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公爵閣下のご依頼は花の香りと共に  作者: 青戸部ラン


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第一話 風の誘い

連載開始しました。どうぞよろしくお願いします。

【 ゼント探偵事務所 依頼募集中 人探し、事件、捜査 何でもご相談ください! 】

 

 それはたった三十枚。

 ジェシカがなけなしの貯金を切り崩して作ったビラが招いた事件だった。

 本当は新聞に載せたかったものの、名もない探偵事務所の広告など、貴族のスキャンダルの中に埋もれてしまうことは間違いない。それで選んだのが自ら配る方法だ。

 しかし無情にも捨てられたビラもあった。その一枚が風にのり、王都中を彷徨ってたどり着いた先――そこがシューゼノクト公爵家の庭園でなければ、運命は変わっていたかもしれない。


 公爵家を囲むように植えられている樹木の間をすり抜けて、そのビラは広いバルコニーに舞い落ちた。

 カサリ、と音を立てて長い指が拾い上げる。不審物ではと警戒する護衛を手で制し、その人物はビラを眺めると小さく呟いたのだった。


「探偵、ね……いいじゃないか」


 §


 緑あふれる王都カロシュア。

 その日も王都四区の片隅に響いた怒鳴り声に、通行人たちは驚きの眼差しを向けた。


「ジェシカ・ゼント! 今日こそはいい加減家賃を払ってもらうからね!」

「ご、ごめんなさい大家さん! 一ヵ月……いいえ、半月……あ、えーっと、やっぱり十日待ってほしいの!」

「あんた、そう言ってもう三ヵ月も経つんだよ! 心の広いあたしだって限界があるんだ!」

「ひいぃっ、ごめんなさーい!」


 小さな事務所の玄関扉を挟み、中に入ろうと必死に扉を引く大家ナッシュ。一方、ジェシカは入られてはたまらないと必死に中から引っ張っていた。

 ジェシカ・ゼント――栗毛と栗色の瞳が親しみやすさを与える二十歳。現在調査に出ている父ジェームズに代わり、このゼント探偵事務所の所長代理ということになっている。

 しかし、かねてからぎりぎりの経営状況。報酬を持って帰ってくるはずの父は、調査に出て以来ここ一年まったく音沙汰無し。コツコツ貯めていた貯金を切り崩しながら家賃や生活費を払っていたものの、収入が無ければいつかは底をつく。


 つまり、ゼント探偵事務所は存続の危機を迎えていたのだった。


 そこでジェシカが思いついた策――それは「自分が探偵になる」というもの。

 まあ、探偵としての実績は皆無だが、実践を積めば何とかなるだろうと考えた末の苦策だ……。


「で、でもこの前ビラを作ったんです! だから、それを見た人から仕事を依頼されれば、その報酬で家賃が――」

「いいや、信じられないね! こっちだって商売なんだ。払えないなら代わりに金目のものを見繕わせてもらうよ」

「もう売れるものなんてないですからー!」


 その言葉通り、ジェシカの背後の事務所はかろうじて応接セットと父の仕事机が残っているのみ。二階の住居部分にはベッドと小さなチェストしか残っていない。その他の家具や服は全て質屋に持って行ってしまったからだ。必要最低限のものしか残っていないのに、それすらも持っていかれたら……。

 ナッシュには申し訳ないが、扉を開くわけにはいかない。必死に抵抗するジェシカの耳に、聞き慣れない声が飛び込んできた。


「取り込み中すまない。ゼント探偵事務所はこちらで間違いないだろうか」

「なんだい、今忙し――うわっ!」

「はい! もしかしてご依頼ですか?」


 ジェシカがパッと扉から手を離すと、懸命に扉を引いていたナッシュの姿は全開になった扉の向こうに消えてしまった。

 代わりに現れたのは、ジェシカよりもはるかに高い背丈のがっしりとした赤毛の男性だ。思わず見上げていると、男性の眉間にしわが寄る。


「……出直した方がいいだろうか?」

「あっいえいえ、問題ありません! ……というわけでナッシュさん、すみませんが今日はこの辺で」

「ふんっ。まったく運のいい子だよ」


 そう言ってヘヘッと笑って見せると、扉の後ろから這い出てきたナッシュは不満げにジェシカと男性を睨みつけた。

 

「いいかい、一週間だ。一週間後に今までの滞納分まとめて払うんだよ! さもなくばここを追い出しちまうからね」

「は、はーい……」


 期限が短くなってしまった……。あと一週間で三ヵ月分の賃料を稼ぐなんて、無謀な話だ。


(で、でもここには金の卵を産んでくれるかもしれない依頼主がいるし……!)


 ジェシカは改めて男性の姿を観察した。

 年の頃は三十かそこら。扉に頭がぶつかりそうな程の高身長に、胸板はがっしり厚い。それでいて彼の体形にぴったりと合う服は、きっと彼のためだけに誂えられたものなのだろう。良く磨かれた革製のブーツも、王都に暮らす労働者が一年働いてようやく手に入れられるほどの品だ。

 この国では王家以外に公爵、侯爵、伯爵などの貴族がいわゆる特権階級として存在している。労働の対価に報酬を得るジェシカたち平民と違い、黙っていても王家や領地経営によって収入を得られる。この男性はきっとその類の人物だ。


(この大男“お貴族様(当たり)”の予感……! つまり高額報酬が期待できる!)


 ジェシカは無意識ににんまりと笑顔を浮かべ、男性を室内に招き入れた。


「さ、どうぞ。お話は中で伺いますので」

 

 ……が、男性の次の言葉にジェシカは耳を疑うこととなる。


「ああ、失礼する――皆の者、準備を!」

「え、『皆の者』……?」


 男性の声を皮切りに事務所の中にぞろぞろと入り込んできたのは、揃いの紺ワンピースを着た女性たちだ。

 女性たちは事務所の応接セットを囲むとなにやらごそごそといじり始めた。その光景に焦ったのはジェシカだ。この家で唯一と言っていいまともな家具に傷などつけられてはたまらない。思わず女性たちに声をかける。


「あっ、あのちょっと、何を――」

「お下がりください。このような粗末な場所に閣下をお迎えするわけにはいきませんから」

「はい……」

 

 しかし、きっぱりと制されてしまう。その迫力にジェシカは思わず一歩引いてしまった。


(というか『粗末な場所』ってどういう意味よ。確かに貧乏だけど、その言い方はあんまりじゃない? ってか『閣下』って何よ。公爵閣下でも来るってわけ――)


 そこでジェシカはハッと顔を上げた。

 すでに応接セットには美しいレース編みのクロスがかけられ、花まで飾られている。そして赤毛の大男はいつの間にか外に出ており、代わりに別の青年が開け放たれた入口に立っていた。


 一言で表すならば、美術品のように美しい青年だった。漆黒の髪はやや長めに伸ばされており、無造作にかき上げる動作すら絵になるようだ。わずかに微笑んだ口元は穏やかでありながら、その青い瞳は冷ややかに澄んでいた。


「こちら、シューゼノクト公爵ラインハルト様にあらせられます」


 青年の後に控えた大男が恭しく頭を下げる。

 公爵と言えば貴族の中でも最上位。王家の血統である由緒正しき家柄だ。そんな高貴な人物が、こんな錆びれた探偵事務所に何の用があるというのだろうか。あまりの衝撃にジェシカは口をパクパクと動かすことしかできなかった。


「公、爵……? ど、どうしてそんな偉い人が、うちに……?」


 ようやく絞り出した声に、ソファに腰を下ろした青年――ラインハルトは笑みを深めた。

 

「まあそう固くならないでおくれよ。僕はこれを見て、君に依頼しに来たんだ」

「依頼……い、依頼っ?!」

「おい、閣下の御前だぞ。わきまえんか!」

「まあまあガーヴィス。僕は少しくらい大丈夫だよ」


 ジェシカを諫めた大男――ガーヴィスをなだめ、ラインハルトはジャケットの内ポケットから紙を取り出した。ジェシカは見覚えしかないその紙に目を丸くした。


「それ、私が作ったビラ! どうしてそれを……」

「風のいたずらが我が家に運んでくれてね」


 そう言いながらラインハルトは相変わらずニコニコと微笑んでいる。しかしその瞳の奥には油断の色はない。まるで品定めをするような冷静さを秘めた眼差しだった。


「こんな素晴らしい探偵事務所があるのなら、ぜひ相談させてほしいと思ったんだよ」


 ――これは危ない。

 ジェシカの直感がバシバシ危険を告げて来る。ラインハルトの視線、雰囲気、全てが「裏がある」と伝えている。

 引き受けるかどうかは話を聞いてから答えればいいだけだ。けれど聞いてしまえばきっと後には引けなくなる。


(あ、あまりにも危険すぎる。どうする私……?)

 

 しかしラインハルトはジェシカの迷いすらも織り込み済みだったらしい。

 

「まあまあ。これを見たらすぐに引き受けたくなるよ。ガーヴィス、あれを」

「はっ!」

 

 ラインハルトの言葉を合図にドンと重い音と共にテーブルの上に大きな袋が二つ置かれた。それはどこからどう見ても金貨袋だ。ラインハルトが慣れた手つきで袋を開けると、想像通り中にはぎっしり金貨が詰まっている。


(この袋一つで事務所の家賃は向こう二十年は安泰だわ。しかも家具を全て新調してもおつりがくるだろうし、さらにもう一袋加えたらそれを使って父さんの行方を探すことだって……)


 お金がほしい。めちゃくちゃほしい。家賃の支払い期限も刻一刻と近づいてくる。正直どんな依頼でも二つ返事で引き受けたい。ジェシカは無意識にごくりと喉を鳴らしていた。


「まず、手付金で一袋。成功したらもう一袋でどう――」

「ぜひお願いします!」


 口から飛び出した声にジェシカは慌てて口を押さえる。言ってしまった——。

 一方、食い気味に返事をしたジェシカにラインハルトは一瞬目を丸くした。しかしすぐに面白そうに目を細めると、ジェシカの目の前に二本指を立てた。

 

「依頼は二つ。ひとつはこの場で今すぐ解決して欲しいんだ」

「今すぐ……」

「そう。探し物をお願いしたいんだ」


 やはり直感は正しかったようだ。思いもよらぬ依頼、しかも一つは「今すぐ解決せよ」とは……。


 (やっぱり、止めておいた方が良かったかも……でもそんなこと言えないし)


 ジェシカは引きつる笑顔を貼り付けたまま、覚悟を決めて頷くことしかできなかった。

本日《第一話》~《第三話》まで投稿しています。

《第四話》以降は毎朝7時に更新予定です。

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