それなら、実力試しにタイムトライアルでもやってみるか。2人の仕上がりも一目瞭然だし走りのフォームも見てみたい。スパイクを履かなければ脚にも負担はかからない。決まりだ。

「明後日はタイムトライアルをする」

「えぇ! そんないきなりおっしゃられても」

「異論は認めない。文句があるなら俺は顧問をやめる」

「いえそれだけは」

「はい、決定。漣にもそう伝えておいて。今日明日は調整ということでフリー練習。明後日は九時に陸上競技場集合。では、解散」

 そう言い放つと駅伝部室を立ち去った。時計見ると、時刻は午前10時前だった。いつの間にこんなに話していたのだろうか。

 俺は仕事を片付けに職員室に向かった。


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