(5)
十分後、湊斗は水宮の車の助手席に座っていた。
何でこうなった、と自分でも突っ込みたい。
いや、ここに至るまでに、頑張って抵抗したのだ。
ひとまず工学部の教室前から避難し(あとを追いかけてくる女子学生を撒くのは大変だった)、人目が無くなったところで、湊斗は三万円を返そうとした。
だが、昼休みの時と同様に水宮は受け取ることなく、終いには「君にあげたものだから、そんなにいらないなら寄付でもしてよ」と言ってくる。依頼を断るという湊斗の言葉は無視だった。
だったらこっちだって無視して帰ってやると湊斗が踵を返す前に、すかさず腕を掴まれた。つくづく目ざといというか、人の先手をとるのがうまいというか。
そうして突き付けられた選択肢は「一、このまま手をつないで歩く」「二、逃げずに大人しく隣を歩く」だ。三番目の選択肢として「鏑木君、小さくて軽そうだから抱えて運ぶのでもいいけど」と本当に抱えられそうになり、すかさず二番目を選んだ。
キャンパスの東側にある法学部の駐車場。学舎から離れた隅の方に、水宮の車は停められていた。
金持ちモデルである彼の所有する車だ。貧乏庶民の発想で、てっきり高級感ある黒塗りの外車か、車高の低い派手な色のスポーツカーかと思いきや、普通の国産車で拍子抜けした。
シルバーのコンパクトSUVは、至ってシンプルだ。とはいえ、見るからに新車でちゃんと手入れもされている。
ぴかぴかの助手席のドアを開け、「どうぞ」とまるで女性をエスコートするかのような水宮に、背中をどんと押されて押し込められたのが、十秒前の記憶。
ばんっ、と運転席に乗り込んできた水宮は後部座席にバッグを投げ、さっさとシートベルトを締めてエンジンをかける。
「鏑木君、シートベルト」
「あ、おい、ちょっと待て、どこに――」
「出すよ」
言葉と同時に急発進、猛スピードで駐車場の出口まで進み、ゲートの前で急停車。
慣性の法則で前のめりになった湊斗は、ダッシュボードに手をついて顔面衝突を避け、急いでシートベルトを締める羽目になる。
急発進、急停車の衝撃で心臓はバクバクと鳴って忙しない。水宮の運転は乱暴なのかと思いきや、その後は至ってゆっくりと丁寧なものへと変わった。
あの暴走は、湊斗にシートベルトを締めさせるためのパフォーマンスだったのか。あるいは車から勝手に降りないようにさせるための警告だったのか。
冷や汗が滲む背中をシートに着け、ずれた眼鏡を直しながら湊斗は溜息をつく。
「……あんた、かなり強引だよな」
「そうかな? あまり言われたことがないよ」
どこか楽しそうに水宮は答える。
「君こそ、けっこう諦めが悪いっていうか、面倒臭いっていうか」
「あんたに言われたかねぇよ。帰る、降ろせ」
「ああ、ごめんごめん」
軽く謝りながら、水宮は車を停める様子はさらさら見せない。
ステアリングから離した左手でパネルを操作して音楽を流し始め、さらに顔隠しか日差し避けかはわからないが、サングラスを掛ける余裕ぶりだ。サングラス姿が様になるその姿は、女子だったら胸キュンものなのだろうが、男の湊斗の胸には響かない。逆にイラっとする。
男性歌手のロックっぽい洋楽を聞き流し、湊斗は水宮に尋ねた。
「どこに行くんだ」
「行けばわかるよ」
「わかんねぇよ。ちゃんと言え。依頼するってんならな」
「あ、引き受けてくれる気になったんだ」
あれだけ強引に引き受けさせておいて、よくもまあ抜け抜けと。湊斗が依頼を嫌がっていることを理解したうえでの、この行動。やっぱり強引な奴だ。
湊斗は顰め面で宣言する。
「最初に言った通り、視るだけだ。それ以上はしない。視たらソッコーで帰る」
ここまで来たら、もう逃げるのは無理だ。諦めて、とっとと水宮の依頼をこなした方がマシだろう。
素っ気ない湊斗に水宮はにこりと笑うと、ここから車で二十分ほどの町名と番地、ビルの名を告げた。
「鏑木君に視てほしいのは、そのビルに入っているスタジオだよ」
「ふぅん……」
「先週、そこで撮影があったんだけど、ちょっとおかしなことが続けて起こってね」
水宮曰く、ヘアメイクで使っていた鏡が割れたり、隅に積んでいた段ボールが誰も触れていないのに倒れたり、挙句の果てには撮影中のデジタルカメラが故障したりと、散々だったらしい。
「今まで、そこでそんな奇妙な現象は起こったことが無いらしいんだ。別に怪我人とかも出なかったし、撮影も何とか終わったから、特に問題は無かったんだけど。次にあのスタジオ使うときに、何かあったら嫌だなぁと思って」
「なら、俺みたいな素人じゃなくて、ちゃんとした霊能者にでも頼めばいいだろ」
「素人だからいいんだよ。いきなりお祓いとかになったら、スタジオにケチがついちゃう気がして、嫌なんだ。鏑木君、本当に幽霊が視えるみたいだから、いるかいないかだけでも確かめてもらおうと思ってさ。だって僕、あのビルの一階に入っている喫茶店のナポリタンが好きだから。すごく美味しいんだよ? 食べに行けなくなるの、勿体ないじゃない」
「そんなの知るかよ……」
呑気な水宮の言葉に、湊斗は脱力する。
あまりの水宮の強引さに、マジでヤバい噂のある心霊スポットとかに連れていかれたどうしよう、と心の隅で心配していたからだ。
依頼の内容がわかったのと、彼の話からするとさほど凶悪そうではないことに、少しほっとする。
湊斗は、人を視ることならともかく、特定の『場所』を視ることは好きじゃない。
普通に歩いているだけでも霊が視えるっていうのに、霊がたんまりと溜まった場所に、誰が好き好んで行くものか。自殺行為だ。廃ホテルや廃病院に肝試しに行く馬鹿の気が知れない。
……まあ、用心に越したことはない。
湊斗は胸の前にあるボディバッグをぎゅっと握り、手首の数珠を手持ち無沙汰に弄りながら、もう一度念を押す。
「……視るだけだからな」
「うん、それでいいよ。……君は『視て』くれるだけでいい」
水宮はサングラスで目元を隠したまま、唇だけでうっすらと微笑んでみせた。




