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視線を背に踊る




 夜会は続いていた。


 しかし空気は、先ほどまでとは明らかに違っていた。


 音楽は再び流れている。


 だが踊る者は少ない。


 人々は小声で話し、互いの様子を窺っている。


 理由は明白だった。


 令嬢が突然倒れた事件。


 そしてその原因となった花。


 幻惑の花。


 その存在が、広間に不穏な影を落としていた。


 マルール・ディジュワールは壁際に立ち、静かに息を吐いた。


 視線を感じる。


 それも一つや二つではない。


 多くの貴族が、遠巻きに彼女を見ていた。


 小さな囁き声が聞こえる。


「またあの令嬢……」


「温室の事件のときも……」


「偶然とは思えないわ」


 マルールは表情を変えなかった。


 だが胸の奥で、冷たいものが広がる。


 噂が広がり始めている。


 悪役令嬢。


 不吉な女。


 そんな言葉が、再び形を取り始めていた。


「お気になさらないでください」


 落ち着いた声が横から聞こえた。


 振り向くと、騎士が一人立っている。


 ベルナール


 背筋を伸ばし、丁寧な姿勢で控えていた。


「噂は社交界の常です」


 穏やかな口調。


 しかしその目は周囲を警戒している。


 マルールは小さく微笑んだ。


「分かっています」


 そう答えながらも、視線を感じる方向へ目を向ける。


 そこにいたのは。


 白銀の髪の青年。


 蒼い瞳がまっすぐこちらを見ていた。


 彼はゆっくり歩いてくる。


 人々が自然と道を開けた。


 皇太子クリストフ。


 その存在感は、広間の空気を変える。


「マルール」


 低く呼ぶ。


「殿下」


 マルールは軽く頭を下げた。


 クリストフは少しだけ眉を寄せる。


「周囲の声は気にするな」


 短い言葉。


 だがそこには強い意志があった。


「分かっています」


「本当にか」


 蒼い瞳が彼女を見つめる。


 その視線は、どこか苛立っているようにも見えた。


 マルールは少し考えてから答えた。


「私は慣れています」


 クリストフの眉がわずかに動く。


「慣れている?」


「ええ」


 静かに言った。


「私は昔から、よく誤解されますから」


 その言葉に、クリストフはしばらく黙っていた。


 そして低く言った。


「……そうだな」


 その声は、どこか苦い。


 そのときだった。


「楽しそうな会話だ」


 軽い声が割り込む。


 振り向くと、そこに立っていたのは金髪の男だった。


 アルベルト・ラナグローク


 敵国の王。


 彼はワイングラスを手にしていた。


「帝国の夜会は退屈だと思っていたが」


 笑う。


「今夜は違う」


 クリストフの目が鋭くなる。


「まだ帰国していなかったのか」


「もう少し楽しむ」


 アルベルトは肩をすくめた。


「せっかく面白いものが見られるんだ」


 その言葉に、マルールはわずかに眉を寄せた。


「面白いもの?」


 アルベルトは彼女を見る。


 琥珀色の瞳。


 その視線には、奇妙な確信があった。


「お前だ」


 広間の空気が一瞬止まる。


 クリストフが低く言った。


「言葉を選べ」


「事実だ」


 アルベルトは笑った。


「温室の事件」


「今夜の事件」


 指を折るように数える。


「どちらも、お前の周りで起きている」


 マルールは静かに答えた。


「それは偶然です」


「そうか?」


 アルベルトは少し首を傾げた。


「俺はそうは思わない」


 そして。


 ゆっくり言った。


「世界は、中心を持つ」


 その言葉に。


 ジョルジュの声が後ろから聞こえた。


「興味深い理論ですね」


 振り向くと、そこに立っている。


 ジョルジュ・ルモワール


 宮廷学者。


 彼は静かに歩いてきた。


「歴史上、多くの事件には中心人物が存在します」


 眼鏡を押し上げる。


「偶然では説明できないほど、多くの出来事が集中する人物」


 そしてマルールを見る。


「例えば──」


 その言葉を、クリストフが遮った。


「ジョルジュ」


 低い声。


 警告だった。


 ジョルジュは軽く笑う。


「失礼しました」


 だがその目はまだ興味深そうにマルールを見ている。


 研究対象を見る目。


 その視線が少し不快だった。


 そのとき。


 ノエルが近づいてきた。


「お嬢様」


 丁寧な声。


「少し空気を変えましょう」


 彼は広間の中央を見た。


「次の舞曲が始まります」


 確かに、楽団が再び準備を始めている。


 クリストフは少し考えた。


 そして言った。


「……踊るか」


 マルールは驚いて彼を見た。


「殿下?」


 クリストフは手を差し出す。


 白い手袋の手。


 皇太子の手。


「噂を黙らせる」


 短く言った。


「皇太子が選んだ相手だと見せればいい」


 周囲の貴族たちがざわめく。


 マルールは少し迷った。


 しかし。


 断る理由もない。


 彼女は静かに手を取った。


 その瞬間。


 遠くからアルベルトの声が聞こえた。


「なるほど」


 楽しそうな声。


「そう来るか」


 ジョルジュもまた、興味深そうに呟く。


「ますます観察の価値がありますね」


 そして。


 音楽が始まった。


 舞踏の輪が広がる。


 その中心で。


 皇太子が、マルールを静かに導いていた。


 だがその光景を。


 広間の奥から。


 冷たい視線で見ている人物がいた。


 誰も気づいていない。


 しかし確かに。


 その人物は、マルールを見ていた。


 まるで。


 ずっと前から狙っていたかのように。











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