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前金三万じゃ足りません。 ~鏑木湊斗の不器用な霊視商法~  作者: 黒崎リク
第三話 鏡に犇めくもの ~タダより恐ろしいものは無い~
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(5)


 朝川リナ。

 年は水宮と同じ十九歳。某女性雑誌の専属モデルを務める傍ら、テレビのバラエティ番組などにも最近少しずつ出るようになった、今売り出し中の若手モデルだそうだ。

 水宮に相談してきて友人の女性モデルとは、もちろん彼女のことだ。仕事の現場がよく被ったり、同い年ということもあったりで、特に親しいわけではないが、顔を合わせれば世間話をする仲だと言う。




「――ってことで、朝川さんのとこ行こっか」


 ヘアメイクを終えた水宮が席を立ち、ハンガーに掛けてあった紺色のジャケットを羽織る。

 湊斗は首を横に振った。


「無理、絶対無理っつか、マジでやめろ。あんなの二度も視れるか」


 肌にびっしりと貼りついた赤い唇。生き物のように蠢くそれを思い出すだけで、せっかく治まった鳥肌がぶり返してしまった。

 それなのに、水宮はどこかワクワクとした表情を浮かべる。


「そんなにすごかったの? 気になるなぁ」

「お前は視えないからいいけどな……あ」


 しまった、と湊斗は佐野の方を見やる。

『視える、視えない』の話を他人の前でしてしまった。案の定、佐野はきょとんとした顔で、湊斗と水宮を交互に見てくる。

 湊斗が言い訳を考える前に、水宮がさらりと言う。


「佐野さん、少し、朝川さんの様子見てきますね。それに、湊斗君が失礼な態度取っちゃったから、ついでに謝罪にも」

「あ……ああ、うん」

「それと、湊斗君の眼鏡、返してもらいますね」


 水宮は佐野の手から眼鏡を受け取る。そうして流れるような動きで湊斗の腕を掴むと、そのまま控室から出た。

 再び水宮に腕を引っ張られる形になった湊斗は、振りほどこうとしたが敵わない。何でこいつはこんなに力が強いんだ。

 ずるずると引き摺られながら、湊斗は足を踏ん張って抵抗する。


「おい、待てって! マジで無理なんだって――うわっ」


 すると水宮はぴたりと立ち止まった。

 まさか本当に止まるとは思っていなかったため、湊斗は驚いて彼を見上げる。すると、目の前に大きな手が翳された。

 咄嗟に目を瞑ると、両のこめかみに馴染みのある感触がある。耳の上に掛かったのは眼鏡の黒い蔓の部分だ。

 目を開くと、薄いガラス越しの視界で水宮が微笑んでいた。眼鏡の蔓の部分を持っていた両手を離し、鼻の上のブリッジを人差し指で軽く押してくる。


眼鏡それがあれば大丈夫でしょ? 眼鏡を掛けていれば『視えない』んだよね」

「……なんで、知って」

「そりゃ気づくよ。僕と最初に会った時も、ビルのスタジオに行った時も、霊を視る時に眼鏡を外したじゃない。それに、度が入ってないように見えたし、さっき佐野さんも伊達眼鏡だって言ってたしね。お洒落でもない、そんなダサい眼鏡を掛けている時点で、何かあるって気づくでしょ」

「ダサくて悪かったな」


 あっさりと答えた水宮に、湊斗は鼻に皺を寄せる。一言余計だ。

 昔ながらの商店街の眼鏡屋で買った、大売り出し割引品の黒縁眼鏡。高校時代から使っていて、年季が入っている。別に眼鏡に特別な力があるわけではないが、多少は愛着のある品だ。なぜこの短時間で、二人の人間から貶されなくてはならない。


「ごめんごめん。それより、その眼鏡、何? もしかして霊を遮断する素材でできているとか、真澄さんが何かマジナイを掛けているとか?」


 水宮は再び廊下を歩き出し、湊斗は仕方なくそれに付いていく。


「別に。お前には関係ないだろ」

「あ、ひどいなぁ。友達なんだから、教えてくれてもいいじゃないか」

「絶対教えねぇ」


 やり取りをしている間に、二つ離れた部屋の前で水宮は立ち止まる。扉の前には、『朝川リナ様』と書かれた紙が貼られている。

 水宮は軽くノックして声を掛けた。


「朝川さん? 水宮だけど、少し時間いいかな」


 沈黙の後、「……どうぞ」とくぐもった声が返ってくる。

 失礼します、と部屋に入る水宮の後に、湊斗は続く。どうせ逃げたところで、水宮に連れ戻されるのは目に見えている。そうなれば、余計な注目を浴びるだけだ。一つ息をして腹を括り、湊斗は部屋に入った。


 控室の隅の椅子に、先ほどの女性――朝川リナが腰掛けていた。

 大きなマスクを顔に着け、長袖の上着を羽織り、細い脚をブランケットで隠している。自分の腕を抱いて俯いている様子からは、先ほどの華やかさが消え失せていた。

 どこか怯えた様子で顔を上げた彼女は、水宮、そしてその後ろにいる湊斗を見てはっと目を見開いた。


「あなた……!」

「あ……その――」

「出てって! こっちに来ないでよ!」


 リナは椅子から立ち上がり、半ば恐慌状態になって後退る。怯えと畏れが混じった目が湊斗に向けられた。


『――この化け物! 近寄らないで!』


 記憶の奥に沈めていたそれと重なり、湊斗はわずかに眉を顰めた。

 どうして思い出してしまったのか。ずるずると嫌な記憶が引き摺り出されそうになったが、今はそんな場合ではない。湊斗は手首に嵌めた数珠をたぐり、気を紛らわせた。

 近くにある物を今にも投げつけてきそうなリナに、水宮が近づく。


「落ち着いて、朝川さん。彼は僕の友達で、あのMASUMIさんの知り合いでもあるんだ」

「っ……じゃ、じゃあ……」

「うん。いわゆる霊が視える人……霊能力者だよ」


 水宮が言うと胡散くさく聞こえるのは気のせいか。

 だいたい、湊斗は『霊能力者』なんて看板を掲げたことなんて一度もない。ただ視るだけしかできないのに、霊能力者なんて名前が付くと大仰な感じがする。

 そんな紹介の仕方をするな、と湊斗が口を開く前に、リナが先ほどまでの態度をがらりと変え、こちらに向かって突進してきた。

 モデルだけあって、彼女の背は湊斗よりも高く、少し上から見下ろされる形になる。ぎょっと見上げる湊斗の胸倉に、リナは縋りついてきた。


「ねえ、お願い、どうにかしてよ! 視えたんでしょう!? これが!」

「っ……!」


 強い力で揺さぶられて視界は定まらず、喉も襟で絞まってしまい、湊斗は答えることができない。

 水宮が間に入り、ようやく解放された湊斗は、やっぱり来るんじゃなかったと後悔した。


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