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贄と呼ばれた少女の、幸せ【書籍化】  作者: 紬夏乃
第3章 できるように、なりたいこと
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歯車のひとつ

 





「お嬢ちゃん、そこの、待っておくれ」


 夕方の道に、誰かをそっと呼び止める声が聞こえた。


「お嬢ちゃん、あんただよいつもネビュラ様と一緒の、お嬢ちゃん!」


 ニナは自分が呼ばれていたのだと気付いて、立ち止まり振り返った。ニナを呼び止めたのは、見知らぬ中年の女性だった。


「ごめんよ、急に呼び止めて……本当は、こうやって話しかけていいのかもわからないんだけど、でも、どうしても、お礼を言わせておくれ。『情報を届けてくれた女の子』っていうのは、あんたじゃないかい?」


 女性はためらいがちにしながらも、必死な様子だった。ニナはこの女性に心当たりがなかったが、『情報を届けた』というなら確かに自分のことだと思ったのでこくりと頷いた。


「ああ、やっぱりそうかい、そうかい……」


 女性はうるんだ目元を手で押さえ、涙声で話し始めた。


「あたしの娘がね、隣の領に嫁いだんだ。事件のあったお屋敷からも近い町で、夫婦で店屋をやってるんだ。……もしお嬢ちゃんがいなければ、あたしの娘も、娘の旦那も、孫も…………」


 その先はとても言葉にできず、女性はただ荒く嗚咽の混じった吐息を繰り返した。


「ありがとう、本当にありがとう。まあこんな、細っこくてかわいらしいお嬢ちゃんがだなんて……本当に……」


 女性はついにぼろぼろと涙をこぼして泣き出してしまった。腰のエプロンを目に当てて、ごめんねと繰り返した。


「……こんなおばちゃんに泣かれちまったら困っちゃうよねえ。ああ、せっかくお礼が言えたのに、あたしゃ今お使いの帰りでろくなものを持ってない。こんなもんだけど、受け取っておくれ。それでもしよかったら、うちの店にも来ておくれ。噴水前通りにあるんだ。『メリダの店』って言えばすぐに見つかるから。……本当に、本当にありがとう」


 女性はニナに焼菓子のはいった包みを渡し、何度も何度も、拝むようにお礼の言葉を繰り返した。


 ニナはその女性の様子に、前にジェシカに言われた言葉を思い出していた。


『情報の速さって力なんだよ』


 その言葉の意味が、やっとわかった気がした。


「あの、あなたの大事な人たちが無事で、よかったです」


 ニナがそういうと、女性はおいおいと声をあげて泣き出してしまって、それからまたありがとう、きっと来ておくれと言いながら何度も頭を下げて帰っていった。


「……ネビィちゃん」


 ニナは腕の中のネビュラをなでながらぽつりとつぶやいた。


「私があの時逃げなくても、最後はヒースさんとネビィちゃんが気付いて、門を壊してくれたんだと思うんです」


 ジルの娘も、ヒースクリフが救いに来ていた。ニナが逃げなくても『特別な材料』の少女は救われたのだ。その後で門が開いたとして、ニナは助からなかっただろうが、きっと最後にはヒースクリフとネビュラが門を壊しに来てくれた。


「でもそれだと、あの人の家族は助からなかったんですね……」


「うむ、そうだろうな」


 ニナは先日ライノに言われたことを思い出した。


『何かすんのは自分のためさ』『誰かが稼ぐために麦育てて、それを買ったやつがうまいもんにして売って、誰かがそれ食って飢えをしのいだらそれだって全部人助けだろ?』……ああ、そういうことなのだ。ニナは自分が恐ろしさに耐えられずに逃げて、それが、誰かを助ける輪の歯車のひとつになったのだ。


「私は特別なことができたと思えないです。でも、あの人の家族が間に合ってよかった。私、あの時逃げて、よかった……」


 ニナはネビュラを抱え直し、そのふわふわで温かい背中に顔を埋めて、涙で熱くなった吐息にのせて震える声でつぶやいた。


「ニナよ、よく逃げてくれた。我はニナを救えたことも、こうしてニナと触れ合えることも、とても幸いに思っている」


「うん……っ」




『誇ってよ』という、ジェシカの晴れやかな声が聞こえた気がした。




 ニナはネビュラの毛並みに顔をうずめたまま歩き始めた。ふわふわの毛の間からちらちらと前を見て、ギルドの食堂のいつもの席に座るとぎゅっとネビュラを抱きしめてまたネビュラの毛並みで顔を隠した。食堂のマスターはそんなニナの異変に、黙ってそっとココアを出してくれた。


 そのうちにヒースクリフが帰ってきて、「ニナ?」という呼びかけにニナが顔をあげると、ヒースクリフはニナの真っ赤になった目に真顔になって「……何があったの」と低い声を出した。


 違うのだ、とても嬉しくて温かいことがあったのだ、とニナが言うと、ヒースクリフはぽかんとした顔をして、それから笑ってそっか、と言ってニナの頭をなでた。


 ニナがマスターの置いてくれたココアにようやく口をつけると少しぬるくなっていて、でもこのぬるくて甘いココアも『人を助けるもののひとつ』で、ニナの様子を気遣ったマスターがくれた、ニナの心を温めるココアなのだ。


 ニナはヒースクリフやネビュラのように、力をもって直接誰かを救うことはできない。


 体格や能力が向いていないのもあるが、心についた傷が、ニナが力を振るうことさえできないほど、どうしてもニナを萎縮させる。


 それでもきっと、ニナにも歯車のひとつにはなれるのだ。


(もしそうなら、もし私にも誰かの助けになれるなら)


 ニナは隣で微笑むヒースクリフを見つめた。


(私は、ヒースさんを助けるなにかになりたい)






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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分が人助けの歯車の中にいた、と気づけたところ、本当にいいなぁ…… じーんときて……泣いた←よく泣く。
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