(5)
朝川リナ。
年は水宮と同じ十九歳。某女性雑誌の専属モデルを務める傍ら、テレビのバラエティ番組などにも最近少しずつ出るようになった、今売り出し中の若手モデルだそうだ。
水宮に相談してきて友人の女性モデルとは、もちろん彼女のことだ。仕事の現場がよく被ったり、同い年ということもあったりで、特に親しいわけではないが、顔を合わせれば世間話をする仲だと言う。
「――ってことで、朝川さんのとこ行こっか」
ヘアメイクを終えた水宮が席を立ち、ハンガーに掛けてあった紺色のジャケットを羽織る。
湊斗は首を横に振った。
「無理、絶対無理っつか、マジでやめろ。あんなの二度も視れるか」
肌にびっしりと貼りついた赤い唇。生き物のように蠢くそれを思い出すだけで、せっかく治まった鳥肌がぶり返してしまった。
それなのに、水宮はどこかワクワクとした表情を浮かべる。
「そんなにすごかったの? 気になるなぁ」
「お前は視えないからいいけどな……あ」
しまった、と湊斗は佐野の方を見やる。
『視える、視えない』の話を他人の前でしてしまった。案の定、佐野はきょとんとした顔で、湊斗と水宮を交互に見てくる。
湊斗が言い訳を考える前に、水宮がさらりと言う。
「佐野さん、少し、朝川さんの様子見てきますね。それに、湊斗君が失礼な態度取っちゃったから、ついでに謝罪にも」
「あ……ああ、うん」
「それと、湊斗君の眼鏡、返してもらいますね」
水宮は佐野の手から眼鏡を受け取る。そうして流れるような動きで湊斗の腕を掴むと、そのまま控室から出た。
再び水宮に腕を引っ張られる形になった湊斗は、振りほどこうとしたが敵わない。何でこいつはこんなに力が強いんだ。
ずるずると引き摺られながら、湊斗は足を踏ん張って抵抗する。
「おい、待てって! マジで無理なんだって――うわっ」
すると水宮はぴたりと立ち止まった。
まさか本当に止まるとは思っていなかったため、湊斗は驚いて彼を見上げる。すると、目の前に大きな手が翳された。
咄嗟に目を瞑ると、両のこめかみに馴染みのある感触がある。耳の上に掛かったのは眼鏡の黒い蔓の部分だ。
目を開くと、薄いガラス越しの視界で水宮が微笑んでいた。眼鏡の蔓の部分を持っていた両手を離し、鼻の上のブリッジを人差し指で軽く押してくる。
「眼鏡があれば大丈夫でしょ? 眼鏡を掛けていれば『視えない』んだよね」
「……なんで、知って」
「そりゃ気づくよ。僕と最初に会った時も、ビルのスタジオに行った時も、霊を視る時に眼鏡を外したじゃない。それに、度が入ってないように見えたし、さっき佐野さんも伊達眼鏡だって言ってたしね。お洒落でもない、そんなダサい眼鏡を掛けている時点で、何かあるって気づくでしょ」
「ダサくて悪かったな」
あっさりと答えた水宮に、湊斗は鼻に皺を寄せる。一言余計だ。
昔ながらの商店街の眼鏡屋で買った、大売り出し割引品の黒縁眼鏡。高校時代から使っていて、年季が入っている。別に眼鏡に特別な力があるわけではないが、多少は愛着のある品だ。なぜこの短時間で、二人の人間から貶されなくてはならない。
「ごめんごめん。それより、その眼鏡、何? もしかして霊を遮断する素材でできているとか、真澄さんが何かマジナイを掛けているとか?」
水宮は再び廊下を歩き出し、湊斗は仕方なくそれに付いていく。
「別に。お前には関係ないだろ」
「あ、ひどいなぁ。友達なんだから、教えてくれてもいいじゃないか」
「絶対教えねぇ」
やり取りをしている間に、二つ離れた部屋の前で水宮は立ち止まる。扉の前には、『朝川リナ様』と書かれた紙が貼られている。
水宮は軽くノックして声を掛けた。
「朝川さん? 水宮だけど、少し時間いいかな」
沈黙の後、「……どうぞ」とくぐもった声が返ってくる。
失礼します、と部屋に入る水宮の後に、湊斗は続く。どうせ逃げたところで、水宮に連れ戻されるのは目に見えている。そうなれば、余計な注目を浴びるだけだ。一つ息をして腹を括り、湊斗は部屋に入った。
控室の隅の椅子に、先ほどの女性――朝川リナが腰掛けていた。
大きなマスクを顔に着け、長袖の上着を羽織り、細い脚をブランケットで隠している。自分の腕を抱いて俯いている様子からは、先ほどの華やかさが消え失せていた。
どこか怯えた様子で顔を上げた彼女は、水宮、そしてその後ろにいる湊斗を見てはっと目を見開いた。
「あなた……!」
「あ……その――」
「出てって! こっちに来ないでよ!」
リナは椅子から立ち上がり、半ば恐慌状態になって後退る。怯えと畏れが混じった目が湊斗に向けられた。
『――この化け物! 近寄らないで!』
記憶の奥に沈めていたそれと重なり、湊斗はわずかに眉を顰めた。
どうして思い出してしまったのか。ずるずると嫌な記憶が引き摺り出されそうになったが、今はそんな場合ではない。湊斗は手首に嵌めた数珠をたぐり、気を紛らわせた。
近くにある物を今にも投げつけてきそうなリナに、水宮が近づく。
「落ち着いて、朝川さん。彼は僕の友達で、あのMASUMIさんの知り合いでもあるんだ」
「っ……じゃ、じゃあ……」
「うん。いわゆる霊が視える人……霊能力者だよ」
水宮が言うと胡散くさく聞こえるのは気のせいか。
だいたい、湊斗は『霊能力者』なんて看板を掲げたことなんて一度もない。ただ視るだけしかできないのに、霊能力者なんて名前が付くと大仰な感じがする。
そんな紹介の仕方をするな、と湊斗が口を開く前に、リナが先ほどまでの態度をがらりと変え、こちらに向かって突進してきた。
モデルだけあって、彼女の背は湊斗よりも高く、少し上から見下ろされる形になる。ぎょっと見上げる湊斗の胸倉に、リナは縋りついてきた。
「ねえ、お願い、どうにかしてよ! 視えたんでしょう!? これが!」
「っ……!」
強い力で揺さぶられて視界は定まらず、喉も襟で絞まってしまい、湊斗は答えることができない。
水宮が間に入り、ようやく解放された湊斗は、やっぱり来るんじゃなかったと後悔した。




