十二話 アイドルユニット結成! の巻
大城平良からのメッセージを無視していたのに、タイミングよくログアウトしていたのにはもちろん訳がある。
『オリンポス』とはギリシア神話に似通った――言い方を変えれば他の神話体系が弱小である――世界だ。すなわち主な舞台となるのはイリオンだけではなく、ヨーロッパ大陸やアフリカ大陸、西アジアの間に挟まれた地中海沿岸の領域『地中海世界』である。
俺は地中海世界全体を旅し、安価に沿って面白可笑しく生きるつもりでいるので、海を渡ってどこかを彷徨うつもりだった。故に巨獣マレハーダ討伐の一件を機に、後の『トロイア戦争』の舞台となる城塞都市から離れたのはいい。万事予定通りというわけではないにしろ、ずっとイリオンに居座り続けるつもりはなかったのだから。
だが俺には船の持ち合わせがないため海を渡る術がない。そこで一度『オリンポス』から離れ、ログインし直す際に自身のゲーム開始位置をエーゲ海の向こう側へ置こうとしていたのである。
こうしたやり方はちょっとズルいし、エーゲ海を渡るための手段を探す旅も乙なものだと思っていたが、安価で『最速最短の手段でエーゲ海を渡れ』と言われてしまえば仕方がない。安価は絶対だ。とはいえ、そのせいで大城とエンカウントする羽目になったのである。今の俺は不機嫌な柴犬程度には気分も荒れていた。
「クソッ……!」
目についた大岩を力一杯に蹴りつける。悪態と共に砕け散った大岩を見て、『ニコマ・ソクオーチ』の見た目にそぐわぬ怪力を再認識する。
『山口賢民』の時は腹の底で燻っていた程度なのに、気力と活力に満ち満ちている『ニコマ』になると、途端に制御の難しい怒りとなって燃え上がってしまった。
スキル『エネルギー』による差異は、『俺』と『私』の差異を明確にしてしまう。苛立ちを残したまま思念操作でコンソールを開き、アイテムボックスの中に大城から渡された物があるのを確認した。それだけで脳裏に大城の顔がちらつき、余計にやり場のない苛つきが募る。
不毛だ。鉛を呑み下す心地でグッと怒りを抑えつけコンソールからツーチャンネルに接続する。
「みんなぁー、ログインしたぞー。点呼するからいたら挙手して」
【英雄志望51: ノ 】
【英雄志望52: ノ 】
【英雄志望53: ノ 】
【英雄志望54: ノ 】
「四人か。常駐してくれてる人はまあ、こんなもんだよな。もうちょい増えるまで駄弁っとくってのも手だけど、四人だけじゃそれも盛り上がらんわな。にしても……あー、駄目だ。サンドバッグでも見つかんないかな? 誰でも良いからボコしてイジメたい」
【英雄志望55:ちょっwww なんかニコちゃん荒れてる?www】
【英雄志望56:ニコちゃん、ロール! ロール忘れてる!】
【英雄志望57:んほぉぉ! 素が出ちゃってるのぉぉ!】
【英雄志望58:ニコちゃんはそんなこと言わない(過激派)】
「ん? んぅ……んっ、よし。――はい、ロール入りますね。お見苦しいところをお見せしてすみませんでした」
言われるまでロールを忘れていた。いかんいかん、と『俺』は『私』に入れ替わる。
こうしてみると任意で入れ替われる二重人格みたいだけども、それはあながち間違いとも言えない。私は詳細を知らないが、政府は『俺』を幸せにするため何度か臨床実験を行なっており、その結果、『俺』の中には二つの魂があるらしいのだ。
『俺』が生まれ持った魂とは異なり、片割れは自我のない無色の魂である。ざっくりと言えば赤ちゃんのようなもので、その色のない魂のリソースを自我を持つ『俺』は自由に扱えてしまう。親機と子機のような関係だ。親機に当たる『俺』が、子機に当たる『私』へ演技という仮面を被せてしまえば、『私』のように『俺』の連続した意識を保ちつつ別人になれてしまうわけである。
異様だとか天才だとかスレの住人に言われてる、ロールプレイの成り切りのカラクリはそれなわけだ。特異な環境に身を置き続けたから演技力が磨かれたわけでも、別段特別な才能があるわけではない。尤も、それを吹聴するつもりはないのだけども。
【英雄志望59:あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~】
【英雄志望60:ニコちゃん(オス)がニコちゃん(メス)になる瞬間】
【英雄志望61:この声を聞くために生きてる】
【英雄志望62:生き甲斐】
【英雄志望63:『んぅ……んっ』素材アザース!】
「あ、一人増えましたね。って……素材って何してるんですかね……。まあいいか、それより安価ですよ安価。安価の聖女として安価取ります。五人しかいなくても欠かしませんので」
私はそう言って、一拍の間を空ける。安価を取るための間を与えて、住人が落ち着いてレスを書き込めるようにするためだ。
【英雄志望64:ちょっと待ったぁ! 今ニコちゃんどこにおるのよ?】
【英雄志望65:ニコちゃん! 周辺地理を教えてくーりゃんせ!】
【英雄志望66:余命少なくともニコちゃんガチ勢な拙者、良質な安価のため最低限の情報開示を求めるでござぁ!】
「え? ああ、それもそうですね。前の安価で私がログアウトし、ログインし直す際にスポーン位置を設定して、エーゲ海をジャンプすることになったのはみなさんもご存知ですね? 私は現在エーゲ海を越えて、バルカン半島南東部――トラキアにいます。あ、ついでに私が運営から貸与されたアイテムについても開示しておきます」
カメラを操作して、視聴者に辺りをぐるりと見てもらう。そうしながら片手間にアイテムボックスを開いて、その中身を表示した。
【英雄志望67:え、なにこのアイテム……】
【英雄志望68:携帯食料、飲料水各種、身体清浄機はええとして。ここのスレのレスを電子音声で再生して、啓示っぽく伝えられる指輪型アイテム『ツーチャンネル・リング』が千個。楽曲データ、マイクとかギターとかピアノとかの楽器類総計千個……?】
【英雄志望69:運営はニコちゃんアイドル化推進クラブだった……?】
【英雄志望70:古代ギリシアの文化壊れちゃーう!】
【英雄志望71:安価教団にアイドル部門設立しちゃう感じ?】
【英雄志望72:うっはwww みwなwぎwっwてwきwたw 拙者の夢が広がリングwww】
【英雄志望73:マップも見てあげて(´;ω;`)】
【英雄志望74:それもそうだな】
【英雄志望75:緑豊かな草原、なだらかな丘、山、森。おまけに遠くに見える都市……んん? あれ? リラ山脈はあるのにボテフ峰がないぞい?】
【英雄志望76:なんでチラッとカメラ回しただけでそこまで判別できるんですかね……】
【英雄志望77:視聴者側でカメラからの地理情報閲覧できるで。このカメラは優れもんでな、一部の地理情報から連座して、周辺地理を自動的に読み取れるんや】
【英雄志望78:ホンマやはじめて知ったわ】
【英雄志望79:言うてここリアルちゃうからな。あくまでもギリシア神話に『似てる』世界や。……『オリンポス』も現実やのに、こっちの世界をリアルとか言うのおかしいけど】
【英雄志望80:神話の世界やし後でぼこじゃか山とか海峡とか生まれるんやろ(テキトー)】
ぼこじゃか? ぼこじゃかって表現はじめてみた。どこの方弁なんだろう。
生じた疑問を大人な私は流すことにする。文脈から意味をフィーリングで察せたし、追求する意味は特にない。
「はい、安価取りたいんでもういいですね? そろそろどこかのポリスに移ってなにがしかのアクション起こしたいんで、みなさんに安価で指示を出してほしいです。下5でお願いします」
【英雄志望81:おk把握。ニコちゃんに何させよっかなぁ(ニチャア)】
【英雄志望82:汚らわしい笑顔見せんなや。ちなみにポリスってのは都市国家のことな】
【英雄志望83:言っとくがニコちゃんのロール歪める安価は取り消されるからな? スレの冒頭でルール説明あったやろ】
【英雄志望84:高いとこ行って歌でもうたってほすぃ】
【英雄志望85:一人は寂しいもんな……お祈りしてアーテーちゃん様を召喚や!】
【英雄志望86:とりあえずアイテムのチェックしよ? 歌とか歌える? 楽器演奏できる? やってみそ】
【英雄志望87:ここでアーテーちゃん様www】
【英雄志望88:佳き。実際一人旅より道連れおった方が楽しそう】
【英雄志望89:アーテーちゃん様とアイドルユニット結成不可避www 権能的にアーテーちゃん様いたらたくさんイベント起こりそう(小並)】
「むむむ……まあいいですよ。なんか今アーテー様すごく可哀想なことになってそうですし……多分すぐ来てくれそうです」
祈ったらすぐ来てくれる腰の軽さがギリシア神クオリティ。ただし英雄的な人物や美女に限る、と大部分の神なら言いそうだが、私はアーテーの初の信徒扱いなのだし、アーテーの性格的に来てくれてもおかしくはない。
それに現在アーテーはイリオンにいる。私が煽り、アーテーの存在だけで作用する権能を考慮すれば、まず悲惨なことになっているのは自明。あの女神サマの権能がどれほど効果があるかによって変わってくるのだけども、来ないなら来ないで構わない。安価を取り直すだけだ。
早速両膝を地面につき、両手を組んでお祈り体勢に入る。我が聖なる祈りを聞き給え……。
「ぅ――ゎぁぁ――」
「………?」
お祈り開始より三分。そろそろカップラーメンが出来上がる頃合いといったタイミングで、遠くからしゃくり上げるような、赤ん坊が泣いてるかのような声がした。
お祈り体勢をやめて辺りを見渡すも特に何も見当たらない。気のせい? と首を傾げるも声は段々大きくなってきている。声の主が近づいてきているのだろう。
「うわぁぁああんっ! ニぃコぉぉおお!」
「上っ?」
空からの飛翔体を察知して見上げると、イリオンまで案内してくれた少女神が超速で飛来してきた。
咄嗟に抱き留める。普通の人間だったら即死不可避の衝撃を受け止め、私は私の胸に顔を埋める少女神を見下ろした。
【英雄志望90:ちゃんアテ様は空から降ってくる系女神じゃったか……】
「ニゴぉぉ! あだじ、あだじぃぃいい!」
「ああもう、アーテー様? どうなさいました?」
お祈り開始から即やって来たレスポンスの早さに驚いたし、空から降ってきて突撃をかましてくれたアーテーに文句を言いたくもあったが、泣きじゃくるアーテーの様子を見てはそれらの不満も萎んでしまう。私は彼女をあやすように背中を撫でながら、優しく訊ねてみた。
本当ならイリオンからトラキアまで移動するのが早すぎる私に、なんらかの疑問を感じて然るべきなのだが、とうのアーテーに気にした様子はない。根が単純だからだろうか?
「あのね、あたしね、ニコがイリオンから追放されちゃった後ね」
「はい」
「人間たちが不穏な感じだったから、みんな仲良くしよって言ったの。そしたら人間たちが叛乱起こしちゃって、らーおめどん? とかいう人間とその家族殺しちゃったの」
「……えぇ?」
「王族みんな捕虜にされて、あたしが人間たちを一生懸命なだめたらさ、なんでかあたしが悪いってことになって、追い出されちゃった……」
「………」
幼児退行でもしているのかと言いたくなる幼さで、拙く事情を話してくれたアーテーに私は目が点になりそうだった。
いくらなんでも事態の推移が早すぎる。そして酷すぎる。なにそれと真顔になりそうだ。数年ぐらいじっくり不和の種が芽吹き、混沌が巻き起こるかもなと予想していたが、行動に移すまでがマッハである。私でなければ見逃してしまいそうだ。
あれだろうか。アーテーが関わったせいで人心が一気に叛乱へ傾いて疾走してしまったのか? 時系列で言えば私がイリオンからいなくなった直後に叛乱が起こったことになるのだが……いや、元々ラーオメドンに対する市民たちの心象は最悪だったのだから、起こるべくして起こったと言えなくもない?
「……その後、どうなったかご存知ですか?」
「ぽだるけーす、って男が王様になった。その後は知らない……」
「ポダルケース……彼ですか」
ラーオメドンに私が謁見した際、ストリューモーに言い負かされたラーオメドンに代わり、私を庇おうとしてくれた男がいた。彼のことだろう。
ポダルケースとは、後のイリオン王プリアモスのことだ。プリアモスの名の由来となる事件が起こらなかった以上、改名はなされないままな王になったと思われる。ポダルケースはあのヘクトールやパリスの父親だ。
外見では三十代そこらに見えたから、ヘクトールは私と同年代か年下になると予想できる。ポダルケースは上手いことやってアーテーに事の責任を押し付けて、難を逃れるとそのまま空位の王様になったのだろう。
というか神格を追い出すとか普通に神罰一直線だと思う。素直に追い出されてくれたアーテー、懐深すぎない?
「天に帰りたかったけどゼウス様に帰ってくるなって言われてるし……行くとこもないしで途方に暮れてたら、ニコの声が聞こえたんだ。ねえニコ、あたしニコと一緒に居ていい? 迷惑掛けないから。一人は寂しいよ」
普通に考えて破滅と妄想、不法や狂気を司る女神と行動を共にするのは危険過ぎる。よくよく考えなくても歩く死亡フラグだ。
しかし私にとっては都合がいい。ギリシア神話で破滅はイベントの塊でしかないのである。私はニコリと笑って、頷いた。
「元より私はアーテー様を尊崇しております、否やはございません。不肖の身ですが、アーテー様と共に旅ができるならこれに勝る喜びなどそう多くないでしょう」
「ほんと? ニコ、優しい……」
「私などアーテー様のお心に比べれば矮小というもの。お気になさることはありません」
「ありがと。……ん、元気出てきた。ね! ニコはこれからどうするの?」
調子を取り戻し笑顔を見せてくれたアーテーに、私は微笑みを返しながら誘いを掛ける。
安価を取れなかったとはいえ、元々必要だと思っていたことだ。これを機にやっておこう。
「でしたら――私と、歌の練習をしませんか? 二人旅ですが、折角なら楽しんでいきたいですからね」
「詩? いーよ、でもあたし詩なんかやったことないんだけど……」
「誰にだってはじめてはあります。何事もまずはチャレンジしてみましょう」
「う……ん。分かった、じゃあなに唄う?」
【英雄志望91:キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!】
【英雄志望92:アイドルユニット結成や!】
【英雄志望93:ならおれらがPやな!】
私はアイテムボックスからマイクを二つ取り出し、一つをアーテーに手渡すと、楽曲データの詰まった指輪を自分の中指に嵌めた。
「ンッ!? それどっから出したの!?」
「私のお集めしたアンカー神様のご加護により、私は物品を亜空間に収めて持ち運ぶことができるのです。この他にもたくさんの物品を持っていますよ」
「へ、へぇ……そんなことできるんだ。ところでこの卑猥な形のもの、何?」
卑猥って言ったらイケナイ。普通のマイクですよ。
というか、私の言うことを疑いもしないアーテーは純真に過ぎる気がする。こんな良い娘が破滅と不法の女神だとは、にわかに信じ難い気分だ。
気を取り直してマイクのスイッチを入れ、口元に運ぶと声を発する。するとビクリとアーテーは肩を揺らした。
「これはこのようにして使います。声を大きくしてくれる物です」
「うわっ!? なるほどなぁ、スゴイよこれ。大声出したらポセイドン様みたいな声量になるね」
「斯様にして声量を上げ、遠くの者にも歌が聞こえるようにするんですよ。それではまず、不遜な物言いで恐縮ですが私がお手本として歌ってみますね。音楽が流れますので驚かないで聞いてください」
中指に嵌めた『ツーチャンネル・リング』から、私の知っている楽曲を流し出す。すると案の定アーテーはびっくりして目を丸くしていた。
そんな彼女を横目に前奏を聞きながらリズムを取り、思う。これがアニメならオープニング曲かエンディング曲が流れるのだろうな、などと。
雑念を弄びながら、私は歌い出す。スキル『天使の声帯』は、こういうのにも役立つだろう。さらっと古代ギリシア文化を塗り替えるのも楽しそうだなと私は思った。




