第一キュン 女子寮の管理人になったら、電気が消えた
四月初旬。女子寮の管理人になった初日に、寮の電気が全部消えた。
「……は?」
ぱちん、と音を立てて天井の照明が落ちる。冷蔵庫の唸りが止まり、廊下の非常灯まで消えた。夜七時前の星見風寮は一瞬で真っ暗になった。
「寺坂くん! 動かないで!」
暗闇の向こうから、女の子の声が飛んでくる。
「動くなって言われても、何が起きて――」
その瞬間、誰かが俺の胸にぶつかった。
「きゃっ」
「うわっ!」
反射的に、その肩を抱きとめる。
数秒の沈黙。次の瞬間だった。
――ピコン。
どこかで、場違いなくらい軽い電子音が鳴った。
『感情エネルギーを検出しました。三・七キュン』
「……三・七、何?」
ぱっと寮の照明が復活する。俺の腕の中には、顔を真っ赤にした同級生――水瀬ひよりがいた。
「ちょ、ちょっと離して!」
「悪い!」
慌てて手を放す。すると壁際のモニターに、見たこともない表示が浮かび上がった。
☆☆本日の発電量 3.7 KYN☆☆
「…………」
俺はその数字と、水瀬の真っ赤な顔を交互に見た。
その日。俺は初めて知った。この女子寮では――女の子がときめくと、電気がつくらしい。
☆
話は、三日前にさかのぼる。
「亮太郎。お前、しばらく星見風寮に住まないか?」
夕食の途中、父さんが唐突にそんなことを言った。
「星見風寮?」
聞き覚えのある名前だった。俺が通っている私立翠和丘学園高等部。そこから徒歩十分ほど離れた住宅街の一角に建っている学生寮だ。学園には他にもいくつか提携寮があるが、その中でも星見風寮が一番古くからあるらしい。
「確か、ばあちゃんが管理人やってるところだったような」
「ああ。そのばあちゃんが昨日、腰をやった」
「……また?」
「まただ。今回は前よりひどいらしい」
俺は箸を止めた。祖母――寺坂澄恵は昔から、自分の年齢を十歳くらい若く見積もって行動する。去年も一人で大型家具を動かそうとして、「もう八十になったんだから無理しないで」と家族全員に怒られていた。
「それで、しばらく入院することになった。学園側も急に代わりの管理人を用意できないらしい」
「だから俺?」
「通学にも便利だぞ」
「いや、そういう問題じゃなくて」
管理人代理。掃除や設備の確認くらいなら、できなくはない。
正直、面倒そうではあった。けれど、ばあちゃんが困っているなら、知らないふりをするのも違う気がした。せめて戻ってくるまでくらいは、ちゃんと代わりを務めよう。
普段は電車と徒歩で四十分以上かかる通学時間も、大幅に短くなる。
ただ、一つだけ引っかかることがあった。
「星見風寮って、確か――」
父さんは、俺から目をそらした。
「女子寮だ」
「先にそこ説明しろよ」
☆
そして今日。四月初旬の、まだ肌寒さの残る午後六時過ぎ。
俺はキャリーケース一つを引きずって、星見風寮の門をくぐった。
敷地の奥に建つ寮は、外壁の白がところどころ薄汚れていて、いかにも歴史がありそうな佇まいをしている。
玄関先で待っていたのは、二十代後半くらいの女性だった。緩く巻いた髪を無造作にまとめ、白衣の下にパーカーを着ている。教師というより研究者に見える。
「寺坂くん、だよね。待ってたよ」
「あ、はい。今日からお世話になります、寺坂亮太郎です」
「秋月真琴。ここの担当教員。まあ、堅苦しいのは無しで」
秋月先生は俺の荷物をちらりと見て、それから寮の建物を指差した。
「さっそくだけど、案内する前に一つだけ言っておきたいことがあって」
「はい」
「この寮、ときめきで発電してるんだよね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……はい?」
「感情変換技術。人の感情を電力に変える技術で、その中でも『ときめき』は特に変換効率が高いらしい。星見風寮は、その実証実験をやってる寮なの」
秋月先生はそう言いながら、寮の玄関脇の壁に取り付けられた小さな箱型の装置を指した。銀色の筐体に、緑色のランプが点滅している。
「あれがキュン・コンバーター。住人の感情反応を検知して、電気に変換する装置。照明も冷蔵庫もエアコンも、その他家電もあれで賄ってる」
「いや、意味が分からないんですけど」
「まあ最初はみんなそう言う」
秋月先生は特に気にする様子もなく、寮の玄関を開けた。
中は思っていたより普通の学生寮だった。共用のリビングに、キッチン、廊下の奥に各部屋のドア。ただし、壁のあちこちに配電盤らしきものと、先ほどと同じ銀色の装置がいくつも設置されている。
「で、本題なんだけど」
「まだあるんですか」
「この寮、先月から発電効率が七割落ちてるの」
俺は思わず立ち止まった。
「七割って」
「うん。原因ははっきりしてる。住人の女の子たちが、最近まったくときめいてないから」
秋月先生はさらりと言ってのけた。
「しかも」
「まだあるんですか」
「新型のコンバーター、感情誘発対象を自動で登録するんだけど――今回、それに選ばれたのが寺坂くん」
俺は、自分の顔から表情が抜け落ちていくのが分かった。
「つまり」
「うん。星見風寮を維持するには、住人の女子たちが寺坂くんにときめかなきゃいけないってこと」
「聞いてないんですけど、そんなの」
「今言った」
秋月先生はけろっとした顔で言う。
どう反応していいか分からず立ち尽くしていると、廊下の奥から足音が聞こえてきた。
「先生、さっきから廊下の電気が――」
顔を出したのは、明るい茶色の髪を一つに結んだ女の子だった。薄手のパーカーにチェック柄のスカートという春らしい私服姿で、手には空になったコップを持っている。
日に焼けすぎてはいないが、どこか健康的な雰囲気がある。ぱっちりした瞳と、少し勝ち気そうに上がった眉が印象的だった。
目が合った瞬間、彼女はぴたりと足を止めた。
「……男?」
第一声がそれだった。
「え?」
「先生、この人誰?」
「あ、新しい管理人さん」
「新しい管理人って――男子じゃん!」
彼女は俺と秋月先生を交互に見てから、もう一度俺を見る。
「聞いてないんだけど。女子寮だよ、ここ?」
「それは知ってる」
「じゃあ、なんで男子が管理人なの!?」
「その件については俺も親父に言いたい」
一瞬だけ、彼女が呆れたような顔をした。
それから、確かめるように秋月先生を見る。
「……先生、本当にこの人でいいんですか?」
「うん。学園にも話は通してあるよ」
「……まあ、先生が決めたなら仕方ないか。水瀬ひより。二年」
「寺坂亮太郎。同じく二年。よろしく」
「変なことしたら追い出すからね」
「管理人なのに?」
「なおさら」
言い切ったところで、廊下の照明が一瞬揺れた。
「あ、また来る」
水瀬が呟いた直後だった。
ぱちん、と音を立てて照明が落ちた。
冷蔵庫の唸りが止まり、廊下の奥まで暗闇に沈む。
「寺坂くん! 動かないで!」
水瀬の声が飛んでくる。動くなと言われても、何が起きているのか分からない。
その瞬間、暗闇の中で誰かがつまずいた気配がした。
「あ――」
小さな声と共に、何かが俺の胸にぶつかってくる。
「きゃっ」
「うわっ!」
反射的に、その肩を抱きとめていた。薄暗い中でも分かる。薄暗い中でも、水瀬のシャンプーの匂いと、驚いて跳ねるような呼吸が伝わってくる。
数秒の沈黙が流れる。
次の瞬間だった。
――ピコン。
『感情エネルギーを検出しました。三・七キュン』
ぱっと照明が復活する。
俺の腕の中には、耳まで真っ赤にした水瀬がいた。
「ちょ、ちょっと離して!」
「悪い!」
慌てて手を放す。壁際のモニターに、数字が浮かび上がった。
☆☆本日の発電量 3.7 KYN☆☆
「今ので冷蔵庫も復活した!」
秋月先生が嬉しそうに手を叩く。
「私の恥ずかしいので冷蔵庫動かさないで!」
水瀬が涙目で叫んだ。
俺はただ、モニターの数字と、水瀬の真っ赤な顔を交互に見ることしかできなかった。
こうして俺の、星見風寮での管理人生活は始まった。
掃除に、食事に、設備の点検。
そこまではいい。問題は――この寮を維持するために、俺が女子たちをときめかせなければならないらしいことだった。
「……ばあちゃん。聞いてないぞ、こんなの」
壁のモニターでは、三・七キュンの数字が、やけに誇らしげに光っていた。




