第二章-10 手を差し伸べるけど……
「はぁー‼」
その一刀は圧倒的だった。
あれだけでかい化け物が少女の細腕に握られた剣によって紙を切るようにスパッと切り開いた。
もしかして見た目ほど硬くはない? と疑問も生まれたが、血しぶきをあげる断面(生々しくて凝視できないが)を見る限り、骨すらも両断している。彼女の腕力からなるものではなく、勇者の剣からなる、もしくは勇者としての力が実現することのできた一撃なのだろう。
それでもカバは抗う。下半分近くを失うも、顕在する足は未だに四本。従来のカバにしては申し分ない。
おまけに百獣の王から顎ごと引っこ抜いてきたかのような牙は全て健在。
捕食から保身に変わった猛襲。檻付きのサファリであっても飛び掛かってきたら悲鳴をあげるような光景だが、ステラさんは一切動じない。それ以上を相手にしていた彼女にとっては動じる場面ですらなかった。
「吹き飛びなさい‼」
その証拠に、少女は剣すら振るわなかった。
カバにそのまま相撲するかの如く張り手を突き出す。
左手がカバの顔面にぶつかる――瞬間にカバの体が逆再生しだす。
それが力か魔法か、或いは勇者の力かは定かではない。
ただ言えるのは、圧倒的だった。
吹き飛ばされたカバは壁に打ち付けられ、衝撃音に負けない叫喚する。
「ふぅ……」
ステラさんが一呼吸置く。
それは長年の勘からくる終息の合図みたいなものであり、壁にめり込んだカバは一切動かない。
「もしかしたら、こいつが牛たちを食い荒らしていたのか?」
元の世界のカバがどんなものを食べていたのか知らないが、この世界のカバは人を襲い、親分の――大切な物を食らう所など見る限り肉食獣に違いない。だからあながち間違った憶測ではないと思われる。
「ケイタさんの言う通りカバは肉食です。家畜や人を襲うことも多々ありますね。それにこれだけ大きいとなると――あの骨の山も納得がいきますね」
ステラさんは構えた左手を静かに下ろした。
けど、右手の剣は未だに鞘に納まる気配はない。
「でも、別件の罪はありますからね?」
圧倒的力を見せてからの警告は処刑宣告に相応しかった。
珍客の来訪が功を奏した、と言うべきか山賊たちに反論する余地はなかった。
「す、すみませんでした! 許してください‼」
いざこざによって捕虜とされていた俺が解放されたことによって、山賊たちは勇者への抑止力を失った。実力と決定権を持つ親分は色んな意味で戦意を喪失している今、彼らには謝罪しか残されていなかった。
「で、この場合ここで殺――処罰するんですか?」
全てが解決したのをきっかけに俺の思考は平和な日本の物へと回帰する。
今まで狼の魔物、そしてカバには到底見えないがカバの魔物が切り伏せられる姿を散々見てきた。それに動揺しなかったのは偏に実家が田舎だったからに違いない。田舎の道路にはよく狸や猫が轢かれていたりするし、トラウマものだと蛆虫が大量に沸いている姿も見たことがある。
しかし、同じ哺乳類であれど人間は別だ。
死体(血の混じった)を生で見たことは無いし、殺される姿など勿論見たこと無い。
討伐するみたいなことを口走っていたきがするけど、今から惨劇が起きてしまうのだろうか。
「賞金首は基本的に標的の首を持っていけば何とかなります。けど、今回は山賊討伐を依頼された身です。捕らえてもいいですし、何ならここで殺しても構いません」
彼女は至って普通に冷徹なことを言ってのけた。
「そ、そこまでやらなくても――」
「お願いします! どうか、どうか命だけは!」
彼らがやったことは窃盗であり、実際聞いてはいないが負傷者や最悪死者が出ている可能性もある。もしテレビでそんな人たちが逮捕されたら罪を償えヒトデナシと感じるだろう。それでも実際に目の前で人が死ぬのは見たくない。これは俺のエゴかもしれない。こんな世界では通用しないかもしれない。
それでも俺は懇願する。
「――、償いますか?」
ステラさんが優しい声で伝える。
その声に山賊たちは顔をあげる。
「ただし変な行動をしたら――」
冷たき刃のような言葉が山賊たちを凍えさせるはずだった。
が、それですら些細だと感じさせる異変が静かに近寄っていた。
「な、何だこの音?」
ゴゴゴゴと地面を揺らす音に、不安を抱く。
立っているのがやっとな揺れ。けど、音は下から鳴っているようではないようだ。どちらかと言うとかなり近く。
「なぁ……あそこから聞こえねえか? ばけもんの脇から水が溢れて」
山賊の視線の先。そこには先ほどステラさんに吹き飛ばされたカバがギャグマンガよろしく、壁に頭部をぶち込む形で刺さっていた。
だが、問題はそこじゃない。その脇から漏れ出ている水。ちらつく湯気からしてそれが温泉であることは一目瞭然だった。カバが栓の役目を果たしているみたいだが、締め具合が緩いのは溢れ出るお湯の量と頬を伝う一筋の冷や汗ですぐさま理解できた。
「逃げるぞぉ‼」
決断と結末が重なる。
魔物が激流の如き温泉に押しやられる。
そして洞窟内に大河を生み出していく。
「上へ! 上へ!」
「ちょ、ま、お前ら助け、おぼっ‼」
俺とステラさんは比較的登りやすい斜面にいたから助かったが、山賊たち、特に親分は終始温泉の中にいたが為に一瞬で飲み込まれてしまった。
そして、飲み込まれたのは人だけでは無かった。
町の人達が汗水流して整備した通水設備は一瞬にしてお湯に埋もれ、崩れる足場もろとも使い物にならなくなった。
崩壊していく財産。
目の前を大雨後の濁流みたいに流れる源泉。
そのインパクトに圧倒される中、となりではそれ以上の崩壊が起きていたことに、俺は気づくことが出来なかった。




