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前金三万じゃ足りません。 ~鏑木湊斗の不器用な霊視商法~  作者: 黒崎リク
第一話 黒い四階 ~前金三万じゃ足りません~
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(6)

 水宮みずみやは、目的のビルの近くにあるというパーキングに車を停めた。繁華街から少し離れた路地にあり、人通りは少ない。

 彼の案内で五分ほど歩いて辿り着いたのは、四階建てのビルだった。四辻の角にある、少し古そうな建物だ。もっとも、湊斗みなとの住む築三十五年のボロアパートに比べれば全然新しい。

 灰色の外壁は少し薄汚れてはいるものの、テナントも全部の階に入っているようだし、窓から人の姿も時折見える、普通のビルだった。一階には、水宮が言っていた喫茶店がある。雰囲気の良さそうな、昔ながらの喫茶店という感じだ。

 オレンジ色の灯りが透ける摺りガラスの向こうを湊斗が見ようとすると、水宮が「こっち」と手招きした。サングラスは外して、ざっくりとしたサマーニットのVネックに引っ掛けている。何かにつけてモデルっぽい奴だ。


「ここの四階なんだ」


 水宮の後について、小さなエレベーターに乗り込む。

 六人も乗ればぎゅうぎゅうの狭苦しい箱の中、湊斗は水宮から少し離れて、落ち着かなさげに数珠を弄る。

 それに気づいた水宮が、くすりと笑った。


「緊張してるの?」

「当たり前だろ」


 即答した湊斗に、水宮はきょとんとした顔をする。不思議そうに首を傾げた。


「霊が視えるのに?」

「……視えるからだ」

「ふぅん?」


 水宮が「どうして?」と尋ねてきたとき、エレベーターが止まった。最上階の四階だ。

 軋む音を立ててドアが開いた途端、湊斗の背がぞっと粟立った。


 ドアの向こうは、真っ暗闇だった。

 黒い絵の具で塗り潰したような、廊下の床と壁。

 悪趣味な内装――ではないと気づいたのは、エレベーターの電灯の光が、廊下との境界で不自然に切れていたからだ。

 灯りまで吸い取る、黒くぽかりと空いた空間。スモークのように、ゆらりと揺れる黒いもや。じわじわと光を侵食し、粒子が這い寄ってくる。


 行きたくない、と湊斗が足踏みした時だ。


「――鏑木かぶらぎ君?」


 水宮が、湊斗の肩を軽く叩いてくる。ぱっとそちらを見上げると、水宮は背を屈めてこちらを覗き込んでいた。

 薄い水色と灰色が混ざった虹彩が間近にある。本当に外国人みたいな色だ。……てか、近すぎないか。

 思わず水宮から顔を背けた後、湊斗は目を瞠った。

 ドアの向こうには、白い廊下が広がっていた。白い床に天井。枯れかけの大きな観葉植物に、壁には色褪せたイベント案内のポスターや演劇のフライヤー……。


「大丈夫?」

「あ……ああ」


 見間違いだったのだろうか。目元に手をやれば、黒縁眼鏡が当たる。眼鏡掛けっぱなし……つまり意識的にはオフの状態だ。

 なら、やっぱり見間違い――と言うには、生々しい感覚が残っている。目の奥、目と脳の間に、黒い霧の残像がちらついていた。手も緊張で汗ばんでいる。


「顔色悪いね。少し休む? そこに椅子があるから」


 水宮は湊斗を支えるように肩に手を回して、エレベーターから出る。一瞬身を竦めたが、廊下に出てしまえば何の変哲もない。普通の廊下だった。

 気づけば、頭の中も妙にすっきりしている。

 ……叔父さんの知人の神社の聖域に入った時みたいな、不思議な感覚に戸惑った。

 黒い霧を視た時と、今の感覚が、ギャップがありすぎる。何なんだ、ここは。

 湊斗が考え込んでいる間に、水宮は心配そうな表情で椅子に座らせようとする。湊斗は首を横に振って断る。


「大丈夫だ。……それより、早く終わらせたいんだけど」


 湊斗が促すと、水宮は「そう?」と言って湊斗の肩を支えたまま、廊下の奥へと進み始めた。湊斗の具合が悪いと思っているのだろう。ほとんど抱きかかえるような密着具合に、居心地の悪さを覚える。


「もう大丈夫だから、離せよ」

「心配だから。それに、この方がいいと思うよ。僕の側にいれば君は安全だから」

「はあ?」


 どういう意味か湊斗が聞き返そうとする前に、水宮が立ち止まった。廊下の突き当りの部屋の前だ。水宮はいつの間にか取り出していた鍵で開けると、ドアノブを握った。


「ここだよ」

「……」


 湊斗は掛けていた眼鏡を外した。オンの状態――意識的に霊視をする状態にする。

 水宮が扉をゆっくりと開く。

 身構えた湊斗の視界に映ったのは、だだっ広い無機質な空間だ。

 壁のコンクリートは剥き出しで、窓は一つもない。高い天井にはいろいろな形の照明が取り付けられていた。部屋には白いパネルや、撮影用の道具のソファーセットらしきものも置かれている。


 ここは、確かに撮影スタジオだったのだろう。

 だが、床には埃が積もり、ソファーセットには白いシーツが被せられて裾の方は紐で縛られている。天井の照明のいくつかは割れて、そのまま放置されていた。白いパネルは薄汚れ、部屋の各所に蜘蛛の巣が張られ、虫の死骸が落ちている。埃っぽく黴臭い空気は、長く換気していない証だ。

 埃の積もり具合からすると何か月使われていない……なんて推理できる知識は、湊斗にはない。だが、それでも違和感に気づいてしまう。


「……おい、水宮。あんた、先週ここで撮影したって――」


 傍らに佇む水宮を見上げて、尋ねた時だ。


 どん、と強く肩を押された。


「え……」


 水宮に突き飛ばされた湊斗は、突然のことに受け身も取れずに床に倒れ込む。

 身体を打った痛みと衝撃で舞う埃に目を眇めながら、何とか身を起こした湊斗は、息を呑んだ。


「……っ!」


 ぞわっ、と一気に肌が粟立つ。

 倒れた湊斗をたくさんの人が取り囲み、見下ろしていた。

 真っ黒な、眼窩がんかで。


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